第百二十九話 心の支え
『コルドナ』
アルバシュタイン公国とババル共和国の境目に存在する都市だ。
吸血鬼により支配されたアルバシュタイン公国は、まず始めに都市コルドナへと牙を剥いた。
およそ5万人が暮らしていたコルドナだが、魔物達による急襲で、人口の五分の一である1万人が非業の死を遂げた。
そして今。
都市コルドナを奪還するために、ババル軍が大軍を差し向けた。
総大将は人間族の将軍代行ユーグ。
アベール古戦場にて、将軍ジョセフが醜態を晒したことにより更迭され、副官であった彼が将軍代行となった。
元首デュドネ.シ.フェルの期待を一身に受けたユーグは、必ずコルドナを奪還しなければならない。
そんな彼の前に、先だって偵察に出ていた部隊から凶報が齎される。
「なんだと!?コルドナに魔物がいないだと...そんなばかな!!」
驚愕とするユーグ。
部下から手渡された羊皮紙を握り締めると、本隊をコルドナへと差し向けた。
「急ぎコルドナへ向かえ!!なんとしてでも魔物の痕跡を見つけ出すのだ!!」
慌しく本隊が動き始める中、ユーグは静かに黙想した。
(まさか...都市を放棄して、エルヴィント軍の下へ向かったというのか?)
ユーグの予感。
それはこの後、現実のものとなる。
『アルバシュタイン公国』女王ディアーヌ.ド.ファムが加入したカオル達一行。
古城を後にし、一路西方にあるアルバシュタイン城へと向かって進んでいた。
切れ間の見えぬ木々の中。
襲い掛かる魔物.魔獣の群れを、ヴァルカンを先頭に倒し続ける。
「ウォォォォォォ!!!」
ヴァルカンが愛刀を鞘から走らせると、ものすごい速さで抜き放つ。
切り結ばれたトロールは、切られた事にも気付かないまま、その場に崩れ落ちた。
そこへ、エリーが持つ黒大剣の唸り声が、存在を誇示する。
「ズドン!」と、まるで砲弾でも打ち込まれたかの様な音がすると、オーク数体が押し潰れて地面を抉り、土煙が舞い上がる。
視界不良。
エリーが煙に包まれる中、嗅覚のすぐれたオオカミが、その首目掛けて襲い掛かる。
だがそこへ、エルミアが放った魔弓の矢が、狙い澄ましたかのようにオオカミの額を貫いた。
連携。
家族の中で唯一の後衛であるエルミアは、瞬時に家族の誰とでも合わせる事ができた。
土煙が晴れ、エリーが嬉しげに微笑み、エルミアも満足そうに頷く。
カオルを囲んだ家族の絆は、こうしてたまに顔を見せる。
「ボクも戦いたいなぁ...」
前線から離れ、カルアの護衛をしていたカオル。
ボソッと愚痴を漏らした。
「あらあら♪いつの間にカオルちゃんは戦闘狂になったのかしら?おねぇちゃん知らなかった♪」
不貞腐れるカオルに、カルアは楽しそうに告げた。
だが...
(カルア...怒ってる....)
カオルは正しかった。
聖騎士教会の治癒術師としてのカルアは、相手がたとえ魔物でも、傷つける事は出来ない。
それゆえに、何度も繰り広げられてきた戦闘で、歯痒さを感じていた。
手にした長杖を強く握り締めるカルア。
顔では普段と変わらず、にこやかな笑顔を見せて入るが、内心、良心の呵責に耐えられないのだろう。
白色へと変色を遂げるカルアの手を、カオルはそっと触れた。
「カルア。カルアが居るから、みんな心置きなく戦えるんだよ?だから、そんなに思い詰めないで。ボクも治癒術師だけど、剣聖ヴァルカンの弟子なんだ。だから剣を握ってる。カルアのその手には、違うものが握られているんじゃないの?」
問い掛けるカオル。
カルアはその温かみを感じながら、そっと目を閉じた。
(私が手にしているもの....治癒術師の私は、戦えない。それはカオルちゃんも一緒。だけど、カオルちゃんにはヴァルカンの弟子という気持ちがある。私には...何があるの?)
思考を巡らすカルア。
やがて、ひとつの答えに辿り着く。
(私は宣教師。聖騎士教会の宣教師。なら....私の手には.....想いがある)
ゆっくりと目を開くと、カオルは微笑んだ。
「ありがとう、カオルちゃん。私には、祈りがあるわ」
辿りついた結論に、カオルは頷く。
カルアも笑みを零し、祈った。
「みんなの分も、おねぇちゃんは祈ります。安寧を、人々の無事をそして...カオルちゃんの事をい~っぱい祈っちゃうね♪」
元気を取り戻したカルアは、カオルに抱き付いた。
豊満な双丘に挟まれるカオル。
息も出来ない真っ暗闇の中、懸命に助けを求めた。
「...ぶはっ!!た、助けてディアーヌ!!」
普段であれば、カルアの傍には弓術師のエルミアが居る。
だが、今は蒼犬の2人と連れ立って、前衛付近の木の上に陣取っているのだ。
その結果、『とある事情で戦力外通告』を受けたディアーヌが、カルアと共に最後衛に着かされた。
とある事情とは....
