第百五十一話 街造りの為に その弐
ここ最近の簡単なあらすじ。
アルバシュタイン公国を、魔族である吸血鬼の魔の手から救ったカオル達。
魔族を取り逃がすも人対魔物の戦争は終結し、無事にエルヴィント帝国に凱旋する。
そして、祝勝会を兼ねた晩餐会で行われた夜会で、私利私欲の為に没落した元選帝侯にして子爵のフィン家に難癖を付けられてしまう。
メイドであり奴隷のアイナをバカにされ、カオルはつい『決闘』という言葉を口にし、予想だにしていなかった展開へと進んでいく。
奴隷について想い悩むカオルではあったが、奴隷文化を一新すべく、『奴隷の街』を造ると家族に宣言した。
その為にまず行ったのが、自治領内の視察であり、『ある物』を作る為の許可で・・・
大陸南西部に位置するカムーン王国では、届いたばかりの1通の書簡を、まじまじと見詰める人物がいた。
「困ったわねぇ~」
困り顔の人物の名は女王エリーシャ・ア・カムーン。
元剣聖ヴァルカンの恩人にして、王女ティル・ア・カムーンの母親だ。
「いかがなされたのですか?お母様」
エリーシャの私室の扉を開けて、入って来たのは王女ティル。
壁際に控えていた侍女に紅茶を用意するよう指示し、丸テーブルを囲む様に設置された椅子へ腰掛けた。
「あらぁ、戻って来てたのねぇ~?」
「はい。今回の探索は、失敗でした」
侍女が差し出した紅茶を一口啜り、ティルは残念そうに肩を落とす。
ティルが言った探索とは、エルヴィント帝国北部にある、カオルと出会った地下迷宮で手に入れた石版から情報を得て、剣聖フェイと向かった所での話し。
カムーン王国お抱えの考古学者が石版の情報を紐解き、導き出した場所にいざ向かってみると、そこにはただ大きな石が並べられていただけであった。
「まぁ。それは残念ねぇ~」
「まったくです。あんなに大変だったのに、何も無かったんですよ?無駄骨でした」
家族以外の前では、侮られまいと仰々しい話し方のティルであったが、エルヴィント帝国皇帝アーシェラの様に、家族の前では砕けた話し方をするようだ。
「それで、お母様。何を見ていらっしゃるのです?」
物憂げな表情を浮かべるエリーシャが、見詰めているのは1通の書簡。
そこに書かれているのは、エルヴィント帝国皇帝アーシェラからの招待のお誘いであった。
「なんかねぇ~?一月後にアーシェラちゃんが『決闘』とかいう、面白い催し物をするから、ぜひ見に来て♪だってぇ~」
「お母様。いくら同盟国とはいえ、一国の皇帝相手に『ちゃん付け』はどうかと思うのです」
「あらぁ~♪だって、アーシェラちゃんは面白いのよ~?『不思議な術』も使えるし、本当に楽しい人なのぉ~♪」
威厳の無いエリーシャの間延びした声を聞くと、なんだか全身の力が抜けてくる。
エリーシャが言う『不思議な術』とは、狐耳族の秘術『変化の術』の事だろう。
娘である皇女フロリアが、1人だけ好きな時に外へ遊びに行って、「お母様ばっかりずるい!」と苦言を洩らした事がある。
「...もういいです。それで、決闘ですか。いったい誰と誰がされるんですか?」
「えっとねぇ~...香月カオル伯爵とヘルマン.ラ.フィン子爵ですって♪フィン家?ん~どこかで聞いたようなぁ....思い出したわぁ~♪たしか選帝侯だったはずぅ~♪だけど、子爵?公爵だったはずなのにねぇ~♪本家じゃないのかしらぁ~♪」
1人で自問自答し自己完結するエリーシャ。
とても女王に見えない雰囲気だが、実は女王としては類稀なる才能とカリスマを有している。
「大方、没落したのでしょう。それにしても、香月カオル伯爵ですか...」
