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「実はアレンのやつ昨日の晩、髪乾かさないまま寝たから体調悪いらしいんだよ」
「鼻血出るぐらい体調悪いなら帰って病院行けよ」
アホなのか最強のAランク。
というより髪の毛を乾かさないぐらいで体調を崩す冒険者ってどうよ。
「貴様ぁ……、もしや変な病を持っているにもかかわらず深月様に接触したのか? もし深月様が体調を崩されたら……。そのクソみたいな貴様の命では償いきれんぞっ」
これまで深月の後ろで黙っていたレーベが凄みながらアレンに迫る。ヤンキーかお前は。
「いや! 大丈夫! 別に何かの病気って訳じゃないよ! ただ――っ!」
あせった様子でレーベの言葉を否定する。自分の命をクソ呼ばわりされたのにもかかわらずそこに怒らないとは、流石優者懐が深い。
「ただ強いて病気って言うなら!! ……こ、恋の病……かな……?」
…………。
「……深月様、こやつ頭が病気のようです」
「みたいだな」
深月とレーベは可哀想なものを見る目でアレンを見る。
なぜか今このタイミングで急に恋の病が出てくるのか。もしや恋人や想い人のおへそを思い出して鼻血出したというのではあるまい。というかそんなへそフェチが身近にいるとは考えたくない、ましてその変態が最強の冒険者とは。
この惨状をなんとかしろ。とアルザの方を見るがこの場で唯一この居心地の悪い空気を払拭できそうな本人は腹を抱えて悶絶していた。
勝手に盛り上がって、勝手に爆発して、勝手に頬を赤くしているアレン。くくくっひひひっ、と気持ち悪い笑い声をあげて肩を震わせ笑うアルザ。
今からこの2人に魔力などという重大なものを教えてもらう事実に、深月は不安しか抱かなかった。
「こほん! じ、じゃあ始めるよ」
正気に戻り、自分がいかに恥ずかしい意味不明な事を口にしていたか自覚して悶えるアレンをアルザと2人でなんとか宥め、やっと本題に、魔力を目覚めさせる作業に入る。
人が少ない方が集中できるだろうとのことで、広場から街のはずれにある今は使われていない鍛錬場へと移動している。
その辺にころがっていた大きな丸太に深月が座り、そしてアレンが深月の背中に手を当てる。病院でお医者さんに聴診器を背中に当てられているような体制。服は捲ってないが。
「集中して、自分の中に魔力は絶対あると思いながら意識を心臓に向けるんだ。」
「お、おお……。」
途端、背中に添えられたアレンの手のひらから暖かな波が流れてくる。コレがアレンの魔力なのだろうか。
その波は背中から徐々に広がっていき全身をめぐり、やがて心臓へ向けて収束していく。
――――ドクンッ。
「っ!?」
――――愛しい人……。
深月の心臓が一度大きく脈動すると共に、声が響いた。
大きな愛情を感じさせるその声は、深月の鼓動にのって聞こえてきたような気がした。
どこまでも甘く優しく、そして切ない声。
間違いなく深月は今まで聞いたことのない声だと断言できるのに、確かな既視感を与えてくる。
そして不可思議だが優しい声が聞こえると同時に、今度は心臓から先程感じたアレンの魔力とは別の力の波が溢れだした。放射状に広がり全身を勢いよく廻り、やがて体外へ放出される新たな波。それに伴い深月の身体には未だかつてない力が溢れてきた。
この新たに出てきた波が自分の魔力なのだとすぐに理解する事ができた。
「スッゲー……、これが魔力か!」
「感じれましたか? 自分の魔力を自覚できたら今度は魔力が血液に乗って全身をめぐるイメージを持ってください。今はオレが補助して循環させていますが、うまくイメージできると自分一人でもできるようになります」
ゆっくりと手を開閉し身体の調子を確かめる。心臓からより波が出るように意識すればするほど、魔力は暴れる激しさを増し体外へ放出される魔力量も増えるが、それに比例してどんどん力が増していく。そうして広がり続ける魔力と全能感を楽しむ。
「どーよレーベ! これで少しは強くなっただろ!?」
強くなっているであろう確かな実感が嬉しくて、思わず傍らで控えていてくれた従者に声を掛ける。
「……」
「ん? レーベ??」
