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第四話「道具は、静かに牙を研ぐ」

 馬車というのは、乗る場所によって、全く別の乗り物になる。

 クラリスとカサンドラが乗り込んだのは、アルトマン家の紋章入り四頭立て馬車だ。座席には絹のクッション。窓には薄いレースのカーテン。ランプの灯りが二人の着飾った姿を柔らかく照らす、そういう馬車。

 フィオナが乗せられたのは、その後ろを走る荷馬車だった。

 幌もない、板張りの荷台。馬丁の少年と、姉たちの予備の荷物と、フィオナが肩を並べて座っている。夜風が容赦なく吹きつけて、灰色の作業着の上から体温を奪っていく。

「……寒いっスね」

 馬丁の少年——たぶん十三か十四歳——が気まずそうに話しかけてきた。

「寒いわね」

 フィオナは短く答えた。

 少年はそれ以上何も言わなかった。言えなかったのだろう。伯爵家の令嬢が荷馬車に乗せられているという状況に、どう反応すればいいか分からなかったに違いない。

 フィオナは膝の上の鞄をそっと確かめた。

 中には金色のドレスと、仕上がったばかりの金のクリスタル。それから、会場の見取り図を写した紙。

 全部、ある。

(予定通り)

 前を走る紋章入り馬車の窓から、クラリスの笑い声が漏れてくる。

 フィオナは聞こえないふりをして、夜空を見上げた。


 帝都大舞踏会の会場は、皇宮に隣接する「白鳳宮」だ。

 年に一度、帝国の貴族が一堂に会する最大の社交場。招待状を持つ者だけが入れる、文字通り別世界。

 馬車が正門に近づくにつれ、あたりが明るくなっていく。魔導灯が連なって会場を照らし、華やかに着飾った貴族たちが正面階段を上がっていく。香水と魔力の匂いが混じった、独特の空気。

 でも、フィオナの荷馬車が向かったのは正面ではない。

 会場の東側、裏手の搬入口だ。

「ここで降りなさい」

 ベアトリスが馬車から顔を出して言った。手袋をした指先で、搬入口脇の小さな扉を示す。

「控え室で待機していなさい。クラリスかカサンドラから呼び出しがあったら、すぐに動けるように。魔導器に不具合が出たら即座に対応するのよ。分かった?」

「はい、継母様」

「それから」

 ベアトリスの視線が、フィオナの作業着を一瞥した。

「その格好では会場には入れないから、安心しなさい。あなたの仕事は裏方だけよ」

 安心しなさい。

 その言葉の意味を、フィオナはきちんと理解している。「お前が表に出てくるな」という意味だ。華やかな舞踏会に、みすぼらしい灰かぶりが現れて恥をかかせるな、という。

「……承知しました」

 フィオナは鞄を抱えて荷馬車を降りた。

 ベアトリスは一度もこちらを見ずに、馬車の窓を閉めた。


 控え室は、想像通りの場所だった。

 石造りの壁に、木の長椅子。使用人や馬丁が行き交う通路に面した、薄暗くて狭い部屋。魔導灯が一つだけ、頼りない光を落としている。

 フィオナは長椅子に座って、鞄を膝に置いた。

 会場の音が、壁越しに伝わってくる。

 弦楽四重奏の音楽。靴音。笑い声。グラスが触れ合う音。そして——。

(……いる)

 フィオナは目を細めた。

 音ではない。もっと別の何かを、感じた。

 魔力の「圧」だ。

 強い魔力を持つ者は、存在しているだけで周囲の魔力場を歪める。その歪みが、フィオナの皮膚に——クリスタルの声を聴く感覚と同じ場所に——かすかに触れた。

 津波のような、とコンセプトメモに書いた。

 比喩ではなかった。壁を隔てているのに、遠くから波が来るような感覚がある。他の魔力とは全く違う、規格外の圧力。制御されていない、生の魔力の奔流。

(アリスター・ヴォルフハルト公爵。本当に「バグ」なのね)

