表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
187/349

第百四十六話 晩餐会と夜会


 翌日。

 日が傾きかけ、空が徐々に茜色に染まろうとしている頃。

 エルヴィント帝国の中心地である帝都では、城に勤める侍女や従者達が、忙しなく働いていた。

 普段、謁見する為に使われている大広間(ホール)には、白いテーブルクロスを敷かれた長机が置かれ、その上には高価そうな銀食器にカトラリーが並んでいる。

 その様子を、時間を持て余した1人の少女が、ボーっと見詰めていた。


(そういえば....)


 銀食器はその昔、ヒ素などの毒を判別する為に大変重宝したと言う。

 ヒ素の中でも特に一般的に毒殺などに用いられたのが硫砒鉄鉱だ。

 名前の通り硫黄なので、銀に触れると硫化銀となり黒色に変色する。

 暗殺を恐れた貴族などが、こぞって銀食器を求めたのもそれが理由だ。

 もっとも、当時の銀は大変高価な物で、食事会などの際に客人の前に出せば『我が家にはこれだけの財力がある』というアピールにもなったのだろうが。


(それと....)


 規則正しく整列されたカトラリーの中に、4本歯のテーブルフォークがある。

 1770年代。

 時のナポリ国王が、宮廷でスパゲッティを食すると決めた。

 当時の価値観ではスパゲッティを手で食べる習慣があったため、あまりにも見苦しいと不評であった。

 そのため、当時の料理長の指示の下、チェーザレ.スパダッチーニと言う人物が口に入れても安全で、なおかつスパゲッティが絡みやすい4本歯のフォークを考案したという。


 なぜこんな薀蓄(うんちく)を思い出しているのかというと、1人の少女改め、カオルはヒマなのだ。

 遡ること数時間前。

 昼食を食べ終えたカオル達は、自身の屋敷の居間で紅茶を飲みつつ優雅な時間を過ごしていた。

 そこへ、豪華な馬車が人垣(ひとがき)を掻き分け門前で止まり、1人の人物が近衛騎士のお供を連れて降り立った。


「カオル様!!」


 エルヴィント帝国の皇女であるフロリアだ。

 彼女は、晩餐会が始まる夕刻よりも早く、カオル達を迎えに来ていた。


「リア!?どうしたの!?まだ時間より早いよ?」


「お母様が『迎えに行くように』とおっしゃられて...服の用意も出来ているそうです♪」


『服の用意』


 カオルはこの時、顔面蒼白となっていた。

 皇帝アーシェラは、カオルが事前に登城するとわかると、ある服を用意する。

 それは間違い無く、『女性物のドレスや着物』だ。

 ガックリうな垂れるカオルの背中を、フロリアは嬉しそうにグイグイ押して馬車へと押し込んだ。

 それを見て、ヴァルカン達は慌てて用意をする。

 アーシェラがカオルの服を用意していると聞いて、何故か顔が綻んでいた。


 そして、時は現在に至る。

 相変わらずカオルの屋敷の前で出待ちをしていた多くの女性達に見送られ、カオルはエルヴィント城へとドナドナされた。

 フロリアに促されるまま城内の一室へと赴いたカオル。

 フロリアは「自分の支度があるので」とそこで別れ、室内でカオルを待っていたのは、見覚えのある妙齢の猫耳族の女性だった。

 その人こそ、迎賓館でメイド長を勤め、カオルの屋敷で身の回りのお世話をしているフランチェスカの実母である。


「お久しぶりです。カオル様」


 丁寧に会釈をしてカオルを歓迎するメイド長。

 手には純白の生地に黒と赤のレースをあしらった、ドレスを持っていた。


(また...これか!!)


 心の中で悲鳴を上げて、カオルはあっという間に着替えさせられた。

 見えないように、必死に胸の『音素文字(ルーン)』を隠し、ドレスと同色の『魔のコルセット』を身に纏い、Aラインがきつめのフワフワのスカート。

 アイテム箱で死蔵している、ウェディングドレスと見紛うばかりの作品だ。


(うぐぅ...胃が持ち上がるぅ....)


 くびれを作り出す為に締められるコルセットが、容赦なくカオルの腰を縛り上げた。

 満面の笑みを浮かべるメイド長は、最後にカオルの顔へ薄化粧を施すと、仕上げとばかりにヴァルカン達にこう告げた。


「私は、この瞬間に立ち会えて、感無量(かんむりょう)です」


 ひしっと抱き合うメイドの母子。

 手伝っていたフランチェスカも涙を浮かべ、ヴァルカン達は盛大に拍手を贈った。


(ボク...男なんだけど....)


 既に一昨日、カオルは『男だ』と公言している。

 なぜ、またもドレスを着なければいけないのかと、悲痛な叫びを上げていた。

 もちろん、みんなが嬉しそうにしているので、心の中で。


(それにしても、ヒマだなぁ....)


 カオルの支度が終わった事で、ヴァルカン達の着替えを手伝い始めたメイド長達。

 さすがに家族の着替えを覗くのはまずいと、カオルは城内でヒマを潰していた。


 そこへ...


