第百三十五話 アスワン
カオル達が震源へと向かう1時間ほど前、ヴァルカン達7人は、アルバシュタイン城の大広間へと踏み行っていた。
ほの暗い室内。
遮光カーテンとばかりに、壁中の窓には暗幕が垂れ下がり、光源となる物は何も無かった。
だが室内には、ヴァルカン達以外の確かな吐息が聞こえる。
(.....居る....な)
ヴァルカンも感じていた。
凄まじいまでの威圧感を。
全身を震わせるまでの殺気を。
その時。
「うふふふふふ.....」
笑い声が響き渡った。
楽しそうに、嬉しそうに、徐々にその声は大きさを強める。
「あはははははははははははは!!!!!」
そして、2つの赤い光がヴァルカン達を射抜いた。
それは、異質な輝きだった。
笑い声と呼応するかのように、上下に、左右に震える光。
「おまえ....あの時の.....」
ヴァルカンは気付いた。
その赤い光は、2つの瞳だという事に。
何度も対峙した魔族だという事に。
(間違いない...あいつは遠征軍で魔鏡を呼び出し、帝都の屋敷でアベラルド伯爵に魔種を与えた人物だ!!)
やがて、室内に光源が生まれた。
照らし出される室内。
閑散とした大広間は、何も置かれておらず、魔族の姿がはっきりと見える。
煌びやかで長い白髪に赤い双眸。
身に纏う衣服は、黒く薄い布地1枚だけ。
背中にはコウモリのような羽が生え、細く長い尻尾はヘビのように蠢いていた。
「貴様が....吸血鬼」
幾度も対峙していたヴァルカン。
この時、初めて吸血鬼というものを知った。
「うふふ...やっと来たのね....待っていたわ。舞台は整った。さぁ...楽しい演劇の始まりよ」
吸血鬼はそう言うと、ヴァルカン達を見据え、小さなガラス玉を取り出した。
渦巻く黒雲が、ガラス玉の中に垣間見える。
「出番よ....ジャバウォック」
吸血鬼の呼びかけに答えるように、ガラス玉が瞬き「ビシリ」と亀裂が入る。
皹はその大きさを増し、やがて黒い雲が溢れ出ると、ヴァルカン達の眼前で急速に渦巻き、それは姿を現した。
体躯10mはあろう大きさ。
強靭な嘴を有し、馬のように肥大した体には魚の鱗が張り付き、両手は鋭く鉤爪の様相を呈していた。
そして、なによりも目を惹くのはその背中。
翼膜のついた大きな翼が生え、赤い瞳には炎を宿している。
魔獣『ジャバウォック』
吸血鬼がこの舞台のために、『ある素材』を元に作り上げた魔獣だ。
ジャバウォックはその赤い瞳を明滅させると、確かな意思を見せる。
前足を深く地面に着け、前傾姿勢となった。
捕食者。
ヴァルカン達を獲物と定め、今にも襲いかかろうと嘴を打ち鳴らす。
(魔獣....それもかなり高位の.....)
敵意剥き出しのジャバウォックに、ヴァルカンは血を滾らせた。
剣聖として、己が持つ武器一つでこれまで生きてきたヴァルカン。
培ってきた経験と本能が、ジャバウォックを危険と判断した。
「うふふふふ......」
対峙する両者を、宙に浮かび傍観者を決め込んだ吸血鬼が、楽しそうに笑いながら見ていた。
「クッ.....予定通り行くぞ!!」
ヴァルカンの掛け声で、カルア達は陣形を整える。
カルアとディアーヌを最後衛に、ルチアとルーチェがそれを守るように身構える。
エルミアは左後方へ陣取り魔弓を構えると、ヴァルカンとエリーはジャバウォックと対峙した。
「エリー。吸血鬼にも注意を払え。いつ襲われるかわからん」
ヴァルカンが小声でそう伝えると、エリーは緊張した面持ちで「コクン」と頷く。
周囲を一瞥するジャバウォック。
鉤爪が地面を「ガギリ」と鳴らした次の瞬間。
ヴァルカンは、攻撃を開始した。
地面を蹴り上げ疾走し、腰溜めから愛刀を抜き放つ。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
力強く引かれる銀線。
空気が悲鳴を上げ、風切り音と共にジャバウォックの顔面目掛けて刀は抜かれた。
「ガキンッ!!」
接触音。
ジャバウォックは、目にも留まらぬ速さで前足を突き出し、鉤爪をもってそれを防いだ。
(クッ!!)