 フィオナは静かに息を吸った。

 怖くはない。ただ——どれだけ計算通りでも、実物を前にするまでは確かめられないことがある。

 今夜、それを確かめる。


 一時間が経った。

 控え室を行き交う使用人の数が減ってきた。舞踏会が佳境に入り、裏方の動きが落ち着いてきた頃合いだ。

 フィオナは立ち上がった。

 鞄を手に取り、控え室の奥——荷物置き場として使われている小部屋——へ入る。鍵はかかっていない。さっき使用人の動きを観察しながら、誰も使っていないことを確認してある。

 扉を閉める。

 暗い部屋の中で、フィオナは無音で動き始めた。

 作業着を脱ぐ。畳んで鞄の底に入れる。金色のドレスを広げる。袖を通す。背中のボタンは——これだけが一人では難しいが、ルーシーが「一人でも留められるように」と工夫してくれた小さなフックが並んでいる。指先が慣れた動きで留めていく。

 最後に、金のクリスタルを取り出した。

 それを、ドレスの胸元に設えた小さなポケットに収める。ルーシーに「ここに入るサイズで」と指定しておいた場所だ。

 外からは見えない。でもフィオナには分かる。心臓の少し上で、金のクリスタルが静かに息をしているのが。

(準備完了)

 暗い部屋に魔導灯はないが、フィオナには必要なかった。

 指先の感覚だけで全部できる。七年間、薄暗い地下室でやってきたことだから。


 見取り図の三番目のルートは、会場東翼の使用人通路から、大広間の南側バルコニーに出る経路だ。

 招待客が使う正面階段とは別に、給仕が料理を運ぶための通路が会場の壁沿いに走っている。フィオナはその通路を、給仕の動きに紛れながら進んだ。

 金のドレスで給仕に見えるわけがないが、堂々と歩いていれば意外と誰も止めない。不審者というのは、挙動不審な人間のことだ。目的を持って歩いている人間は、案外素通りできる。

 これも計算の上だ。

 バルコニーへ続く扉の前に、衛兵が一人立っていた。

 フィオナは立ち止まらなかった。

「少し換気をと思って」

 微笑みながら、自然な足取りで扉に手をかける。衛兵が「あ」と言う前に、フィオナは扉を開けてバルコニーに出た。

 衛兵が追いかけてこないのを確認してから、ふっと息を吐く。

(心臓に悪いわね)

 でも、顔には出さない。七年間の練習の成果だ。


 バルコニーから大広間を見下ろした時——フィオナは、一瞬だけ、息を忘れた。

 広い。

 白と金で統一された空間に、魔導灯の光が満ちている。中央のシャンデリアだけで、フィオナの地下室の百倍は明るい。床は磨き上げられた大理石で、そこに貴族たちのドレスと軍服が花のように広がっている。

 弦楽の音楽が、空気ごと振動させていた。

 きれいだ、と思った。

 一秒だけ。

 それからフィオナは視線を動かして、人の波の中に「圧」の源を探した。

 すぐに分かった。

 会場の中央から少し外れた場所に、人だかりができている。正確には——人だかりと、その周囲に不自然な「空白」ができている。近づきたいのに近づけない、そういう空白。

 その中心に、一人の男が立っていた。

 背が高い。軍服に近いデザインの黒い礼服。銀の飾緒。短く整えられた、暗い金色の髪。

 顔は、ここからでは遠くてよく見えない。

 でも「圧」は、確かに彼から来ていた。さっき控え室で感じたものと同じ、規格外の魔力の波動。近づくにつれて、それが肌に触れる感覚が強くなる。

(なるほど。これは——確かに、普通の装填師では無理ね)

 フィオナは冷静に分析した。

 この「圧」を前にして、どんな魔導器も自壊する理由が分かった気がした。制御されていない魔力というのは、周囲の魔力場を強制的に書き換えようとする。既存の回路設計を、文字通り上書きして壊す。

 でも。

(「静寂化配列」は、外から制御するんじゃない。内側から整えるの)

 津波に向かって壁を立てるのではなく、津波そのものを川の流れに変える。エリン・ヴェインが遺した、禁断の設計思想。

 フィオナは胸元の、クリスタルの重さを確かめた。

 大丈夫。計算は合っている。

 あとは——近づくだけ。

 フィオナはバルコニーの端にある階段に足をかけた。

 金色のドレスの裾が、大理石の床に触れる。

 誰かが振り返った。それが連鎖して、また誰かが振り返る。

 灰かぶりが、舞台に上がる。


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