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第一話「廃棄された装填師」

 朝の光が地下室には届かない。

 だからフィオナは、起き抜けに時刻を知る手段を持たない。持てるのは、天井の染みの形と、石壁の冷え具合と、階段の上から漏れてくる人の気配だけだ。

 今日は早い。

 カツカツ、と硬い靴音が頭上を行き来している。舞踏会まで三日。継母のベアトリスと姉たちは、この数日ですっかり気が立っていた。

(三日あれば十分。でも、急かされるのは好きじゃない)

 フィオナは寝台代わりの古い長椅子から身を起こして、指先を確かめた。

 左の人差し指の腹に、新しい小さな切り傷。昨夜の研磨の名残だ。血は止まっている。皮膚は硬く、タコになった層の下にじんわりとした熱を持っているだけで、もう痛みもない。

 七年分の傷が積み重なって、フィオナの指先は同い年の令嬢たちとは似ても似つかない手になっていた。荒れて、硬くて、細かい傷だらけの手。

 でも、この手でなければ聴こえない声がある。

 それだけで、十分だった。


 地下室の作業台の上には、昨夜完成させた金色の結晶と——もうひとつ、くすんだ灰青色のデバイスが置いてあった。

 魔導器、と呼ばれるものだ。

 この世界において、魔法とはクリスタルを介してしか行使できない。人間の体内には「魔力」が宿っているが、それは生のままでは制御不能な熱のようなもので、意思の力だけで炎を出したり風を起こしたりは——少なくとも、現代では——できない。

 魔力をクリスタルに通すことで、はじめて「魔法」になる。

 クリスタルが変換器で、魔導器がその器。装填師とは、クリスタルを最適に加工・配置して魔導器を組み上げる職人のことだ。

 そして、クリスタルには「個性」がある。

 同じ種類の原石でも、削り方ひとつで魔力の通り道が変わる。通り道が変われば、魔法の性質が変わる。精度が変わる。威力が変わる。だから装填師の腕は、魔導器の性能にそのまま直結する。

 凡庸な装填師が組んだ魔導器は、凡庸な魔法しか使えない。

「フィオナ! いるんでしょ、さっさと出てきなさい!」

 階段の上から、張り上げた声が降ってきた。

 カサンドラだ。次女。十九歳。声の大きさと勘違いの量だけは、帝都随一だとフィオナは密かに思っている。

「……はーい」

 返事だけは従順に。

 フィオナは金色の結晶を素早く布で包んで棚の奥に押し込み、灰青色の魔導器だけを手に取って階段を上がった。


 居間に入った瞬間、三対の視線がフィオナに突き刺さった。

 継母のベアトリス。長女のクラリス。次女のカサンドラ。

 三人とも着飾っている。絹のドレスに、丁寧に整えた髪。舞踏会向けの新調品だろうか、クラリスのコルセットは見るからに苦しそうなくらい締め付けられていた。

 対してフィオナは、くすんだ灰色の作業着のまま。

 三人の視線に自覚的な侮蔑が混じっているのを、フィオナは七年前から知っている。慣れた、とは言えないが——もう驚きもしない。

「遅い」

 ベアトリスが言った。四十代の美しい女性。夫の財産を手に入れてからというもの、その美しさには冷たい油が塗られたようになった。

「申し訳ありません、継母様。昨夜の研磨で仕上がりが遅れて」

「言い訳はいいわ。これを見なさい」

 差し出されたのは、桃色の魔導器だった。

 クラリスのものだ。フィオナが去年の社交シーズン向けに組み上げた代物で、風属性の補助魔法に特化した設計にしてある。令嬢たちに人気の「ドレスの裾を優雅になびかせる」ための魔法が、きれいに出るように。

 一目見て、フィオナは何が起きたか分かった。

(また、自分でいじったのね)

 クリスタルの配置が、微妙にずれている。本来なら中央固定のはずの主結晶が、わずかに右に寄っていた。素人目には分からないレベルのずれだ。でも、フィオナには「声」でわかる。

