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リーカーシャ王国 王都『リーフェリア』
まだ日が完全に昇りきっていない薄暗い広場、その中央で二つの影がせわしなく交差している。
二つの影のうち、背の低い方――緒方深月――は手に刃引きされた剣を持って切りかかり、もう片方の影――アルザ・テルミドール――は、ひらりひらりと体を舞わせて繰り出される攻撃をわざと紙一重の間合いで避ける。
そんな二人の様子をレーヴァイア、アイリス、ネルといった深月の僕や、アルザが所属している冒険者パーティ『昼の影』のメンバーが遠巻きに眺めていた。
「ほらほらどうしたぁ? ぜんっぜん、掠りもしてないぞ」
っの、へらへら笑いやがって!
「――クソッタレっ!」
この近距離鬼ごっこが始まってから5分。触れることすらできずに、いい加減フラストレーションの溜まってきた深月は、なんとか一撃くれてやろうと剣術の型や作法関係なしに昔路上で使っていた喧嘩殺法を繰り出しことにした。
まずは距離を詰める踏み込みで足を踏みにいく。直接的なダメージを狙ったものではなく、ステップなどの動きを止めるためだ。そして動きが止まったところに突きを繰り出す。
「甘いなぁっ!」
それに対してアルザは少しだけ足をズラして深月の踏みつけを避ける。死角だと思っていた足下も見えているようだ。
「どんだけ視界広いんだよっおっさん!」
深月は毒づきながら、今度は剣の両手持ちを止めて、空けた方の左で不意を突いた顔面めがけてのストレートジャブ。
首を少し傾けるだけで軽く避けられるが、避けられるのは折り込み済みで、本命は左を戻す際に髪を掴むこと。
余裕ぶって最小限の動きで避けたおっさんの負けだ、 そのまま顔面に膝入れてやるっ。
確信を持ってアルザの髪を掴みにいくが、掴んだと思った瞬間にまるで煙でも掴んだのように霞んで消えた。
は? と深月は思わず惚ける。
いつのまにか、アルザは深月が認識していた場所より一歩横にズレて立っていたのだ。
「まだまだ状況の把握が甘い甘い、そんなんじゃオレに一撃入れるなんて何年後になるやら」
あれだけアルザの動きに気を配っていたのに、まったく気付かなかったし見えなかった。瞬間移動したかのようだ。
「もう何度も言っている事だが、攻撃する一部分ではなく相手の全体を見ろ。戦闘で一番大事なことは剣の振り方でも足捌きでもなく、一瞬々々で変化していく状況に如何にして対応していくかだ。相手全体を見ることによって目線や体捌き、筋肉の張り具合などから相手の行動を予測して、ある程度の先読みができるようになれ。それがなければすぐに殺られるぞ。あと最後に仕掛けてきたあんな賢しい小細工だが人間相手の喧嘩では通用してもモンスターを相手に――」
ふふん、とアルザは得意げに笑ったあと、腰に手をあて偉そうに深月に説教している。そんな中で、
――上空から垂直落下してきた鳥部隊の嘴がアルザの頭頂部につぎつぎと突き刺る。
空からの突然の奇襲には、さすがのBランク冒険者も対処できなかったか。
「いっ、――てぇぇぇ~~~~ッッッ!?!?」
深月を含め周りのメンバーはおもわず吹き出した。
見事奇襲を成功させた鳥たちは「どうですか兄貴、やってやりましたぜ!」と、深月に向かって一つ鳴き声を上げて近くの家の屋根に飛んでいく。ああいやいや、集まった鳥たちは全員がメスだろうから「どう? 貴方のお役に立てたかしら」と色っぽく鳴いたのかもしれない。
「か、カ、カルミナぁ! 治療っ回復っ!」
呼ばれた『昼の影』の回復担当は、くくくっと肩を揺らしながらもアルザに向かっていく。
「お疲れさまです」
一矢報いてくれた思わぬ助っ人に感謝しつつ笑っていると、横から冷たい水が入ったをコップが差し出された。差し出したのはレーベことレーヴァイア。ベヒーモスというとんでもないモンスターで深月の初めての僕のであるモンスター娘だ。
「見事な一撃でした」
