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黒き妖狐はすべてを奪われた花嫁を選ぶ

作者: 佐斗ナサト
掲載日:2025/12/26

 雨笠(あまがさ)(つき)には、何もない。

 すべて継妹(いもうと)(ゆう)()が奪ってゆくからだ。


『お姉ちゃん、そのぬいぐるみ、私にちょうだい』

『赤いワンピース、私の方が似合うよね』

『読書感想文、私が書いたことにさせてよ』


 父の再婚で出会ったときから、十七歳の今までずっと、こんなふうに奪われて、奪われて。

 そしてとうとう、ほのかな恋心を寄せていた相手までかすめ取られた。


『○○くんは、お姉ちゃんよりも私にふさわしいと思うの』


 そう言ってきた翌日には、優莉は「新しい彼氏」をSNSで自慢していた。

 月の好きだった相手と、幸せそうに寄り添いながら。


(……私にはもう、何もない)


 もはや、形のあるものなど何も持たないほうがましなのかもしれない。

 その方がかえって強く生きていけるかも。


(最初から何もなければ、奪われたりしないんだから)


 大きく息をつき、目を閉じた時だった。

 ぽつ、と水滴が頬を打った。

 視線を上げれば、曇天から銀の糸が次々と降ってくる。


「雨……」


 いくらもしないうちに、細い雨は土砂降りに変わった。

 通学かばんを頭上にかかげ、周囲を見回す。優莉のいる家に帰りたくなくて適当に歩いていたせいで、いつしか通学路を外れてしまっていた。

 ふと目に入ったのは、白い鳥居。そして木々のトンネルに覆われた階段だった。


「――神社?」


 雨がますます勢いづく。迷っている暇はなかった。月は一気に階段を駆け上がった。


 神社には誰もいなかった。社務所にさえ人の姿はない。

 不気味に感じてもよさそうなものだが、なぜかそうは思わなかった。雨の音を除けば静謐な空気が、月には心地よかった。

 拝殿の階段を登り、屋根の下に身を寄せる。だがほっと一息つけたのもつかの間、風が出てきて雨が横降りになり始めた。


(もう、ついてない……)


 (ひさし)の下にいても容赦なく叩きつけてくる雨に、みるみる全身が濡れそぼってゆく。

 物陰を探して建物の横に回り込み、美しい建具で飾られた板扉に手をかけた。


 ――すると、低い音を立てて扉が動いた。


(えっ)


