第八十九話 アイナ
ひょんな事から『濁った目』に出会い、虐げられていた奴隷の少女を『買い取る』という最悪な方法で助け出した。
人気の多い大通りまで逃げるようにやってきたボク。
押し留めていた恐怖に体を震わせていると、エルミアが優しく介抱してくれた。
優しく頭を撫でられ、やっと落ち着きを取り戻す。
さて、これからどうしようかとエルミアと相談を始めた。
そこへ、意識を失っていた少女が目を覚ます。
エルミアに寄り添うように佇む少女。
閉じられた目がゆっくりと開く。
赤い瞳。
まるで、宝石のルビーの様な瞳。
少女は目を開くと、傍にいたボク達を不思議そうに見詰めた。
状況が理解できない少女に「こんにちは。ボクはカオル、君の隣にいるのはエルミア」そう言い、努めて明るく話した。
ボクの言葉を聞き、まるで理解出来ないのか首を傾げる少女。
どうしようかと悩んでいると「カオル様。とりあえず一度、屋敷へ戻りましょう」とエルミアが提案してくれた。
ボクは悩み「そう・・・だね」と、その提案を受け入れた。
いつまでもこんな、道端にいるわけにはいかなかったしね。
オロオロとする少女に「着いてきて」とだけ告げて歩き出す。
気を利かせてくれたエルミアが、そっと少女の手を握った。
突然手を繋がれた少女が、驚いてエルミアを見上げる。
エルミアが優しく微笑むと、安心したのかにこやかに笑ってくれた。
大丈夫そうかな?
後ろを歩く2人の姿を、たまに振り返りながら確認した。
屋敷に戻り門番の兵士に挨拶をする。
「ただいま戻りましたー」
そう告げると「おかえりなさいませ」と笑顔で返してくれた。
あ・・・お土産買おうと思っていたのに・・・・忘れてた・・・・
まぁいいか。
今度何か買ってこよう。
苦笑いをしつつ屋敷の中へ入る。
食堂へ案内して椅子に座るよう促すと、エルミアと協力して、紅茶と作り置きの焼き菓子を用意した。
差し出された紅茶とお菓子に、目を白黒させて混乱する少女。
「食べていいんだよ」
優しくそう告げると、おずおずとお菓子を一口齧る。
美味しかったのか驚いて目を見開くと、嬉しそうにモグモグ食べ始めた。
なんだか可愛い・・・・
アレだね。
リアとかエリーと一緒で、捨てられた子犬にエサを与える感覚だね。
いや兎耳族なんだから、子兎か。
小動物の様に、小さな口でモグモグ食べている少女をニマニマ見詰めていると、エルミアが「コホン」と咳払いをした。
おっとやばい。
初対面の女性を、ジッと見詰めるなんて失礼だよね。
紳士にあるまじき行為をしていたので、慌てて姿勢を正す。
そーっとエルミアを見やると、顔を崩さず無表情なのに、ものすごく目が怒っていた。
うぅ・・・・ちょっと怖いかも・・・・・
あまりの恐怖に、冷や汗を流していると「カチャ」と、カップが鳴った。
音がした方へ目を向けると、少女が満足そうに紅茶を飲み終えたところだった。
お菓子は、ものの見事に全て完食されていた。
結構な量があったはずなんだけどな・・・
新しく紅茶を注いでやり、ボクのお皿からお菓子を分ける。
少女は追加されたお菓子に喜び、嬉しそうに噛り付いた。
よく食べるなぁ・・・
あまり、ごはんとか食べさせて貰えなかったのかな?
少女が紅茶を一口飲み、落ち着いたところで話しかけた。
「えっと、名前聞いてもいい?」
ボクがそう問い掛けると「アイナ」と答えた。
アイナ。
それが少女の名前か。
「そう・・・アイナ。改めて、ボクはカオル。隣にいるのはエルミア」
そう名乗ると、ボクを指差し「カオル」と復唱した。
なんだか面白くなって「そう。カオルだよ」とにこやかに答えた。
ボクが笑うのを見ると、少女が一転、真剣な表情を見せる。
「カオル。カオルが、アイナのご主人様?」
首を傾げてそう聞いてくる。
ご主人様?
