第百十七話 吸血鬼の従者
「おかしくないですか?」
アルバシュタインからやってくる敵を迎撃するために敷かれた陣の中、カオルは不満を漏らした。
「カオル、前にも言ったが、これも経験だ。文句は許さん」
ヴァルカンの注意に、カオルは頬を膨らませて不満を表現する。
カオル達が居るのは、エルヴィント軍.ババル軍の丁度中間。
戦闘が激化するであろう、一番の危険地帯だ。
(遠征軍の時もそうだったけど、絶対この布陣はおかしいって...)
前科があるだけに、カオルがヴァルカンに向ける目は非常に冷たい。
「か、カオル?そんなに怒らなくてもいいんじゃないか...?」
オドオドするヴァルカン。
カオルはソッポを向いて、相手にしなかった。
「ねぇカオル....許してあげたら?」
傍に居たエリーが窘めるようにそう告げるが、カオルの怒りは収まらない。
(だめだよ...だって、ボクはともかく、エリーまでこんな危ないところに巻き込んで、万が一怪我でもしたらどうするの?もしそうなったら、師匠を許す事なんて出来ないよ....)
悲しげな瞳でエリーを見詰めると、何も言えなくなってしまった。
そこへ....
「黒巫女様!!貴女のために勝利を!!!!」
右翼を担当するエルヴィント帝国軍の陣営から、剣を掲げた近衛騎士団長のレオンハルトが、声を張り上げて叫んだ。
(なっ!?)
それを聞いて慌てるカオルに、左翼を担当するババル共和国軍の将軍代理となったユーグが叫ぶ。
「黒巫女様!!貴女の行いに瞻仰と感謝を!!そして、我ら一同、貴女へ勝利を捧げます!!!!」
呼応するかのようなその言葉に、エルヴィント.ババルの両陣営は雄叫びを上げる。
「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」
地響きかと思われる程の声の嵐に、小さなカオルは身体を振るわせた。
(は、恥ずかしいよぉ...)
俯いてモジモジするカオルの仕草に、ヴァルカンとエリーの興奮も高まる。
(か、カオルきゅん....今夜は寝かさないぞ...ジュルリ)
(も...もう!カオルったら....)
すぐ近くで、獲物を見付けたライオンのような目が光っている事など、カオルは気付かなかった。
「あらあら、すごい歓声ね~」
エルヴィント軍、後方に設置された治療所に、カルアとエルミアは居た。
治癒術師として従軍するカルアに、前線での居場所はなかった。
それに伴い護衛という名目で、エルフの王女エルミアも前線から外されたのだ。
「おそらく、レオンハルトでしょう。『貴女のために勝利を』という声が聞こえました」
無表情で語るエルミアに、カルアも頷く。
「そうね~。カオルちゃんは人気物だものね♪」
嬉しそうなカルアの姿に、エルミアは同意しながらも、内心嫉妬していた。
(カオル様の身体......男になんて指一本触れさせません!!)
無表情のエルミアからは、確かな殺気が放たれていた。
(カオルちゃん、エリーちゃんをお願いね....)