「あ、レオンハルトさん!アルバートさん!」


 偶然通り掛った近衛騎士団長のレオンハルトと副長のアルバート。

 かなりの量の書類を抱えている様子から、皇帝アーシェラに報告に行くところだろうか。


「ん?」


 突然呼び止められて立ち止まった2人。

 2人が見たのは、まるで絵本の中から飛び出してきたかの様な美少女。

 白を基調とした純白のドレスに、足裾から腰の位置まで伸びた赤と黒のレースライン。

 黒く長い美しい髪は結い上げられ、頭には白いベールが被さっている。

 そして薄紅色の口紅(ルージュ)を引かれ、どこからどう見てもお姫様の様なカオルの姿に、レオンハルトとアルバートは歓喜の溜息を漏らした。


「はぁ....美しい......」


「やべぇ....」


 レオンハルトが発した『美しい』と言う単語を『ドレスが美しい』と勘違いしたカオル。

 「綺麗なドレスですよね」と返事を返した。


 しばらくカオルの姿に見惚れていた2人は、慌てて姿勢を正す。


「こ、これは香月伯爵。先の戦いでは大変お世話になりました」


 あえて黒巫女様ではなく、『香月伯爵』とレオンハルトは呼んだ。

 城内という理由も、もちろんあったのだが、手の届かない程の爵位を持ってしまったカオルは、それほどまでに遠い位置に居る。


「あの...今までと同じ様に呼んで頂けませんか?できればカオルの方がいいんですが...」


 急に爵位が上がってしまった為、カオルは戸惑いを覚えていた。


『香月伯爵』


 耳慣れない呼び方に加えて、出会う人全てが畏まってしまう状況に、カオルは辟易(へきえき)としていたのかもしれない。


「で、では、これまで通り黒巫女様とお呼びします」


「あの、できればカオルと...」


「いえ。さすがにそれは...」


「お願いします」


「う...」


「お願いします」


「わ、わかりました。カオル様」


「はい♪」


 『せっかくなので』と、カオルは呼び方を改めてもらった。


(だいたい、黒巫女ってボクの名前じゃないし....あだ名?)


 今更黒巫女と呼ばれても、嫌悪感(けんおかん)など特に感じてはいない。

 だが、この際なので改めて貰う方が良いだろう。


「アルバートさんも、お願いしますね?」


「わかりました」


 レオンハルトがカオルに好意を寄せている事を知っているアルバートは、話の主導を親友に譲っていた。

 『協力する』とまで明言(めいげん)しているので、アルバートにとっては当たり前の事だ。


「あの...それで、カオル様はこんなところでいったい何を?」


 城内の一角である通路に、カオル達は居た。

 周囲には、晩餐会の用意をしている侍女や従者などの使用人が、慌しく走り回っている。


「えっと、師匠達が着替えているので、暇つぶしに散歩でも...と思って....」


 あははと笑い頬を掻くカオル。

 本当にヒマだったのだ。


「そ、そうなのですか。それにしても、そのドレス。とても良くお似合いです」


 容姿も含めて褒めているレオンハルトだが、当のカオルにはそんな気使いなどまったく理解していない。

 鈍感ゆえに...というヤツだろう。


「本当ですか?アーシェラ様がくださったんですけど...男のボクが、なんでドレスを着なきゃいけないのか...って、あの....ボクが男だって、ボクの口から直接言っていませんでしたよね?すみません。黙っていて....」


 ペコリとお辞儀をして、カオルは謝罪をした。

 カオルが男だということは、ヴァルカンが意図的に隠していた事であり、カオルが悪いわけではないのだが。


「いえ。以前にも言いましたが、俺様はあなたを愛しています。たとえ同性だろうと関係ありません」


 恋に恋したレオンハルト。

 いつぞやの様に、またもカオルに告白した。


「せっかくですが遠慮します。男同士だなんて、建設的ではありませんので。レオンハルトさんには、きっと素敵な女性が現れると思いますよ?」


 またもカオルはやんわり断った。


(というか、いい加減にして欲しい...)


 だが、レオンハルトの想いは1度や2度で挫けるはずもなく。


「俺様は諦めません。必ずや、あなたを振り向かせてみせます!」


 拳を力強く握り、そう宣言した。


(レオン...おまえってヤツは....どこまでもカッコイイぜ....)


 以前、レオンハルトがカオルに告白した時、アルバートはその場に居なかった。

 初めて見るレオンハルトの姿に、アルバートは感動し、ひそかに目頭を熱くする。


「あ、そうだ。レオンハルトさんってダンスができますか?」


「ダンス...ですか?」


「はい。夜会で踊るそうなんですけど、ボクは踊った事が無いので教えて欲しいんです」


 レオンハルトはチャンスだと思った。

 なぜなら、ダンスを教えるという事は、密着するという事。

 肌と肌を重ね合わせ、衆人(しゅうじん)観衆(かんしゅう)の下、腰に手を回しても合法なのだ。


(ついに...俺様にも春が来た!!!)


 男同士で肌を合わせるとか....倫理観的にどうなんだろうか。

 ましてや、相手は齢12歳のお子様だぞ。


「是非に教えさせて下さい!!」


 よくわからない日本語を口にし、きっかり90度のお辞儀を見せる。

 腰脇に抱えていた書類が地面へ落ち、隣に居たアルバートが慌てて拾い上げた。


「それじゃ、レオン。陛下には、俺が報告に行くから書類寄越せ」


 アルバートはそう告げるとレオンハルトから書類を取り上げた。


(アル...お前....)


(がんばれよ....俺は応援してるからな!)


 目と目で会話する2人。

 男同士見詰め合っていると、傍から見てなんとも言えない光景だ。


「では、カオル様。俺はこれで....レオンを頼みます」


「え?あ、はい」


 立ち去るアルバートをカオルは見送った。


(よくわかんないけど、教えて貰えるならラッキー♪)


「で、では!!さっそくお教えしましょう!!」


 あまりの嬉しさからか、または緊張か。

 レオンハルトは身体をガチガチに固まらせていた。


「あ、ちょっと待ってくださいね。パートナーを呼ぶので」


 カオルはそう告げると、忙しそうにしている侍女に声を掛ける。

 申し訳無さそうにカオルが何度もお辞儀をすると、侍女の方もお辞儀を繰り返していた。

 やがて、侍女がいそいそとどこかへ向かうと、1人の同年代と思われる侍女を連れてきた。


(え...あれってまさか.....)


