第百四十一話 蜃気楼の丸薬
エルヴィント城へと滞在していた、イライザとレーダ。
こっそりと叙勲式を覗いていた。
「ねぇレーダ。黒巫女様って男だったんだね....」
カオルの事実に驚愕とするイライザ。
レーダも同じく驚いていた。
「だね....どうするのよ。このままじゃ、イライザの書いた同人誌、事実本じゃなくて空想本じゃない」
イライザが書いているのは百合物の本。
女性同士が愛し合い、にゃんにゃんするお話だ。
「そうだね....これは、純愛路線に切り返すしかないんじゃないかと、私は思う!!」
力強く力説するイライザ。
純愛物って、それ普通の小説じゃないのか?
腐女子としてそれはどうなんだ?
「よし!なら寝取りよ!!『剣聖から黒巫女を寝取る皇女』これでいきましょう!!」
訳のわからないアイデアを出すレーダ。
それでいいのかお前達。
「さすがレーダ!!そうと決まればさっそく取りかからないと!!!」
大慌てで宛がわれた自室へと戻る2人。
その小説はいつ完成するのだろうか....
一方その頃、帝都の北西に位置する自身の屋敷の前に、カオルは居た。
「ただいまーー!!!」
アーシェラの手配した馬車で帰還したカオル達は、ひさびさの我が家へと辿り着いたのだ。
元気よくカオルが挨拶をすると、駆け足でメイドの2人が出迎えた。
「お帰りなさいませ!ご主人様!!」
「ご主人。おかえり」
カオルに飛びつくアイナと、嬉し涙を流すフランチェスカ。
カオルはアイナの頭を撫でながら、フランチェスカの頬に手を当て、涙を拭った。
「みんな無事に帰ってきたよ。留守を任せてごめんね」
「いえ....本当に....ご無事で良かったです」
泣き止まないフランチェスカをそっと引き寄せ、アイナと共に優しく抱き締める。
嬉しそうにカオルの胸に顔を埋めるアイナ。
カオルの耳元でグズグズ泣くフランチェスカに、(帰ってこれてよかった)と安堵していた。
そこへ...
「....それで、私達はそろそろ怒るがいいな?」
ドスの効いた声が、カオル達の頭上から聞こえてきた。
それはもちろん、ヴァルカン達家族だ。
「えっと....ご、ご主人様!!お疲れですよね!?食事の用意が出来ておりますので、食堂へどうぞ....」
感動的なシーンだったはずだが、いつまでもカオルに抱き付くメイドの2人が、ヴァルカン達にはお気に召さなかったようだ。
冷や汗をタラリと流すカオルは、ヴァルカン達の気迫に押されるように、そそくさと屋敷へ入って行った。
アイナとフランチェスカの用意した、ちょっと早めの夕食を食べながら、カオルは行軍中に起きた様々な話しをした。
もちろん、ヴァルカン達が補完しながら。
「ろ、6人で1000のババル軍と戦ったんですか!?」
話しを聞いて驚くフランチェスカに、エリーは「当然でしょう?私とカオルが居るんだもの!」と、なぜか自慢気だ。
準2級冒険者になった事がそれほど嬉しかったのだろう。
「まぁ...そうだな。だがエリー。おまえは明日から、私がみっちりしごくからな?覚悟しておけ」
驕った態度を見せたエリーに、ヴァルカンは即座に修練を告げる。
ヴァルカンとエリーは、ジャバウォックに後れを取り怪我をした。
不意を突かれたとはいえ、エリーと自身が怪我を負い、冷静さを欠いた事で愛刀を折るという最悪の状況に陥ったのだ。
帝都に帰ってくるまでの間、何度も(己の力量はまだまだ低い)と自身を戒めた。
「....はい。師匠」
ジャバウォックと対峙するまでの間。
エリーは本当に調子が良かった。
アルバシュタイン公国の森の中での戦闘は、自分でもびっくりするくらい活躍できていたのだから。
(私があの時油断してなきゃ、ヴァルカンだって怪我をしなくて済んだかもしれないんだもの。私はもっと強くなるわ)
確かな意思を込めて、エリーとヴァルカンはお互いを見やった。
『カオルを守る為に』
カオルの家族は、皆でそれを誓っていた。
「それにしても、アイナちゃんは料理が上手くなったわね~♪」
場を和ませるように、カルアがアイナの作ったビーフシチューを褒め称えた。
煮崩れていない大きめの野菜達。
手間隙かけて、しっかりと味付けしたブイヨンから作られたそれは、絶品と言っても過言ではない。
「うん♪とっても美味しいよ♪ありがとう。アイナ」
テーブルの端に座るアイナに向かって、カオルが笑顔を向ける。
照れくさそうにアイナが俯くと、隣に座るフランチェスカが頭を撫でてあげた。
