第九話 イーム村の危機
2016.6.27に、加筆・修正いたしました。
パラパラと雪が舞う。
山はすっかり雪化粧をされて、幻想的な風景を造り出していた。
「カオル。そろそろ【イーム村】へ農具を納めてきてくれないか?」
【イーム村】は、ここから徒歩5時間ほどの距離にあり、定期的に農具の注文をしてくれる村だ。
「わかりました。今回は鍬5本と鎌10本でよかったですよね?」
以前からヴァルカンに連れられて、カオルは何度も【イーム村】へ行ったことがある。
その時にも、村長から頼まれて農具の納品をしていた。
「ああ、それで構わない。帰りに酒屋でいつもの頼むよ」
ヴァルカンは三度の飯よりお酒が好きだ。
「あまり飲みすぎないでくださいね? お酒は高いんですから」
実際お酒は高い。
趣向品だからだろうか、ヴァルカンの飲む酒瓶1本で、数日分の食料が買える。
「まぁそう言うな。酒は私の生きがいだからな」
そう言いながら手を振りつつ、いつものようにソファへ崩れ落ちる。
カオルは諦めて工房へ行くと、鍬と鎌をロープでひと括りにした。
(もっとも、お酒は全部ノンアルコールなんだけどね)
クスッと笑みを零し、ヴァルカンから譲り受けた外套を羽織って村へ向かう。
腰から下げた、ヴァルカンお手製の片手剣が、時折ガチャガチャと音を立てていた。
カオルがこの世界へ来てから、もうすぐ2年。
初めは戸惑いながらも、ヴァルカンのおかげか、すっかりこの世界に馴染んでいた。
【イーム村】まで5時間程、本当は風魔法の《飛翔術》を使えば、あっという間の距離。
だが、カオルは歩く。
ヴァルカン曰く「高度な魔法を使える魔術師は少ないからな。あまり目立った行動はしないように」と釘をさされている。
(修練にもならないし、そのとおりだよね)
思い出したようにウンウン頷くカオル。
そして――カオルは知らない。
調子に乗ったヴァルカンが課した修練の結果、自分の力が逸脱している事に。
どこの世界に身の丈を越えた鍬や鎌などを何本も背負って長時間歩ける子供が居ると言うのか。
実は、ヴァルカンの教え方に問題がある。
カオルが過去に出会った昔気質な職人は、『やってみせ』『言って聞かせ』『自ら考えさせ』た。
だが、ヴァルカンは違う。
それは、感覚的なモノの教え方をするという事。
『やってみせ』『自ら考えさせ』はする。
ただし、『言って聞かせ』る事が苦手。
要するに、説明下手だった。
さらに運の悪い事に、年齢若く面倒臭がりな元剣聖のせいで、"戦闘技術"というものを教えられていない。
むしろ、ヴァルカンもあまり知らなかった。
なぜなら――ヴァルカンは天然でそれらを使いこなしていたのだから。
そして....カオルも天然――香月本家嫡子の力――でそれらを覚えていた。
「ん~!! 師匠のお酒好きもなかなか治らないなぁ...」
魔法が使えない者にとって、とても重要な問題も、今のカオルにまったく関係の無い話。
たとえ、今現在カオルの内から溢れ出る力――<闘気>――が発動していたとしても。
とぼとぼと村道を歩いていると、今にも転びそうな勢いで早馬が駆けて来た。
カオルはちょっと驚き(なんだろう?)と首を傾げる。
どうやら、早馬に騎乗しているのは、【イーム村】にある訓練場の若い兵士の様だ。
【イーム村】は【カムーン王国】直轄地なので、兵士の訓練場が村に併設されている。
もちろん、王都からは非常に遠いので、いわゆる左遷された人達や、新米兵士が居る場所。
「き、キミ!! ヴァルカン殿の工房の子だよね!?」
慌てた様子でカオルに訪ねる。
"血相変えて"とは、こういう状態のことを言うのだろう。
「はい。そうですが、何かご用でしょうか?」
慌てる人をなるべく刺激してはいけない。
混乱でも起こしたら、さらに大変になるのだから。
「こっ、この辺りで、オークの集団を見掛けた人が居るそうだ!! 至急、ヴァルカン殿にご助力願いたい!!!」
早口で捲くし立てる若い兵士。
鬼気迫る状況をカオルは理解した。