隣で殺気を放つエルミアのことよりも、義妹であるエリーの心配をしているカルアであった。
北国アルバシュタインより、3人の騎士が早馬に乗って駆けて来る。
「伝令!!伝令!!!夥しい数の魔物が、まもなくやって来ます!!!」
騎士の一人がそう叫び、両陣営に緊張が走る。
(いよいよ...だな)
ヴァルカンは愛刀『イグニス』の鞘を握り締めると、アルバシュタインの方角を見詰める。
地響きと共に、砂煙が舞い上がり、迫り来る魔物の数を予測する事も出来ない。
「師匠...」
心細そうに見上げるカオルに、ヴァルカンはそっと頭を撫でた。
「カオル。大丈夫だ。私もエリーも、そして、これだけ沢山の騎士達が居る。カオルはいつも通り、剣を振るえば良い」
安心させるような、諭すようなヴァルカンの言葉に、カオルは静かに目を閉じた。
(大規模な戦闘は2回目だからな...それに、前回は多くの者が命を落とした。エリーも死にかけた。優しいカオルには、耐えられなかったのだろうな)
事実、カオルは心的外傷に近い物を感じていた。
遠征軍では31名もの尊い犠牲が出たのだ。
今回は、その何十倍もの被害が出るであろう事は、安易に想像出来る。
「エリー。カオルを頼むぞ」
傍で見守っていたエリーに、ヴァルカンはカオルを託した。
カオルとエリーの実力差は、誰の目にも明らかだが、12歳という年齢通り、カオルは心身共に未だ成長しきっていない。
数々の戦いを見てきた、エリーにも、その事はわかっていた。
ヴァルカンはエリーに「心の支えになってほしい」と言っているのだ。
「わかったわ」
ヴァルカンの意を汲み取り、エリーは力強く頷いた。
そして、ついに始まる開戦の合図。
大地を揺るがす地響きが、すぐそこまで迫っていた。
「弓術隊構え!!!!」
弓術隊を指揮する、貴族の指揮官が叫ぶと、隊員達が矢を番える。
「あたい達も行くよ!!魔術部隊!!!詠唱開始!!!」
剣騎グローリエルが指揮する魔術師達も、それに続けと詠唱を始める。
「カオル!!エリー!!私達も行くぞ!!!」
ヴァルカンが発破を掛けると、カオルは目を見開いた。
(ボク...がんばる....みんなを、家族を守るんだ!!!)
赤い鞘から刀を引き抜くと、大乱刃二重刃紋の『桜花』が煌いた。
「「放てぇええええええ!!!!!」」
弓術隊の指揮官とグローリエルの言葉で、一斉に放たれる矢と赤い炎。
木々の隙間から現れた魔物達に、紅蓮の炎と矢の雨が降り注いだ。
「「「グォオオオオオ!!!」」」
次々と崩れる魔物達に、後続の魔物は雄叫びを上げる。
「「いくぞぉおおおお!!!!」」
レオンハルトとユーグが突撃していき、騎士や冒険者達もそれに続いた。
跳ね響く剣撃による残響音が鳴り響き。
風の悲鳴が風切り音となり、辺り一面に響き渡ると、赤い血飛沫が舞い散る。
「エリー!カオル!いくぞ!!」
ヴァルカンを先頭に、カオルとエリーもそれに続く。
迫り来るオークやオーガの群れに、3人の剣が振り下ろされた。
「ガァアアアアアア!!!」
絶命を告げるオーガの声。
ヴァルカンの剣線が孤を描くと、次々に魔物達は屠られていく。
(やっぱり師匠は強いや)
援護するようにヴァルカンの後に続くカオル。
あきらかに突出する2人に、負けじとエリーも追随する。
(私だって!!!)
取り囲まれない様に、左右から襲い掛かるオーク達へ、エリーの持つ黒大剣が振り下ろされる。
3人の連携の前に、魔物達はなすすべなくその数を減らしていった。
だが、魔物達は恐れない。
たとえ仲間が倒されようと、牙を剥いて襲い掛かる。
「きりが無いな!」
大型のトロールを切り崩した時に、ヴァルカンは呟いた。
「そろそろ、戦線を下げるべき?」
森の中で孤軍奮闘する3人。
カオルは、切り上げた刀でオークを倒すと、返す刀でトロールを袈裟切りに切り伏せた。
「どうしますか師匠?」
迫り来る槍や両手斧を避けながら、カオルは師匠に問い掛けた。
「そうだな...本陣も気になる。徐々に後退するぞ!!」
ヴァルカンの指示に、カオルとエリーは従った。
「カルア様!重傷者です!こちらの治療をお願いします!!」
カルアとエルミアが居る治療所では、次々に運び込まれる負傷者の治療に追われていた。
「わかりました。エルミア。この方に傷薬と包帯をお願い」
命に係わる重傷患者にのみ回復魔法を掛け、軽傷者には傷薬などの治療薬で対応をする。
「はい」
治癒術師のカルアにとってはここが戦場なのだ。
しかし、弓術師のエルミアは、本来前線で戦っているはずである。
だが、エルフの王族という立場が、彼女の行動を制限していた。
(カオル様...)
共に戦えない歯痒さからか、エルミアの表情はどことなく悲痛な面持ちだ。
「すみま...せん」
右目と右脚を負傷した騎士からの、エルミアへの謝罪。
悔しそうな表情に、エルミアの思いが重なる。
「いえ...」
励ましや同情の言葉は、相手の心を痛めつける。
エルミアはそう判断し、それ以上は何も言わなかった。
(戦いたいのに戦えない。彼も、私と同じなんだ....)