鍔迫り合いへと縺れ込む両者。
白銀の刃が鉤爪と打ち合わさり、「ギリギリ」と悲鳴を上げる。
そこへ、頭上高くからエリーが回転斬りを繰り出し、黒大剣が振り下ろされた。
「ドゴン!!」
ジャバウォックはその身を翻し、後方へと距離を取る。
黒大剣は空を斬り、地面を強く打ちつけ砂埃が舞うと、ジャバウォックは口を開けた。
「ギャォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
雄叫びを上げるジャバウォック。
翼を羽ばたかせて空へと舞い上がると、ヴァルカンとエリー目掛けて鉤爪を振るう。
しかし、鉤爪は届かなかった。
エルミアの放った何本もの風の矢が、ジャバウォックの翼膜を貫き、地上へと撃ち落としたのだ。
姿勢を崩し、盛大な音を立てて墜落するジャバウォック。
巻き上げられる土煙の中、ヴァルカンとエリーは好機とばかりに肉薄した。
「いくぞ!エリー!!!」
「はい!!!」
迫る銀線。
迫る黒線。
棚引かれる二色の線が、裏返るジャバウォックの首元目掛け振り下ろされた次の瞬間。
「ウボォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
『共鳴』
巨大な体躯を震わせ、耳を劈くような雄叫びを上げる。
声は衝撃波を生み、ジャバウォックを中心に円を描くように展開された。
「ぐぅ!!!」
斬り下ろそうとしていた刀を衝撃波で弾かれ、慌ててバックステップで後退するヴァルカン。
右耳の鼓膜が破れ、血が滴り落ちていた。
(くそっ...耳が....)
だが、ヴァルカンよりもエリーの方が深刻な状況だった。
猫耳族の彼女は、人間族とは比べ物にならない程、聴力が高い。
エルフであるヴァルカンも、人間族よりは聴力が優れているが、エリーに比べれば雲泥の差だ。
エリーはジャバウォックの『共鳴』を間近で喰らい、衝撃波によって吹き飛ばされる。
地面をゴロゴロと転がり盛大に壁へ身体を打ち付けると、両耳から血を垂れ流し、髪を、頬を伝って白銀の鎧を赤く染め上げでいた。
「あ....ああ.......」
突然途絶える音。
全身を打ち付ける程の衝撃。
「耳が....耳が......」
目を見開き恐怖に震える身体。
突如として音を奪われ、エリーは動けないでいた。
「カルア!エリーを頼む!!」
ヴァルカンは叫んだ。
ジャバウォックの注意を引くために、エリーの反対側へ回り込む。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
ジャバウォックは尚も叫び続け、大広間だけではなく、城全体を震わせていた。
割れる石畳。
崩れる天井。
息継ぎすらせず雄叫びを上げ続けるジャバウォックに、ヴァルカンは近づけない。
(くそっ!!どうなっているんだ!!)
元剣聖ヴァルカン。
彼女は片耳を破られ、そして弟子のエリーがやられた事で焦っていた。
戦場では冷静にならなければならない。
そんな事はヴァルカンは知っている。
弟子であるカオルにも、もちろんエリーにも教えている。
しかし、この時のヴァルカンは冷静ではいなかった。
遠方より撃ち続けられる風の矢。
共鳴が衝撃波の波となって押し寄せ、風の矢はあらぬ方向へと軌道を曲げられジャバウォックには届かない。
(この様子じゃファイアーボールも届かないな....それなら!!)
ヴァルカンは腰を落とし剣気を練り始める。
抜刀術『抜打先之先』
剣気を練り、そこへ魔力を融合する。
鞘を走らせ抜き放たれる斬撃は、音速にも匹敵する速度で己の敵へと繰り出される。
ヴァルカンの場合は業火を纏い、カオルの場合は雷を帯びて。
近づく事も出来ないこの状況で、ヴァルカンは衝撃波ごと切り裂く手段を選んだ。
やがて、全身から剣気を立ち上らせると、愛刀へと注ぎ込む。
(いくぞ!!)