ご主人様か・・・・
奴隷を買ったからご主人様ってこと?
いやまてまて、その話しの前に話さなければいけない事があるだろう。
ボクは「ゴホン」と咳払いをひとつして「えっとね、アイナ。先に聞きたい事があるんだ。君は・・・その・・・・言いにくいんだけど、奴隷・・・なんだよね?」と問い掛ける。
アイナは当然のように「アイナは奴隷」と答えた。
・・・・ごめん。
ボクから聞いたくせに、心の準備が出来ていなかった。
本当に・・・本当に失礼だけど・・・・・顔色ひとつ変えずアイナが発した言葉に、涙が出そうになった。
ちゃんと話そう。
そう思った。
「言いにくい事を聞いてごめんね」
そう言うとアイナは「アイナは奴隷。だから平気」と明け透けに返した。
そしてアイナは、言葉少なげに話してくれた。
自分は生まれた時から奴隷だった事。
両親も奴隷だった事。
両親は、アイナが生まれるとすぐにアイナを売った事。
ただ淡々と、まるで他人事のように。
歯痒かった。
やはり奴隷なんて必要無いとさえ思った。
だって、こんな子供にあんな酷い仕打ちを強制するんだ。
こんなことがあって良い訳が無い。
そこで「アイナはボクが買い取ったから、もう自由にしていいんだよ」と告げた。
だがアイナは首を横に振り「奴隷は一生ドレイ。ご主人様とずっと一緒」と答えた。
それを聞いたボクは、どうするべきかわからなかった。
所詮、ボクは自己満足の為に彼女を買ったんだから。
だって、目の前で虐げられる彼女を、考えも無しにお金の力で救っただけなのだから。
そこへエルミアが話し出す。
「カオル様。彼女を、この屋敷のメイドにするのはいかがでしょうか?」
メイド?
彼女をメイドとして、この屋敷で雇うというのか?
そこで閃く。
そうだ!彼女をメイドとして雇えば、給金をあげられるし、なによりメイドとしての技能を身に着ければ、彼女の可能性も広がるのではないかと。
奴隷という事も、そのうちなにか手立てが見つかるかもしれないし。
さっそくその提案に乗った。
「じゃぁ、アイナは今日からメイドだ。がんばってくれる?」
ボクがそう言うと、アイナは不思議そうにボクを見詰め、コクンと頷いた。
とは言っても、メイドって何を教えればいいんだろう?
師匠にお願いされて、メイド服を着た事もあるけど、実際何をするのかわからないぞ?
料理と家事?
他に何かあるのかな?
まぁ、それは誰かに聞けばいいか。
とりあえず・・・・
エルミアにお願いして、アイナとお風呂に入って貰おう。
いつまでもボロボロの服だと可哀想だしね。
アイテム箱から白のスリップと、あまり着ない黒のニットチュニックを取り出しエルミアに渡す。
「お風呂に入れてあげて」
そう告げると「わかりました」とエルミアが返事をして、そのままアイナを連れて浴場へと向かった。
ふぅ・・・
こんなことをしてよかったのかな・・・・
冷めた紅茶を啜りながら、一人食堂でそんな事を考える。
本当に自己満足だよなぁ・・・・
自分のしでかした事を思い直し、ちょっと落ち込む。
でも、ほおっておけなかったし・・・・
そこでズキリと頭が痛む。
「いった!?」
痛んだ頭に手を当てると、なんだかよくわからない情報が頭に浮かんだ。
なんだ・・・これ・・・・
練成・・・・魔術の元素・・・・融合・・・・・そして、訳のわからない文字の羅列。
それは情報の渦となり頭を駆け巡る。
膨大な文字の量に気分が悪くなり、椅子から転げ落ちて、さきほど飲んだ紅茶が吐き出された。