「ん~?どうしたのぉ~?ティルちゃん何か気になるの~?もしかして、殿方に恋しちゃったのかしらぁ~?うふふ♪ティルちゃんもお年頃ねぇ~♪」
可愛い愛娘の成長が嬉しかったのか、エリーシャは頬に手を当て嬉しそうに笑い始める。
普段は従者として仕えているメイドの女性まで、面白そうに微笑んで、白い歯を見せていた。
「な、何をおっしゃっているのですか!?お母様!!違います!!私はただ、相識の間柄にある方の名前に似ていたもので、その...なんというか....」
母親であるエリーシャにからかわれたのが恥ずかしかったのか、ティルは俯き両手を何度も組み合っていた。
しどろもどろになるティルの姿がとても愛らしかったのか、エリーシャの悪戯心に火が付く。
「あらぁ~♪本当にそれだけかしらぁ?でも不思議ねぇ~。ティルちゃんに、他国の男性の知り合いが居るなんてぇ~」
さらにからかい続けるエリーシャ。
だが、エリーシャが発した『他国の男性』という言葉にティルはピクリと反応する。
「えっ!?男性ですか!?」
「そうよぉ~。この香月カオル伯爵は、男性よぉ~。あれを見てみるといいわぁ~」
エリーシャが指差したのは、豪華な木枠に填められた、1枚の印刷物。
そこに描かれるは、長い黒髪をなびかせた、黒水晶の瞳を宿した少女の姿だった。
「お母様。なぜこの様な物を持っていらっしゃるのですか...」
「え~。御用商の方が持ってきてくださってねぇ~♪あんまり可愛いから、飾っちゃったぁ~♪」
とても嬉しそうにエリーシャが話す。
どうやら、エルヴィント帝国で発行された印刷物の様だ。
(でもこの子....カオルよね....)
カオルとティルは面識がある。
石版を入手する際に、元剣聖のヴァルカンに連れられていた子だからだ。
「本当に可愛いわよねぇ~♪しかも、ドラゴンスレイヤーなんですってぇ~♪男の子だなんて、信じられないわぁ~♪」
エリーシャは、壁に飾られた人相書きを、物欲しそうにうっとりと見詰める。
確かに幼年のカオルの容姿は、見るもの全てを魅了する程に可愛らしい。
「あの...お母様」
「なぁ~にぃ~?」
「その招待。私が行きます」
アーシェラからの招待を、自分が行くと言うティル。
(もう一度カオルに会いたい)と、そう思ったからかもしれない。
「あらぁ~♪カオルちゃんが気に入ったのねぇ~♪いいわよぉ♪本当は、エメちゃんに行ってもらおうかと思ったんだけどぉ~...ティルちゃんに決めたわぁ♪」
ティルには妹が居る。
第2王女エメ・ア・カムーン。
王国始まって以来の天才と名高い彼女は、物静かであまり口を開く事はないが、家族から愛されたとても頭の良い子だ。
「ありがとうございます。それで、開催はいつですか?」
「一月後よぉ~♪」
「そうですか...では、準備がありますので失礼します」
「あらあら~♪」
ティルが退席するのを確認すると、エリーシャは意味ありげに口角を吊り上げ、ニヤリと笑った。
(...まだ一月以上もあるのにぃ~♪間違い無く美容所に行ったわねぇ♪ふぅ~ん...香月カオル伯爵ねぇ...欲しくなっちゃったかもぉ♪)
カオルのまったく預かり知らない場所で、ヴァルカンの杞憂は現実味をおびてくる。
時の歯車は、「カチリ」と静かに回り始めていた。
(それにしてもぉ~...可愛い子ねぇ~)
女王エリーシャ・ア・カムーン。
歴代最強の策略家としてカムーン王国の主軸を担う彼女は、エルヴィント帝国皇帝アーシェラ.ル.ネージュと並ぶ才覚の持ち主。
意図せずカオルを見つけたことで、この大陸は破滅へと進んでいくのであった。