「別にボクが攻撃入れたわけじゃねーけどな」
コップを受け取って深月は苦笑し、冷たい水を一息で呷る。
こうして深月に尽くしてくれているレーベではだが、その実は深月を指導しているアルザはおろか巨大なドラゴンですら一撃で葬るほどの力を持っているのだ。
まだまだ全然遠いな。と深月は思う。アルザの影にすら触れられないようでは。
稽古が終わり、深月とアルザの二人は近くの水場にいた。
稽古の後、こうして汗を拭い、熱くなった体を冷ますのはもはや恒例になってきている。
二人そろって上半身裸で体を拭いているが、まだ誰も起き出していないような時間なので人の目を気にすることはない。
「大体なんでお前に外で稽古を付けるといつもいつもいつもっ動物が集まってきて、それも悉くお前の味方をするんだっ」
「さぁ? 昔から動物には好かれる方だったけど」
いつもいつもいつも、深月の稽古には大量の動物が集まってきて大変な事になるのだ。わざわざこんな早朝に稽古をするのも、ほとんどが動物がまだ寝ているであろう時間を狙った苦肉の策だ。
「好かれるにしたって限度があるだろ。集まるだけじゃなくてなんでオレが動物に攻撃されるんだ!」
「おっさんがなんか恨まれる様なことシタンジャネーノー?」
アルザの追求に深月は棒読みでとぼけてみせる。実際は、深月が緊張や興奮、運動などで心拍数が高まった際に深月の体から発せられる動物やモンスターのメスを虜にしてしまう『ミツキフェロモン』が原因だとはっきりわかっているのだが、言うとなにかと面倒な事が起きそうな気がして適当にボカしているのだ。
『ミツキフェロモン』の事が広まったら、研究者に捕まって解剖されたり変な魔法かけられたりとモルモットにされる。なんてこともありえなくないのだから。
「そんなことするかっ、オレは動物と女には優しく接すると決めているんだ」
「じゃあアレだ、おっさんの加齢臭が我慢できなかったんだろ」
「はっ!? 言いやがったなこのクソガキ……っ。27で加齢臭なんか出るわけないだろ!」
「わっかんねーぜ? 動物は人より鼻が利くからな、すでにおっさんのおっさん化が始まっているのかもな」
「ーーああ、そうかわかった。あまりに情けないガキが強いお兄さんに挑んでいく姿が目に入ったから同情して加勢に入ったのか。良かったな、動物に同情してもらえて」
「……ンだとコラ、その情けないガキに奇襲もらって頭から血ぃ流すおっさんは誰でしたっけねぇ!?」
「一撃入れたのはお前じゃないだろ!」
「ハッ、テイマーが動物使ってなにが悪いってんだ」
「テイマーなら自分の使い魔を使役しろ! たまたま周りにいた動物に頼るな!!」
「いいんだよボクは『モンスター娘たらし』なんだから! 周りにいた動物さえも味方にするのがウーマナイザーなんだっ、文句あっかコラッ!?」
「お前さっき自分の事テイマーって言ってただろうが!? そもそもお前の鍛錬なんだから周りに加勢させたら意味ないだろ! そんなんだからお前はいつまでたってもザコなんだよザコ!」
「言いやがったなこのクソジジィ!! レーベに瞬殺されたクセに、『モンスターウーマナイザー』としてのボクと『暗殺者』としてのおっさんなら断然ボクの方が強い!!」
「お前っ、師弟関係があやふやになるからその事には触れないって最初に約束しただろうが!?」
深月がアルザに稽古を付けてもらうようになってから早くも1ヶ月。稽古終わりの軽口の応酬からのガンの飛ばし合い、そして胸ぐらのつかみ合いもすでに恒例になってきている。だいたいお互いが疲れて不毛さに気づくまで続くのだ。
今回も一通りお互いの弱点をガリガリ削り合いなんとも不毛な痛み分けとなったところでどちらともなく自然休戦に入った。
しばし黙って体を休める。
「あ~そうそう、この1ヶ月お前を見てきての感想だがな、まぁ筋は悪くない。このまま順調にいけば4、5年でDランク程度の実力は付くんじゃないか?」
やるせない空気のなか、アルザが少々わざとらしく、今思い出したといった風情で言った。