 レオンハルトは、カオルと共にやってきた侍女を見て、顔が凍り付いた。

 その侍女こそ、以前カオルがレオンハルトに押し付けたベルである。


「お待たせしました。じゃぁ、部屋を借りたので、そこへ行きましょうか♪」


 カオルは、衝撃的な出来事で固まるレオンハルトと、頬を赤く染めたベルを連れて、先ほど侍女にお願いして借りた部屋へと2人を案内した。


(ああ...カオル様。なんて素敵なサプライズを...このご恩は一生忘れません)


 レオンハルトとベルが別れた事を、カオルはもちろん知っている。

 だが、『せっかく一度縁が結ばれた2人なのだから』と、わざわざ侍女にお願いして連れてきてもらったのだ。


(黒巫女様...なぜこいつを....)


 レオンハルトは落ち込んでいた。

 レオンハルトにとってベルとは、『我が侭で自分勝手な女』だという認識しかない。


「わざわざお時間を取らせてすみません。それでは、踊って見せてください♪」


 にこやかにカオルは告げた。

 2人の想いなど気付かずに。


「....わかりました」


「はい♪」


 一度カオルから引き受けた依頼を、レオンハルトには断る事などできなかった。

 落ち込みながらもベルと向き合い、なるべく顔を見ない様に組み合う。


「それでは、ウインナー.ワルツ、フォックストロット、最後にスロー.ワルツの順で」


「はい♪」


 騎士爵に生まれたレオンハルトは、幼い頃より父親から色々な習い事をしていた。

 剣の修練に、学問。

 そして、貴族としてのマナーや、ダンスなど。

 だからこそ、カオルに「ダンスを教えて欲しい」と言われた時に、断らなかった。

 だが、まさかこの様な事態になるなど、想像だにしていない。


 カオルにリズムを告げて手拍子をお願いすると、レオンハルトとベルは優雅に踊って見せた。

 クルクルと回転しながらフロアを舞うウインナー.ワルツ。

 優雅に、そして悠揚(ゆうよう)に踊られるフォックストロット。

 ゆっくりとした三拍子に乗せて踊られるスロー.ワルツ。

 レオンハルトとベルは、見事に踊って見せた。


「すごい!とっても綺麗だったよ!!」


「いえ...」


 レオンハルトは、正直嬉しくなかった。

 本当ならばベルではなく、カオルと一緒に踊れたはずなのだ。

 『密着して』、『濃厚な時間を』、『2人きりで』過ごせるはずだったのだ。


(くそぅ...神よ....これも試練なのでしょうか....)


 普段神に祈る事などしないレオンハルトだが、この時ばかりは神に祈った。

 いや、呪った。


「ベルもありがとうね。ところで、この3種類だけなの?」


「いえ。今日は、祝勝会を兼ねた晩餐会の後に夜会が行われるので、この3種類だけだと思います」


「そうなんだ」


 俯き加減で頬を赤く染めたベル。

 時折チラチラと隣のレオンハルトを見上げては、言葉にできない溜息を漏らしていた。


(はぁ...レオンハルト様....やっぱり私は、あなたをお慕いしております)


「で、では!黒巫女様!!さっそく実技に...」


 緊張した面持ちで、諦めきれないレオンハルトはカオルと踊りたいと願った。

 わざわざ黒巫女様と呼んで。


「レオンハルトさん。黒巫女じゃなくてカオルと呼んで下さい。それと、もう大丈夫です。覚えたので」


「え?」


 予想していなかったカオルの答えに、レオンハルトは呆気に取られる。

 レオンハルトが気になって、あまり話しを聞いていなかったベルは、表情を崩す事なくレオンハルトとチラチラ見ていた。


「2人共。ありがとうね♪おかげでリアと踊れるよ♪それじゃ後で!」


 カオルはそれだけ言い残すと、そそくさと部屋を出て行った。

 残された2人。

 ベルが好機と判断し、即座に行動に移した。


「あの、レオンハルト様。よかったらもう少しご一緒に踊りませ...」


「ひっ!?」


 ベルの話しを最後まで聞かずに、レオンハルトはその場から逃げ出した。

 情けなくも遠ざかるレオンハルトの後姿。

 (照れ屋さんなんだから♪)と勘違いするベルは、レオンハルトと同じ様にどうしようもないのかもしれない。












 無事に、レオンハルトとベルのおかげで踊りを覚えたカオル。

 緊張した面持ちで、城内の廊下を歩き、ヴァルカン達が待つ部屋へと向かった。


(みんなのドレス姿かぁ...楽しみだなぁ)


 普段、幸か不幸か自身がドレスを着る機会が多く、家族達のドレス姿を見る事などまったくなかった。

 先日の買い物の際見せてもらったのも、エルミアとフランチェスカとアイナの3人だけ。

 それに、今日は化粧もばっちりしているだろうし、なにより普段騎士服である男装をしているヴァルカンの女性らしい姿など、カオルは初めて見るのだ。

 『楽しみだ』と思うのも頷けるだろう。


 やがて、着替えに使っている部屋の前へ辿り着くと、生唾を飲み込んで気合を入れてから扉を叩いた。


「ガチャッ」


 特に返事もなく、扉が開かれた。


「お待ちしていましたよ。カオル様」


 現れたのはフランチェスカの実母であるメイド長。

 カオルを室内に招き入れて、厳重に扉の鍵を閉めた。


「あの、みんなは?」


「ふふ♪1人づつ見て欲しいそうですよ♪」


 メイド長はそう告げると、隣の部屋へと続く扉を開く。

 そして最初に出てきたのはカルアだった。


「どうですか?カオルちゃん♪」


 カオルの目の前までやってきて、クルリと一回りすると、華麗にお辞儀をしてみせる。

 カルアの瞳と同じ様な、ラピスラズリを彷彿(ほうふつ)とさせる藍色の生地に、同色のレースをあしらったドレス。

 普段は纏めている、金色の長い髪を解いたその姿は、(あで)やかと呼ぶに相応しい。

 かなり胸がボリューミーだったが...


