第零話 濁った目
初投稿、初作品です。
読み苦しい表現・言い回し。
拙い文章ではございますが、どうぞよろしくお願いします。
2016.5.28に、加筆・修正いたしました。
空が茜色に染まる頃、日本人にしてはやや黒く、遠目からもわかる見事な天使の輪を黒髪に乗せて、小さな人影はトコトコと急ぎ足で帰路へと急いでいた。
子供の名は『香月カオル』。
苗字である『香月』とは、遥か昔の時代、日本武尊の熊襲退治に功があり香月君の号を許され、香月荘などの荘園として、土地を与えられたのである。
そして、この香月荘が現代まで続く【香月町】であり、今現在も大地主兼企業家として『香月本家』の者は、かの地を守護し教え導いてきた。
「今日はどんなお菓子を作るんだろう♪」
肩掛けの鞄を前後に揺らし、平凡な街並みやすれ違う人、立ち話をしている人達をまるで風景の一部の様に感じながら、突き出た言葉を弾ませる。
子供は――カオルは薄っすらと気付いていた。
すれ違う人々が、自分の存在に気付き眉を顰め、井戸端会議をしている妙齢の女性達がコソコソ話している事を。
何も、カオルの見た目が可愛らしい美少女だからではない。
生物学的には男性である。
そんな稚拙な理由ではなく.....彼が、カオルが『香月本家』の一人息子だからだ。
ここ数年。カオルには、とある日課があった。
学校が終わると逃げる様に大急ぎで家へ帰り、両親と共にお菓子作りをしている。
齢9歳の子供が友達とも遊ばず、寄り道もせずに。
『親離れできないのだろう』。
そう、安易に考える事もできる。
実際カオルはまだ子供であり、自分に絶対的な愛を与えてくれる両親の事が好きなのだから。
しかし、それだけではない。
理由は、少年が育った環境。
【香月町】の大地主として君臨する『香月本家』は、未だにかなりの資産を有しており、付近の山々も『香月家』の持ち物で、新幹線誘致の折には莫大な資産を得たという。
そのような大家のおかげで、カオルは何一つ不自由なく暮らしてきた。
しかし、周りの目は厳しいもので、嫡子であるカオルに対する好奇な視線は、気色の悪いものだった。
恨めしい視線。
妬ましい視線。
数多くの嫉妬や悪意の中で、まだ9歳というカオルは耐えられなかった。
そして、次第にカオルは自分の殻に閉じこもるようになる。
まだ、幼稚舎を卒業し、小学校に入りたての頃はよかった。
友人達も、社会というものをまだよくわかっておらず、喧嘩しながらも仲良く接してくれていたのだ。
だが、物心付く頃になると、変化が訪れる。
友人の親達が、『香月本家』の嫡子であるカオルを恐れはじめた。
万が一、我が子がカオルを傷つけるような事があれば、どんな仕打ちをされるかわからない。
カオルの実父は絶大な権威を持っており、ここ【香月町】に住まう近隣住民にとっては、近づき難い存在。
直接的ではなくとも、ほぼ全ての会社の事業に関与していて、相談役的な発言権及び経営権を持っていた。
そこで、カオルと同年代の子を持つ親達は、我が子にこう言った。
「カオルにあまり係わるな」と.....
たった6~7歳の子供に、そんな大人の事情はわからない。
将来を見据えて『香月本家』に取り入ろうとする輩が居なかった事は幸いだろう。
それでも(自分の両親がそう言うのだから)と、迷わずそれに従った。
最悪の形で。
何をしたのか? それは、『無視』をしたのだ。
どういう理由かはわからないが、両親に迷惑が係らないようにするには、話さなければ、遊ばなければいい。
まだ幼い友人達は、短絡的で、そしてとても効果のある方法を選んだと言える。
カオルは突然の事に戸惑い、嘆き、悲しんだ。
そんなカオルに手を差し伸べたのは、他でもない肉親である父と母。
きっとすぐにわかっていたのだろう。
子供であるカオルに、隠し事なんて出来ないのだから。
そこで、ある提案をする。
学校が終わったら、家族3人でお菓子を作る事を。
もちろん、専業主婦をしている母親は良いが、数多くの会社を束ねている父親は目の回るような忙しさ。
それでも(我が子の為に)と、時間を合わせて傍にいるように努めた。
そして、ようやく帰路へと辿り着いたカオルは高級そうな邸宅の門を潜り、玄関の扉を開ける。
「お父様!! お母様!! ただいま帰りました!!」
弾む笑顔を顔に張り付け、いつもの様に元気に挨拶を告げる。
そうすれば、両親が居間から迎えに出てきて抱き締めてくれるはず。
それがいつもの出来事で、当たり前の事。
しかし、今日は違った。
「....カオルさん? お義兄様とお姉様が...つい先ほど亡くなられたのよ.....」
姿を見せて、そうカオルに告げたのは、母方の近所に住む親戚の叔母だった。
(なぜ、叔母様がここにいるの? 叔母様は何て言ったの?)