「はっ、Dかよ。ボクは最終目標はそんな低くねーよ。すぐにおっさんを抜かしてやるから見てろよ?」
深月は第2ラウンド開始かと、先ほどのノリの延長で軽口で返す。
バカ言うな、お前にはまだまだ負けるか。とか、そんな感じの言葉が返ってくると予想していたのだが、返ってきたのは思案しているような沈黙。
「……お前は、数多くいる冒険者の中でCランクに到達できる奴がどれだけいると思う?」
「はぁ? なんだよいきなり」
唐突に投げられたそんな質問に深月は怪訝に思ったが、アルザの真剣な表情を見て、のどまで出かけていた軽口を飲み込み真面目に答える。
「ん~……、2割ぐらい?」
AからFまで合計11のランクがある中でCは上から5番目。順当に考えれば4割半ぐらいだろうが、小遣い稼ぎで登録する奴もけっこうな人数いるということを考えると、それぐらいではないだろうか。
「3パーセント」
一瞬、アルザの口からそれが何の数値かわからなかった。それほど先の質問とその数値が結びつき難かったのだ。
「何万人の冒険者の中で、たった3パーセントの人間しかCランクに到達できていない。一般的にD+が普通の人間の限界だと言われている。確かにオレは人一倍鍛錬したいうと自覚はあるが、それでもオレ以上に努力しているDランク周辺の奴らなんざ何人もいるだろうさ」
アルザはそこまで言って口をつぐみ、じっと深月を伺っている。
つまりアルザは、いくら努力をしたとしても壁があり、ほとんどの人はその壁を越えることはできずに終わり、深月もそうなる可能性が高い。そのことは覚悟しておけと言っているのだろう。
アルザはいざそのときになって、深月が負う傷を少しでも小さくできるように心構えを促してくれたのだろう。――まったく大きなお世話だ。
深月はそれを素直に認め、それでも頑張れるほど大人ではなくて、薄々現実に気付きながらも、それでも自分が特別であると思っていたい程に子供だから。
「……偉そうに、結局自分褒めかよ」
なんてひねくれた言葉が吐き出して誤魔化すのだ。
そんな深月の微妙な気持ちを知ってなのか、「そうだ。悪いか? オレは強いからな!」とアルザはおどけてみせる。
「ま、お前には動物に好かれるなんて狙ったような才能があるんだ、オレはテイマーのことなんかまったく知らないが、その才能があればもしかしたらAの上も狙えるかもな」
「? なに言ってんだよ、Aが一番上のランクだろ?」
「ああ、そっか。マニュアルには載っていないのか。あるんだよ、最高位であるAランクの上が。ギルドが創設されてからたった10人しかたどり着くことができなかった、強さの規格外、強さの最果てーーXランク」
Xランク。
おそらく未知数だとか測定不可能だとか、そんな意味合いがあるのだろう。が、それにしても、
「…………センスわる」
いかにも中2病をこじらせてる。
「言っておくがオレが勝手にそう言ってる訳じゃないぞ! ちゃんとギルド側の正式名称だからなっ!」
すかさず補足してきたところをみるに、アルザもすこし思うところがあるのかもしれない。
「噂じゃあ、魔法で山を一つ潰したり、剣圧で海を割ったりと本当に化け物みたいな強さらしいが……、噂には尾鰭が付くもんだ。たぶん誇張だろ」
「へー」
確かにどれも到底信じられないような話なのだが、レーベが地竜を倒す際に大地に蜘蛛の巣状のヒビを入れるところを目の前で見た深月としては、あながち誇張だと一笑に付すことはできない。ーーそして自分には関係ない遠い存在だと諦めることもできない。
「どっちにしろ、ボクもおっさんもまだまだザコだってことだな」
「お前と一緒にされるのは非常に心外だが……、そういう事だな」
今はまだザコだが、いつかはそんな存在の横に立てる男にならなければいけないのだ。
「じゃ、先行ってる。また明日も頼みます」
深月は師匠にヒラヒラと適当に手を振り、シャツを羽織ってモンスター娘たちの元へと向かった。