「カルア...とっても似合ってるよ!」


 満面の笑みを浮かべて喜ぶカオルを、カルアは嬉しそうに笑みを作り頬に手を当てた。


「ありがとう。カオルちゃん♪」


 よほど嬉しかったのか、カルアはカオルの後ろを陣取ると、後頭部に胸を押し付ける。

 カルアの柔らかい弾力を感じながら、次に扉から出てきたのはエリーだった。

 ピンク色の生地に、白いフリルがこれでもかとあしらわれたドレス。

 両肩に大きな赤いリボンが付けられてエリーの赤髪と相まり、とても可愛らしい印象を与える。


「ど、どう?やっぱり似合わないかな...」


 いつもはピンと突き立つ三角耳が、元気なさげに垂れ下がり、エリーはどこか元気が無い。

 カオルの周りは美形が多く、自身の容姿にあまり自信がないのだ。

 だが、そんなエリーの普段とは違うギャップに、カオルだけではなくカルアも驚いた。


「そんな事無いよ!とっても可愛い!!」


「ええ♪エリーちゃんも、やればできるのね♪」


 カオルとカルアに褒められて、エリーは少し元気を取り戻す。

 ゆっくりとカオルに近づき、おずおずと左手を握り締めた。

 

(か、可愛いっだって...もうカオルってば....)


 恥ずかしさから俯き加減でモジモジとする義妹(エリー)を、義姉(カルア)は微笑ましく見詰める。


「カオル様...いかがでしょうか?」


 次にやってきたのはエルミア。

 王女らしく凛とした雰囲気を纏い、優雅に歩いて見せる。

 流れるように美しい銀髪に、透き通るような白い肌。

 着る者によっては重々しく受け止めてしまうかもしれない、漆黒のドレスと薄いレースのマリアベールを頭に纏い、微笑みながらもカオルの瞳を射抜く。


「すごく...綺麗だよ」


 カオルには、それ以上の称賛する言葉が思いつかなかった。

 

 綺麗。


 元々エルミアは、家族の中で一.二を争うの美形であった。

 だが、今のエルミアは、『端麗(たんれい)』と言う言葉が相応しい程に、姿形が整っていて美しい。


「ありがとうございます。カオル様もお綺麗ですよ」


 カオルの右隣を専有したエルミアは、エリーと同じ様にカオルの右手を我が物とする。

 残るはあと3人。

 次に出てきたのはメイドのフランチェスカとアイナの2人だった。


「あ、あの...いかがでしょうか?」


「ご主人」


 エリー以上にオドオドとした様子で、アイナと手を繋ぐフランチェスカ。

 黄色いドレスに、同色の花型コサージュを頭の猫耳に巻き着けるフランチェスカ。

 純白のドレスに、同色のフェザーコサージュを頭の兎耳に添え着けるアイナ。

 2人を言い表すのならば、『可憐』という言葉が相応しい。


「フランもアイナも、とっても可愛いよ♪」


 愛くるしい。

 どちらかというと、保護欲を掻き立てる2人の姿に、カオルは笑みを零す。


「あ、ありがとうございます」


「ご主人。かわいい」


 おずおずとカルアの隣に並んだフランチェスカと、カオルの前を陣取ったアイナ。

 カオルに背中を預けて、嬉しそうに兎耳を何度も動かしていた。


 最後に残ったヴァルカン。

 待てど暮らせど出てくる気配がまったくなかった。


「....あの。師匠は?」


「もしかしたら....恥ずかしがってるのかも」


「もう!ヴァルカンったら!!」


「では、私が呼んで参りましょう。皆様はそこでお待ちを」


 メイド長がヴァルカンを呼びに行き、カオル達はしばし待ち続ける。

 やがて、メイド長に背中を押されて、嫌々ながらもヴァルカンがやってきた。

 装飾の少ない真紅の生地に、身体のラインが強調されるマーメイドの造形。

 そして何より驚くのは、両肩がばっくりと開いたストラップレスドレス。


「ぐぅ....わ、私には似合わんだろう....だからイヤだったんだ.....」


 恥ずかしそうに頬を染めて、伏せ目がちにカオルを見やる。

 カオルの目はランランと輝き、まるで女神でも見るかのような衝撃を受けていた。


「し、師匠....」


 思わずエリーとエルミアの手を離し、アイナを避けてヴァルカンに近づく。

 元々『容姿端麗(ようしたんれい)』なヴァルカンなのだ。

 男装をやめて女性らしくすれば、誰よりも美しい。

 カオルはガバっとヴァルカンに抱き付くと、ゆっくりと顔を見上げた。

 恥ずかしがるヴァルカンの顔に、普段の『残念美人』の面影はない。


「師匠が一番綺麗です」


 ヴァルカンの胸に顔を埋め、カオルはその温もりを感じる。


(か、カオルきゅん!?今、一番綺麗って....でゅ....デュフフ.....これでカオルきゅんの正妻の座は、私に決まりだな!!ヴァルカン大勝利~~~♪)