エルフの里で突如として始まった戦闘。
カオルはその強大な魔力を持って、大蛇をなんとか退ける。
今はエルフ王リングウェウの屋敷の庭で、カオルが持参した巨大な怪鳥と海水魚を調理し、怪我を負ったエルフやその家族達。
エルフの里の住民全てに料理を振舞っていた。
「お待たせしました。ブリと根野菜の煮付けと、ブリの照り焼きです」
王女エルミアとエルフの侍女に手伝われ、カオルは次々と調理をする。
見た目は若いエルフのおじさんに怪鳥の血抜きと羽を引き千切ってもらい、先日食べたフリカッセと、近くに自生する椿の木から実を採取して作った油で、揚げ物を作り出す。
「カオル様。サラダはこれでよろしいでしょうか?」
「...うん。とても美味しそうな飾り付けだね♪さすがエルミア♪」
「いえ♪」
楽しそうに2人で行う共同作業。
親であるエルフ王リングウェウと王妃アグラリアンが、柱の影からこっそり2人の姿を微笑ましそうに見詰める。
「唐揚げ出来ましたよ~」
大皿に盛られた唐揚げに、緑の野菜で彩りを添えて。
侍女達は、お皿に盛られた料理の品々を、手早く次々に運び始める。
庭先に集まるエルフ達が、温かく美味しい料理に舌鼓を打ち、出された祝杯を一気に飲み干す。
「みんな無事で、本当によかったね♪」
「はい♪」
楽しそうに会話を続けるカオルとエルミア。
どこからどう見ても新婚さんの様相を呈していた。
「ねぇ。あなた」
「なんだ?」
「本当に仲良さそうでいいわね♪」
「ああ。そうだな...それにしても、婿殿は本当に素晴らしいな。しかも可愛らしい。本当に私と同じ男なのだろうか?」
「そうですねぇ...まだ子供だから、身体付きからはわかりにくいわねぇ....」
「うむ...後で風呂にでも誘ってみるか」
「あらぁ?ど.う.い.う.つ.も.り、かしらぁ?」
「ふ、深い意味は無いぞ!?私はただ、将来生まれてくる孫の心配をだな...」
「...そういう事にしておきましょう。それにしても、カオルさんは何でも出来るのねぇ♪」
「あ、ああ....」
リングウェウの変態性はさておき、急上昇のカオル株。
『万能の黒巫女』と呼ばれる所以は、こういった行為から来るものだろう。
「じゃ~ん!新料理『ズッキーニと鳥皮の塩レモン炒め』の完成♪」
「素晴らしいです♪カオル様♪」
「味見してみて?熱いから気をつけてね?」
「はい♪」
カオル自慢の新料理を、エルミアは恐る恐る一口齧る。
噛む度に鳥の油が溢れ出て口の中に広がるも、レモンのあっさりした味わいがそれを相殺する。
さすがは、料理上手のカオルが作り出した新料理だろう。
「...とても美味しいです♪」
「よかった♪いっぱい作るね♪」
エルミアに料理を褒められて嬉しかったのか、カオルは腕まくりをすると、調理台に向き直り調理を続けた。
小気味良い音を奏でる、ダマスカスの包丁とまな板。
付け合わせである、キャベツの千切りを瞬く間に量産すると、フライパンと油鍋を2口の魔導携帯コンロで一気に加熱する。
一口大に切り揃えられた鳥皮をフライパンに乗せたかと思えば、下味を付けた鳥皮を油鍋に投下する。
同時進行して作り出される料理。
特注の油切りへ、揚げた鳥皮を掬い上げると、ニコッと笑顔になってエルミアに見せた。
「じゃ~ん!今度は鳥皮を揚げ物にしてみました」
「これも美味しいですよ♪カオル様♪」
「よかった♪....ところで、いい加減出てきたら?」
2人の姿を覗き見ていたリングウェウとアグラリアン。
突然カオルにそう告げられて、心臓がドキリと高く跳ねた。
だが...