それと同時に胃液が逆流し、喉を焼くと苦しさから咳をする。
「ゴホッ!!ゴポッ」
四つん這いになり苦しんでいると、声を掛けられた。
「カオル殿!?いかがなさいました!?」
アゥストリだ。
いつのまにかやってきたアゥストリが、ボクの背中を擦り介抱してくれる。
ボクは、息も絶え絶えに「あり・・・が・・・とう」とお礼を言った。
しばらくして、ようやく落ち着いたボクは居間のソファに寝かされていた。
吐き出して汚してしまった床を、アゥストリは文句も言わずに掃除をしてくれる。
「本当にありがとう」
隣のソファに座るアゥストリにそうお礼を言うと「いえいえ、驚きましたが落ち着かれたようでよかったです」と笑顔で返してくれた。
本当にお世話になりっぱなしだ。
何かでお返ししないと・・・・
「いやぁ、何度も玄関でお呼びしたのですが返事が無かったもので・・・・勝手に入ってしまいましたが、正解でした」
そう言うと笑顔を向けてくれた。
ハゲてさえいなければ、かなりのイケメンおじさんなんだけどね。
お風呂から戻ったエルミアが紅茶を淹れそれを差し出すと、アゥストリは一口啜り、美味しかったのか満足そうに頷きおかわりをお願いしていた。
それにしてもなんだったのだろう・・・・
急に頭の中に知識が溢れたとでも言うのだろうか。
今のボクの頭の中には、膨大な情報が詰まっている。
読んだ事も、聞いた事もない情報が。
まぁ、今はとりあえず置いておこう。
気が動転していてよくわからないし。
そこへアゥストリが「カオル殿、さきほどから気になっていたのですが、この子は・・・」と言い、アイナに視線を送る。
アイナは、ボクが渡した黒のニットチュニックを着て、エルミアの隣にちょこんと座っている。
ボクは苦笑いを浮かべて、これまでの事をアゥストリに話した。
ボクの話しを聞き終えると「・・・そうでしたか。それならば、是非1人紹介したい者がおります」と答える。
紹介したい人?
だれだろう・・・
いぶかしげにアゥストリを見ると「カオル殿もお世話になった者ですよ」と笑いながら話した。
本当に誰?
ボクが悩んでいると「それでは明日連れてまいりますので」それだけ言うと去って行った。
・・・・何かボクに用があって来てくれたんじゃないのだろうか?
まぁいいか。
明日来てくれるって言ってたし、その時にでも聞こう。
なんとかソファから立ち上がり、落ち込んだ気分を洗い流そうとお風呂へ向かう。
髪を洗い湯船に浸かると、だいぶ気分も落ち着いた。
やっぱりお風呂はいいね。
はぁ・・・・温かくて気持ち良い・・・・・
師匠達は、今頃何をしているのかなぁ・・・
なんて、突然どこかに行ってしまった、3人の家族の事を思い浮かべたりした。
お風呂でのんびりリフレッシュしていると、窓に西日が差し込んでいる事に気付く。
空を見上げれば、白い雲が茜色に染まっていた。
そろそろ夕食かぁ・・・・・よしっ!
ボクは湯船から立ち上がると気合を入れる。
せっかくアイナが来た『記念すべき日』なんだから、何か美味しい物でも作ってあげよう。
浴室を出ると、手早くタオルで全身を拭く。
長い髪を乾かすのには、時間が掛かって大変だけど仕方が無い。
いつもの麻のチュニックとズボンに着替えると、扉を開いて廊下へと出る。
そこにはなぜかエルミアが待っていた。
なんだろう?
ボクが不思議そうに見ていると「カオル様、お召し替えを」と言い、ボクの格好にダメ出しをしてきた。
なんで!?
いいじゃん!!
楽なんだよ!?
