第百九話 2人の兄弟
大陸北部にある『アルバシュタイン公国』から、1頭の馬が駆けていた。
(お願い...急いで.....はやく....はやく知らせなきゃ!!)
その馬に跨るのは、蒼犬のルーチェ。
兄ルチアはババル共和国へ偵察に、そして妹のルーチェはアルバシュタイン公国へ偵察に来ていたのだ。
(あんなの...人間じゃない....)
既に『アベール古戦場』では、エルヴィント帝国の先遣隊であるカオル達が、ババル共和国と戦闘を始めようとしている事など露とも知らず、ルーチェはひたすら馬を走らせていた。
たずなを握る手が、小刻みに震える。
(怖い....怖いよ....兄様)
ルーチェは見てしまった。
アルバシュタイン公国での惨状を....
2つの赤い双眸を光らせ、魔物と共に残虐の限りを尽くす、騎士の姿を。
(お願い...急いで....)
駆ける馬に鞭打ち、ルーチェは恐怖と戦っていた。
そこへ、後方から魔獣ヘルハウンドが追い掛ける。
「グワゥ!!!グワゥ!!!!」
子牛程の大きさに、真っ黒い体毛。
燃える様に赤い瞳を宿した犬の姿。
いつの間にか追い掛けられていた事に、ルーチェは戦慄とした。
(なんで!?なんで!?なんで!?)
偵察中に気付かれた様子など無かったはずだ。
だが、現に今、ルーチェに襲いかかろうと、ヘルハウンドはものすごい速さで追い掛けている。
(兄様....)
今、馬を止めてはいけない。
一刻も早く、アルバシュタイン公国の惨状を、そして、今まさに『アベール古戦場』へ進軍を開始したであろう、あの不気味な騎士と魔物達の事を知らせなければいけない。
(どうしたら...どうしたらいいの....)
ルーチェが葛藤していると、前方から銀の閃光が走りぬける。
「たぁ!!!」
(え!?)
ルーチェが驚き振り向くと、追い掛けて来ていたヘルハウンドの顔面に、1本の短剣が突き刺さっていた。
突然の奇襲により、脳天を貫かれたヘルハウンドは転がりながら崩れ落ちると、それ以上動かない。
(な...なんで!?)
「ルーチェ!!!」
生い茂る樹木の影から、馬を並走させて名前を呼ばれる。
「に....兄様!!!!」
追われるルーチェを救ったのは、最愛の兄であるルチアだった。
「危なかったね!ルーチェ!!無事でよかった!!」
並走させながら馬を走らせると、ルチアはルーチェの背中を優しく叩く。
(兄様....かっこよすぎです)
ルーチェは涙を流しながら喜んだ。
「なんで兄様が?ババル共和国に向かったのではないのですか?」
ルーチェの質問に、ルチアは口端に笑みを零した。
「いや、偵察の報告には、ちゃんと行ったんだけどさ。報告が終わったら、カオル様が「ルーチェの迎えに行って来い」って。なんか...色んな意味ですごい人だったよ」
片手で頬を掻きながら、ルチアはその時の光景を思い出していた。
作戦会議が終わり、ルチアが心配そうにルーチェが居るアルバシュタイン公国の方角を見詰めていると、カオルは告げた。
「気になる人がいるんですね?ここはボク達だけで大丈夫ですから、迎えに行って下さい」
ルチアが驚いて振り返ると、カオルは優しく微笑みかけた。
12歳の子供とは思えない、慈愛の篭った優しい瞳で....
ルチアはクスリと笑みを零し、ルーチェに向き直る。
「だから来たんだ。まぁ、来て正解だったね」
おどけて笑うルチアに、ルーチェは感激の涙を流す。
(カオル様。なんて...なんてお優しい人.....)
自分を心配してくれるルチアに感謝をしつつ、ルチアを助けに向かわせてくれたカオルに、ルーチェは胸を熱くした。
「ルーチェ!今は急ごう!!もう戦闘は始まっている!!」
ルチアにそう促され、ルーチェは想いを頭の片隅に仕舞った。
「はい!!」
馬は駆ける。
2人の兄弟を乗せて。
カオル達が待つ『アベール古戦場』へと。
「カオル。行かせてよかったのかい?貴重な戦力だよ?」
ルチアがルーチェの下へ向かってから、グローリエルはカオルに聞いていた。
カオルはニコッと笑うとグローリエルに告げる。
「うん。とても心配そうに見詰めていたからね。ボクがルチアだったら、迷わず向かうと思うよ」
そう話すカオルに、グローリエルも笑みを零す。
(ま、カオルらしいっちゃらしいね)
グローリエルは、カオルから贈られた黒い毛皮のコートを翻し、カルアとエリーとエルミアの下へ向かった。
「そんじゃまぁ、私達もがんばりますかね」
グローリエルに話し掛けられ、カルア達は頷く。
ババル共和国がある北西から、盛大な砂煙と地響きが『アベール古戦場』へと向かっていた。
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