エルミアの思いは、この場に居る全ての者と同じなのだろう。
恐怖で悲鳴を上げる者が、誰一人いない事からも、軍の士気の高さが伺える。
「エルミア...」
治療を終えたカルアが、俯いていたエルミアにそっと近づく。
「カルア姉様」
悔しそうなエルミアの姿に、カルアは気が付いた。
「戦いに...行きたいのね?」
全てを悟ったカルアに、驚いてエルミアは顔を上げた。
見詰め合う2人の瞳。
「....」
何も言えないエルミアに、カルアは優しく微笑んで抱き締めた。
「いいのよ...わかるから。でもね?ここも戦場なの。私は、あなたの力が必要よ。だから、家族の私の傍に居て」
諭すような言葉に、エルミアは黙って頷いた。
「ありがとう。祈りましょう?カオルちゃんの無事を...そして、この戦いの行方を....」
(カルア姉様、ずるいです。家族なんて言われたら....従う以外に方法が無いじゃないですか....)
2人は静かに目を瞑ると、カオルの為に祈った。
傍で治療中の騎士が、ポカンと呆れていたのは言うまでも無い。
「どうやら...優勢のようだな」
前線へと戻ってきたヴァルカンとカオルとエリーの3人は、徐々に減りつつある魔物の数に安堵していた。
「そ、そうね...」
肩で息をするエリー。
ヴァルカンとカオルの戦闘に、あきらかに付いていけていない証拠だ。
「エリー...帰ったら師匠と特訓決定だね.....」
可哀想な者でも見るようなカオルの顔に、エリーの顔は青褪めた。
「そうだな。特別メニューを用意しておこう。エリー、楽しみだなぁ...」
意地悪そうに笑うヴァルカンに、エリーの体は固まる。
そこへ...
「ぐわぁああああ!!!」
突然、騎士の叫び声が響き渡った。
「何事だ!?」
ヴァルカンが慌てて見やると、事切れた騎士の姿が目に映る。
傍には全身を鉄の鎧で着飾った、赤い双眸の騎士の姿が。
手にした大剣は赤く染まり、滴り落ちるそれは、たった今切り伏せた騎士の血に間違いなかった。
「吸血鬼の従者か!!」
ヴァルカンは急いで風を纏うと、地面を蹴り上げて敵へ向かう。
エリーが慌てて追走するが、カオルの足取りは重かった。
(魔物に変えられた人間.....ボクは....)
カオルは未だに答えを出せないでいた。
吸血鬼の従者となった元人間を、カオルは殺すことを躊躇っている。
「うぉぉぉぉ!!!」
「ザンッ!」という音と共に、ヴァルカンの放った剣撃が、赤き双眸の魔物を切り崩す。
呆気なく事切れるその姿に、カオルは心を痛めた。
(そんな....同じ人間なのに.....)
地面が赤く染まり、カオルの思いはより一層強くなる。
(ボクには....斬れないよ...)
カオルの優しさは、カオル自身を弱くさせた。
「ガンッ!!」
不意に響いた衝撃音。
カオルの小さな身体は地面に叩き付けられたのだ。
「ぐっ....」
嗚咽を漏らした瞬間に全身に痛みが走り、何が起きたのかを知覚した。
(殴られた...)
痛む身体を必死に起こし衝撃の発生源を見やると、そこには赤い2つの瞳が輝いていた。
『吸血鬼の従者』
カオルが斬れない、魔物へと姿を変えた元人間。
吸血鬼の従者は不敵に笑うと、手にしていた大鎚を天高く振り上げた。
(殺られる!?)