返ってきたのは沈黙。レーベなら一緒に喜んでくれるかと思ったのに。
どうしたんだとレーベの方に視線を向けようとしたら、抱きしめられた。
「な、なに? どうしたレーベ?」
「なぜか急に深月様への愛がこう……、ムラムラと?」
ムラムラって擬音やめろ。
「ホント急になんだよ?」
いつもなら、こんな人前でアピールされると恥ずかしさからすぐにふりほどくのだが、今日はどこかレーベの雰囲気が違う気がする。別に顔に当たるやわこい感触に惑わされたわけではない、決してない。
「まぁ、急にとは言いましたが、私の深月様への愛は昼はひねもす夜は夜もすがら寝ても醒めても永遠不滅加速度的に今この時も大きくムラムラと成長し続けている訳ですが」
なぜかドヤ顔のレーベ。
違和感は勘違いでいつもと何も変わりはなかったかもしれない。
「おいおい、イチャついてんじゃねぇぞ! 自分の魔力を把握できたならさっさとそれを掌握する段階にはいれ!」
アルザが呆れたように声を掛けてくる。
深月としても早く自分の魔力をコントロールする方法を知りたいのだが、如何せんレーベが離してくれないのだ。
「アレン、このガキの魔力はどれぐらいだ?」
「いや、すごいですよ深月さん。正直予想していたよりかなり多いです。冒険者の中でも潜在的な魔力量はトップクラスじゃないですかね」
なにやら嬉しい事実も聞こえてくる。思わず頬がにやける。
その後アルザの舌打ちとこんな会話が続けられる。
「具体的にお前と比較してならどのぐらいだ?」
「んー、そうですね……。オレの8、いや10分の1ぐらいの量ですね」
「クッソッ! じゃあオレとほとんど変わらないぐらいの量かよっ」
「あー、確かにアルザさんと同じ位ですね」
…………。
ぬか喜びでしたー。
いや、冒険者の中でトップクラスという話は間違いではないのだろうから別に落ち込む必要はないのだが、今の会話を聞いた後でどうして素直に喜べようか。
というか、仮にも冒険者のトップクラスだと判明した深月の10倍の魔力量とは、おそるべし最強のAランク。
「はぁ……。まー、上を見てもキリがないか。つーかレーベ、そろそろ放してくれない?」
さっきからやわこい膨らみが顔にあたってままで非常に落ち着かない。
「はっ! ……いや、深月様のご命令に逆らうつもりはまったくないのですが、……その、もう少し……ダメですか?」
か、可愛い……。
いやいや、違う違う。
早く魔力のコントロールをしなければ、と思いつつも瞳を潤ませるレーベを見ると、深月の手は思いに反してレーベの背中に回されつつある。
「そんな非生産的な……。深月さん! 貴女の事情はわかったつもりですが、恋愛はやはり異せ……――――ッッ!?」
アレンがなにかを言いかけ止める。
特に何か異変があったわけではない。だがアレンが表情を無くし、辺りを警戒する。
「どうした?」
「何か、というか凄い数が来ます。……いや、これは敵意なしか」
前半はアルザへの返答。後半は誰へとも向けたものではない呟き。
「はぁ? ――――っ?」
そこでアルザも何かを感じ取ったのか、腰のナイフに手を掛ける。
街の方に向き、数瞬後、土煙が見えた。
「おいおいおいおいおいっ! どうなってんだこれは!?」
アルザが思わずそう叫んだのも無理はない。
街の方から鼠栗鼠犬猫豚馬牛ありとあらゆる動物が深月でも見たことのない数で、果てはワーキャット、ワーウルフなどの獣人の女性までもが大挙して押し寄せて来ているのだ。
その先頭はアイリスとネル。
後続をすごい速さで引き離して「深月様ー!!」「深月ー!!」と、その勢いそのままぶつかってきた。
「ぐふっっ」
レーベに抱かれたままなので逃げられず、衝撃をもろにもらう。目の前に二つの大きなクッションがあったのでそれほどダメージはなかったが。レーベは流石というかたじろぎもせず平然と立っている。
「なっ、なに? お前らなんでこっちに来たの? てゆーかよくボクがここにいるってわかったな!?」
「いえ、なぜか急に深月様への想いというかなんというかが、なんかこう、胸の奥からムラムラときまして。気がついたらこっちに走りだしていました」
「ムラムラトー!!」
だからなぜみんなその擬音を選ぶ。
流行ってるのか?
