第百三十六話 嵐の後に
「イヤーーーーー!!!!」
耳を劈く悲鳴。
カオルに気を取られていたヴァルカン達は一斉に声の主へと振り向いた。
そこには、ディアーヌと、胸に風穴を開け事切れた、人間族の男性が倒れていた。
ディアーヌは、涙を流して震える手を男性へと伸ばす。
物言わぬ男性に触れると、愛おしそうに抱き上げた。
赤黒く染まる白いワンピース。
ディアーヌは、そんなことなどお構い無しに、男性に縋り付いた。
カオルを抱き上げたヴァルカン。
カルア達がディアーヌに集まるのと同じ様に、ゆっくりと近づいて行った。
大粒の涙を流すディアーヌに、エルミアがそっと肩を抱く。
不意に温もりを感じたディアーヌが、エルミアの顔を見上げ、ポツリと呟いた。
「....お兄様です」
それは、とても悲しそうな顔だった。
ディアーヌの兄。
『アルバシュタイン公国』現大公ダニオ・ド・ファム。
それが物言わぬ男性。
胸の風穴は、とても大きく焼け焦げていた。
「そういうことか....あの魔獣が、現大公だったんだな.....」
唇の一部が欠け、胸を抉り取られている姿は、ヴァルカンやカオルがジャバウォックに与えたダメージそのものだ。
吸血鬼のアスワンが、現大公を魔獣へと造り替えたのだろう。
(なんと卑劣な....)
歯痒さから苛立ちを見せるヴァルカン。
ディアーヌのすすり泣く声が、沈黙を作り上げる。
そんな中、カルアはそっとヴァルカンの耳元へ、手を当てた。
「ヴァルカン。とりあえず治療をしましょう。カオルちゃんは....無事なようね」
回復魔法をヴァルカンに使いながら、カルアはカオルを見やった。
カオルの胸は、小さく上下に呼吸を繰り返している。
「ああ....ありがとう。とりあえず、一度出るか。魔物に襲われるかもしれん。エリー、大丈夫だな?」
両耳を傷付けられ、呆然としていたエリーだが、立ち上がれる程度には回復していた。
「うん...大丈夫。迷惑掛けてごめんなさい....」
俯くエリーに、ヴァルカンは微笑んだ。
「ははは...エリーは悪くないだろう?私だって怪我をした。魔獣も倒せていないしな....帰ったら、お互い修練に励むとするか!!」
間違い無く、空元気だろう。
だが、誰もが心痛な面持ちの中、ヴァルカンの笑顔はとても心強かった。
「うん!」
師匠に負けまいと笑うエリー。
ルチアもルーチェも涙ぐみながら笑い、ディアーヌも、泣きながら笑った。
「偉いのぉ。そうじゃ、死者を送る時は笑顔じゃなきゃいかん。特に肉親ならばのぉ」
突然、男性の声が聞こえた。
少ししゃがれた声が。
治療を終えたヴァルカンが、驚いてそちらを向くと、1人の老人が居た。
ボロボロの外套を纏い、わざとらしく腰を折る男性。
ヴァルカンは、その人物を知っている。
「シブリアン・ル・ロワルド殿!?」
驚愕とするヴァルカンに、シブリアンは笑う。
「ふぉっふぉっふぉ。久しいのぉヴァルカン。相変わらず美人じゃ。どれ、ひさびさに尻でも...」
そう言って、ヴァルカンの尻へ妖しく手を伸ばすシブリアン。
ヴァルカンはすかさず下段蹴りをお見舞いした。
「ろ、老人には、もう少し手加減というものをだな....」
下段蹴りが炸裂した左脛を、痛くも無いのにわざとらしく擦るシブリアン。
ヴァルカンにはそんな事はお見通しだ。
「ひさびさって....1度も触らせた事などないだろう。それよりも、何故ここに?」
「うむ。実はの、カオルちゃんに連れてきてもろうたのじゃ。いや~2人きりで魔鳥に乗っての。良いデートじゃった。尻もプリプリでのぉ...ひさびさに若返ったようじゃ」
自慢気にそう告げるシブリアン。
カオルのお尻の感触でも思い出しているのだろうか。
いやらしい手付きで空を揉みしだく。
(....揉んだのか...カオルの尻を....)