(あーなるほど。冬前だから、魔物も冬越しの獲物を探しているんですね)
「わかりました。師匠には、ボクからお伝えしておきます。かわりに、この農具を村長さんにお渡ししていただけますか?」
地味に重たい農具を兵士へ託し、一路引き返す。
兵士は、それはそれはビシっとした敬礼を見せてくれ、転がるように村へ帰って行く。
(カッコイイなぁ...あれで新米とか、左遷された人とか、ちょっとわからないよね)
工房まで帰って来たカオル。
案の定、相変わらずヴァルカンは暖炉の前のソファでグダグダしていた。
「師匠....なんで黙っていれば美人さんなのに、そんなに残念なんですか....」
暴言とも取れるカオルの言葉。
普段からヴァルカンのお世話をしているからこそ、怒られないのだろう。
「あははは、もう戻ってきたのか? 早かったじゃないか、さぁお酒を出すんだ。さもないと....食べちゃうゾ?」
ジュルリと舌なめずりをするヴァルカンに、カオルはどこか"本気"を見た。
「あはは~、冗談だよ冗談。そんなことより、ずいぶん早かったな? いったいどうしたんだ?」
カオルは呆れて肩を落とす。
「はぁ」と深い溜息を吐いてから、なんとかヴァルカンの凛々しい姿を思い浮かべようと、必死に空を描いた。
「何してるんだ? カオル?」
そんな事とは露知らず『残念美人』のヴァルカンは、のほほんとしている。
(まったく師匠は....)
仕方がないとばかりにカオルは口を開いた。
「途中で【イーム村】の兵士さんが来て、オークが見付かったから、助力を頼みたいと言われました」
「そうかそうか、冬篭りの時期だしな。魔物もたいへんだな」
動物達と同じように、魔物にとっても獲物が減る冬は厳しい環境。
穴倉の中で長期間に亘って冬眠などされてしまっては、いくら魔物とて探し出すのに苦労する。
だからこそ、本格的に冬が来る前に備蓄を考えた。
しかし、ヴァルカンは失念している。
知能を持たない魔物が、冬越しの為に獲物を狩るだろうか?
もちろん、本能的な事柄も関係はしているだろう。
だが、カオルの説明も言葉足らずで、「オークの集団が見付かった」と兵士から聞いたはずなのに、「オークが見付かった」と省略して話してしまった。
故に、ヴァルカンがこの後告げる言葉は決まっていた。
「それじゃ、カオル? ちょっと行って蹴散らしてこい」
(はぁ...やっぱりそうなるよね.....もぉ!! なんで師匠はこんな残念なんだー!!)
あまりにも当然の様に振舞うヴァルカンに、怒りの衝動すら沸いて来ない。
「そう言うと思ってましたよ。それじゃ、行って来ますね」
ホトホト呆れたカオルが、外へ向かう。
「ああ、カオル。お酒は帰りでいいからな~♪」
扉が閉まる寸前に、そんなヴァルカンの言葉が聞こえてきた。
(こんな子供みたいな態度をしてくれるのも、ボクだけなんだよね)
言い得も知れぬ幸福感が、カオルをじんわり包み込む。
既にカオルは、ヴァルカンに篭絡されているんじゃないだろうか?
嬉しそうににやける顔。
どこかに名医は居ないものか....
師匠であるヴァルカンからの指示は「オークを蹴散らしてこい」と言うものだ。
こんな事はぶっちゃけ簡単。
最近の修練は「どこどこに行って何々を狩ってこい」。
それくらいしかヴァルカンは指示をしない。
初めの内こそ、心配だったのだろう。
どこへ行くのも一緒に行動していたが、最近は本当に適当だ。
(アレですか? もう面倒になったのですか? 師匠の病気が発病したのですか?)
ヴァルカンは、カオルが『残念美人』と呼ぶほどにだらしがない。
そのおかげで、カオルも色々自由に遊び回っているので、特に文句もないのだが。
おかげで、魔法も自由に試せるし、料理も好きに作れるのが嬉しい。
昔は1人寂しくごはんを食べていたが、カオルの料理を『おいしい』と言ってくれる人が居るのは、なにより嬉しい事だろう。
美人なヴァルカンが笑うと、カオルがドキドキしてしまうのは少々問題だが....
