第百八話 嵐の前に
ここは三国の国境にある『アベール古戦場』
既に太陽は昇り、カオル達は皮のシートを敷いて朝食を食べていた。
「か、カオル?私も紅茶が欲しいんだが...」
ヴァルカンは、空になったカップを、おずおずとカオルに差し出す。
「つーん」
カオルはそんなヴァルカンに見向きもせず、エリーとエルミアの隣で楽しく食事をしていた。
(や、やばい....カオルの機嫌が直らないぞ)
ヴァルカンは焦っていた。
朝、本能の赴くままにカオルにしでかしてしまった痴態により、ここに来るまでの間、一切口を利いて貰えないのだ。
一方、ヴァルカンと共にカオルの肢体を堪能したカルアであったが、義妹であるエリーのお蔭で一足先にカオルに謝罪したことにより、しぶしぶながらカオルは許していた。
(ど、どうする....)
まったく相手にしてくれないことにより、1人疎外感を感じるヴァルカン。
そこへ、トドメとばかりにカオルが黒い毛皮のコートを配り始めた。
「これ、前にボクが倒した魔物から作ったんだけど、気に入ってくれると嬉しい♪」
それは、オルトロスの毛皮で作られた、超高級なコート。
カオルが放った『イカヅチ』でさえ、傷つくことが無かっただけに、高い魔法耐久力をも備える。
1人1人に手渡すと、ヴァルカンの前は素通りした。
(え....くれないのか?)
貰える物とばかり思っていたヴァルカンは、待ち構えていた手を悲しく見詰める。
「グローリエルも、よかったら使ってね♪」
家族ではないグローリエルにさえ、カオルは笑顔で手渡した。
「おー!なんか悪いね!!いやぁ、めちゃめちゃ高そうだねぇ....」
カオルからコートを受け取ると、さっそくとばかりに袖を通す。
裏地はシルクで、皆それぞれ違う色をしていた。
(カオル.....私は......)
1人寂しく涙を流すヴァルカン。
カオルはやれやれと言った様子で、ヴァルカンに近づく。
「師匠。反省してますか?」
不意にカオルに掛けられた優しさに、ヴァルカンは縋りついた。
「カオルゥ...反省してる。だから....冷たくしないでおくれぇ.....」
まるで、捨てられた子犬のようにカオルに縋り付く姿に、カオルはクスリと笑みを零した。
(まったく...可愛いんだから.....)
簡単に許してしまう辺り、カオルの師匠好きにも呆れた物だが...
カオルはヴァルカンを立たせる。
アイテム箱から、特別綺麗に畳まれたコートを取り出した。
「大事に...してくださいね?」
そう言って手渡される毛皮のコート。
ヴァルカンはそれを受け取り、抱き締めるように顔を埋めた。
(カオル...ごめんよ....自重できない時もあると思うけど)
実はまったく反省していないヴァルカン。
そんな様子を、家族達は温かく見守っていた。
そこへ、カオル達に近づいてくる人物が....
北西にあるババル共和国方面から、ものすごい速度で馬を走らせ、アベール古戦場を横断してくる。
蒼犬のルチアだ。
ルチアはカオル達の前までやってくると、馬を降りてその場に跪く。
荒い呼吸を整えることなく、火急の知らせを告げた。
「ババル共和国から軍が近づいてきています!!その数1000!!!」
1000。
対するカオル達はルチアを含めて7人。
アリがゾウに挑む様な物だろう。
だが、ここには剣聖ヴァルカンと剣騎グローリエルが居る。
誉れ高き武士は、一騎当千の働きをすると言う。
それが事実ならば、こちらは2005人。
攻撃三倍の法則には当て嵌まらないが、数の上では倍の数を要していることになる。
(やるしかない...な)
ヴァルカンは拳を握り締め、ルチアの報告を聞いた。
「そうか...わかった」
一方、ルチアの報告に、エリーは顔を青ざめた。
(1000なんて...相手に出来るわけないじゃない)
震えるエリーの手を、カオルが強く握る。
「大丈夫だよ。師匠も、グローリエルも居るし。それに、ボクも一緒なんだから。だから大丈夫♪」
努めて笑顔を見せるカオルに、エリーは言い得も知れぬ感情に襲われた。
(なんで?なんでカオルはこんなに....)