「気付いていたんだね?カオル君」
2人の予想に反して木陰から現れたのは、深緑のウェーブがかった長い髪を持つ人の頭よりやや大きい身体をした、精霊の姿だった。
「当たり前でしょ?君だね。ボクに『タスケテ』って言ったのは」
調理の手を休めず、驚いた様子も見せないカオル。
この人語を理解する精霊に心当たりがあるようだ。
「話が早くて助かるよ。それで、ボクが誰かも知っているのかな?」
「もちろん。『風の精霊王シルフ』でしょ」
『風の精霊王シルフ』
この世界に原初より存在し、数多の下級精霊を束ねる存在。
「あはは。本当にカオル君はすごいね。その通り、ボクは偉大なる風の精霊にして王のシルフだよ」
威厳ありそうに腰に両手を当てて威張るシルフ。
周囲に居たエルフ達が、驚愕の表情を浮かべる中、カオルは特に気にした様子もなく、淡々と料理を作っていた。
「あれれ?驚かないの?」
「だって知ってたし」
「まぁそうだね。ちょっと寂しいけど...でもなんでわかったんだい?」
「...あのね。神聖なエルフの里に、あんな魔獣が出るわけ無いでしょ?考えられるのは一つだけ。何千年も世界樹を守護していた君が、何かトラブルに巻き込まれていたって考えるのが当然じゃない?」
『世界樹』
世界を体現する巨大な木であり、唯一無二の存在。
エルフの森の中心に聳え立つこの木が、その世界樹なのだ。
「あはは。なんでもお見通しなんだねカオル君は。とても素晴らしいよ」
「ボクをおだてる前に、する事があるんじゃない?」
「する事?」
シルフが不思議そうにカオルを見詰めると、カオルは『やれやれ』と言った様子で話し出す。
「みんなに謝って。死者こそ出なかったけど、みんなは怪我をしたんだ。家も失ってしまって、また建て直さなきゃいけない。『偉大な』精霊王は謝ることもできないの?」
「あ、あはは...カオル君は辛辣な事を言うねぇ。でも、そうだね。エルフの民よ。すまなかった。ボクが不甲斐ないせいで迷惑を掛けてしまって。心からお詫びしよう」
シルフが頭を垂れて謝罪をすると、あまりにも突然の出来事に思考が追い付いていなかったエルフ達は、どうする事もできない。
ある者は口をあんぐり開き。
またある者は祝杯に出されたお酒を溢し、ただ呆けるしかなかった。
「...それで、あの魔獣はなんなの?」
「あれは大蛇。元は天界の一柱を担う神様だけど、堕落してしまってね。世界樹を倒そうと攻撃してきたから、ボクが抑え付けていたんだ」
史実では語られていないが、この世界では数千年前に神々の戦いがあった。
堕落した神々が、従者の堕天使を使役して、数多に広がる三千大千世界を次々に蹂躙した。
それに怒った心良き神々との戦争。
いくつもの世界が失われ、この世界にも魔の手は伸ばされた。
だが、この世界は数人の心良き神達の手によって、崩壊する事は免れる。
この世界を守護する、精霊達の手を借りて....
「あ、そう」
「か、カオル君は物怖じしないね...神様だよ?神様」
「だって、ボクには関係ないし。それに、人に害を成す者に容赦する必要ないでしょ?堕落したと言うなら、もう崇められる神ではないわけだし」
まったく気にも留めないカオル。
確かに言っている事は正しいのだが、もう少し驚いたり、感慨に耽っても良いのではないだろうか。
「まぁ、カオル君の言う通りだね。それに、大蛇が倒されたおかげで、ボクも無事に開放されたし万々歳だ」
「それは良かったね。あ、唐揚げ食べる?エーテル体でも食事は出来るんでしょ?風竜が言っていたよ」
『エーテル体』
かの哲学博士、ルドルフ.シュタイナーは生命体、生命力体、形成力体と呼んでいた物質。
霊質とも呼べる物であり、実体を持たないこれは、ある意味魂と呼んだ方が相応しいかもしれない。
「...そういう事か。なるほど。カオル君は『風竜王ヴイーヴル』の契約者なんだね?だからボクを見ても驚かないし、波長が合うんだ」
「ん~。多少は驚いたけど、知っていたからね」
「そうなのかい?どこで知ったのかな?」