さて、オーク狩り。
風の魔法《飛翔術》を発動し、カオルは索敵を開始する。
(たぶん、山間の森の中だろうけどね)
雪が降り積もり、山間部を含め、山々は真っ白に染められていた。
上空から見る景色はとてもすばらしい。
青い空に、白い景色が良く映える。
太陽の光を浴びて、キラキラと輝く雪が幻想的。
(って、今は魔物を探さなきゃ...)
景色に見惚れていたカオル。
慌てて地表を索敵していると、荒く踏み締められた足跡を見付ける。
木々の間を縫う様に、幾重にも引かれた足跡。
(これ、ちょっと数が多すぎるような....数十体くらいは、いるんじゃないかな...)
そこで、ヴァルカンが言っていた事を思い出す。
「オークは群れで狩りを行い、時には村を襲い女性を攫ってくる。攫われた女性はオークの子を孕みその数を増やす」
(この数のオークだと、兵士さん達にも被害が出るかも....)
カオルは慌ててオークの集団を追った。
《飛翔術》を使い、足跡が続く方へ急いで向かっていく。
すると、案の定前方にオークの集団を見付けた。
猪のような頭に、全身青い毛むくじゃらで2足歩行の魔物。
ボロボロの布切れを身に纏い、手には鉄製の槍や斧などを持っていた。
(数が多い....これは大変だよ....)
カオルの脳裏に、"恐怖"という言葉が浮かんだ。
そして為す術もなく蹂躙される村人達。
歳若く柔らかい子供の肉は魔物にとって大好物。
特に内臓は表しようのないほど甘美で、好んで生きたまま喰らう。
(もし...これだけのオークが村を襲ったら.....戦えない人は.....)
簡単だと、高を括っていた相手に、数の暴力を見せ付けられる。
恐怖を頭の片隅に追いやり、カオルは片手剣の柄を握り締めた。
(そんなのは....絶対イヤだ!)
オークの集団を率いている者。
先頭を我が物顔で走る1体のオークに狙いを定め、カオルは斬りかかる。
上空から突如として舞い降りたカオルの姿に、オーク達は驚き歩みを止めた。
すかさずカオルは風を纏ったまま高速移動し、先頭のオークを横抜き様に片手剣で一閃する。
鋭く奔る銀線。
呆気ない程の速さで、オークの頭は分離された。
吹き出す血飛沫の中、カオルは周囲のオークを睨みつける。
「「「グォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」」」
仲間を討たれ吠えるオーク達。
戦闘の開始の合図とばかりに、オークは次々をカオルに斬りかかった。
突き出された槍の穂先を左へ避わし、片手剣を下から切り上げて、お返しとばかりに振り下ろす。
ヴァルカン作の片手剣は、体重の軽いカオルが扱っているにも係わらず、オークを一刀両断出来るほどの鋭さを持っている。
左右へ別れたオークを尻目に、カオルは一歩前へ出た。
そこへ、待ってましたとばかりに振り下ろされる手斧。
カオルは胴回し蹴りを手斧の側面に叩き込み、そのまま空中で体重移動し、反対の足でオークにかかと落としをお見舞いする。
突然揺さぶられた脳は、意識を混濁させてその場に身体を倒す。
回転するカオルの小さな身体は、測ったように倒れたオークの上に着地した。
グジュっと気色の悪い音をさせる片手剣。
着地した瞬間に、オークの頭を突き刺してみせた。
曲芸とも取れるカオルの猛攻に、周りのオークが一瞬怯む。
好機とばかりに片手剣を引き抜き、返り血を振り払う。
カオルは再び風を纏って跳躍した。
それは一陣の赤い風。
返り血を浴び、鋼鉄の刃を備えた、カマイタチの様な姿だった。
(いち、に、さん、し、よん、ご、ろく.....)