「いっぱい練習したもんね?よかったね?ご主人様が美味しいって言ってくれたよ?」
実姉の様にアイナに話し掛けるフランチェスカ。
カオルの屋敷に来てから、ずっとアイナの面倒を見ている。
「フランも、ありがとうね。とっても美味しいよ。特にこのスープ。おもしろいね。魚にピクルス.オリーブ.キャベツ.レモン.キノコを入れるなんて。ちょっと濃い目の味が食欲をそそるっていうか....うん。美味しい!」
ニコニコしながらスープを啜るカオルの姿に、自信作のスープを褒められて、フランチェスカは嬉しそうに微笑んだ。
和気藹々と家族達の団欒が進み、食後にお風呂に入る事になった。
一緒に入られまいと、そそくさとカオルが1人で浴室へ赴くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「うそ....」
見慣れない浴槽。
以前はギリギリ3人ほどで入れる大きさの陶器製の浴槽だったのだが、どこをどうやったのか浴室は広さを増し、今、目の前にあるのは明らかに大人10人は入れる程の大理石の浴槽。
「え....なにこれ....どういうこと.....」
呆然と浴室を見渡すカオル。
そこへ、脱衣所が慌しくなり、扉が開かれた。
「驚いているようだな!カオル!」
「おねぇちゃん達の作戦の勝利ね♪」
「ふふーん!びっくりしたでしょ!」
「カオル様。お背中お流しします」
「あ...ご、ご一緒します....」
「ご主人。アヒルいる?」
状況が飲み込めないカオルの前に、家族だけではなくメイドの2人まで登場した。
(へ!?これ何!?どういうこと!?)
「カオル。これは私達が用意したものだ!やはり風呂は皆で入るのが良いからな!!」
嬉しそうに惜し気もなく胸を反らせるヴァルカン。
双丘を隠す物などもちろん無い。
「アゥストリ様にご尽力いただいたのです。皆さんからお願いするように、と言われまして」
フランチェスカがおずおずと説明すると、カオルの背をヴァルカンが押して、浴槽の中へと案内した。
「さぁ!皆でのんびりしようじゃないか!ハハハ!!」
楽しそうな家族達。
カオルは、アイナが貸してくれたアヒルのおもちゃで、現実逃避を決め込んだ。
(これは夢だ...そうに違いない....ボクは起きたら、温かい布団の上で眠っているはずだ...)
代わる代わるカオルを自分の膝に乗せる4人の家族。
フランチェスカが恥ずかしそうにモジモジする中、アイナはカオルの髪をクルクル巻いていた。
「ご主人。髪サラサラ」
たっぷり2時間程、お風呂で濃厚な時間を過ごした『カオル以外』の家族達。
居間で紅茶を飲みながら、肌を艶々にさせて嬉しそうだ。
(ボクはもう...お婿に行けないかもしれない....)
散々オモチャにされてしまった当のカオルは、1人自室のベットで枕に顔を埋めていた。
たかが髪と身体を洗われたくらいで、そこまで思い詰める必要も無いと思うのだが。
(ま、いいや。それよりも、ディアーヌに貰った本でも整理しよっと)
カオルは立ち上がると、部屋に備え付けの本棚へと近づいた。
羊皮紙製や紙の本はとても高価で、カオルは今まで買った事は無い。
ヴァルカンが住んでいた家にいくつかの本があったが、それ以外は帝都の魔術学院で見せて貰ったくらいだ。
アイテム箱を覗き込むと、明らかにこの本棚の収納力では収まりきらない程の膨大な量が見てとれた。
(あーここじゃだめだね....ああ、壷のとこでいいか)
自室の本棚を諦め、1階の練成所として使っている部屋へと向かう。
そこには、部屋の中央に大きな練成用の壷が置いてある。
(この壷に入ったら、身長が伸びるとかそういう仕様はないものか.....)
背の低い事にコンプレックスを抱くカオル。
突拍子も無い事を考えていた。
アイテム箱から本を取り出し、壁一面に次々と積み重ねる。
ほどなくして二面の壁が塞がると、近くに残りの本で小山を作り出した。
(これだけあれば、しばらく引き篭もれるね♪)
エルヴィント城で皇帝アーシェラに、「1人で出歩くと危険じゃぞ」と言われたカオルは、しばらく引き篭もろうと考えていた。
既に1年以上引き篭もり経験がある。
特に問題はないだろう。
(でも、買い物くらいは行きたいよね....)
メイドの2人や家族にお願いするのも良いのだが、やはり欲しい物は自分の目で見たいものだ。
(どうしたものか)と悩んでいると、1冊の本が目に入った。
(ん...?これって....)
