第八話「公爵の使者」
使者が来たのは、舞踏会から三日後だった。
朝の十時。アルトマン伯爵家の正門に、ヴォルフハルト公爵家の紋章入り馬車が止まった。御者台には公爵家の従者服を着た男が二人。そして馬車から降りてきたのは、三十がらみの細身の男だった。
銀縁の眼鏡。几帳面に整えられた黒髪。公爵家の紋章を胸に刻んだ制服。
名乗りはこうだった。
「ヴォルフハルト公爵家、首席補佐官のセバスチャン・クロイツと申します。アルトマン伯爵家の皆様にご面会の機会をいただきたく、参上いたしました」
その言葉が届いた瞬間、屋敷の二階から複数の足音が一斉に降りてきた。
フィオナは地下室で、その足音の数を数えた。
三つ。継母と、姉二人。全員だ。
(予想通り)
フィオナが居間に呼ばれたのは、面会が始まって十五分後だった。
使者のセバスチャンは、すでにソファに座って茶を受け取っていた。ベアトリスがいつになく上品な笑顔を浮かべ、クラリスとカサンドラは着替えてきたのか舞踏会ほどではないが小綺麗なドレスを纏っていた。
フィオナだけが、作業着のままだ。
セバスチャンの視線がフィオナに向いた瞬間、その眼鏡の奥の目が、わずかに動いた。値踏みでも軽蔑でもなく——確認するような目だ。
「こちらが、末のご令嬢ですか」
「ええ」
ベアトリスが答えた。声に、かすかな不快感が混じっている。
「亡くなった前妻の子ですが、一応家の者ですので」
一応。
フィオナは聞こえないふりをした。
「フィオナ・アルトマンと申します」
セバスチャンに向けて、静かに頭を下げる。
「……ああ」
セバスチャンが、短く言った。何かを確かめたような、そういう「ああ」だった。
フィオナは内心で、少しだけ警戒した。
用件は、すぐに明かされた。
「此度は、閣下よりの伝言をお持ちしました」
セバスチャンが、懐から封書を取り出した。
「先日の帝都大舞踏会において、閣下の魔導器を調整してくださった方を、閣下が直々にお探しです。いくつかの手がかりを元に調査を進めた結果、こちらのアルトマン家にご縁のある方ではないかと判断し、参上した次第です」
クラリスが、ほとんど前のめりになった。
「それは——私のことではないかしら」
セバスチャンの視線が、クラリスに向く。
「左様でございますか。差し支えなければ、少々お話を伺えますか」
「もちろんよ」
クラリスが胸を張った。隣でカサンドラも便乗しようと身を乗り出している。
フィオナは黙って、部屋の端に立っていた。
ベアトリスが一度だけフィオナを見た。「余計なことを言うな」という目だった。
フィオナは視線を床に落とした。
クラリスの「証言」は、よどみなかった。
舞踏会に出席していたこと。公爵の魔力が暴走しかけた時に近づいたこと。装填師の知識があること。——ここまでは、技術的には嘘ではない。フィオナが事前に「舞踏会には自分も行く」と話していたため、クラリスはフィオナが会場にいたことを知っていた。
でも。
「具体的に、どのような調整を行いましたか」
セバスチャンの質問は、静かで、鋭かった。
「閣下の魔導器は特殊な構造をしております。通常の装填理論では対応できない部分がございます。どのような手法を用いられたか、教えていただけますか」
クラリスが、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬だったが、フィオナには見えた。
そしてクラリスは——盗んだ理論を、口にした。
「魔力の伝導効率を上げるために、血の共鳴を使いました。自分の魔力を強く込めて、クリスタルに直接伝達する方法で」
セバスチャンの眼鏡の奥の目が、静かに細くなった。
「……なるほど」
その「なるほど」の温度が、クラリスへの答えとしては、ひどく低かった。
でも、クラリスは気づかなかった。
面会が終わりに差し掛かった頃、セバスチャンが立ち上がりながら、さりげなく言った。
「一点だけ確認させてください」
全員を見回してから、その視線がフィオナで止まった。
「フィオナ様。あなたの右手を、少し拝見できますか」
居間が、静まり返った。
ベアトリスの顔が強張る。クラリスの目が剣呑になる。
フィオナは、静かに右手を差し出した。
セバスチャンが、白手袋をはめた手でフィオナの右手をそっと持ち上げた。指先を、丁寧に観察する。タコ。傷跡。硬く引き締まった腱。
「……失礼しました」
セバスチャンが手を離した。
その顔に、表情はなかった。でも、何かが確定した目をしていた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました。追ってご連絡申し上げます」
深々と頭を下げて、セバスチャンは居間を出た。
使者が帰った直後、クラリスがフィオナに詰め寄った。
「何? なんで手なんか見せたの。余計なことしないでって言ったでしょ」
「聞いていません」
「フィオナ!」
「手を見せろと言われたので、見せました」
フィオナは平坦に答えた。
「断る理由がありませんでしたので」
クラリスの顔が、赤くなった。
「あの補佐官、絶対変に思ったわよ。あなたの手、装填師みたいだもの」
「装填師ですから」
「っ——!」
「クラリス」
ベアトリスの声が、鋭く割って入った。
「落ち着きなさい。問題ない。補佐官が見たのは手だけよ。それだけで、あの場にいたのがフィオナだとは断定できない」
ベアトリスはフィオナを一瞥した。
「あなたは今後、余計なことは一切しない。いいわね」
「……はい」
フィオナは頷いた。
内心では、全く別のことを考えながら。
(セバスチャン補佐官は、もう分かっている。手を見た時の目が、答え合わせをした目だった)
つまり、アリスターの側はすでに、フィオナが昨夜の人物だと把握している可能性が高い。
それでもクラリスに「証言」させたのは——クラリスが何を言うかを確認するためだ。
(試されたのね。クラリスが。そして私も)
フィオナは静かに、計算を更新した。
想定外の要素が、また一つ増えた。
アリスター・ヴォルフハルト公爵は——賢い。
夜、フィオナは地下室で母の書物を開いた。
でも、今夜は文字が頭に入らなかった。
セバスチャンが帰り際に言った言葉が、頭の隅に引っかかっている。
「追ってご連絡申し上げます」
連絡。
何の連絡か。クラリスへの連絡なのか、フィオナへの連絡なのか。
(どちらにせよ、動きがある)
フィオナは金のクリスタルを取り出した。
指先で触れると、温かさが返ってくる。いつもの感覚。でも昨夜から、この温かさの「質」が少し変わった気がした。
気のせいだ、と思う。
クリスタルは感情を持たない。フィオナの感覚が、何かに影響されているだけだ。
(何かって、なに)
自分で問いかけて、フィオナは答えを出す前に思考を打ち切った。
今は関係ない。
今は——次の手を考えることだけが、関係ある。
金のクリスタルが、掌の中で静かに輝いた。
その光が、なぜか今夜は、いつもより少しだけ温かく見えた。