多い、非常に数が多い。
自分の2倍はあろうかという大きさのオークを、次々に切り刻んでいくカオル。
そこへ、とりわけ大きいオークが躍り出た。
「グガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
大絶叫。
いや、オーク流の名乗りなのかもしれない。
人間が着る様な全身鉄の鎧を身に纏い、巨体を揺るがして突進する。
振り上げられる重量武器の両手斧に、一瞬怯んだカオル。
戦場では、その油断が命取りだった。
ガキンッ!!
武器同士が打ち付け合い、鳴り響くは金属音。
体重の軽いカオルは、避ける事に主軸を置いた戦闘をするようにヴァルカンから指導されていた。
だが、避けられなかった。
迫り来る両手斧に、カオルは片手剣を合わせる事しか出来なかったのだ。
重量武器の衝撃ゆえか、カオルの体は膝下まで雪にめり込み、打ち付けられた片手剣を通じて、両手は痺れていた。
重なり合う武器同士。
オークは尚も力を込めて、カオルを押しつぶそうとした。
(.....お...重い....)
必死に耐えるカオルに、勝機を見出した周囲のオーク達も参戦する。
引かれる弓矢。
突き出される剣と槍。
遅れて振りかぶる手斧や鎚。
絶体絶命のピンチの中、カオルは剣に力を込めた。
「ハァァァァァァァァ!!!!!」
鍔ぜり合う両手斧を横へいなし、三度《飛翔術》で風を纏う。
足元の雪を吹き飛ばし、赤い弾丸は発射された。
片手剣を眼前に掲げ、空を駆ける。
突き立てられた剣が、全身鉄の鎧のオークを突き破り、カオルの身体もろとも通り抜ける。
爆散するオークの肉片を後ろに、カオルは次々とオークを屠った。
慌てたオークは距離を取ろうと、カオルから離れる。
次々とオークが離れた事で、カオルは歩みを止めた。
そこへ、ミシリと剣が泣く。
カオルの手にした鉄製の片手剣が、ものの見事に裂けていた。
(うそ.....)
それは、ヴァルカンがカオルに贈った剣。
カオルの為に、わざわざ誂えて作り出した大切な物。
変わり果てた片手剣の姿に、カオルは全身の血が沸騰するかのような錯覚を覚えた。
そして、紡ぎ出される怒りの言葉。
「ゆるさない」
静かに...怒気を込めたその声に、周囲で舞い散る雪が蒸気に変わる。
「ゆるさない!!」
カオルの身体で何かが揺らめき、包み込むように広がっていく。
オークが放った矢を片手で掴み、バキリとへし折った。
次の瞬間。
周囲のマナが圧縮されて、カオルは魔法を唱え始めた。
「振り下ろされしは金色の刃! 呻れ!!」
それは短文呪文。
紡がれた言葉は、自身の魔力とマナへの回路。
「《雷鳴刃》」
叫ばれたのは魔法名。
カオルの怒りは金色の雷となり、周囲に乱れ落ちた。
落雷。
轟音鳴り響かせて、膨大な量の魔力が雷となって降り注ぐ。
逃げ惑うオーク達。
声も無く一瞬のうちに崩れ落ちるオークの中、勇気ある者がカオルの眼前に歩み出た。
噛み締めた歯がギリッと音を立て、カオルは片手剣で渾身の一撃を放つ。
肉薄するオークとカオル。
振り下ろされた鉄製の鎚を、カオルの片手剣は音も無く切り裂いた。
それは、現実ではありえない出来事。
鉄同士が打ち合えば、斬り裂く事など出来ないはず。
だが、カオルの片手剣は、確かにオークの鎚を...そして、オークの鎧を斬り裂いた。
驚き目を見開くオークに、カオルは追撃とばかりに剣を振るう。
突き刺される喉元。
オークは悲鳴を上げる。
ごぼごぼと沸き出る血泉が、オークの最後を彩った。
それが、オーク達の最後だった。
あれほど居たオークの集団も、カオルが放った全力の雷魔法の前に、その身を焼かれて絶命した。
不意に訪れる静寂。
全身に倦怠感を感じたカオル。
オークとの戦闘の疲れと、膨大な魔力を使った事により、頭がグラグラ揺れていた。
近くの木に縋りつく様に寄り掛かると、手にした片手剣へ視線を落とす。
「どうしよう...せっかく師匠が作ってくれた剣なのに.....」
変わり果てた剣の姿に、カオルは一筋の涙を流した。
それから2時間ほど経った頃、カオルは【イーム村】へ来ていた。
村では既に【カムーン王国】の兵士達が出陣の準備を済ませ、訓練場隊長のアルが激励の言葉を述べている。
「皆、緊張しているだろうが、我々は負けるわけにはいかない!! 魔物は必ず倒.....」
延々と続くご高説の中、カオルは1人の若い兵士を探した。
外套のフードを目深に被り、隙間から覗き込む。
訓練場で整列させられた兵士の中に、やっとお目当ての人物を見つけ出した。
「兵士さん、兵士さん」
手招きをしながら声を掛ける。
兵士はカオルに気付くと、コソコソと歩いてきた。
その人物は、先程カオルにヴァルカンへの言伝を頼んだ人物。
「おや? ヴォルカン殿のところの子じゃないか....って、どうしたんだい!? 血だらけじゃないかっ!!」
浅慮なカオル。
自身にオークの返り血を浴びている事などすっかり忘れていた。
「い、いえ、これはボクの血じゃなくてオークの血で...」
しどろもどろになりながら、身振り手ぶりで説明すると、周りの兵士も「なんだなんだ」とこちらへ近づいてくる。
(ヤバイ、オオゴトになってしまう....)