シブリアンの光悦とした表情を見せると、その場に居た誰もが、その身に殺意を秘めた。
「へぇ...そうか.....皆。もう1体魔物が居たようだ。もう1戦殺るか?」
コクンと頷き殺気を放つ家族達。
妖しく目が光っていた。
シブリアンは冷や汗を流しながら、「許して欲しい」と懇願する。
「次は...ありませんよ」
全員からそう言われ、恐怖に怯えるシブリアン。
余計な事言わなければよかったのに...
カオルの身体をカルアに託し、ヴァルカンはディアーヌの傍に片膝を突いた。
「女王ディアーヌ。前大公は私に運ばせて欲しい。手厚く葬ろう」
剣聖として、騎士として敬意を払うヴァルカン。
ディアーヌは「ありがとう」と感謝を述べた。
「それでは行くか。ルチアとルーチェは先行して、魔物が居たら教えてくれ。そこの元剣騎の老人が倒してくれる」
よほど憎たらしかったのか、ヴァルカンは嫌味を込めていた。
ルチアとルーチェが驚いてシブリアンを見詰る。
「も、元剣騎様だったのですか....通りでお強いはずです。わかりました。魔物は全て、元剣騎様にご報告します」
「なるべく強くて数の多い魔物を探します」
蒼犬の2人にそう告げられ、シブリアンはガックリうな垂れた。
「ああ、そうしてくれ。なんなら、ドラゴンでも見付かるといいんだがな....」
ニヤリと笑うヴァルカン。
家族達も同じ様に、いやらしく頬を吊り上げた。
四面楚歌。
シブリアンが今まさにその状態だ。
「そ、そんなにいじめんでくれんかの?」
再度懇願するシブリアン。
ヴァルカン達はけして許さなかった。
ヴァルカン達がアルバシュタイン城を出ると、日は既に傾いていた。
方々から時折聞こえる金属音が、戦闘の終結が近づいている事を告げている。
「とりあえず、エルヴィント軍と合流しよう。すぐ近くに居るはずだ」
ヴァルカンがそう告げると、ルチアとルーチェは先行して森の中へと走り出した。
遠ざかる2人を見ながら、シブリアンはボソリと呟いた。
「それにしても、カオルちゃんはいったい何者なんじゃ?」
カルアに負ぶさるカオル。
時折エリーが体勢を直していた。
「カオルは私の弟子で家族だ。それ以外の何者でもない。そうだろう?」
暗幕に包まれる遺体を抱えながら、ヴァルカンはカルア達に向き直った。
「そうだ」と言わんばかりに頷くカルア・エリー・エルミア。
シブリアンは「聞くまでも無かったのぉ」と顎鬚を擦りながら遠くを見詰めた。
「それで、女王ディアーヌだったかの。アルバシュタイン公国は、この後どうするつもりじゃ?」
何気なく問い掛けたシブリアン。
皆が聞きづらいタイミングで聞く事が出来たのは、年の功からだろうか。
「私は....」
押し黙るディアーヌに、シブリアンは話し続けた。
「ふむ。このままでは、良くてババル共和国に割譲じゃろうかの。エルヴィント帝国は、この地を放棄すると宣言した。それで良いなら黙っておれば良い。じゃが....カオルはそう望んでいないようじゃがのぉ....」
あえてカオルの名前を出したのは、少なからずディアーヌがカオルに好意を寄せていると感じたからだろう。
先ほどの大広間でのやり取りも、ディーアヌは兄の死を嘆きながら、シブリアンがカオルとデートないし、お尻を触った事に憤慨していたからだ。
ディアーヌは静かに目を閉じると、意思を込めて話し出した。
「私は、即位します。今すぐというわけにはいかないかもしれません。民がどれだけ残っているのかも判りませんし、私は見ての通りダークエルフです。ですが、もし...民が私を必要としてくれるのならば、私は己が全てを賭して、この国を元の美しい国へと戻したいと思います」
それは宣言だった。
