第百三十一話 魔獣は食べて良し
『アルバシュタイン公国』を西へと向かうカオル一行。
日も落ちてきたこともあり、森の開けた場所で夕食を食べていた。
「この肉はうまいな!!」
ムシャムシャとがっつくヴァルカン。
テーブルの下では両足がバタバタと暴れていた。
「師匠。お行儀が悪いですよ?」
カオルはそう言いながらも、可愛い姿のヴァルカンに笑みを零す。
テーブルの上には、カオルやカルア。
メイドのフランチェスカとアイナが作った料理の品々が、所狭しと並べられている。
その中でも、特に、量.質共に、ずば抜けた1品が家族だけではなく、ルチア.ルーチェ.ディアーヌの3人にも好評だった。
それは、『あるお肉』の塩釜焼き。
油分が多かったお肉だったため、カオルはひと手間加えて脂を落とした。
その結果、ギュッと引き締まったお肉は、歯ごたえ旨味共に申し分なく美味しい料理へと昇華したのだ。
「それにしてもカオル。この肉は何のお肉なんだ?」
次々に肉料理へと伸びる手。
普段、上品に食べるカルアやエルミアでさえ、遠慮を忘れてパクついていた。
カオルはニコっと笑うと「魔獣のお肉ですよ♪」とだけ言った。
魔獣。
オオカミや熊など、獣と呼ばれる者が魔素を吸い込み、変化した姿だ。
冒険者ギルドでは魔物.魔獣の買取をしている。
魔獣の肉は元々獣のため、主に食用にする。
魔物の肉は食用ではなく、家畜のエサや田畑の肥料、脂肪から石鹸を作り出したり、直接口にする事は無い。
カオルが言った、「魔獣のお肉」というのは、この世界では一般的に食用肉を指す。
ヴァルカン達も、それを聞いて特に気にした様子はなかったのだが....
「そうか。魔獣か。で、何の魔獣だ?」
モグモグと食べながら話すヴァルカン。
「お行儀悪いですよ」と、再度カオルが注意しつつも(可愛いなぁ)と思う辺り、師弟仲は良好だ。
「えっと、黒い毛皮のコートを贈りましたよね?アレですよ♪」
微笑むカオル。
カルア達は首を傾げながらコートを見やりつつ、食事を再開した。
ヴァルカンを除いて.....
「ぶっ!?ごほっ!!ごほっ!!!」
咽るヴァルカンの背をカオルが擦り、飲みかけの紅茶を差し出した。
ヴァルカンはそれを飲みつつ息を整えると、驚愕の表情を浮かべる。
「か、カオル!?これは、あのダンジョンで倒した魔獣の物か!?」
「はい。そうですよ?美味しいでしょ?」
意にも返さないカオル。
カオルが料理したお肉は、魔獣『オルトロス』の物。
伝説級。
それも、『魔界』という異世界の存在である魔獣の肉に、ヴァルカンは大変慌てた。
「カオル...いくらなんでもこれは...」
「師匠。『美味しい』でしょう?それ以外に何か必要ですか?」
悪戯っぽく笑みを浮かべるカオルに、ヴァルカンは言葉も出なかった。
美味しそうに肉を頬張るカルア達。
こっそりカオルとヴァルカンがカップを介して間接キスをしていたことなど、誰も気が付かなかった。
「師匠。食事を続けませんか?無くなってしまいますよ?」
ドSカオル。
そろそろ医者に診せるべきだと思う。
やがて、ヴァルカンはお肉を口にした。
(まぁ....確かに美味いしな.....)
食欲の前に、人はこれほど愚かになる。
いや、カオルの料理が美味しすぎるのが問題か...
夕食後。
紅茶を淹れつつカオルはアイテム箱から1つの果物を取り出した。
オレンジ。
カオル達がアベール古戦場へと赴く際に、アイナが手渡した物。
カオルは、ダマスカスの包丁を取り出すと、器用にその場で皮を剥き始めた。
クルクルと回るオレンジ。
房までキレイに取り除くと、少量の皮と一緒に細かく刻んで紅茶の中へ入れた。
「どうぞ、オレンジティーです」
1人1人の前に丁寧に差し出されるカップとソーサー。
一口啜ると、紅茶の渋みと柑橘系の酸っぱさが相まって、口内で相乗効果をもたらす。
ほのかに甘く、さっぱりとした喉越しに、誰もが疲れを癒された。
「カオルちゃんは、食べ物に関して何でも知っているのね♪」
満足気な顔のカルア。
オレンジティーがかなりお気に召したようだ。
「うん。いっぱい勉強したから。それに...美味しいって言って貰えると、とっても嬉しいんだ」
照れてしまったのか。
カオルは俯き加減でそう言うと、両手を合わせてモジモジとした。
(カオルきゅん....可愛すぎる....)
(カオル様....舐めたい....)
(兄様。私、今夜勝負に出ようと思います)
(まてまてルーチェ!!それはダメだ!!ダメだぞ!?)
(も、もう...カオルったら!!ま、まぁ...カオルは私の物だものね!!可愛いのは当然よ!!)