殴られた衝撃で手足が震え、カオルは刀を構えることも出来無い。
振り下ろされる大鎚に、黒き線が割って入った。
「ガーン!!」
響き渡る金属音。
エリーの持つ漆黒の刃が、カオルの危機を救ったのだ。
「何してるのよカオル!!」
吸血鬼の従者と対峙するエリー。
ギリギリと音を立てる金属を、エリーは蹴り上げ、浮いた上体から大剣を振り下ろした。
「ザンッ!」
身体を真っ二つにされて絶命する、吸血鬼の従者。
血飛沫が舞い、エリーとカオルの身体を赤く染めた。
「ハァハァハァ....」
大急ぎで引き返してきたのだろう。
エリーは呼吸荒く息をすると、カオルを見据えた。
「あんた....死ぬ気なの!?戦えないならさっさと下がりなさいよ!!」
エリーの叱責に、カオルは何も言えない。
そこへ「パン!」と乾いた音が響いた。
「えっ?」
驚いたのはエリーの方だった。
音の正体は、カオルの頬を叩いた音。
カオルが頬を押さえて見上げると、ヴァルカンが立っていた。
「カオル。お前は騎士をなんだと思っているんだ!!」
震えるカオルに、ヴァルカンの罵声が浴びせられる。
思考が定まらないカオルに、ヴァルカンは畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
「カオルが対峙したのは騎士だ!たとえその身を魔物に変えようとも、軽々しく戦闘を放棄していい相手じゃない!騎士の矜持と誇りを、なんだと思っているんだ!!!」
魔物との戦闘中だというのに、ヴァルカンの声は『アベール古戦場』中に響き渡った。
騎士達は魔物と対峙しながらも、ヴァルカンの言葉に胸を熱くする。
あまりにも異質な出来事の中、戦場に居る騎士達が声を上げた。
「「「「「ウォオオオオオオオオオオオオ!!!!!」」」」」
それは、騎士であることを誇示するかのように。
自身の存在理由を証明するかのように。
叫びは叫びを呼び、戦い合う全ての者が、声を大きく上げた。
(これが騎士....守る者の為に戦う騎士。信念を...大切な者を守る.....)
カオルは静かに聞き入った。
音楽とはほど遠い、生ける者の魂の叫びに。
(それなら...ボクは全てを守る。たとえその身を魔物に変えられようとも、その魂は、ボクが守る!!!!)
大粒の涙を流し、カオルはヴァルカンを見上げた。
意思の篭ったその瞳に、ヴァルカンはやさしく微笑む。
「師匠...エリー!!ボクも戦う!!」
凛とした、透き通るようなカオルの声に、エリーもまた顔を綻ばせた。
カオルは全身に風を纏うと、空へと舞い上がる。
北方からは、赤い光が列を作り、続々と『アベール古戦場』へ向けて進んでいた。
(いつもありがとう『桜花』。でも、この一撃は特別な一撃なんだ...)
桜花を鞘へ戻すと、魔法を唱える。
「『天羽々斬』」
桜花と入れ替わりにカオルの腰には、白漆石木目太刀拵えの太刀が現れる。
それは、カオルの体には不釣合いな長さの太刀。
『桜花』が、刃渡り2尺3寸(73cm)程度なのに対し、『天羽々斬』は3尺(90cm)近い。
今まで、修練を繰り返して来たカオルだが、未だに自在に扱う事はできなかった。
(今ならきっと...ボクの意思に答えてくれるはず)
柄を握ると、鞘を後ろへ引きながら抜く。
直刃二重刃紋が現れると、カオルの意思に反応してか、その刀身が白く輝いた。
(ボクの...思いを込めて....)
妖しく光る、赤い明滅を、カオルはジッと見据えた。
「はぁああああああああああ!!!!!」
上段に構えた刀に、意思と気を込める。
(届け...ボクの思い!!)
白刃の刃が振り下ろされると、剣先から閃光を放った。
それは産声と呼ぶに相応しい光だった。
神々しい光の線が走ると、森を引き裂き大地が割れ、幾多の赤い光を飲み込んだ。
絶対的強者の力。
小さなカオルが放った、慈悲深い一撃は、見るもの全ての心を射抜いた。
静まり返る戦場。
命のやり取りが、止まっていた。
(ありがとう天羽々斬...ボクは、彼らの死を背負って生きるよ....)
消えて行く赤い明滅に思いを馳せて、カオルは気を失った。
崩れ落ちるカオルの身体を、ヴァルカンは空中で優しく抱き留めた。
「よくやったな...カオル。それでこそ、オトコノコだ」
ヴァルカンが、微笑みながら頭を撫でると、カオルは満足そうな笑顔を見せた。
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