表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/13

プロローグ「灰の中の声」

 地下室には、いつも灰の匂いがした。

 石造りの壁。染み込んだ湿気。天井の隅に張りついた蜘蛛の巣は、もう何年も誰に払われることもなく、埃を纏って白く変色している。

 唯一の明かりは、フィオナ・アルトマンが自分で設置した魔導灯ひとつ。それも、燃料代を節約するために最低限の光量に絞ってある。薄暗い黄色の光の中で、彼女は今夜も床に胡座をかいていた。

 十七歳にして、アルトマン伯爵家の「灰かぶり」。

 それが、この家での彼女の立場だ。

「……そこじゃない」

 呟きは、誰にも届かない。

 フィオナの膝の上には、親指の爪ほどの大きさの原石が乗っていた。薄紫色をした魔導クリスタルの原石。本来なら専門の装填師が工房で削り出すべき代物を、彼女は素手で、指の腹だけで研磨していた。

 道具なんて、最初からなかった。

 継母のベアトリスが「使用人の娘に贅沢品は要らない」と言った日から、フィオナの手元にあるのは母の遺した古い書物一冊と、ハシバミの木の下で白い鳥が運んでくる原石だけだ。

 それだけで十分だった。

 なぜなら、フィオナには「声」が聴こえるから。

(もっと右……そう、そこ。あなたの本当の面はそこにある)

 クリスタルは喋らない。当然だ。鉱石に言葉などない。

 でも、フィオナには判る。指先に伝わる微細な振動。結晶格子の歪みが生み出す、目に見えない「抵抗」のパターン。どこを削れば内部の魔力回路が最適化されるか、触れた瞬間に身体が知っている。

 母が「天才」と呼ばれた理由が、今なら分かる。

 これは才能ではなく、言語だ。クリスタルと対話するための、生まれながらの言語。

 くるり、と原石を回す。

 指先が動くたびに、薄紫の石が光を孕んでいく。さっきまでただの石ころだったそれが、今や内側から蛍火のような輝きを漏らし始めていた。

「そう。それがあなたの本当の声よ」

 フィオナは微笑んだ。

 誰にも見せたことのない笑顔で。


 この家で笑顔を見せると碌なことにならない、と学んだのはいつ頃だったか。

 父が再婚したのは、フィオナが七歳の時だった。新しい母と、二人の義姉。クラリスとカサンドラ。華やかで、社交的で、貴族の娘らしい娘たち。

 そして父は、一年後に病で逝った。

 そこからは早かった。

 使用人たちは次々と解雇され、フィオナの部屋は地下の物置に変わり、食事は残り物だけになった。十歳になる頃には、フィオナはすでに伯爵家の「備品」だった。

 クリスタルの研磨。魔導器の整備。姉たちが壊したデバイスの修理。全部フィオナがやった。装填師を雇う費用を浮かせるために。フィオナの「才能」がある限り、外に頼む必要はないから。

 才能だって?

(笑わせないで)

 フィオナは指先で石を撫でながら、静かに思う。

 これは才能じゃない。母が血と執念で積み上げた理論を、七年かけて独学で読み解いた、ただの努力だ。地下室で、灰にまみれて、指を何度も削って、泣きたい夜を歯を食いしばって乗り越えた、努力の結晶だ。

 それを「使えるうちは使い倒してやれ」と思っている家族に、提供し続けてきた。

 でも。

 もう少し。

 あと少しで、全部終わる。


 石が、完成した。

 親指の爪ほどだった原石は、今や完璧な六角形の結晶へと変貌していた。カットのひとつひとつが、フィオナの設計通り。内部の魔力回路は、市販品の三倍の効率で魔力を循環させるよう最適化されている。

 これが、フィオナの最高傑作。

絶対連環パーフェクト・リンク】。

 クリスタルの「声」を聴き、その性能を百二十パーセント引き出す最適配置を、瞬時に算出する。それがフィオナの、誰にも渡さない唯一の武器だった。

 金色の光が、薄暗い地下室に満ちる。

 フィオナは完成した結晶を、そっと掌に乗せて見つめた。

 こんな美しいものを作れるのに、自分はここで灰にまみれている。

 こんな理論を組めるのに、自分はあの女たちの道具として消費され続けている。

 怒りは、ない。

 正確には——怒りより深いところに、もっと冷たいものがある。

 この美しい理論を、凡庸な人間たちが「使えるから」という理由だけで汚し続けることへの、静かで、根深い、嫌悪感。

「帝都大舞踏会まで、あと三日ね」

 フィオナは呟いた。唇の端に、微笑みが浮かぶ。

 今度は誰にも見せるための笑みだ。

「ちゃんと仕掛けておいたわよ、お姉様たち。あなたたちが盗んだ私の理論は——」

 金色の結晶が、ぱちり、と光を弾いた。

「——私の手の中でしか、正しく動かない」

 地下室に、静寂が戻る。

 灰の匂いの中で、フィオナ・アルトマンはひとり、完璧な復讐の設計図を胸に抱いて、微笑み続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