 驚いて手を引いたが、扉は閉じない。まるで月を呼ぶように奥へと開いている。

 不思議なことに、迷いはなかった。靴を脱ぎ、拝殿の中に足を踏み入れた。


 屋根を打つ雨の音がまろく響く。濡れた制服の裾を絞り、長い黒髪をハンカチで拭きながら、月は周囲を見渡した。

 古い木の匂いがする。足元の畳もしばらく交換されていないだろうことが伺えた。奥の方には祭壇がある。そして、その前に――不思議なものがあった。


「これ……狐?」


 狐の像だ。月の両手に収まるような、小さな像。

 元は黒い石でできているのだろう。だが埃にまみれ、白っぽく薄汚れている。


 ほんの出来心だった。月はハンカチを持ち直し、像をきれいに拭き上げた。


「……これでよし」


 ぽつりと呟いた――その瞬間だった。


「きゃっ!」


 ぶわり、と煙が立った。薄暗かった本殿が一気に暗黒に包まれる。

 思わず手の中の像を落とし、一歩、二歩と後退る。

 三歩目を踏み出そうとしたとき、笑い含みの声が煙の奥から聞こえた。


「逃げるな、娘。俺にこうして会えたことを光栄に思え」

「……誰?」


 ゆっくりと煙が晴れてゆく。

 ロウソクの火に照らされて、誰かが立っている。その姿を見て、月は息を呑んだ。


 背の高い、和装の男。白い肌、長い黒髪、美しく笑む口元。

 しかしてぴんと立った獣の耳。ふさふさの尾。目元を覆う、艶めいた狐面。


 人間のようでいて、人間とは思えぬ姿が、そこにはあった。


「あなた……何者なの?」

「何者、と言われてもな。俺の名は黒鋼(くろがね)。お前たちに分かりやすい言葉でいえば――そうさな、狐のあやかし。(よう)()、というやつだ」

「……妖狐?」

「そうとも」


 男――妖狐・黒鋼はうっそりと笑む。

 月は背筋がざわりと粟立つのを感じた。


「よくぞ俺の封印を解いた。本来、像を拭いただけで解ける代物ではないが、俺とお前は相性がいいらしい」

「何をする気? 呪ったり祟ったりするの?」


 月が言うと、黒鋼は軽くあご先を上げた。


「そんなことはしない。俺はただ、気ままに生きたいだけよ。――だがそのためには、お前の力も借りねばならんな」

「私の……?」


 狐面の向こうの目が光った気がした。


「そうとも。俺の花嫁になれ」

「……え?」


 月は絶句した。

 花嫁? それはつまり、あやかしと結婚しろ、ということではないか。そんなことがありうるのか。自分はまだ高校生だ。

 滅裂な思考が月の頭の中を駆け巡る。黒鋼は不満げに口元を下げた。


「詳しく言わねば分からぬか? 俺は封印こそ解かれはしたが、未だ不安定な存在だ。だが俺と相性のよいお前が花嫁となれば、この世への楔ができるのだ」

「……」

「無論、ただでとは言わぬさ。欲しいものを、俺の力ですべて与えてやろう」


 黒鋼はぱちり、と指を鳴らした。そのとたん、彼と月との間にまばゆい塊が現れた。大きな金の延べ棒だ。それがいくつも山のように積み重なっている。


「本物の金だ。これをお前に与えてやる。――あるいは」


 ぱちり、と再びあやかしの指が鳴る。次に現れたのは、美しい着物だった。

 和服に詳しくない月には分からないが、おそらく最高級のものだろう。それらが一枚、また一枚と積み重なってゆく。


「どうだ? 欲しいだろう。他にも何くれとなくお前に与えてやる。俺の花嫁となれば、な」


 黒鋼は得意げに笑む。

 月は宝の山をじっと見つめ、静かにかぶりを振った。


「――いりません」

「何?」

「いりません、って言ったんです」


 狐面の下、黒鋼は茫然と目を見開いていることだろう。

 月はその顔を見返し、もう一度言った。


「欲しいものはありません。何も持たない方が、私はきっと幸せでいられる」


 そして頭を下げ、きびすを返した。


「……待て、娘!」


 焦りをにじませた妖狐の声が響く。

 だが、彼は像のある場所を離れられないらしい。月を追ってくることはなかった。

 雨はいつの間にか上がっていた。



  ***



「さっきの、何だったのかな……」


 家に戻った(つき)は、自室に閉じこもり、神社での出来事を思い返した。日当たりのよい本来の部屋は(ゆう)()に取られたので、元々物置きだった空間であるが。

 いかなるものであれ、日常の風景の中に帰ってきてしまうと、さっきのことが現実だったとはとても思えなくなる。あやかしだなんて。(よう)()だなんて。――妖狐の「花嫁」になれ、だなんて。

 しかし出来事の細部は、まるで手に取るように思い出せる。埃まみれだった狐の像を拭いた感触も、黒鋼(くろがね)の声の響きも、彼がふわりと漂わせた涼やかな香りも。


(夢? 妄想? ……本当に?)


 しばらく考えたのち、勉強机の椅子から立ち上がる。四方を壁に囲まれた小さな部屋を出て、廊下の窓から外を見やった。

 世界は再び降り出した雨に濡れ、しっとりときらめいていた。


「……明日、もう一回行ってみよう」


 月は呟いた。


 何もなければ、何もなかったことに。

 もしも、またあいつがいたら――。


(それは、そのとき考えよう)


 自分に小さく頷き、月は部屋に戻った。



  ***



 翌日の放課後。神社の階段を上り終えた月は、茫然と立ち尽くしていた。

 昨日、神社があった場所。お社の数々は消え失せ、代わりに巨大な日本家屋が出現しているのである。


(え……うそ、見間違い?)


 目をこすってみるが、何も変わらない。

 美しく整えられた庭園、何室あるかも分からないほど大きな平屋の建物。

 月を招き入れるように開かれた門の表札には、堂々たる筆致で「黒鋼」と記されている。


「あいつ……」


 妖狐の力で出現させたに違いない。豪邸で月を釣ろうという思惑だろう。

 だがこんなことをされたって、ちっとも嬉しくなんかない。

 目立つものを手に入れたら、必ず奪われるに決まっているからだ。


 もう帰ろうか。

 そう思ってきびすを返そうとしたら、目の前の邸宅がどろんと煙に包まれた。

 日本家屋は見る見るうちに溶けるようにして消え、洋風の豪邸に変じた。


「――冗談でしょ」


 今度の表札はご丁寧に「KUROGANE」という英字になっている。


「一言言ってやらなきゃ……」


 月は口元を引き締め、レンガ造りの屋敷の門に足を踏み入れた。

 庭を抜け、重厚な玄関扉へ向かう。ノックしようとすると、扉はひとりでに開いた。

 シャンデリアのかかった豪勢なエントランスでは、変わらず和服姿の妖狐・黒鋼が待っていた。


「来たか、俺の花嫁」


 得意げな様子で言われる。月はむっと眉根を寄せた。


「花嫁じゃありません」

「これからそうなる。俺たちの新居は気に入ったか? やはり今日びの娘は西洋風の館の方が好みか」

「そうじゃなくて」


 仮面の下で黒鋼が片眉を上げたのがなんとなく分かった。月は彼をじっと睨み据え、言った。


「私には雨笠月って名前があります。それと、私は何も欲しくないって言いましたよね。何をエサに誘われても、私があなたの願いを叶えることはありません」


 黒鋼は虚を突かれたように口をつぐんだ。

 それを見届けて月は背を向け、屋敷の外へと歩いていった。



  ***



 それきりのはず、だった。

 だが、あの不思議な妖狐のことが、月はどうしても気になって仕方なかった。

 引き寄せられるように、夢とうつつの境を確かめるように、彼女は何度も神社に足を運んだ。


 白い鳥居をくぐり、長い階段を上って境内を訪れるたび、様子は様変わりしていた。

 現代風のスタイリッシュな邸宅が建っていたこともあれば、こともあろうにタワーマンションがそびえていたときもあった。

 かと思えばかわいらしいログハウスがちんまりと築かれていたときもあったし、趣向を変えようと言わんばかりに巨大な遊園地が広がっていたことさえあった。


 そのたびに、黒鋼はいたく得意げに辺りを見せて回り、言うのだった。


「どうだ? 今度こそ俺の花嫁になる気になったか」

 