 あまりの嬉しさに破顔するヴァルカン。

 カオルがヴァルカンを『一番綺麗』と言った事で、カルア達は嘆き悲しむ事となった。












 その後、晩餐会の準備が終わり、続々と招待された貴族達が会場である大広間(ホール)へと集まる中、カオル達は指定されたテーブルへと着いていた。


「フラン。粗相(そそう)のないように気をつけるのよ」


「う、うん...」


 実母のメイド長に見送られ、フランチェスカは人生初の晩餐会へと赴く。

 緊張から震える手を、あまり物怖じしないアイナに握られて、冷や汗を何度もハンカチで拭った。


「フラン。今から緊張してたらもたないよ?」


「わ、わかってはいるんですが、私は今までこういった場所に縁がなかったので...」


 市井の出であるフランチェスカ。

 メイドとして育てられた彼女は、こういった場所に来る資格など、もちろん持っていない。


「大丈夫だよ。このテーブルには、ボク達の他にアーシェラ様とリアしか来ないみたいだし...あ、アゥストリも一緒だったはず」


「こ、こここ、皇帝陛下と皇女様と一緒なんですか!?」


「緊張しすぎだよ。アーシェラ様もリアも、良い人だから。アゥストリは、何度も屋敷(うち)に来てるし平気でしょ?」


「は、ははは、はいぃぃ...」


 和ませようと話を振ったカオルだが、フランチェスカは余計に緊張してしまった。


「ご主人。ごはん」


 相変わらずマイペースなアイナは、どうやらお腹が減ったようで、早く食事とせがみ出す。


「もう少し待ってようね?」


「わかった」


 カオルの右隣に座るアイナ。

 優しく頭を撫でてあげると、アイナは嬉しそうに目を細めた。

 そんな中、カオルの左隣を当たり前の様に陣取ったヴァルカンと、対面する形で座るカルア.エリー.エルミアの3人は、カオルに聞こえないようにこそこそと会話をしていた。


「フッフッフ...これで私がカオルの正妻で決まりだな」


「く、悔しいけど、仕方がないとおねぇちゃんは思います」

 

 カオルがヴァルカンを『一番綺麗』と行ったばかりに、正妻の座と側室の順番が決まりかけてしまっていた。


「むぅ...で、でも!まだわからないわよ!カオルの口から『妻にする』って聞くまで、私は諦めないわ!」


「そうです!だいたい、ヴァルカンには格というものが無いではないですか!他の貴族になんと言われるか...」


「またその話しか!?カオルが決めたのならば、それでいいと言う話しになっていただろう!?」


「ですが...」


「でも、確かにヴァルカンが私達より一歩リードしているのは確かね」


「う~ん。それじゃぁ、百歩譲ってヴァルカンが正妻なら、年長者の私が側室1号ね♪」


「カルア姉様!?普段年齢の事を口にすると怒るくせに、こんな時だけ年長者を持ち出すのはずるいですよ?!」


「あらあら♪エルミアは、何か文句があるのかしら?」


 メイドの2人が気になって、ヴァルカン達を放っておいたカオルだが、まさかこんな内緒話をしているなんて、露にも思っていなかった。

 やがて、ほとんどのテーブルが埋まると、盛大に晩餐会が執り行われた。


(みな)、本日は良く集まってくれたのじゃ。ささやかではあるが、料理を楽しむと良い」


 皇帝アーシェラが音頭を取り、粛々と料理が運ばれた。

 物音一つしないほど、静かで静穏(せいおん)に食事が進むかと思いきや、お酒に酔った御五家でドワーフのヴェストリ.ド.ラル公爵のガハハ笑いと共に、大盛り上がりの会場へと変化した。


「えっと....晩餐会ってこういう物なんですか?」


「アハハ!驚いたじゃろう?わがエルヴィントは、少々変わっておってな。魔境や地下迷宮(ダンジョン)が多い故に、冒険者上がりの貴族が多いのじゃ。わらわ達、御五家の先祖も冒険者の様なもんじゃしな!」


 アーシェラがおどけて見せると、隣に座るフロリアとアゥストリも可笑しそうに笑い出した。

 遠くでは、ヴェストリと共に肩を組み、グローリエルが民謡の様な歌を歌っている。


(これじゃ、どこぞの酒場じゃないか....)


 服装こそ見栄え良く着飾る貴族達。

 だが、実際に行っている事は場末の冒険者となんら変わりがなかった。


「カオル様は、やはりドレスがお似合いですね♪」


 頬をほんのり赤く染めたフロリアが、カオルが着ているドレスを褒める。


「リアもとっても良く似合ってるよ。エメラルド色のドレスが、リアの綺麗な黄色い髪を引き立ててるね」


「あ、ありがとうございます♪」


 カオルに褒められて、ますます顔を赤らめるフロリア。

 このドレスを選ぶのに、まる2日かかったのは言うまでも無い。


「ご主人。こぼした」


「はいはい。これで口を拭こうね。『浄化』」


 スープを溢してしまったアイナの口を、ナプキンで優しく拭い取り、汚れてしまった白いドレスを『浄化』の魔法でキレイにしてあげる。

 甲斐甲斐しくアイナの世話をするカオルは、まさに兄であり姉でもある。


(この子が....カオル様が言ってらっしゃったメイドね....)


 カオルの屋敷で何度かアイナを見かけていたフロリア。

 今日もカオルを迎えに行った時に、アイナが居た事に気付いてはいたが、まさかここまで仲が良いなどとは思ってもいなかった。


「あ、あの...カオル様。アイナの面倒は私が見ますので...」


「大丈夫だよ。フラン。せっかくのご馳走なんだから、ゆっくり食べるといいよ」


 眼光鋭くアイナを見詰めるフロリアに、フランチェスカが気付いてアイナの世話を申し出る。

 だが、カオルは『せっかくの機会なので』と、それを断った。


(カオル様は...鈍感なんでしょうか....)


 今尚アイナを威嚇するフロリア。

 アーシェラがこっそり窘めるも、アイナを見詰めるフロリアの目は鋭く、まるで野生の狐のようであった。

 そんな中、アーシェラの横に座らされたアゥストリが、料理を貪る事で現実逃避を決め込んでいた。


(ふむふむ。『若鶏のふりかっせ』と言うのですか。いやぁ~おいしいですなぁ~)


 侍女にお願いして料理のメニューを持ってこさせたアゥストリ。

 食べた事の無い料理の数々に、舌鼓を打つ。


「アイナ。お肉切り分けてあげようか?」


「うん」


「待っててね」


 既にテーブルマナーなど関係なくなった晩餐会。

 高そうなワインを片手にガハハ笑いを上げつつげるドワーフに、小さな身体のホビットがそれに続く。

 本当に彼らは貴族なのだろうか?