 この魔導器は今、内部で魔力がわずかにショートしている。使うたびにロスが出て、魔法の精度が落ちる。

「昨夜、魔法の練習をしたら急に出力が下がって! あなたが組み方を間違えたんでしょ?」

 クラリスが言った。二十一歳。美しくて、気が強くて、自分の失敗を認めることが世界で一番苦手な長女。

「……少々、拝見しても?」

「早くしなさい」

 フィオナはクラリスの魔導器を受け取って、指先でそっと触れた。

 すぐにわかった。

(主結晶が1.5ミリ右にずれてる。副結晶との連環が切れかかってる。たぶん、無理に魔力を流した……魔法の「練習」じゃなくて、出力を上げようとして自分でいじったんでしょ)

 でも、そんなことは口に出さない。

「少し接続がずれてしまったようです。すぐ直します」

「やっぱりあなたのミスじゃない」

「……申し訳ありません」

 謝罪の言葉は、もう反射になっていた。

 フィオナは作業台にクラリスの魔導器を置き、無言で修正を始めた。


 クリスタルの配置を直すのは、三分もかからなかった。

 でも、そこで終わらないのがベアトリスという女だ。

「せっかくだから、カサンドラのも見てもらいましょう」

「あと、舞踏会用に出力を上げてほしいんだけど」とクラリスが続ける。「社交シーズン最大の舞踏会よ? もっと華やかに見えるように」

「火属性の魔法が最近弱いんだけど」とカサンドラも加わる。

「練習しすぎたのかしら。フィオナ、あなたが最初から高品質のクリスタルを使わないからよ」

 フィオナは何も言わずに、差し出された二つの魔導器を受け取った。

 カサンドラのは火属性。フィオナが昨年組んだものだ。

(……これは、クリスタルが消耗してる。魔力をかけすぎて、内部の回路が部分的に焼き切れてる。自業自得ね)

 素材のせいではない。消耗品であるクリスタルは、使い手の魔力量に合わせた設計にしなければ、過負荷で劣化する。フィオナはちゃんとカサンドラの魔力量に合わせて組んだ。

 それを、自己流で「もっと強く出そうとして」酷使したのだろう。

「修復と、舞踏会用の調整。承りました」

 声は平坦に。表情も変えない。

 でも、フィオナの胸の中では、静かに何かが動いていた。怒りではない。もっと冷えた、澄んだ感情。

(あなたたちがこの魔導器を「道具」だと思っているように、私もあなたたちを「素材」だと思っているわ。帝都大舞踏会まで——三日ね)

 指先が、クリスタルの「声」を拾い始める。

 フィオナの口元に、誰にも気づかれない微笑みが、ほんの一瞬だけ浮かんで、消えた。


 作業は夕方までかかった。

 クラリスの魔導器は、出力を上げつつも暴走しない範囲で調整。カサンドラの焼き切れた回路は、手持ちの予備クリスタルを使って修復した。

 二本とも、完璧に仕上げた。

 そして——どちらにも、フィオナは「もうひとつ」を仕込んだ。

 目には見えない。触れても分からない。ただし、これらの魔導器が「特定の魔力パターン」と接触した瞬間——設計者であるフィオナの意図した通りに、動く。

 具体的に何をしたか、フィオナはまだ誰にも話すつもりがなかった。

 作業台の片隅で、布に包まれた金色の結晶が、かすかに輝いている。

 フィオナはそれを取り出して、また指先で触れた。

(大丈夫。あなたは、ちゃんと私の声だけを聴いてくれる)

 完璧なビルド。完璧な罠。完璧な逃走路。

 全部、灰にまみれた地下室で、七年かけて積み上げたものだ。

 明日は舞踏会用ドレスの調達手配を頼まれている。あさっては姉たちの練習に付き合わされる。でも、それが終われば——。

「……さあ、幕を開けましょうか」

 誰もいない地下室で、フィオナ・アルトマンはひとりきり、静かに宣戦布告した。

 金色の結晶が、それに応えるように、一度だけ、強く輝いた。



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