第百六話 決断
蒼犬のルチアとルーチェは、剣騎グローリエルに付き添われてエルヴィント帝国皇帝、アーシェラの私室へと赴いていた。
「無事でなによりじゃ。グローリエルよ、大儀であった」
アーシェラにそう褒められ、いつもは悪態の多いグローリエルであったがこの時ばかりは剣騎らしく振舞っていた。
「はっ!光栄です!!」
アーシェラはその返答を聞いて頷くと、さっそくルチアに説明を求める。
「して、アルバシュタイン公国とババル共和国の様子はどうじゃった?」
跪いて話を聞いていたルチアが、報告を始める。
「はっ!両国は既に、戦争の準備を始めておりました。戦争が開始されるのは間違いないかと。中でも、アルバシュタイン公国は既に出兵したという噂があります」
ルチアの報告に、アーシェラが顔を曇らせる。
(これは...我が国にも、飛び火する可能性がありますね....)
「わかった。2人を追走していたのは、アルバシュタイン公国で間違いないのじゃな?」
「はい!」
アーシェラが黙るとグローリエルが提案してくる。
「陛下。先行して、国境沿いに剣騎3名を派遣してはいかがですか?」
(グローリエルの提案はもっともな意見じゃが....セストとレイチェルの2人はグローリエルと違い、剣騎に任命したばかりの新米じゃ。先の任務も期間超過しておったしの)
「う~ん」と唸るアーシェラに、ルーチェがボソリと呟く。
「同盟国のカムーンから剣聖様がいらっしゃっております。お力添えをお願いしてみては?」
「それだ!ヴァルカンの実力は、あたいが保障します!!」
1も2もなく、その提案にグローリエルが飛び付いた。
アーシェラはやれやれといった様子で、話し始める。
「ヴァルカンの実力は、グローリエルが保障するまでもなかろう。それに....うむ。男爵であるカオルの力も借りようかの」
ニヤっと笑うアーシェラに、その場にいた3人は顔を綻ばせた。
国家の危機だというのに、緊張感の無い4人である。
「では、さっそくカオルに助力を頼みに行ってきま...」
グローリエルがそこまで言うと、ものすごい勢いで扉を開いて皇女フロリアが入ってきた。
「そのお役目!私にさせてください!」
普段穏やかなフロリアからは想像出来ない様な物言いに、母親であるアーシェラは驚く。
(リア....どうしたというの?)
驚いているアーシェラに、フロリアは告げる。
「私は...カオル様が心配なんです!お優しいカオル様のことです。きっと力を貸して下さることでしょう。ですが、事は命に係わる大事です。カオル様の身にもしもの事があれば...リアは生きてはいけません。ですから、せめて見送りくらいは....私の手で....」
そこまで話すと、フロリアは一筋の涙を流す。
(リア...そんなにカオルが大切なのね)
アーシェラは立ち上がり、フロリアの傍まで近寄ると優しく抱き締める。
「そう...わかったわ。リアにお願いする」
皇帝としてではなく、母親として、フロリアにそう告げた。
「アイナ、小麦粉が玉にならないように、手早く掻き混ぜるんだよ」
屋敷のキッチンで、カオルはメイドのアイナとフランの3人でお菓子を作っていた。
シャカシャカとボールの中で泡だて器が音を立てて、食材を攪拌させる音が聞こえる。
「ご主人....むずかしい」
若干10歳であるアイナには、お菓子作りは難しいようだ。
「う~ん...じゃぁ、続きはフランにお願いして、果物を洗ってくれる?」
アイナにそう指示し、フランにボールと泡だて器を渡す。
「フラン、出来るよね」
目を見詰めていやらしく笑い掛けると、フランは顔を真っ赤にしてモジモジしだした。
「ひゃ、ひゃい!」
うわずった声でそう答え、カオルからボールを受け取る。
(どうしよう...ボク、Sかも....)
最近のカオルは、フランに対してとても高圧的な態度をしていた。
もちろん、怒ったり、相手の嫌がるような事はしていないのだが.....
フランが泡だて器を回し始めるのを見届けると、アイナと2人で果物のカットを始める。
イチゴやマンゴー、キウイなどだ。
「ご主人、どうする?」
未だきちんとした言葉使いが出来ないアイナだが、言いたいことはなんとなく伝わっていた。
「これは砂糖漬けにして、一晩寝かせるんだ。フランが作っているのはタルトの生地だよ」
優しく、自分の妹にでも語り掛けるように、カオルはアイナと接していた。
そこへ...