(キィーー!!あのメイド!!カオル様にあんなにお世話をしてもらって!!羨ましいですーーーー!!!!)


 ハンカチを咥え涙目になるフロリアを、アーシェラは肩を落として「やれやれ」とうな垂れる。

 料理を食べながら、コソコソと密談を交わすヴァルカン達は、未だにカオルの正妻の座を争っていた。


「モグモグ...だからな。私が正妻だと」


「ゴクン。いいえ、やっぱりここはおねぇちゃんである私に譲るべきです」


「モグモグモグ...じゃぁカオルに一番年齢が近い、私って事もありえるわよね?」


「ですから、カオル様に釣り合う格というものが必要だと、何度も....」


 カオルが決めなければ、決着が着く事などけしてないのだが、4人の戦いは終わらない。


「そういえば、アーシェラ様。ディアーヌは今どうしているんですか?」


「む?ディアーヌか。あやつには、女王としての仕来(しきた)りや帝王学を学ばせておる。なかなか飲み込みが早くての。この分ならば予定よりも早く、アルバシュタイン公国の復興に着手できるじゃろう」


 満足そうにアーシェラが頷くと、カオルはホッと胸を撫で下ろした。


(よかった。ディアーヌがんばってるんだ)


「ところでな、カオル。一つ頼みたい事があるんじゃが」


「なんでしょうか?」


 めずらしく神妙な顔をするアーシェラに、カオルは不思議に思い首を傾げる。

 言い難そうにアーシェラが告げたのは、「レオンハルトと2人きりでお(デー)()いしてくれぬか?」と言う話しだった。


「えっと...さっきも、レオンハルトさんに告白されたんですが....」


「うむ。どうやら、本気でカオルを好いておるようじゃ。同性じゃと言うておるのに、聞かなくての....しかも、今回の戦の褒美に『カオルと一日お(デー)()い』などという、ふざけた事を抜かしおってな。実際に武勲もあるからどうしたものかと思うての...」


 本当に、困ったような表情を浮かべるアーシェラだが、隣の皇女がそうではなかった。


「お母様!!そんな勝手をお許しになるおつもりですか!?カオル様が嫌がっておいででしょう!!私は絶対に許しません!!」


 ただでさえ、カオルがアイナに着きっきりで面白く無いというのに、この上さらにレオンハルトがカオルとデートなどしようものならば、フロリアは本気でクーデターでも起こしそうだ。

 フロリアのあまりにも激しい剣幕(けんまく)に、アーシェラはタジタジになってしまう。


「あの、アーシェラ様。ボクからもお願いします。ボクに同性愛の気は無いですので...」


「そ、そうじゃな。レオンハルトには別の褒美を考えるとするかの。り、リア?あまり怒らないでくれるかしら?」


 怒り冷めやらぬフロリアに、母であるアーシェラは恐怖を覚えた。

 カオルと同じように、あまりストレスを溜め込ませない様にした方がいいだろう。












 完全に飲み会と化した酔っ払い達をその場に残し、『踊れる者は』と1階にあるダンスホールへと足を運んだ。

 装いも新たにしたフロリアの手を取り、カオルは魔装【騎士(エクウェス)】を使い白い騎士服を身に纏う。

 幻想的に奏でるワルツの音楽に乗せて、舞うようにダンスを始める。


「カオル様。お上手ですね♪」


「ボクなんか全然だよ。リアの方こそ、さすがは皇女様だね。足運びが優雅だよ」


 予備歩からナチュラルターンへと歩みを進め、ピボットターンを経てシンコペーテッドピボットへ。

 さらにターニングロックトゥライトからシャッセフロムPPへと2人の足は絡まる事なく進んでいく。


「リアの動きはとても滑らかで御しやすいね」


「いえ。カオル様が導いて下さるので、とても踊りやすいです♪」


 時折2人で会話をし、クイックオープンリバースからオープンテレマークへ。

 優雅に舞うカオルとフロリアの姿を、周囲で踊る貴族達が微笑ましそうに見詰める。


「ダンスって楽しいんだね♪」


「カオル様とご一緒ですから♪」


 繋がれた手からお互いの温もりを感じながら、スローアウェイオーバースェーを経てプロムナードポジションへ。

 もうすぐ終わってしまうこのひと時を、永遠に忘れないようフロリアは噛み締める。

 やがて、シャッセフロムPPからナチュラルターンを決めると、三拍子で紡がれた楽しい2人の時間は終わりを告げた。


「ありがとう、リア。とても楽しかったよ」


「私も、とても素敵な時間を過ごせました♪」


 鳴り止まない拍手の中、カオルとフロリアはアーシェラの下へ戻って行った。


「カオルはすごいの...貴族らしい優雅な踊りじゃった」


「いえ。リアがとても上手でしたので、安心して踊れました」


「とんでもございません。カオル様が導いてくださればこそです」


 微笑み合う2人。

 ヴァルカン達にとっては、とても面白くなかった。


「次は私と踊るぞ!カオル!」


 実はまったく踊れないヴァルカンであったが、フロリアだけに良い思いをさせまいと、強がって名乗り出た。

 だが、カオルは少し考えた。


(師匠と踊るのはいいんだけど、ボクとの身長差が.....)