「驚いたけど」とは言いながら、特に気にした表情を見せないカオル。
下味を付けて揚げた鶏肉をシルフに差し出しながら、こう答えた。
「『egoの黒書』って知ってる?」
「モグモグ....美味しいねこれ。もちろん知っているよ。神々が作りたもうた魔導書だね」
「ありがと。ボクはそれを開いたんだ」
『egoの黒書』
数ある魔導書の中でも、最高の恩恵をもたらす物。
『知識』と『魔力』
魔導書を紐解きし者。
『魔術師殺し』の異名を持つこの本は、開いた者に試練を与える。
そして、その試練を乗り越えた攻略者には、強大な力を授けられるのだ。
『egoの黒書』を攻略したカオルが得たのは、大きく分けて4つ。
失われた錬金術と膨大な魔力。
そして、この世界の理と古代魔法。
風竜と契約したカオルは『風と雷』しか使う事しか出来ないが、他属性の知識だけは持っていた。
「それは僥倖だったね。よく取り込まれて死ななかったものだ」
「うぅん。何度も死に掛けたよ。でも、ここに居るエルミアや、家族達が助けてくれたんだ。本当に嬉しかった。もう2度と、戻れないんじゃないかと思った。ありがとうエルミア。ボクはエルミアのおかげで、今ここに居られるんだよ」
カオルは、調理の手を一度止め、傍で佇むエルミアを見上げる。
シルフの登場に驚き、呆然と立ち尽くしていたエルミアの顔を自分へ向けると、「ありがとう」と告げて頬に口付けた。
「か、カオル様!?」
「エルミア。もう一度言うよ。本当にありがとう。ボクは、エルミアが大好きだよ」
微笑み合う2人。
エルミアが歓喜の涙を流すと、カオルはハンカチを取り出してそっと涙を拭う。
「あはは。その子はカオルの大切な人なんだね?」
「うん。ボクの大切な家族だよ」
カオルは、エルミアを『家族』と呼ぶ。
短い期間ではあったが、エルミアはカオルを守り、心配してずっと傍に居てくれた。
カオルは嬉しかった。
エルミアだけではない。
カルアも、エリーも、そして、この世界に来てからずっと傍で見守ってくれていたヴァルカンも。
亡くしてしまった両親との『あの日々』を、エルミア達はカオルに与えてくれた。
『濁った目』の大人達。
彼等のせいで、カオルは臆病になっていた。
他人と触れ合うのが怖かった。
だが、エルミア達の献身的な加護とも言える行いで、カオルはようやく生きる力を得た。
だから、『家族』と呼んでいるのだ。
「....そうかい。それならば、封印を解こうか?」
シルフから、重々しく告げられた『封印』という言葉。
だが、カオルはその『封印』を知っていた。
「...エルフの王族の血、ハイエルフの封印だね?」
「なんだ、これも知っていたのかい?」
「言ったでしょ?『egoの黒書』を開いたって。霊薬『エリクシール』の作り方も、ハイエルフの封印も知っているよ。だからボクはここへ来たんだ」
にこやかに笑うカオルだが、エルミアの表情は固く、驚嘆としている。
「か、カオル様!?ハイエルフについてご存知だったのですか!?それにその為に来たとは...」
「...知ってたよ。王女エルミア・リンド・メネル様。だけど、ボクが来たのはハイエルフについてじゃないんだ。エルフ王リングウェウ・リンド・メネル様。ボクに、この薬を作る許可をください」
カオルは柱の影に向かいそう言うと、アイテム箱から1本の試験管の様な細長い瓶を取り出す。
その中には薄青い液体が入っており、調理台を取り囲む篝火の明かりが、静かに揺らめいていた。
「ま、待ってほしい。いったい何が起こっているのか、頭の整理がつかん!なぜ我々の王族の真名を!?」
おずおずと、柱の影からリングウェウとアグラリアンが歩み出る。
その顔には、戸惑いの表情が浮かび、カオルとシルフを交互に見やった。
「失礼しました。お聞きになられた通り、彼は『風の精霊王シルフ』。この世界樹を守護し、この地に住まうエルフの民を見守り続けた精霊です。そうでしょ?」
「ああ!そうさ!ボクはずっと君達を見ていたよ!リングウェウは、幼い頃によく2階にある隠し部屋の覗き穴から、侍女達のきが...」
