プロローグ
三月は始まったばかり、桜も咲いていないまだまだ冬といっても過言ではないそんな時節。
なのに水着で撮影なんて正気の沙汰じゃない、せめて暖かい海外とかに連れていけ! なに近場の海ですまそうとしてるんだ!!
というのが最近人気急上昇中の新人グラビアアイドル、倉木蘭の主張だ。
「ほら蘭、さっさと着替えてきなさい」
ヌクヌクのジャンパーを脱いで防御力皆無の水着に着替えろなんて、そんな特攻命令を倉木に下したのは、デビュー当時からのプロデューサーである高見さん。たった2年で倉木をここまで連れてきた敏腕プロデューサーだ。
「え~、蘭寒~い。やっぱり着替えないとダメぇ?」
亀のようにジャンパーに首を埋めている倉木は、小首を傾げ甘えるようにぶった声で高見に訊ねた。
「駄目に決まってんでしょ。あとそんな気持ち悪い声出すのは男の前だけにしなさい」
遠慮会釈なく切り捨てられた。今まで何人も男をファンに取り込んできたブリッ子ボイスも同性には効かないようだ、むしろマイナスかもしれない。
「気持ち悪いって……、ひどいなぁ。でもさ高見さん。今日の気温知ってる? 9℃だよ9℃!! 冬だよ!?」
「はいはい、わかったわかった。ほらさっさと着替えてくる。はいこれ今日の衣装」
今日の水着を渡されて、更衣室なんて到底呼べない、小さなテントみたいなものにグイグイ押し込まれた。
さらばヌクヌクよ。しぶしぶジャンパーのジッパーを下ろして、
「うひゃ~! 寒い!」
すぐさま上げた。
「こらっ、アンタ今ジッパー上げたでしょっ!」
外から高見さんの怒鳴り声。どうやら音が聞こえていたらしい。
「タカミンだってコート着てるじゃん」
「タカミン言うな。そりゃ私はアイドルなんかやってないもの」
「ちぇっ。タカミンもアイドルやればいいのに」
高見さんは年齢こそそろそろ三十路とアイドルとしては厳しいが、かっこいいできる女、女性受けしそうな美人さんだ。
「アナタ今日デートだって言ってたじゃない。早く終わらせないと間に合わなくなっちゃうわよ」
「え? ああ、そんなこと言ってたっけ。それなら昨日別れた」
「へ……? ーー別れたぁぁ!?」
滅多に聞けない(たぶん初めて)高見さんの素っ頓狂な声におもわず笑いがこぼれる。
「アンタ付き合いだして1週間経ってないじゃない!?」
「残念。ちょうど1週間で別れましたー」
「どっちでも同じよ! 1週間は短すぎるでしょ」
17の時、初めての彼氏とは2ヶ月ちょい。次の彼氏は約1ヶ月半。そして今回はなんと1週間だ。順調に短くなってきている。
一人目と二人目はまだしも三人目が1週間なんてマッハで別れたのは、たぶん最近急によく見るようになった昔の夢のせいだろう。
まだ倉木が子供の頃の、19年しか生きていない人生の中で12年も前の出来事。
当時近所に住んでいた、自分のことをボクと言っていた女の子と遊んだ記憶。
出会いは13年前で、倉木が公園で遊んでいたところにその女の子が母親に連れられてやってきた。
母親の後ろに恥ずかしそうに隠れていた、お人形のように可愛い女の子。一目見たときから胸が高鳴り、倉木はその子に惹かれてく。
倉木の両親が離婚し、それが原因で倉木が引っ越してしまったためたった1年しか一緒に過ごせなかったが、その女の子と過ごした日々は今も倉木の中でなにより輝いている。思えばあれが倉木の初恋だったのかもしれない。
両親の離婚よりもその子と離ればなれになる事の方が何倍も辛く、受け入れられなかったのだからかなり重傷だ。
そんな感情も、自分より何倍も可愛い子に出会ったための、一過性の憧れのようなものだろうと考えていたが、その気持ちは色あせるどころか今もどんどん増してきているように思える。中学を卒業して芸能事務所に入った理由だって、その子が見つけてくれるんじゃないかという期待が少しあってのことだ。
もしかして私ってレズでロリコンの変態なんじゃあ?
高校になってからそんなことを真剣に悩み、男と付き合い正常になろうとしたが、ーー無駄だった。
どんなにかっこいい、イケメンとされる男でもあの女の子と過ごしたときに感じたときめきは無かった。それどころか男に肌を触られるなんて不快感しか湧いてこない。
今思えば碌に手も繋がせないのに、2ヶ月も付き合ってくれた最初の彼氏はものすごくいい人だったのだろう。
昨日の彼なんかはキスを拒んだだけで逆ギレ、無理矢理迫ってきたので思い切り急所を蹴り上げて、腹パンしてフッテやった。
向こうもアイドルで有名国立大に通っていて中性的な顔つきなイケメン、この人ならあの子みたいに好きになれるかもしれない。1週間前、付き合った時はそんな風に思っていたが、夢を見るたびにあの女の子との日々が思い出され、いざキスを迫られてもどうしても唇を許すことはできなかった。
「あの子の唇は柔らかかったなぁ……」
引っ越しの日、見送りに来てくれた女の子に不意打ち気味にキスをした。
大げさでなく自分の世界が輝きだし、自分の居場所はここだ、この子に会うために生まれてきたのだという気さえしたのだ。あの最高の思い出を、他の男なんかで汚すことはできない。
「くそぉっ、どうしてあの時舌を入れなかったんだアタシはっ」
などと真剣に後悔して、その不毛さに自分で呆れる。7歳の子供相手に舌を使えなんて無茶な話だが、もし昔の自分に会えるなら間違いなくディープキスの存在を教える。
あれから12年。引っ越してから会ったことはないが、きっとものすごく可愛く成長していることだろう。
「蘭、なにしてるのっ急ぎなさい! みんなもう待ってくれているんだから」
「あ、はーい! すぐいきまーす!」
高見さんの声で我に返る。5分くらい自分の世界に浸っていたみたいだ。指はあの子とのキスを思い出して、知らず知らずの内に唇をなぞっていた。
あ゛ぁ~~、完全に変態だアタシ。軽く自己嫌悪。
パパッと脱いで、撮影用の水着を掴む。すっかり火照った体に寒さなんか気にならなかった。
「うわぁ……、大胆な……」
用意されていた水着はこれまたきわどいビキニ。
結ぶとこなんかヒモだよヒモ。手に取りおもわず赤面。
これも仕事と割り切り少ない布切れを身につける。
「まったく、なんで男はこんな脂肪の塊が好きなのかね?」
そして最後にこの世界で生き抜くための武器であるFカップをさらに強調するため、背中から脇からお肉を集めてくる。それようの水着じゃないからあまり意味はないかもしれないが、やらないよりましというものだ。
よしっ、完成。テントから出ようと振り返る。
ーー真っ白な猫がいた。
どこから入って来たのだろう。テントの出口はちゃんと閉じてあるのに。
ーーダメじゃないか、守護者が主の側を離れたら。先に行って待っておきなよ。
そんな風に言われた気がした。
間違ってませんよ(笑)
あなたが今読んだのは『モンスターウーマナイザー』です。
次回から視点が深月たちに戻ります。