(カオル...やっぱり可愛い)
既にカオルの手に落ちた6人に、恥ずかしがるカオルの姿はさぞ美味しそうに見えただろう。
そんな中、カルアは妖しく口元を緩めた。
(うふふ....可愛いカオルちゃん。今夜は私が添い寝する番ですもの。い~~~っぱい頬ずりしちゃうんだからね♪)
香月カオル。
今夜は長い夜になりそうだ。
早朝。
本当に早朝。
朝日も昇らぬうちから、カオルは修練を行っていた。
幾重にも鳴る風斬り音の中、カオルは必死に刀を振るう。
刀身すらも見せぬ程の剣速に、あたかも連撃でも放っているかの様なその姿。
カオルはヴァルカンと出会ってから、何度も、何度も修練を続けてきた。
それは『香月』の血ゆえなのだろうか。
模倣する能力を有する『香月本家』。
父がそうであったように、嫡子であるカオルもまた、その力を持っている。
そしてカオルは、人生で初めて模倣する事が出来なかった事がある。
それは、師であるヴァルカンの刀術。
技自体は問題ないのだが、何故かヴァルカンはカオルよりも強い。
体重の違いゆえの攻撃の重さ。
体格。
手足の長さゆえの攻撃範囲。
だが、それだけではない『何かが』ヴァルカンにはある。
以前、カオルはそれをヴァルカンに聞いた事があるが、ヴァルカン自体も、何を指しているのかわからなかった。
(師匠は強い。ボクと違う『何か』を持っているからだ....)
懸命に刀を振るうカオル。
ヴァルカンの秘密を。
カオルに足りない『何か』を見付けたくて、必死に刀を振るった。
そんなカオルの姿を、ヴァルカンは遠目に見ていた。
朱色の鞘を走り、抜き放たれる白刃の刃。
次の瞬間には鞘へと戻る正確無比な太刀筋。
そして、それを幾重にも繰り返す持続力。
まだ、刀を手にして一月ほどの少年は、既に師を越える剣速を見せていた。
この世界へ来て、ヴァルカンが教え続けた約2年という歳月が、着実にカオルを強くしている。
片手剣。
曲剣。
短剣。
それらの武器が、カオルの力となっていた。
ヴァルカンは満足そうに頷くと決心する。
(カオルは強くなったな。しばらく....手合わせはしないぞ)
誇らしげにカオルを見詰めるヴァルカン。
完全に逃げ腰になっていた。
師匠ならば助言のひとつもしてほしいところだ。
やがて、カオルは刀を鞘へと仕舞うと、意識を集中する。
(心を無に....落ち着けて.....)
何度も深呼吸を繰り返し、徐々に腰を落としていく。
左手を鞘へ、右手を柄へ押し当てると、気を練り始める。
音も無く、カオルは剣気を静かに込める。
空間がビリビリと震え始め、木々がざわめき悲鳴をあげる。
そして、そこへ魔力を掛け合わせると、虚空に向けて抜き放った。
「ハァッ!!!!」
雷撃。
カオルが抜き放った刀身が、インパクトの瞬間に雷を宿して虚空を切り裂く。
強烈な轟音を撒き散らし、金色の刃は振られた。
抜刀術『抜打先之先』
ヴァルカンが師から教わり、それを見よう見真似で風竜がカオルの身体で盗んだ技。
風竜の手紙に新魔法と一緒に記載されていた。
来る決戦に向けて、カオルはこの時初めてこの技を使ったのだ。
剣圧は風を生み、カオルを中心とした円範囲の落葉が舞い上がる。
訪れる静寂。
刀身から雷が消えると、カオルは息を吐きながらゆっくりとした動作で鞘へと戻す。
「ふぅ....こんな感じ...かな?」
自分の手を見ながらそんな感想を口にする。
その姿を隠れ見ていたヴァルカンは、目を見開いて驚いた。
(か、カオルが抜打先之先を.....しかも「こんな感じ」って....それを覚えるのに、私がどれだけ苦労したと思っているんだ....)
ガクっとうな垂れるヴァルカン。
手合わせをする日が、ぐっと遠のいたのは言うまでも無い。
カオルが天蓋へと戻ると、あまりの轟音に驚き、起きてしまった家族達に取り囲まれる。
「ちょっとカオル!あんた何してきたのよ!!」
エリーに怒られてシュンと身を縮めたカオル。
「ごめんなさい」と謝罪するも、安眠を妨害されたエリーは怒り続けた。
「エリーちゃん。そんなに怒らないでいいでしょ?ね?エルミア♪」
「はい。カオル様のすることですから、問題ありません」
イエスマンのエルミア。
カルアのようにカオルには甘い。
「えっと...お詫びに、美味しいお菓子をご馳走するから...ね?」
ルチアとルーチェ.ディアーヌも何か言いたそうな目をしていたので、カオルはなんとか宥めようと努めた。
予定では今日。
エルヴィント軍がアルバシュタイン城へと到着するであろう日。
そんな大事な日なのに、いつもと変わらず和気藹々とするカオル達は、やはり大物揃いなのだろう。
何故か遅れてやってきたヴァルカンを、カルア達は不審な瞳で見詰めていた。
ご意見・ご感想をいただけると嬉しいです。