逃げ出したい気持ちを抑え、なんとか言い包めようとカオルは話す。
「えっと、オークの集団は、もう師匠が倒しましたのでそのご報告に」
頭を下げながらペコペコするカオル。
ヴァルカンが、それはもう大事に育てている子。
兵士一同はもちろん理解している。
この可愛らしい子に手を出そうものなら、間違い無く死が訪れる事を。
「え? だって、キミに知らせてからまだ3時間も経ってないのに...?」
内心(今すぐお風呂へ入れて滅茶苦茶にしたい!!)と思いつつも、兵士は信じられない、というような口調で訪ねた。
「はい。オークの集団が居たのは、ここから南西の方角に1時間ほど行った場所なので、確認をお願いします」
カオルは、討伐を全てヴァルカンがやったことにして、この場の収拾を図る。
「そ、そうか。さすがヴァルカン殿だな、オークの群れを簡単に倒してしまうとは.....」
どうにか信じてくれたようで、周りの兵士も安堵の表情を浮かべていた。
「は、はい。それではボクは、村長さんの所へ行きますので」
そそくさと、早足でその場から逃げ出すカオル。
後方から「わざわざ知らせてくれてありがとう、お嬢さん!!」と声が聞こえてきた。
(ボク、男なんだけど.....)
カオルが立ち去った後、激励を途中で切り上げ残念そうな顔をしたアルが、オーク撃破の確認の為に騎馬隊を指揮して現場へと向かって行った。
馬上で元気なさげに垂れ下がった尻尾。
がんばれアル。
負けるなアル。
そんな中、カオルは村長の下へ向かい農具の売り上げを受け取る。
全身真っ赤に染まったカオルの姿に、村長も驚き目を剥いた――が、さすがは年の功。
カオルが笑顔だった為、怪我は無いと即座に判断。
なにせ元剣聖の弟子。
修羅場のひとつも潜るのは当然。
そう理解し、村長はカオルを見送った。
「すみません、ヴァルカンの使いの者ですけど...」
毎度お馴染み、両開きの扉を潜り声を掛ける。
カオルは、嫌々ながらも何度もこのお店を訪ねていた。
「はいはい、いつもありがとうね....って、血まみれじゃないのかい!? すぐに手当てを!!」
(おぉぅ...これは、早く帰って外套を洗わないと...)