「うわぁあああああああああああああああああ!?」
慌てた様子で、リングウェウはシルフの言葉を遮る。
おそらく、幼い頃の好奇心から、侍女の着替えを覗いていたに違いない。
「...あなた。後で詳しく説明していただきます」
隣で成り行きを見守っていたアグラリアンが、鋭い目付きで殺気を放つ。
遠くで呆けていた侍女達も、慌てて同様に怒りの表情を浮かべると、最後とばかりにエルミアが「お父様最低」とトドメを刺した。
リングウェウはうな垂れた。
間違い無く後で折檻が待っているだろう。
「あはは♪秘密だったみたいだね。ごめんごめん」
「...怨みますぞシルフ様」
もう、威厳もへったくれも無いリングウェウではあったが、シルフのおかげでどうにか頭の整理がつき、持ち直した。
折檻は確実だが。
「それで、婿殿。その液体はなんなのだ?見たところ、霊薬ではないようだが...」
カオルが手に持つ試験管を眺め、リングウェウは問い掛ける。
どうやら、シルフの事と折檻の事は頭の片隅に追いやったようだ。
「これは『ポーション』です。この世界では失われた技術で作られた、回復薬ですよ」
カオルは試験管を振って見せると、おもむろに調理台に置かれた包丁で左腕を切りつけた。
流れる赤き血。
エルミアが驚いて「カオル様!?」と叫ぶが、「大丈夫。見てて」とポーションを飲み干した。
すると、左腕の創傷がみるみるうちに塞がり、後に残ったのは赤き鮮血の痕。
ハンカチでそれを拭い取ると、傷口はキレイに無くなっていた。
「ボクは、この製法を聖騎士教会に販売し、財を得ようと思っています。そのお金で街を造るのです。貧困の無い、清く正しい街を造りたいのです。リングウェウ王。これを販売する許可を下さい。ボクは、その為にここへ来ました」
カオルが金策に選んだのは、まさにこれであった。
街を造るにはお金が必要だ。
それも、生半可な金額ではだめだ。
だからこそ、既にこの世界には無い薬を使い、大金を稼ぐ。
だが、それには許可がいる。
霊薬『エリクシール』を持つ、エルフ王の許可が。
「なるほど...とても素晴らしい薬のようだ。だが、なぜ私の許可が必要なのだ?」
「この薬は、霊薬よりも容易に作る事ができます。ですが、今この世界に存在する回復薬は、霊薬を除いて簡単な軟膏などの傷薬です。このポーションは、霊薬ほどの回復力は無いにしても、即座に傷を治す事が出来ます。即効性の回復役を唯一所持するエルフの王の許可なくして、ボクはこれを売る事が出来ないと考えました」
エルフの霊薬『エリクシール』
エリーを救うために命を魔力へと変換し、昏睡状態となったカオルを救ったこの霊薬は、失った手足を元に戻す程の力を持っている。
一方のカオルが作り出した『ポーション』は、あくまで創傷などの軽微な傷を治す事しかできない。
霊薬に比べれば未熟とも言えるポーションではあるが、回復魔法を使えない者にとって、奇跡の様なアイテムだろう。
なにより、持ち運びに便利で、貴重な治癒術師を必要としないのだから。
「なるほど。義理堅いというかなんというか....しかし、私1人では決められない。裁決を取る事にしよう。幸いな事に、今この場にはエルフの里に住む全ての民が居る。どうだろうか?意義のある者は、この場で名乗り出てはくれぬか?」
リングウェウが焚き火を囲む一同を見渡す。
シルフの登場で驚いていたエルフ達ではあったが、リングウェウの提案に誰も口を挟む事はなかった。
むしろ、好意的にカオルを見詰め、頷く者が多い。
カオルは彼らを救った。
突然現れた、天災とも言える大蛇から。
幸運な事に、誰一人死者を出さずにエルフの里を救ってみせた。
それが功を奏する結果となった。
「というわけだ。婿殿。一同の許可を得た。しかし、わざわざこの為に来たのか?手紙でも良かったと思うが...」
「それはいけません。こういったお願いや許可は、直接顔と顔を突き合わせて伝えなければ、相手に失礼です。リングウェウ王。それと、みなさん。本当にありがとうございます」