 ヴァルカンは170cmを超える身長があり、150cmのカオルとは20cmも身長差がある。

 さらにまずい事に、ヴァルカンは履き慣れていないヒール高の靴を履いているのだ。

 別に、競技会に出るわけではないので、特に気にするわけでもないのだが、カオルとしては日ごろ師匠として尊敬しているヴァルカンを、なんとかして先導してみたいという欲求もある。

 ならば取る手はひとつだろう。


「アーシェラ様。ちょっとズルをするので、みなさんに緘口令(かんこうれい)を敷いていただけませんか?」


 城内には、200人ほどが思い思いにダンスや談笑に耽っている。

 カオルが今からしようとしている事は、間違い無くアレだろう。


「別に構わぬが...何をするつもりじゃ?」


「見ればわかるかと思います♪」


 カオルは早速とばかりにダンスホールから庭先へと赴くと、周囲からは見えないように暗がりの中でアイテム箱から小瓶と黒い騎士服を取り出す。

 小瓶の中から丸薬を取り出し、おもむろに口へ放り込んで、そそくさと着替え始めた。

 緑色に発光するカオルの身体。

 やがてそのシルエットが大きく姿を変えると、現れたのは大人の姿のカオルだった。


(うん。うまくいった...かな)


 手足の具合を確かめて、残りの黒いジャケットに袖を通す。

 鏡が無いのでわからないが、間違い無くあの眉目秀麗(びもくしゅうれい)な美男子のカオルだろう。

 コホンと一つ咳払いをしてカオルがダンスホールへ舞い戻ると、女性達から歓声が上がった。


「な、なんと!?カオルなのかの!?」


「ああ...カオル様...なんて素敵なお姿に....」


「これはなんとも面妖な...いやはや、カオル殿には驚かされてばかりですな」


 遠くで叫ぶ見目麗しい女性達を無視して、カオルはアーシェラ達に微笑みかけた。

 だが、ヴァルカン達は頭を抱える事になる。


(カオル....ばらしてしまってよかったのか?というか、エロエロになったらどうしたらいいのだ....)


(どうしましょう...カオルちゃんがまたあの姿に...ドキドキするけど、あまり他の人に見せたくないような...おねぇちゃん失格です)


(や、やっぱり...カオルはカッコイイのね....ふ、フン!当然よね!将来の私のだんな様なんですもの!)


(やはりここは、カオル様をエルフの里に監禁するしか...)


 家族達の為にと思い姿を変えたカオルなのだが、当人達は別の心配をしていた。

 普段は可愛らしい子供のカオルなのだが、今のカオルはあまりにも男性的過ぎてしまう。

 これ以上ファンが増えたらどうするのだと心配しているのだ。


「お待たせしました。アーシェラ様。くれぐれもご内密に」


「う、うむ。わかったのじゃ」


 カオルが唇に人差し指を立ててそう告げると、さすがのアーシェラも怯んでしまう。

 それほどまでに今のカオルは容姿が優れていた。


「では、ヴァル。お手を」


「あ、ああ...」


 ヴァルカンに向き直り、優しくその手を掴み取る。

 今更踊った事など無いとは、ヴァルカンには言えなかった。

 ダンスホールの中心へ向かうカオルとヴァルカン。

 周囲の貴族のお嬢様達が黄色い声援を送り、演奏者達は音を奏で始めた。


「ヴァル。緊張しないでボクに任せて。身も。心も。ボクを感じるんだ」


「カオルきゅん...」


 眼前に迫るカオルの顔。

 ヴァルカンの胸は高鳴り、乙女の様な表情を浮かべる。

 どうやら副作用が出始めてしまっているらしい。


 フェザーステップから始まるフォックスロット。

 リバースターンを決めるとスリーステップへ。


「ヴァル。とても上手じゃないか。艶かしい身体がとても美味しそうだ」


「か、カオルきゅん...」


 完全にカオルに見も心も捧げたヴァルカンは、カオルに導かれるままにその身を任せた。

 踊った事など無いはずなのに、カオルが優しくヴァルカンの手を取りながら、次の動きを伝えてくる。

 ナチュラルターンからクローズドインピタスアンドフェザーフィニッシュ。

 一連の動きを順番に教え、2人だけの世界は紡ぎ出される。


「この場で食べてしまおうか?」


「カオルきゅん...」


 蕩けた表情のヴァルカン。

 カオルの言う通り、今すぐにでも事を(いた)してしまいそうだ。

 だが無情にも、闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れてしまう。


「き、貴様!なんだその姿は!!」


 顔を赤らめ、あきらかに酔っている1人の人間族(ヒューム)の男性。

 面白くなかったのであろうか。

 真紅のドレスを纏った、美人のヴァルカンを独り占めしていたカオルに食って掛かった。


「...誰だ」


 ヴァルカンとの甘いひと時を邪魔されたカオルは、眉間に皺を寄せ低い声でそう訪ねた。


「おらぁヘルマン・ラ・フィンだ!良い女をあんなに(はべ)らせやがって!!なにさぁまのつもりだぁ!!」


 既に呂律(ろれつ)すら回っておらず、完全に出来上がっているヘルマンと名乗る男性。

 カオルを指差し、不快感を露にする。


 そこへ...


「止めぬか!ヘルマン。お主は酔っておる!これ以上醜態を晒すようならば、フィン家もただではすまぬのじゃぞ!!」


 皇帝アーシェラが止めに入った。

 しかし、酔っているヘルマンにそんな正常な思考など無かった。

 

「う、うるさい!俺は元公爵だぞ!だぁれに口をぉ利いてるのだぁ!」


 元公爵のフィン家とは、エルヴィント帝国の御五家に連なる者だった。

 だが、自治領内の開発が上手く行かず、伯爵へと降爵(こうしゃく)された歴史がある。

 さらに欲深なフィン家は、公爵に戻ろうと暗躍し、失墜するどころか、お家崩壊の憂き目に会う。

 時の当主であるアベラルド・ラ・フィン。

 魔族(アスワン)と結託し、アーシェラのお気に入りであるカオルを『ego(えご)黒書(こくしょ)』へ閉じ込めたのだ。


 その結果。


 アベラルドは魔種(ましゅ)により、魔物であるワイトへと姿を変えて、ヴァルカンとグローリエルによって退治された。

 今、目の前で痴態を繰り広げているのは、アベラルドの長男にして、現当主のヘルマンなのだ。


(子爵へと降爵(こうしゃく)させられた腹いせに、こんな事をしでかしたのかもしれぬの...)