女王ディアーヌが、亡き両親や兄に代わって、アルバシュタイン公国を復興させると誓ったのだ。
力強い確かな意思。
ディアーヌの凛然とした態度は、とても立派に見えた。
シブリアンは満足そうに頷き協力を申し出る。
「うむ。そうかそうか。それならば、ワシもアーシェラ陛下へその様に進言しておくとするかのぉ」
嬉しそうに笑うシブリアン。
その姿は、どこか優しく、慈愛に満ちていた。
「ありがとうございます。いつか、カオルと世継ぎを作り、この国を繁栄させたいと思います」
両手を前に組み、祈るような格好で頬を染めるディアーヌ。
そんな自分勝手を、カオルの家族は許さない。
「世継ぎだと!?許さんぞ!!カオルは私の嫁だ!!私と小作りするに決まっているだろうが!!!!」
「カオルちゃんとエッチな事をするのは、おねぇちゃんの特権です!絶対に許しません!!!」
「カオルは私の物よ!!カオルと、その....い、色々するのは私なんだからね!!!」
「カオル様は、私と共にエルフの里へ行くと決まっているのです。エルフ王である、リングウェウお父様に、既に話しはしてあります。あとは式の日取りを決めるだけの状態です」
口々にカオルを譲らないと話す家族達。
1人、本格的にヤバイ王女も居るが、それは一先ず置いておこう。
「ま、待つのじゃ!どういうことじゃ!?エルフ王じゃと!?それに小作りとは...それじゃまるで、カオルちゃんが男の子みたいな言いか..た....まさか!?」
シブリアンは慌ててカオルを見やると、ヴァルカン達はニヤリと笑みを作った。
静かな寝息を立てて眠るカオル。
今起きたら間違い無く修羅場だ。
「そ...そうじゃったのか....ふむふむ...これは実に興味深いのぉ....誰がカオルちゃんを嫁にするのか、楽しみじゃ。これは長生きせんといかんのぉ」
「ふぉっふぉっふぉ」と笑うシブリアン。
最初こそ驚いていたが、カオルが男だということに、特に気にした様子も無かった。
(ふむ...エルフ王の娘か....それに、カオルちゃんは男の子じゃったのか.....さすがは、キュッと締まった良いお尻の持ち主じゃのぉ)
変態シブリアン。
おまわりさんこいつです。
ほどなくして蒼犬の2人が戻ってくると、エルヴィント軍の陣営へとヴァルカン達は赴いた。
アルバシュタイン城から1Kほどの距離に、エルヴィント軍は陣を敷いていた。
薄暗い森を切り出されて作られた陣。
篝火が焚かれ、ざわめく木々を妖しく照らし出している。
ヴァルカン達の存在に気付いた近衛騎士が、近衛騎士団長レオンハルトが居る天蓋へと案内した。
「失礼します!剣聖様一行をお連れしました」
近衛騎士がそう言い天蓋を捲ると、ヴァルカン達は中へ入った。
そこには、剣騎セストと剣騎レイチェル。
近衛騎士団副長アルバートの隣にレオンハルトが居た。
「剣聖殿!!黒巫女様は!!!」
ヴァルカン達が戻った事で、取り乱すレオンハルト。
普段ならば団長を窘めるアルバートだが、この時ばかりは同じ様に取り乱していた。
「カオルは無事だ。今は疲れて眠っている。どこか天蓋を借りれないか?私達の物はカオルが持っていてな」
そう言うと、カルアはカオルを見えるように背中を傾けた。
スヤスヤと眠るカオル。
その姿は、まるで天使の様に見えた。
「そ、それなら俺様の天蓋を使って下さい!すぐ隣にあります。報告は蒼犬の2人から聞きますので、どうか身体を休めて下さい」
気を使ったのだろうか。
自身も疲労の色濃く、身体のあちこちを斬られて傷付いている。
それにもかかわらず、レオンハルトはヴァルカン達に休むよう告げた。
ヴァルカンはそんなレオンハルトを見やると、笑みを零す。