カオルは感謝をし、何度も頭を下げた。
(これで街造りに着手できる)と、心から安堵していた。
「よかったね♪カオル君♪それじゃ、ついでじゃないけど、良い機会だから、封印も解いてしまおう。だけど、エルミア君だけだよ?精霊魔法は強大だからね。使い方を間違えると、この世界が崩壊してしまうかもしれないから」
「えっ!?」
シルフの発した、あまりにも物騒な言葉に驚くエルミア。
だがシルフは、有無も言わさ行動に移す。
「それじゃ、いっくよ~♪」
陽気に声を弾ませて、シルフはエルミアに向かいクルクルと回った。
淡く緑色に輝きながら。
楽しそうにクルクルと。
踊るようにクルクルと。
すると、シルフに呼応するように沢山の精霊達が現れ、赤青黄色と七色に淡く輝き、カオル達を取り囲んで同じ様に回り出した。
中には見知った精霊が居た。
緑色に淡く輝く風の精霊。
カオルを見詰めながら楽しそうに笑い、嬉しそうにクルクルと踊る。
やがて、エルフの里全体が虹色に淡く輝き出すと、エルミアの身体に異変が起きる。
精霊達と同じ様に、淡く輝き出したのだ。
「か、カオル様!?」
慌ててカオルの名を呼ぶエルミア。
カオルはエルミアに微笑み掛けて、「大丈夫だよ」と安心させた。
「あはははは♪」
楽しそうにシルフは笑う。
他の精霊達も楽しそうに笑みを零すと、次第に光は弱まり、精霊達は薄くなり消えていった。
目まぐるしく起こる出来事に、息を飲むエルフ達。
空を見上げ、消えてしまった精霊達の行方を追うと、やがてシルフの姿に目が留まる。
「これで封印は解けたはずだよ。だけど、長い年月封印されていたからね。精霊魔法は徐々に使えるようになるはずさ」
満足そうにシルフが頷く。
カオルが先ほど差し出した唐揚げを口にすると、あまりの美味しさに顔を綻ばせた。
「よかったね。エルミア」
嬉しそうにカオルはエルミアを抱き締めた。
大切な家族が力を得た。
偉大で、物騒な力であるが、『エルフのくせに魔法が使えない』という劣等感を持っていたエルミアにとって、それはなんとも喜ばしき事だろう。
「...ありがとうございます。カオル様。シルフ様。私...とても嬉しいです」
溢れ出る涙が止まらなかった。
この世界で、魔法が使える者はとても少ない。
生活に使う、着火するなどの簡単な魔法ならいざ知らず、攻撃魔法ともなるとさらに少なくなる。
『精霊に愛される種族』であるエルフは、そのほとんどが何かしらの攻撃魔法を使う事が出来る。
それは、初級に分類される、小さな石の飛礫かもしれない。
1本の属性矢かもしれない。
だがそれは、立派な攻撃魔法だ。
エルフ達はそれを使える。
たったひとつ、王族という例外を除いて。
エルミアは、10歳の誕生日に、母親であるアグラリアンがらある物を手渡され、こう言われた。
『泣かないで、エルミア。私達は魔法を使う事が出来ないけれど、この『風の魔弓』を使うことは出来るのよ?』
『風の魔弓』
魔剣や魔槍等と並ぶ、魔法を使えない者でも、簡単に魔法が使える魔法アイテム。
アグラリアンは、先祖代々受け継がれるこの魔弓を、「魔法が使えない」と嘆き悲しむエルミアに託した。
それからずっとエルミアの傍には魔弓がある。
狩りに行く時も、食事をする時も、お風呂に入る時も、一緒に寝る時も。
エルミアは、けして魔弓を手放さなかった。
そして今、風の精霊王シルフのおかげで、エルミアは魔法が使えるようになった。
(嬉しい...本当に嬉しい....)
大粒の涙が零れ落ちる。
精霊魔法を覚えたエルミアだが、これからも魔弓を手放す事は無いだろう。
そして、生まれてくる子供に託す。
母親がそうしたように。
「...カオル様」
「なに?」
「私も、カオル様が大好きです」
エルミアの泣き顔は、とても美しかった。
目元を赤く腫らし、鼻水を啜っているのにもかかわらず。
本当に、美しかった。
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