「チリン」と来客を告げる鈴の音が響き渡る。
「カルア、お願い~」
キッチンからそう声を掛けると、居間で寛いでいたカルアが「おねぇちゃんにまかせて~♪」と返事をする。
(こういうとき、師匠とかエリーは動いてくれないもんね)
カオルがクスリと笑っていると、玄関からドタドタと足音が響き、フロリアが食堂へやってきた。
(あれ?こんなとこに来て大丈夫なのかな?)
皇女であるフロリアは、その立場上、お城と魔術学院以外に外出することは出来ない。
そのため、カオルの屋敷に来たことなど、今まで一度も無かったのだ。
「いらっしゃい」と挨拶をする暇も無く、フロリアは食堂を抜けて、キッチンに居たカオルへ抱き付く。
「カオル様!!お会いしたかったです!!」
着ていたコートを地面に落とし、いつもの薄い布地の服でわざわざカオルに抱き付く。
間違い無く、確信犯だ。
柔らかいフロリアの身体に抱き締められ、カオルの思考は停止する。
あまりにも突然の出来事に、メイドの2人はただ啞然としていた。
やがて、あまりの騒がしさに気付いたヴァルカンが食堂へとやってくる。
フロリアに抱き付かれるカオルを見つけると、驚くような速さでキッチンへと突き進んできた。
「カオルは私のだーーーー!!!!!!」
ヴァルカンはそう叫んで2人を引き剥がすと、何を思ったのか、カオルに抱き付いて「ウォンウォン」泣き始めた。
(師匠....本当に可愛い人だ....)
カオルは「よしよし」と言いながら、倍以上の年齢で自らの師匠でもあるヴァルカンの頭を撫でる。
いつの間にか、カオルの背中にエルミアがくっ付いていたのは、メイドの2人しか気付かなかっただろう。
カオルは、なんとかヴァルカンを落ち着かせると、お菓子の続きをメイドの2人に任せて、居間へと場所を移した。
カルアに紅茶を淹れて貰い、我が物顔でグローリエルが寛いでいたのには驚かされたが。
「それで、わざわざ屋敷まで来てなんの用なんだ?」
ヴァルカンが問い掛ける。
フロリアの表情は暗く、俯いていた。
「実は...」
そう切り出し話し始める。
アルバシュタイン公国とババル共和国の戦争が本格化した事を。
そして、アルバシュタイン公国は既に出兵しているという事実まで。
(まずいな...『egoの黒書』の件で、こちらは無関係とは言えない状況だ)
ヴァルカンは、おそらくこの次にフロリアとグローリエルが告げる言葉に、拒否出来ないと悟った。
そして...
「ヴァルカン様。カオル様。どうか、帝国のためにお力をお貸し願えないでしょうか?」
フロリアが切実に話す。
カオルとヴァルカンは思わず息を飲んだ。
(そうくるよな...)
ヴァルカンが気まずそうな顔をしていると、カオルが答えた。
「わかりました。ですが『正当な理由無く』ボクは人殺しなんてしたくありません。もちろん家族にもさせたくありません」
12歳の子供が語る言葉とは、とても思えない言葉に、誰もが目を見張った。
これは戦争。
ここ何十年も人間同士の戦争なんて起きていない。
普段から魔物との戦闘が多かった為か、カオル以外の者達には同族との戦争なんて、希薄に感じていた。
もっとも、国を護るという意味で、悪行を働く者を戒めてきた剣聖であるヴァルカンや、同じく剣騎であるグローリエルには日常茶飯事に感じていたが。
「それでは、手を貸しては....」
そこまで深く考えていなかったフロリアは、身体を強張らせながら質問する。
カオルはワザと微笑んで答えた。
「いいえ『正当な理由』がありますよね?侵攻して来た場合、それを迎撃するという。ただし、こちらから領土を求めて侵攻するような場合は、一切手を貸しません。あくまでも防衛の手は貸します」
カオルの凛然とした物言いに、誰もが惹かれた。
そして、それ以上口を開こうとする者は居なかった。
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