背表紙には『★あったらいいな空想魔術★』と可愛らしく書かれている。
カオルはそれを手に取ると、その場に座り読み始めた。
内容は、とてもユニークな物だった。
カエルに変身した王子様を、王女様が魔法の口付けで元の姿へ戻したり。
軍隊アリに襲われた街を、魔法で巨大な岩を作って空から落として殲滅したり。
空飛ぶ魔法の馬車で、恋人の下へ向かってみたり。
コミカルな挿絵が入れられて、明らかに子供向けの絵本に近い代物だった。
(いいよね~。でもやっぱり、王子様物が素敵だよね♪)
古典的なおとぎ話が好きなカオルにとって、王子様物は大好物だった。
そこでふと気付く。
(ボクも、何かに変身すればいいんじゃないかな)と。
しかし、そんな事は不可能だ。
他の動物はもちろん、他者の姿に成れる魔法など、存在しないのだから。
(う~ん....)
カオルは呻った。
なんとかして、(自分と気付かれずに出歩く手は無いものか)と。
(あ、そうだ。アレを試してみよう)
それは『egoの黒書』で得た錬金術の知識。
ある一定時間だけ、己の姿を変えられるという薬。
ただし、あくまで自分にしか成れない。
思い描いた未来の自分か、これまで生きた過去の自分。
未来の姿は実際に成長しなければわからないが、思い描く事は出来る。
カオルは即座に実行に移した。
「フラン!ちょっと買って来てほしい物があるんだけど...」
「はい。なんでもお申し付け下さい」
「ありがとう。ちょっと変な物なんだけど、たぶん売ってると思うから....」
カオルがフランチェスカに頼んだ物は、とても変な物だった。
買って来て欲しい物を次々に告げるうちに、フランチェスカの顔が曇るぐらいに。
しばらくすると、げっそりとやつれた顔でフランチェスカが戻ってきた。
「か、買ってまいりました....」
フランチェスカがカオルに手渡した籠には、見えないように布が被せられていた。
こんな日も落ちた時間なのに、よくぞ見つけてこれたものだ。
疲れた表情のフランチェスカを労うと、カオルはいそいそと壷の前へ。
(よしよし。これで作れるぞ♪)
籠から品物を取り出し、次々に壷の中へと入れて行く。
コウモリの羽.トカゲの尻尾.蜘蛛の糸.狼の目玉.紫陽花の葉などなど。
ちょっと言いたく無いような物の数々を壷の中へ入れると、カオルは両手をかざして魔力を注ぎ込んだ。
濛々と妖しげな煙が立ち込める中、壷が淡く輝く。
次第に光は収束していき、壷の中には小さな丸薬やいくつか残った。
「おお!完成だ!!」
無事に目的の物が完成した事により、カオルはとても喜んだ。
絶対に口にしたくない物の数々から、作られた物なのだが。
(試すのは明日にしよう)とカオルが私室へ戻ると、そこにはエリーとアイナ.フランチェスカの3人が待っていた。
(えっと....4人で寝るという事?)
カオルが首を傾げていると、「早く寝るわよ!」とエリーが急かした。
文句を言うと怒られそうな雰囲気なので、カオルは落ち込みつつもベットに横になる。
右隣をエリー。
左隣をアイナ。
アイナの奥にフランチェスカが陣取った。
妹の様に可愛がっているアイナの手を握りながら、「おやすみなさい」と就寝した。
翌朝。
というよりも、午前2時ごろ、カオルは起きた。
あまりの息苦しさに。
(むぅ....)
自身の首に巻き付く6本の触手を払い除けると、起こさないように静かにベットを抜け出す。
寝相の悪いエリーは毎度の事ながら、アイナとフランチェスカも中々に暴れん坊だった。
(眠い...けど、イタズラするなら今だよね♪)
洗面所へ行き身支度を済ますと、物音を立てないように部屋を出て行く。
光源乏しい廊下は、朝も早い事から静まり返っていた。
(よしよし。さっそく試してみよう)
アイテム箱から小瓶を取り出し、中の丸薬を1つ取り出す。
昨夜作った例の薬だ。
一巡悩み、意を決して飲み込む。
胃が熱くなり、体がポカポカしてくると、カオルの身体が緑色の光に包まれる。
次の瞬間。
カオルのシルエットが大人の男性を形作り、緑色の光が徐々に収まっていく。
両手両足の具合を確かめ、その場で一度ジャンプすると、問題なく薬は成功したようだ。
(おおー!すっごい!ボク身長伸びたよ!!!!!)