「悪いな。お言葉に甘えよう。皆、行こうか」
感謝を述べつつディアーヌを含めた家族達は、隣の天蓋へと向かって行った。
残されるルチアとルーチェ、シブリアンの3人は、アルバシュタイン城内で起こった全ての出来事を、レオンハルト達に話した。
エルヴィント軍がおとりとなり、予定通り城内へと侵入した事。
そこで対峙した吸血鬼の事。
現れた大型の魔獣が、現大公ダニオ・ド・ファムであった事。
吸血鬼を取り逃がしてしまった事。
レオンハルトは顔を曇らせながらも、報告を黙って聞いた。
「そうか...わかった。報告ご苦労。2人も少し休んでいいぞ」
レオンハルトに促され、ルチアとルーチェがその場を辞すると、シブリアンが話し始めた。
「まぁ...しばらくは安全じゃろうな。吸血鬼は、カオルちゃんに興味を持っておった。何かしてくるとしたら、カオルちゃんに直接来るじゃろう」
「リアン先生。それはどういう意味ですか?」
レイチェルがシブリアンに問い掛けた。
シブリアンは髭を擦ると意地悪そうに笑う。
「なに、カオルちゃんは特別ということじゃろう。なにせあれだけかわゆいのに、男の子なんじゃからのぉ。それに良いお尻をしておった。ありゃぁ、68年間生きてきて、初めて触れた程良いお尻じゃった。ワシがもう少し若ければ放っておかないんじゃが....」
元剣騎シブリアン・ル・ロワルド。
あんた...バイセクシャルか?
だが、シブリアンが告げた言葉に、その場に居た4人全員が驚愕とする。
「黒巫女様が男だと!?マジかそれ!?」
「な....マジで!?あんだけ可愛いのに!?」
「うそ...だろ!?」
「カオル...男なんだ....じゃぁ、私と小作り出来るわね」
ここでもやはり1人おかしな剣騎が居るが、あえて放っておこう。
4人が驚き口をあんぐり開く中、シブリアンは楽しそうにしていた。
「うむ。それにとても良い子じゃ。己が命を賭けて、15000の魔物の群れに単身飛び込み、見事打ち倒したのじゃ。それも名誉の為などではなく、家族を守りたいからだそうじゃぞ?常人には出来ることではない。ワシでも無理じゃのぉ」
シブリアンの語った言葉に、一同が押し黙る。
この場に居る誰もが、魔物の群れから助けられていた為だ。
(黒巫女様....男だったのか....それでも....俺様は黒巫女様が好きだ!!)
何度も命を救われたレオンハルト。
既に性別など関係なく、ただカオルに恋をしていた。
「そうだなじぃさん。黒巫女様は最高だ!男だろうと関係ねぇ!!俺様は、我が道を貫くぜ!!」
同性愛宣言をするレオンハルト。
兄貴と慕うセストは、なぜかそんなレオンハルトが眩しく見えた。
「そうだぜレオン兄貴!!黒巫女様は最高だ!!俺も好きだ!!!」
「はぁ?あんたホントバカね。カオルが同性なんて選ぶわけないじゃない。アレだけ強いんだもの。きっと子供も強くなるわ。結婚とかどうでもいいから、子種だけくれないかな」
あまりの言い様に、目が点になる4人。
シブリアンが(育て方間違えたかのぉ)と思うのも、無理はない。
「まぁとりあえず、これからどうするんだ?いつまでもここ居るわけじゃないだろ?」
常識人アルバート。
ホントいつもご苦労様です。
レオンハルトは一度呻ると、即座に撤収を告げた。
「明日の朝、陣を引き払うか。吸血鬼を探すのなんて無理だしな。それに、もう十分戦果は得ただろう?俺様達は、アルバシュタイン公国を救ったんだ。今はそれだけで十分だろ」
頷き合う5人。
当初の目的とは少し違うが、エルヴィント軍はこうしてアルバシュタイン公国を救った。
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