衝撃波に耐え、一歩前へと歩み出るヴァルカン。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
雄叫びを上げ魔力を開放しながら地面を駆け出す。
全身を震わせ、身体を、耳をジャバウォックの衝撃波が襲う中、ヴァルカンは刀を抜き放った。
叫び続ける口元目掛け、左薙ぎに引かれる紅蓮の業火。
衝撃波を切り裂き、嘴へと肉薄すると、金属音が打ち鳴らされる。
「ガキンッ!!」
その時嫌な音が聞こえた。
いや、音を感じたと言うべきか。
ヴァルカンの放った一撃は、ジャバウォックの嘴を切り落とし、その咆哮を止めた。
消える業火。
露にされる白銀の刀身。
美しいはずのその刃が、「ビキリ」と割れていた。
(なん...だと!?)
ヴァルカンは驚愕とした。
白銀と鉄・鋼などを合わせて作られた『イグニス』は、カムーン国女王エリーシャ.ア.カムーンより、剣聖となった折に下賜された物だ。
それ以来、ずっと共に戦場を駆け抜け、何度も命を救われる事もあった。
そもそも、魔法霊銀である白銀は、不壊とも思える強度を有している。
高度な技術を持ったドワーフや、精霊の力を借りる事が出来るエルフなどでなければ、鍛える事すら出来ない物なのだ。
カオルは例外だが....
白銀が壊れるという事は、ジャバウォックの嘴はそれと同等の硬度を有していたのだろうか。
それとも、積み重なれていた劣化とも言うべき磨耗が、ついにその刃を砕いたのだろうか。
(くそっ!!)
のた打ち回るジャバウォックを警戒しながら、ヴァルカンは胸元から黒短刀を引き抜いた。
裂けた愛剣と黒短刀を構え、ジッとジャバウォックと対峙する。
「エリーちゃん!!!」
呆然とするエリーの元へ辿り着いたカルアとディアーヌ。
カルアは慌てて両手を掲げた。
傷付いた両耳と、打ち付けられた身体を回復魔法で癒すのだ。
「エリーちゃん!大丈夫よ!!すぐに治してあげるから!!」
茫然自失状態のエリー。
瞳孔は開き、口からは涎が垂れている。
今尚耳から流れ出ている血が、鼓膜だけではなく、耳自体にも傷を負わせていることがよくわかる。
音に敏感な猫耳族の少女は、耳を塞がれ、完全に戦意を喪失していた。
カルアがエリーの治療を開始した頃、動き出したジャバウォックとヴァルカンは、再び戦闘を繰り広げていた。
裂けた刀身を気遣い、本来の力を出せないヴァルカン。
エルミアの放つ風の矢に助けられながら、両手に握った銀と黒の短刀を持って、迫り来る蹄の応酬をいなし続けていた。
そこへ....
「新手です!!!」
ルチアが叫んだ。
大広間へと続く回廊から、城内を警備していたオーク達が、その身を震わせ走って来ていた。
「ルーチェ!いくぞ!!!」
「はい!!」
カルアとディアーヌの護衛をしていた蒼犬の2人。
治療を続けるカルアの下へ、オークの集団を近づかせまいと回廊へ躍り出た。
(みんな...がんばって....)
カルアは回復魔法を使いながら、天に祈った。
分散される戦力。
決定打に欠ける状況。
戦闘が長引けば、間違い無くこちらが不利となる。
空高く浮かぶ吸血鬼が、口端に笑みを浮かべながら見下ろす中、誰もが歯噛みし、悲痛な面持ちで戦っていた。
「ドゴーーーーーーーン!!!」
それは突然訪れた。
盛大な音を響かせ、回廊から大広間へと詰め掛けるオークの集団が、『見えない拳』によって、一斉に吹き飛ばされたのだ。
壁や天井へと打ちつけ合うオーク達。
命を落とす者が多く居る中、二撃目は放たれた。
1人の老人の手によって。
「フンッ!!」
正眼の構えから拳を前へと突き出す老人。
拳は空気の断層を押し上げ、見えない拳となってオークを叩いた。
「グォオオオオオオオオ!!!」
響き渡る断末魔。
オークの集団は、いとも容易く老人の手によって一掃された。
老人、シブリアン・ル・ロワルドによって。
「フォッフォッフォ。カオルちゃん。道が開けたぞ?」
飄々と話すシブリアンに、カオルは苦笑いを浮かべた。
(おじぃちゃん....強すぎ)
砲弾の一撃とも髣髴させるシブリアンの攻撃に、カオルはかなり引いていた。
「「か、カオル様!?」」
オークの集団と戦闘を繰り広げていたルチアとルーチェ。
カオルの姿を見付けるや否や、ものすごい速度で駆け寄って来た。
全身に汗を掻き、息も絶え絶えな2人。
カオルは笑顔を作り、2人を迎えた。
「ルチア!ルーチェ!!ただいま」
微笑み。
カオルの微笑みは、見る者全てが恋に落ちる。
同性だろうと関係なく。
(可愛いです。カオル様....)