いつもよりも目線がかなり高い。
自室の扉のドアノブの位置が、とても低く感じた。
『蜃気楼の丸薬』
カオルが作り出した『霊薬』と呼べる物は、既に製法も失われているため、その存在を誰も知らない。
万が一悪用する者が居れば、脅威と成り得る代物だろう。
カオルは念願の身長180cm....ではなく、ヴァルカンと同じ170cmの身長を手に入れた。
急激な身長の変化で、(転ぶんじゃないだろうか)と危惧したのだ。
「にしし...」と笑いながら、真向かいの部屋の扉をそーっと開き、寝息を立てているヴァルカンの下へ近づく。
まさかカオルがこんな姿になっていようとは、ヴァルカンはけして思うまい。
(どうやって起こそうかな...)と思案しているところで、なんとなくテーブルに目が向いた。
そこには、薄明かりに照らし出された、見るも無残な刀の姿が。
物言わぬ刀身は、見事に二つに裂けていて、悲しげに明かりを反射させていた。
(うそ....なんで.....)
全身に衝撃が走る。
ヴァルカンが、ずっと大事にしていた刀が、まさか壊れてしまっている事など、カオルは知らなかったのだから。
テーブルに近づき、震える手で刀を持ち上げると、大粒の涙が零れ落ちた。
(なんで...こんな.....)
様々な鉱物を掛け合わせて作られたヴァルカンの刀は、二度と直す事は出来ない。
出来るとすれば、曲刀と同じ様に不純物をできるだけ取り除いて、白銀だけで他の武器を仕立てるくらいだろう。
だがそれでも、通常の白銀武器よりは劣ってしまうかもしれない。
現に、カオルの曲刀は、打ち直したにも拘らず欠けてしまったのだから。
カオルは刀をテーブルに戻すと、ヴァルカンに向き直りそっと唇を重ねた。
(師匠....ボクが.....)
ギュッと拳を握り締め、静かに部屋を後にした。
向かうは工房。
ヴァルカンの為に、自身の『最高傑作』を作り上げる為に。
屋敷を出て工房へと辿り着いたカオルは、工房の扉を厳重に閉め、音が漏れないようにした。
以前と同じ様な事を起こさない為に。
アイテム箱から白銀の塊と、最後の1枚となった黒曜石の鉄板を取り出す。
(1本じゃだめだ。2本なきゃ....)
戦場で武器を失う事は、敗北を意味する。
ヴァルカンは元々脇差を持っていた。
だが、それをカオルに分け与えてしまい、誰よりも強いはずのヴァルカンが、ジャバウォックに後れを取ったとカオルは思っていた。
(待っていてください。師匠)
炉に薪をくべ、カオルは必死に想いを込めた。
大好きなヴァルカンの為に、文字通り全身全霊を込めて、刀を打とうと。
やがて、炉内が赤く熱せられると、白銀を投下した。
パチパチ弾ける火の音が、カオルの感情を高まらせる。
溶け出し始めた赤い銀塊を、やっとこで掴み引き上げた。
(師匠....)
刀の姿を思い浮かべ、銀塊へ鎚を振り下ろす。
「カンッ...カンッ」
打ち鳴らされる鉄の音。
金床の上で踊る銀塊が、鎚の音が鳴る度にその姿を変形させる。
(イメージしろ....師匠が振るう。あの刀を)
何度も、何度も振り下ろされる鎚。
火花がほと奔り、周囲を明るく明滅させる。
気が付けば、カオルの周りには彼らが居た。
小さな精霊。
赤・青・緑....
様々な色の精霊達が、嬉しそうにカオルの姿を見詰めていた。
(みんな...お願い...ボクに力を貸して....師匠に...渡したいんだ....ボクの...全てを!!)
カオルは鎚を振るった。
精霊達に願い、その身を奮わせ力の限り叩き続けた。
その姿は、必死に見えた。
この世界に来てから、ヴァルカンはずっとカオルの傍に居てくれた。
ドラゴンゴーレムやドラゴンにやられ、怪我を負った時も。
皇帝に召喚され、帝都に来る羽目になった時も。
貴族に襲爵された時も。
そして、これからもずっとヴァルアンはカオルの傍に居てくれる。
カオルは願った。
(ずっと、傍に居たいと)
工房内を、炉の明かりが赤く瞬かせる中、精霊達はクルクルと回った。
カオルの想いを受け取り、それを伝えるように....
嬉しそうに....
笑いながら....
楽しそうに....
踊るように....
どれ程の時が流れたのだろうか。
空はすっかり明るくなり、太陽が出ている。
遥か彼方からは、人々の喧騒が聞こえ、朝を迎えた事を告げていた。
「でき...た」
明かりの消え工房内で、カオルは小さく呟いた。
大事そうに二振りの刀を抱え、一滴の涙を流す。
(ありがとう...精霊さん。本当にありがとう)
姿を消した精霊に感謝を述べ、カオルはゆっくりと立ち上がった。
大切な人の下へ向かう為に。
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