あまりにも突然の出来事に、カオルの思考が停止する。
言葉の意味を理解しようと、何度も思考を巡らせて、次第に頭の奥がチリチリと焼け付く様な感じがした。
けれど、何も言葉を発せずに呼吸が苦しくなり――
(何だろう...とても気持ち悪い....)
そこでカオルの意識は途絶えた。
カオルが気を失ってからの数日。
事態は少年を置き去りに、加速度的に進んだ。
『香月家』の分家――親戚が集まり、地元の斎場を貸し切って、お通夜だ、告別式だと、数多くの著名人や政治家、土建屋などが、忙しなく訪れていた。
祖父も祖母も、カオルが産まれるとうの昔に逝去しており、喪主を務めたのは『香月本家』の分家筋でも、本家嫡子のカオルに一番近しい傍系の伯叔祖父。
何もかもがカオルの手を離れ、斎場の棺に横たわる両親の死に顔すら拝む時間は無かった。
まるで、何かに急かされているかの様に。
そして、事は今に至る。
今、話し合われているのは本家の遺産と、カオルの養育権。
未だ現実を受け入れられない、たった8歳の子供の前でする話としては、かなり酷な話しだろう。
だが、哀れむ者は只の1人も居なかった。
それは、何人もの親族がいるにもかかわらず、カオルが椅子に座り誰とも口を聞かず、ただ虚ろに虚空を見詰めているからか。
いや、そうではない。
恐れているのだ。
ここ数年。両親以外の者と口を聞かず、何を考えているかもわからない、9歳の子供を何倍もの年齢の大人達が恐れている。
その理由はただ1つ。
彼が『香月本家の嫡子』だから。
分家の者は知っている。
本家の人間には、畏怖すべき『とある優れた力』がある事を。
"どんな物でも一目見て、理解できれば覚えてしまう"という呪いにも似た力が。
何十年もかけて....いや、一生を賭して磨き上げた技を、一瞬で模倣される。
盗まれると言った方が、わかりやすいだろうか。
カオルの父親がそうであったように、カオルもまた、その片鱗を見せた事がある。
小学2年生の時。
遠足で行った、輪島塗の工房を訪れた時の事。
人間国宝と言われる、妙齢の老人――職人――から、カオルはその技を盗んでみせた。
当時、たった6歳の子供が。
例に漏れず、職人気質な老人は、『やってみせ』『言って聞かせ』『自ら考えさせ』た。
子供達は「かぶれる」やら、「塗りムラがー!」やらと大はしゃぎする。
そんな中カオルは、突然人間国宝の職人と変わらぬ動きをし、まったく同じ物を作り出した。
引率の教師や、その工房の職人達は慌てたのは言うまでもないだろう。
これが、カオルの家柄を知らない者であるならば、『神童』と持て囃されたところであるのだが、そう上手く事は運ばなかった。
丁度その頃からだろうか? カオルが無視をされ始めたのは。
椅子の上で膝を抱えるカオルに対して、分家の者達は、まるで人外の化物でも見るかのような視線を送った。
そして、ここでもカオルを置き去りにして話が始まる。
『遺産の取り分』
なにしろ、街ひとつまるごと繁栄を齎し続けた本家の財産。
時代が時代ならば、武家として、華族として、富と名声を持っていたに違いない。
カオルの目に映る光景は、壮絶を極めた。
親族達は、目を血走らせ、罵りあい、時には掴み合いの喧嘩にまで発展している。
既に――いや....最初から、カオルの養育権などゴミ同然だったのだろう。
口々に叫ぶのは、自身の保身と金と権威のみ。
とても醜い光景だった。
薄汚れた灰色で貪欲な『濁った目』。
誰一人カオルの事など見向きもしない。
(怖い....ここに居る人達は怖いよ....)