(俺....同性とかどうでもいいかも.....)
ほんのりと頬を赤く染める2人。
カオルはそんな2人の頬に手を当てると、問い掛けた。
「師匠やみんなはどこ?無事なの?」
家族の心配をするカオル。
2人は慌てて離れると、大広間の入り口を指差した。
「未だ戦闘中です!!」
カオルは目を見開いた。
なけなしの体力で、ヨロヨロと扉へ向かうと、そこで見てしまった。
巨大な魔獣と対峙するヴァルカンの姿を。
魔弓を何度も放ち続け、擦り切れて両手を真っ赤に染めるエルミアの姿を。
懸命に回復魔法を使い、治療し続けるカルアの姿を。
瞳孔が開き、戦意を喪失して呆然とする、血塗れのエリーの姿を。
「なに....これ......」
カオルは震えた。
必死に戦う家族の姿に、カオルの心は悲鳴を上げる。
「ルーチェ。応援に行くぞ」
「はい。兄様」
オークの集団と戦闘を繰り広げていたルチアとルーチェ。
呼吸が荒いところから疲労の色が見える。
「.........ふざけるな」
カオルは呟いた。
小さな声で、身体を震わせながら。
そして、カオルの身体を風が包む。
「......ふざけるな」
カオルは力強く拳を握り締める。
立つのがやっとの身体。
そんな身体に、家族を傷付けられ、どす黒い怒りが渦を巻く。
次第に、風は雷を呼び「バリバリ」と音を鳴らせる。
カオルの目は吊り上がり、見た事が無い程の怒りを見せていた。
「お前が.....お前が........やったのか!!!!」
それは徐々に強さを増し、叫びとなって大広間中へと木霊した。
次の瞬間。
カオルは消えていた。
一筋の金色の残光を残して。
「ギャォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
突然喚く、ジャバウォック。
ヴァルカンと対峙し、鉤爪を振り上げたところだった。
だが、その巨躯は動きを止める。
なぜなら、胴体に風穴が開けられていたのだから。
そして、その風穴の向こう側には、光り輝くカオルの姿があった。
その場に居た誰もが、その光景に驚いた。
ジャバウォックと対峙していたヴァルカン。
あまりの出来事に、呆然と立ち尽くしてしまった。
(かお...る?)
長い黒髪をなびかせ、冷たい視線でジャバウォックを見据えるカオル。
その顔は、ヴァルカンの知る者ではなかった。
盛大に血を撒き散らして崩れるジャバウォック。
カオルは頭上を見上げた。
「うふふふふふふ......」
そこには薄ら笑う吸血鬼の姿が。
楽しそうに、おもちゃを見付けた子供の様な顔をして見下ろしていた。
そこへ、雷線が棚引く。
突如として身体を貫かれた吸血鬼は、霧となって姿を消した。
「いいわぁ....あなた。私はアスワン。名前を教えてくれるかしら?雷のお嬢ちゃん?」
消えたはずの吸血鬼が、姿も見せずに問い掛けた。
滞空し、雷を纏ったカオルに向けて。
「.....カオル。お前は絶対に許さない」
カオルから発せられた声は、とても低い声だった。
目は吊り上がり、口端から「ガリガリ」と歯軋りが聞こえる。
「そう....カオル....ね。うふふ.....いいわぁ.....とても良い。今日は幕を引いてあげる。また会いましょう?カオル.....」
吸血鬼はそう言い残し、大広間から気配を無くした。
訪れる無音。
誰もが静まり返る中、カオルは地上へと下り、ヴァルカン達家族を一巡見回す。
驚いて目を見開く者達の中、エリーが溜息を漏らした。
カオルは微笑みコクンと頷くと、帯電・帯風を解いて、その場へ崩れるように倒れた。
「カオル!?」
ヴァルカンは、慌ててカオルに駆け寄り、小さなその身体を抱き起こす。
カオルは小さく息をしていた。
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