 伯爵ばかりか、子爵へと降爵(こうしゃく)させられたのは、全てカオルのせいだと、ヘルマンは思っていた。

 完全な逆恨みとしか言いようがないのだが。

 既に演奏は止み、周囲の貴族達は成り行きを見守っている。

 ヘタに口を出せば、自家に被害が及ぶ事を恐れているのだろう。


「なんだぁ貴様!何も言えんのかぁ!!腰抜けめぇ!!」


 カオルを焚きつけるようにそう罵倒するヘルマン。

 カオルの身を案じたアイナが、カオルに縋りつくと、ヘルマンはさらに増長して汚い言葉を口にした。


「なんだぁこのみすぼらいしガキはぁ~。ああ?なんだ奴隷じゃないかぁ!!ハッ!こんなガキを従者にするとは、香月家も程度がしれるぅなぁ~!!」


 アイナの首後ろにある『σκλάβος(スクラヴォス)』の奴隷紋を目ざとく見つけ、ヘルマンは罵った。


 だが、それがいけなかった。


 自身の事はなんと言われようと構わないカオルだが、友人を。

 特に家族に近しい人間を傷つける者はけして許さない。


「ヘルマン...だったな。ボクと決闘をしろ。戦えないのならば、代理を何人でも立てればいい。だけど...ボクは絶対にお前を許さない。必ず後悔させてやる」


 周囲をビリビリと震わせる程の殺気を放つカオル。

 カオルの魅力に惚けていたヴァルカンでさえ、鳥肌が立つほどの恐怖を感じた。


「お、おう!いいだろぉ!!ほえずうらぁ掻くなよ!!おとこおんなぁ」


 ヘルマンはそれだけ告げると、側に控えていた従者の男性に連れられて、ダンスホールを出て行った。

 後に残されたアーシェラ達。

 カオルのあまりにも冷徹な瞳に、口を開くのを躊躇ってしまう。


「...アーシェラ様。いえ、みなさん。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」


 アーシェラだけではなく、ダンスホール中に聞こえるように、カオルは話した。


「ご覧になった通り、ボクは決闘をします。仕切りはアーシェラ様にお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 有無を言わさぬカオルの瞳に、皇帝の仮面が剥げかけたアーシェラは「わ、わかったわ」とだけ答える。

 

「ありがとうございます。ボクはここで失礼しますが、どうぞこの後もごゆるりと楽しんでください。ただし、この子はボクにとって妹の様に大事な子です。どうか陰口など無い様、お願いします」


 カオルはそう告げると、努めてにこやかに笑い周囲を見回した。

 先ほどとはまったく違うカオルの表情に、戦慄としていた貴族達が、ホッと胸を撫で下ろす。


「アーシェラ様。本当にすみません。今日のところはこのまま帰ります」


「う、うむ。後の事は任せておくのじゃ。カオルよ。わらわこそ、すまなかった」


「いえ。アーシェラ様にご迷惑をお掛けするのはボクの方ですから。それでは...」


 アイナとヴァルカンの手を引いて、カルア達とその場を後にする。

 ダンスホールの入り口に居た貴族や衛兵達に深く会釈をしつつ、カオルは屋敷へと向かって行った。


「陛下。申し訳ございません。まさか、フィン家がこんな強行に出るとは...」


「アゥストリのせいではないのじゃ。気付かなかったわらわにも責はある。しかし、フィン家はこれで終わりじゃの。1000年以上続いた御五家も、これで残り四家となろう」


 遠ざかるカオル達の姿を見詰めながら、アーシェラは憂いた。

 18代と続く、エルヴィント国皇帝として、まさか自分の代で人間族(ヒューム)が没落しようとは、思ってもいなかった事である。


「さて、皆の者。予想外の出来事ではあったが、わらわはこれを好機と見る。カオルは口にしたの!数十年ぶりの『決闘』じゃ!国外からも来賓を呼び、エルヴィント帝国を盛り上げようではないか!!」


 策士アーシェラ・ル・ネージュ。


 転んでもただでは起きない当代の皇帝は、カオルの『決闘』をも見世物とし、悪辣(あくらつ)にも稼ぐ事を選んだ。


(戦争で減った国庫を考えれば、何も言えはしないのだが...はぁ。カオル殿。すみませぬ)


 禿げ上がった頭がさらに薄くなりそうなアゥストリ。

 カオルに申し訳ないとは思いつつも、国を思えばこそ、アーシェラに付き従うしかないのだろう。


「陛下!!円形闘技場(コロセウム)をお使いになられますか!?」


「うむ!!そのつもりじゃ!!」


「おお!!では、このエヴラール.ア.クレール伯爵。さっそく準備に取りかかります!!」


「よろしく頼むのじゃ!!それと、寄り子にも手伝わせるのじゃぞ!!盛大にやるのじゃ!!カムーン王国にもババル共和国にも、エルヴィントの活気という物を見せてやるのじゃ!!」


「ははっ!!」


 ワラワラと集まる貴族達。

 次々にアーシェラが指揮をして、脱兎のごとくスピードで手配を始める。


(こういう利に(さと)いところも、我がエルヴィントならではですなぁ...)


 エルヴィント帝国。

 策士と変態だけではなく、まるで商人の様な貴族の多い国であった。


ご意見・ご感想をいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