ボクは頬を膨らませて、遺憾の意を表明するがエルミアは譲らない。
「お召し替えを」
ただそれだけを言い、廊下を通してくれない。
渋々脱衣所へ戻り、アイテム箱を覗く。
何を着れば納得してくれるんですかね・・・・
ボクが持っている男っぽい衣服は、麻のチュニックとズボンしかない。
これも、元々鍛冶をする時用に師匠がくれた物だ。
仕切りのされたアイテム箱から、以前みんなで買い物をした時に、無理矢理買わされた白いワンピースと下着のスリップを取り出す。
はぁ・・・・と、溜息をひとつ。
おそらく、エルミアが求めているのはこういう服なのだろう。
だって、今日買ったボクの服は、全部女性物だったしね。
仕方がなくワンピースに着替える。
脱衣所の姿見の前でクルリと1回転すると、うん・・・・問題なく可愛い服だ。
まだ少し湿った髪をリボンで纏めて、サイドテールになる様、横へ流す。
姿見でもう一度確認してから扉を開くと、エルミアは満足そうに微笑んでくれた。
やはり、これが正解か・・・・
かなり気分が落ち込んだけど、エルミアが喜んでくれるならいいか。
エルミアと2人で料理を作ろうとキッチンへと向かう。
併設された食堂へ入ると、アイナが椅子に座って待っていた。
微動だにせずに。
訓練された犬が、飼い主に『待て』をされた状態のようだ。
ボクはアイナに近づき「ご飯作るから、もう少し待っててね」と告げると、アイナは驚いて「アイナ作る」と言い、椅子から降りた。
慌てて椅子に座り直させる。
「今日はボクが作るから・・・ね?」
ボクの提案にアイナは渋々従ってくれた。
きっと、普段から作らされてきたのだろう。
でも、今日はボクが作ってあげたいんだ。
だって、せっかくアイナがこの屋敷に来てくれたんだもん。
歓迎の意味も込めて、今日くらいはボクが作るよ。
アイナに微笑んで、ボクはキッチンへと歩き出す。
さーて・・・料理の開始だ!
・・・とは言っても、食材の関係上以前作った料理なんだけどね。
ボクの手によって続々と並べられる食事。
向かって右から、エビと野菜のテリーヌ・若鶏のフリカッセ・タラのムニエル・オーロラソースのサラダ・トマトコンフィ。
そしてデザートにマカロン・パリジャン。
今日はイチゴのジャムを挟んである。
テーブルを埋め尽くすように並べられた食事に、アイナはとても喜んだ。
ボクは紅茶を淹れてエルミアとアイナに振舞う。
席に着いて食事を開始した。
ボクとエルミアが食べ始めると、アイナはじっと動かなかった。
どうしたのだろうか?
不思議に思い聞いてみると「アイナ、奴隷。奴隷の食事、残り物」と答えた。
何を言っているのかわからなかった。
というか、なんでアイナはこうカタコトで話すのだろうか?
エルミアに聞いてみる。
「ねぇエルミア。どういうこと?」
するとエルミアは「おそらく、奴隷は主人が残した食べ物を、自分の食事としているのではないでしょうか?」と説明してくれた。
・・・・なんかそれって、すっごい嫌だ。
それじゃぁ、貴族のもとにいる奴隷は、食事が出来ないって事じゃないか。
宮廷料理なんて、ほとんどが成人男性なら一口で食べられるような少なさなんだよ?
『料理は、出されただけすべて食べるのが作法』なんて言葉もあるくらいなんだし・・・・
まぁ、一部の国ではわざと一口残して「こんなにいっぱいの食事をありがとう」とか「宗教上の理由」で残すところもあるけどさ。
日本人としてはやっぱり、完食する事が大事なわけで・・・・
って、話が逸れたね。
とにかく、この屋敷に来たんだから、食べ残しを漁るような真似はさせません!
アイナに「一緒に食べよう!」と力強く力説すると、おずおずと食事に手をつけた。
美味しかったようで、一口食べるごとに嬉しそうに笑う。
よかった。
喜んでもらえたようだ。
エルミアと3人で他愛も無い会話をしならが食事をいただいた。
最後に出したマカロンは、エルミアも気に入ってくれたようで、あっという間に無くなっていたけど。
夜、眠ろうとして着ていた服を脱ぎ下着姿でシーツに包まっていると、扉をノックされた。
なんだろう?と思い、扉を開けるとエルミアとアイナがそこにいた。
「どうしたの?」
そう問い掛けると「1人では眠れないそうです」とエルミアが答える。
アイナには1階の個室を宛がったのだけれど、そこじゃだめだったのかな?
エルミアに寄り添いおどおどするアイナ。
ボクは笑顔を作り部屋へと招き入れた。
ボクを挟んで3人で横になる。
部屋と同じで、広いベットは家族全員で横になっても余る程の大きさだ。
アイナが寝付くまで、3人で仲良く話しながら過ごした。
ご意見・ご想などいただけると嬉しいです。