『ミツキフェロモン』。
この異常事態を引き起こした原因が一つ思い浮かぶが、しかし『ミツキフェロモン』にここまでの効果は無かった。短時間でしかもこれほど大規模で広範囲に影響を及ぼしたことなどない。
「お前らいちゃついてる場合か! このままじゃあの波に飲み込まれるぞ!!」
「これはもしかして……、深月さんの魔力に惹かれているのかもっ。深月さん、一度を魔力を止めてくれますか!」
「止めるつったて、どうすりゃいーんだよ!?」
現在魔力は深月が意識して放出しているのではなく、血液のように心臓から勝手に流れ出ているのだ。
「しかたないか」
そう呟くとアレンは道から押し寄せる動物たちの進路を塞ぐように道の真ん中に立つ。そして右手を無造作にあげ、しっかりと前を見据える。
「『スリープミスト』」
世界が白で染まった。
白一色になったわけではない、すべてに白い絵の具が薄く上塗りされたような不明瞭な視界。目の前のレーベやアイリスの顔ですらややぼやけて見える。
その白い絵の具の正体は目を凝らすとすぐわかった、霧である。
「どーなってんだこれ……?」
つい先ほどまで霧の気配など欠片もない晴天だったはず。
「これは『眠り』の状態異常を引き起こす『スリープミスト』って魔法。あのままじゃ収まりがつきそうになかったから、少し強引だったけどね」
白の世界の中でアレンの声が聞こえたかと思うと、世界を埋め尽くしていた霧は何事もなかったかのように消え去った。
霧が晴れたあと周りを確認すると、押し寄せてきていた動物たちは折り重なるように道に倒れている。
「『スリープミスト』は本来指向性を持たない極小範囲、おもに単体を対象にする、初歩的な魔法のはずなんですけど……」
アイリスが頬をひきつらせながら深月に補足してくれる。
「ちょっと気合い入すぎちゃったかな」
などとこの光景を引き起こした当の本人は笑いながらのたまっているが、まだ魔法に馴染みのない深月は呆気にとられるしかなかった。魔法とはこれほど大規模に影響を引き起こせるのかと。
「……お前ますます人間離れしてきたな」
アルザ思わず言った言葉だが、深月も同意する。
「しっかし、一体何が起こったんだ?」
「わかりません。ですが実際にアンデットは洗礼を受けた聖職者の魔力を嫌いますから。生物には魔力に対してある種の嗜好が存在するのではないかと言われてはいますが」
「嫌われる魔力があるなら、その逆もありえるってことかよ。好かれる魔力ね、にしても限度があるだろうが」
好かれる魔力。
二人の考察を聞いていると『ミツキフェロモン』のことに間違いないだろう。
今まで深月を様々な場面で困らせたり助けたりしていた『ミツキフェロモン』の正体がまさか魔力だとでもいうのか。
「この説の真偽はどうであれ、今のうちに深月さんには魔力のコントロールを覚えてもらいましょうか。いつまでも動物を寝かせておく訳にはいかないし、また動物が集まっても困る。それに深月さんは魔力量が多いからあまり心配はないかもしれないけど、それでも今垂れ流しになっている状態が長く続くと魔力切れを起こしかねないしね」
「魔力が切れたら何か問題があるのか?」
「さっき言ったように魔力は生命力だから、切れたら死にはしないまでも暫くは歩くことも出来ないぐらい疲弊するかな。体外に魔力が出ていってる自覚はあるよね? それがそのまま続くとけっこうしんどいことになるかな」
「そーゆー大事な事は早く言ってくれよ!!」
既にかなりの魔力の無駄使いしちゃった気がする。
「魔力をコントロールするにはどうすればいい?」
「一度自覚できたのなら簡単だよ。今自覚している自分の魔力を心臓に集めるように意識して、ちょっと難しいと感じるようなら血液のように身体を巡って心臓に戻るように意識してもいいよ」
魔力を心臓に、魔力を心臓に。
そう意識すると意外なほどスムーズに暴れていた魔力は収まった。
「できたみたいだね。じゃあ今度は心臓から魔力を出して身体を覆うように」
云われたように魔力を意識する。
その後、何度か引っ込めて出してと深呼吸のように繰り返していく。
「うん。これぐらいでもう十分かな。もうコントロールはできてるって言っていい。あとは速度と正確さを向上させていくだけだ」
「つーことは! これでボクも魔法が使えるようになったのか!?」
メ○ゾーマとか○ンダガとかうてるのか!?
「それは残念だけど、まだかな。魔法とは自分の中の魔力を自分の意志に乗せて、大気中の魔素に作用させながら実体や実行力を持たせ世界に実現させること。魔法との相性にもよるけど、最初の初級魔法一つ覚えるにも基本的に1年はかかるといわれている。一つ覚えれば同じく初級の魔法なら順調に覚えていけると思うけどね」
魔法一つに1年。大きな魔法でせん滅というのも憧れるが、前衛を目指している深月には初級魔法一つに1年という少なくない歳月を魔法に費やすことは躊躇われる。
「さらにいえば深月さんは今回裏技を使ったようなもので自分の意志でで魔力を目覚めさせるっていう過程をすっ飛ばしているから、普通の方法で魔力に目覚めた冒険者より少し苦労するんじゃないかな」
ダメじゃないか!
「おいっおっさん! そんな事聞いてねーぞ!?」
そんなデメリットがあるなんて聞いてない。本日2度目だが、そういう大事なことは先に言っておいてほしい。
「魔力を自分の意志で目覚めるにもだいたい2年かかる。ダンジョンまでに少しでも底上げしなきゃなんねぇだろ、いくらギルタブリルを従えていてもお前の実力がAランクになったわけじゃない。テイマーの一番の弱点はテイマー自身だ。それにお前、魔力に関しては考えられないぐらい理解が低すぎたからな、5年かけても覚えられたかどうか」
うっ、それを言われると弱い。
魔力という概念が無い世界で生きてきた分、この世界の住人よりも魔力という分野で遅れをとるのは確実だと自分でも思う。
しょうがない、諦めるとしよう。撃ちたかったなー、メ○ゾーマ。
「――――さて、じゃあそろそろお前の特殊な魔力について話を聞こうか」
そりゃそーなるよな。いくらなんでも、このままスルーしてくれるなんてうまい話にはならないよな。
さて、なんて世間話の続きみたいに切り出しておいて、アルザとアレンは話をはぐらかせるような雰囲気ではなかった。