遡ること数時間前。
カオルと共に古城から出てきたディアーヌは、得意の水魔法を披露する事となった。
ヴァルカンにしてみれば、どれだけの力を持っているか確かめたかったのだ。
そこで、ディアーヌが放った全力の魔法は....
お世辞にも「すごい」とは言えないものだった。
的と称して立てた木の棒に、ディアーヌは4つの『水の矢』を放った。
しかも、『長文呪文』で。
魔法を唱える場合、自身の魔力とマナへの回路を繋ぐために、呪文を要する。
熟練の魔術師。
又は、簡単な魔法の場合、これを必要としない。
剣騎グローリエルのような魔術師よりも、魔法で劣る、魔法剣士のヴァルカンが放つ『ファイアーボール』や『飛翔術』も、これを必要としないほどの練度を持っている。
魔法が得意なカオルならば、もっと多くの魔法を『無詠唱』で扱える。
しかし、ディアーヌが放った『水の矢』は、簡単なはずなのに長文呪文を必要としていた。
それはいわゆる、未熟だという証拠。
戦力として数えるには、あまりにも軽率だろう。
そんな出来事があったため、ディアーヌは戦力から外された。
「ディアーヌ...たすけ....」
もがくカオルに気付かないディアーヌ。
開けられた瞳は、今尚戦うヴァルカン達を見据えていた。
(私も...力が欲しい....)
自らの意思で、カオル達に「連れて行って欲しい」と願ったディアーヌ。
自身の未熟さが、もどかしいのだろうか。
そして隣で生死の境を行ったり来たり。
カオルの命の灯火は、家族最強の大きさを誇るカルアの胸の中で、今まさに消えようとしていた。
「かおるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!大丈夫かーー!!」
風を纏ったヴァルカン。
カオルが嬉し恥ずかし死にそうな事に気付き、最高速で助けに来た。
チュポンと音をさせて、カルアの胸から助け出されると、カオルの顔は青ざめていた。
「可愛そうなカオルきゅん....今すぐ人工呼吸を.....」
ヴァルカンはそう言うと、口を窄めてカオルに近づく。
だが、そうは中々都合良くいくわけがない。
カオルの温もりが消えた事に気付いたカルアが、豪鬼となって立ちはだかる。
「ヴァルカン!!カオルちゃんは、治癒術師のおねぇちゃんが介抱します!!下がって下さい!!」
「なんだと!?元はと言えば、おまえがカオルに胸を押し付けたのが悪いのではないか!!」
言い争う2人。
こっそりと、エリーとエルミアがカオルを助け出したのは、言うまでもなく。
「ありがとう。エリー、エルミア。死ぬかと思ったよ」
荒い息をするカオル。
助けてくれた2人にお礼を言うと、2人は顔を赤らめた。
「ふ、ふん!カオルが死んだら、私はその...さ、寂しいし....」
「カオル様。お礼はここにサインをいただくだけでいいです」
ツンデレエリーさんと、なにやら羊皮紙をごそごそ取り出すエルミア。
そこにはしっかり『結婚受諾書』と書かれていた。
(エルミア...さすがにそれはちょっと....)
おそらく、(策士アーシェラが一枚噛んでるな)と思いつつ、カオルは苦笑いを浮かべた。
殲滅された魔物達を仕舞おうと、カオルが立ち上がる。
いざ歩き出すと、ディアーヌは必死な形相でカオルの行く手を遮った。
「カオル。私に魔法を教えて」
それは渇望するほどの願いだったのだろう。
だが、カオルは断った。
「今は教えられないよ。戦った事のない、魔法も習熟していないディアーヌが今前へ出たら、足手まといにしかならない」
『家族』を何よりも大切にするカオル。
ディアーヌと家族を天秤に掛けて、そう言ったのだろうか?
「それなら、剣を貸して」
引き下がらないディアーヌ。
カオルは首を横に振り続けた。
「剣を持ってどうするの?それを持ったら、ディアーヌは絶対戦いに行くよね?さっきも言ったけど、ボクはディアーヌを死なせたくない。もちろん家族もルチアもルーチェも。だから渡さない」
「それでも...私は.....」
子供。
我侭を言って、駄々を捏ねる子供だ。
カオルはそっと近づくと、優しく抱き締めた。
「ディアーヌ。今、君がするのは耐える事。そして、見届ける事。その後、君が何を選ぶのかはわからないけど....もし、この国のために何かをするのなら、ボクも力を貸すよ?だから、今は我慢して」
子供をあやす様にそう告げると、背伸びをして頭を撫でた。
何度も、何度も往復するカオルの小さな手。
ヴァルカンが頷くのを見ると、カオルは笑った。
「...ごめん...なさい」
大粒の涙が、ディアーヌの頬を伝った。
ディアーヌは、心の支えを得た。
幼い、若干12歳の小さな子供の支えを。
ご意見・ご感想をいただけると嬉しいです。