カオルの優しい笑顔に、エリーは涙を流した。
(わかんない...わかんないよ.....)
そこへ、カルアが優しく肩を抱く。
「エリーちゃん。ここに居る誰もが恐怖を感じているわ。でもね、それでも強くあろうとしているの。もしここで喰い止めなかったら、エルヴィント帝国は他国に蹂躙されて、とても....ひどい事になるわ。だからこそ、恐怖に抗っているの」
そっとエリーの涙を拭う。
「エリーちゃんにも強くなって欲しい。カオルちゃんの笑顔は、そういう想いが込められてるのよ?」
エリーがカオルを見詰めると、カオルは優しく微笑んだ。
「エリー。一緒にがんばろうね」
カオルの差し出された手に、エリーは縋り付く。
(カオル...こんなに小さな手をしてたんだね....)
自分より、一回り小さいカオルの手に、エリーは勇気を貰った。
「師匠!作戦があります!」
突然、カオルが告げる。
感傷に浸っていたヴァルカン達は、驚いて目を丸くした。
(な...なんだ急に)
慌てたヴァルカンだが、カオルの真剣な瞳に、我を取り戻す。
「カオル。作戦とはなんだ?」
カオルはエリーの手を強く握ってから離すと、ヴァルカンに向き直る。
「まず、確認させてください。ルチアさん、ババル軍の中に魔術師はいましたか?」
跪いてやり取りを見ていたルチアが、突然声を掛けられて慌てる。
「ま、魔術師ですか!?は、はい。ババル軍に追随するように、小型のゴーレムが何体かおりました。おそらく傍に、土系統の魔術師が居るものと思われます」
畏まって話すルチアの説明を聞くと、カオルは思考を巡らせた。
(ゴーレムかぁ...それなら、操っている魔術師を手早く対処すれば、士気が落ちるよね。そこへ、圧倒的な力の差を見せつければ....)
「よし!」
掛け声と共に手を叩くと、作戦を話した。
「エルミアとカルア、それとエリーは後方にある高台の上に陣を張って欲しい。グローリエルは陣と連携を密に取って、魔術師を集中的に狙うんだ。師匠とボクは前線で、接近してくる敵の相手を。全ての魔術師を撃破したら、ボクに知らせて。そこで終わらせから...」
カオルの作戦は、もはや作戦とは呼べる代物ではなかった。
そして、いち早くエリーが不満を告げる。
「ちょっとカオル!私が高台なんかに上ったら、何にも出来ないじゃないのよ!!」
カオルは、エリーが不満を言うことなんて、百も承知だった。
「エリーがカルア達と一緒なのは、エルミアの目になって欲しいからだよ。高台からだと、戦場はとても遠い。だからこそ、この中で誰よりも視覚に優れているエリーに、弓術師のエルミアの手助けをしてほしいんだ」
カオルの言葉に、エリーはぐうの音も出ない。
(先程勇気を奮い立たせておいて、その仕打ちはひどいんじゃないだろうか)
ヴァルカンはそんなことを思いながら、2人の弟子を見守った。
「...わかったわよ」
渋々エリーが承諾すると、カオルは優しく微笑み掛ける。
「エリー、エルミア。この作戦は2人に懸かってるから....お願いね」
「わかりました、カオル様。私が必ずやり遂げてみせます」
エルミアはそう言うと、カオルに近づき、その場に跪いて手の甲に口付ける。
まるで、勇者が助け出した姫君にするように....
粛々と行われる光景に、その場に居た誰もが見惚れる。
もうこのまま、結末を迎えてもいいのかものしれない。
だが!!
忘れてはいけない。
『残念美人』は、そんな光景を目の当たりにしても、めげたりなんかはしないのだ!!
「カオルは私のものだぁああああああああああああ!!!!!!」
ヴァルカンは、カオルとエルミアの間に割って入ると、大声で叫んだ。
「えるみあぁああああ!!!朝から、妙に神妙な顔をしていると思っていたら、これを狙っていたんだなぁああああああ!!!!!」
ドカーンと音がするかのような勢いで捲くし立てる。
エルミアは「チッ!」と小さく舌打ちをした。
「あ...ははは....」
カオルは空笑いを浮かべて、その様子に呆れていた。
(まだ説明の途中だったんだけどな....)
緊張感があるんだか無いんだか....
いつもの様子で、この後戦闘を始める事になる。
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