「あ、これはオークの血なので、ボクは怪我してませんから」
店主はちょっと怯えながら「そ、そうかい?」などと言い、いつものお酒を購入する。
カオルの悪戯――もとい、策略により、ヴァルカンはノンアルコールしか飲む事を許されていない。
もちろん、カオルがヴァルカンの身体を心配しての事。
だからこそ、カオルに泣き付かれたヴァルカンも、渋々ながら了承している。
「お嬢ちゃん。女の子なんだから、あまり危ない事するんじゃないよ?」
なんて、心配をされるカオル。
(ボクは男の子だよ!)と心の中で反論した。
酒場を出ると、急いで家へ帰る。
もちろん、周囲を確認して人が居ないところまで出てから《飛翔術》を使った。
「師匠、ただいま戻りました」
先程と寸分違わず、暖炉前のソファに横になりながらヴァルカンが手を振る。
「ああ、お帰り。早かったな...って、血まみれじゃないか!! 大丈夫なのか!?」
「師匠。それ4回目です」
カオルは、いそいそと外套を脱ぎ、洗面所でさっさと洗う。
(うぅ...血が乾いて落ちにくいよ)
半べそをかきながら、なんとか汚れを落としたカオル。
寒空の下、外に干しても乾かないのは明白なので、ヴァルカンが居る暖炉前の物干しへ外套を掛けた。
「あ、師匠。オークの数が多かったので、師匠が倒した事にしておきましたから」
ちょっとだけ...ほんのちょっとだけ嫌味を込めて、カオルはヴァルカンに告げた。
「え...どれくらいの数だったんだ?」
なにかを感じ取ったヴァルカン。
普段の声色と違うカオルの声に怯えた。
ゆっくりとソファから顔を覗かせると、それを見ていたカオルはニコリと笑う。
「たぶん50体くらい?」
剣帯を外し、防具を脱いでいたカオルが小首を傾げる。
実に可愛らしい姿を前に、普段のヴァルカンなら抱き付くところ。
だが、カオルが発した言葉に目を丸くし、次の瞬間に顔から血の気が引いて真っ青になっていた。
「ちょっ!? 50とか多すぎないか!?」
慌てるヴァルカンに(してやったり)なカオルはさらに笑う。
「ええ。なので、《雷鳴刃》を使いました♪」
ニッコリ笑って押し付ける。
日ごろ温厚なカオルは、怒らせると怖いのかもしれない....
「あの...な? 私は、雷属性の魔法は使えないんだが....」
開いた口が塞がらないヴァルカン。
だらしなくポカンと口を開けている。
「いいじゃないですか、火で焼いたことにすれば。それより、兵士さんが近いうちにお礼に来ると思いますよ?」
無邪気な子供。
全てを理解し、カオルの無事に安堵しつつも、いっぺん変わって、さも面倒臭そうな顔をヴァルカンはしていた。
「あー...わかったぁ~」
そのまま再度ソファに沈み込む。
手には、いつのまにかカオルがたった今買ってきたばかりのお酒を持っていた。
「師匠!? さっそくお酒開けてるんですか!?」
「いいじゃないか、飲みたかったんだから」
(まったくこの人は、本当に『残念美人』なんだから)
既に飲み始めている事から、これ以上言っても仕方がないとカオルは判断する。
カオルがヴァルカンを手玉に取るのは、まだまだ無理。
なにせヴァルカンは、一癖も二癖もある人物なのだから。
「カオル、飲みたいんだろ? いいぞ? 一緒に飲もう♪」
いやらしくニタァっと笑うヴァルカン。
子供に飲酒を勧めるとは、最低だ。
「飲みませんよ! だいたい、ボクにはまだ早いですから」
「えー? こんなに美味しいんだぞ?」
残念そうに聞こえないヴァルカンの声。
半裸の状態でカオルを手招きする姿など、おっさん以外の何者でもない。
(これは...既に酔ってない? ボクがいない間に飲んだ可能性が...)
思いあたるのはひとつだけ。
カオルは慌ててキッチンへ行くと、調味料棚をごそごそ漁る。
そして気付く。
大事なモノが無い事に。
「師匠。調味料棚にあった"料理酒"が無いんですが?」
振り返り、思いっきり睨みつける。
ヴァルカンは、さらに深くソファへ沈み込み、カオルに姿が見えないようにした。
「し、しらないなぁ。私は"ワイン"なんて飲んでいないぞ?」
(とぼけた事言ってるけど、ボクは"ワイン"なんて一言も口にして無いんですよ!)
「有罪」
「ひっ!!」
ヴァルカンは大慌てでソファから逃げ出すと、工房へ引き篭った。
後に残されたカオル。
少し怒っていたが(本当に可愛い人だな)と容認してしまう辺り、ヴァルカンにとても甘い。
ご意見・ご感想などいただけると嬉しいです。