恐怖に駆られ、カオルは椅子から立ち上がると、転げ回りながら自室へと逃げ込んだ。
考え得る手段を用いて厳重に鍵を掛け、椅子を、本を、クッションを扉に投げ付け、部屋の片隅でガタガタと震えた。
(なんで、こんな事になってしまったの? なんで、ボクがこんな目に会わなければいけないの? なんで、お父様とお母様はボクを置いて逝ってしまったの? なんで...ボクは...弱いの...)
考える事はそんな事ばかり。
恐怖と孤独と喪失感が、凍りの刃となってカオルの心を突き刺した。
枯れるほど涙を流し、血が滲むほど腕を掻き毟り、自分のあまりの無力さに絶望した。
たった8歳の子供には、あまりにも辛い試練だった。
結局、カオルの両親が残した莫大な遺産は親族が分配管理する事になり、カオルには幾ばくかのお金と、両親と過ごしたこの家だけが残った。
さんざん押し付け合っていたカオルの親権だが、近所に住む叔母が持つ事に。
カオルに同居する意思は無い。
恐怖の対象である、あの親族と共に過ごすなんて、カオルには考えられない事だ。
そこで、カオルの願いが届いたのか「一緒には住めない」と叔母から提案される。
カオルは静かに喜んだ。
両親と過ごしたこの家を(我が者顔で荒らされなくて済むから)、と。
親族達が帰り、広い家にカオルがポツンと残される。
他に誰もいない。
あれだけ騒がしかった事が、ウソの様に。
そして、カオルは1つの部屋を見詰める。
大好きな両親が、毎日仲睦まじく過ごしていた寝室。
今にでも両親の寝室から、(お父様とお母様が出てくるんじゃないか)という錯覚までして。
そんな事などあるはずが無いのに....
頭をブンブンと振り、意識を現実へと引き戻す。
(今日から、どうやって生活すればいいの....)
たった8歳の少年が広い邸宅で1人暮らしをする。
それも、大好きな両親はいないのだ。
カオルはある事を決意した。
(このまま家に閉じ篭れば、お父様とお母様が生活していたあの時も、永遠に閉じ込められる..よ...ね...)
子供のカオルは、そんな事に縋り付いた。
翌日から、学校には行かなくなる。
いや、正確には行く事が出来ない。
両親と過ごした日々を風化させないために、カオルはこの場を動くことが出来ないでいた。
突然登校しなくなったカオルを心配し、無視をしていた友人達が親に言われて尋ねて来ても、ドア越しに挨拶をするだけでけして会うことはなかった。
引き取ったはずの叔母も、最初のうちは頻繁に顔を出していたが、最近ではたまに電話をかけてくるだけの状態。
全て、カオルが望んだままに。
それからの1年間は、まさに孤独だった。
一人で生活する為に知識を得ようと、沢山の本をネット通販で買い込み、どんなことでも積極的に学んだ。
料理の仕方、裁縫や洗濯などの家事全般はもちろん。
果ては医者や研究者が日々研鑽する様な事まで必死に勉強を続けた。
ここで、カオルの才能は開花する。
本から知識を得ると、テレビから技を盗んだのだ。
だが、万能かと思えた力にも欠点はあった。
実際に目で見て、理解をしなければならない事。
子供の体では、体力面に無理がある。
そこで、成長しなければどうする事も出来ない前者をひとまず置いておき、知識のみを蓄える事にした。
朝起きると、いつもの様に居間のテレビを3台起動し、別々のニュースと通信講座を流す。
今の時間、テレビから流れてくるのは、気象予想士の講座。
居間のソファに腰掛け、生物の解剖術の本を取り出してそれを読みふける。
これは『香月本家』の勉強方法で、カオルが生まれてからずっと続けている。
父親からは、「人の3倍頭を使え」と口をすっぱくするほど言われていた。
おそらく、父親もそうだったように、香月本家嫡子としての力をこうして代々伝えてきたのであろう。
そうこうしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。
不安が頭を過ぎる。
カオルは、読んでいた本を置き、足音を立てないように注意しながら玄関へと向かう。
そっと覗き窓から外を見やれば、児童相談所の職員という人が尋ねてきていた。
「香月カオルさん、いらっしゃいませんか? 児童相談所の者ですが」
カオルが傍にいるとも知らずに、ドア越しにそう話し掛けてくる。
おそらく、カオルが一人で暮らしている事を誰かから聞いて来たのだろう。
声も気配も押し殺して、ただただジッと耐える。
時間にして数分。
カオルにとっては何倍にも感じる時間。
すると、ようやく観念して帰っていった。
不在だと思ってくれただろうか...
カオルは、1年前よりも他人と触れ会う事に、恐怖を覚えるようになっていた。
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