 もう何度目か分からないある日、神社の階段の先には、いたずらっ子の出てくる某クリスマス映画を思わせるようなからくり屋敷がそびえていた。トンチキ方面に振るとは、黒鋼もいい加減ネタが尽きたのだろうか。

 あちらこちらを連れまわされ、仕掛けを見せられる。


「さあ、どうだ、月。楽しかろう。ここに俺と暮らせば、決して飽きることはないぞ。俺の花嫁になれ」

「なりません」


 仕掛け扉をそっと閉じながら、月は答えた。

 黒鋼はしばらく何も言わずに月を見ていた。だがやがて、静かな声が耳に届いた。


「妙な娘だ――まさか本気か? 欲しいものがないなど、あり得ぬだろう。正直に言ってみろ。どんな願いでも、俺は叶えてやれるのだぞ」


 月は小さく溜め息をついた。そうとも、本気だ。本気なのだ、自分は。

 言葉は勝手に口からこぼれた。


「欲しいものなんて……もうありません。これ以上奪われたくないだけ」


 言ってしまってから、月は口を覆う。

 妖狐は軽く首を傾げた。


「奪われたくない、とは? どういう意味だ。話してみせろ」

「――別に」

「話せ、月。花嫁の悩みひとつ聞けずして、夫たりうるものか」

「だから花嫁じゃ……」


 抗う言葉は、途中で溶けて消えた。

 月は窓の外をじっと見つめる。冬の夕焼けが西の空を鮮やかに染めていた。

 心の鍵を開けたのはその色か――それとも、ふと月の手を握った、黒鋼の指の温もりか。


「……実は」


 月は語った。

 母を亡くしたこと。父が再婚したこと。一歳違いの継妹である優莉ばかりがかわいがられ、彼女が欲しがったものはすべて与えられたこと。

 その優莉がやがて、月の持ち物ばかり欲しがるようになったこと。物ばかりでなく功績も、愛情も、すべて彼女が奪っていったこと。今の自分には、何も残っていないこと――。


 話し終え、月はうつむいた。

 黒鋼はしばらく黙っていた。だがやがて、彼女の手を握る指に力が込められた。


「よくぞ、ここまで耐えてきた」

「……え」


 月は思わず顔を上げた。

 黒い狐面の奥の瞳が、彼女をじっと見返してきた。


「すべてを奪われながらも、他者に恨みをぶつけることなく生き抜いてきた――そんなお前は、誰よりも気高い」

「黒鋼……さん」


 頬がじわじわと熱くなった。

 今、このあやかしは――自分を肯定してくれたのか。

 空っぽの両手で、誰にも味方してもらえないまま生きてきた自分を。


 心臓が激しく脈打ち始めた。周りの音が聞こえなくなった。

 目の前の美しい男が、月の両手を包み込んだ。


「我が花嫁よ、お前に祝福があらんことを。――安心しろ。求めることを、再び覚えるがいい」



  ***



「お帰り、お姉ちゃん」


 (つき)が帰宅するなり、居間から(ゆう)()が現れた。

 珍しいことだ。いつもは出迎えになど来ないのに。


「……ただいま、優莉」


 そう返せば、優莉はにこりと笑う。ミディアムボブの髪がふわりと揺れ、甘い香りが漂った。

 月が靴を揃えていると、背後から声がかかった。


「ねえ、お姉ちゃん。最近、外で何してるの?」

「えっ」


 月は驚いて振り返る。優莉は長い睫毛に縁どられた目をきゅっと細めた。


「ここのところ、なかなか家に帰ってこないじゃない」

「そんなこと……」

「ごまかしてもダメ。パパとママも気づいてるよ」


 言われて月は小さく唾を呑んだ。

 今は――午後六時過ぎ。部活に入っておらず、習い事や塾にも行っていない月が帰ってくるには、確かに遅すぎる。


「ちょっと……用事があって」


 囁くように言う。優莉は首を傾げた。


「ふーん? そうなんだ?」

「そう。……じゃ、宿題があるから」


 優莉のそばをすり抜け、階段を上って部屋へ向かう。

 背中に優莉の視線がじっと刺さるのを感じた。



  ***



 翌日、学校が終わったあと、月は再び神社へ向かった。

 白い鳥居を抜け、階段を上る。今日はどんなおかしな風景が広がっているだろうと、心の片隅でわくわくしながら。


 だが階段の先、目の前にあったのは、古ぼけた神社の拝殿だった。

 ――初めてここへ来たときと全く同じ光景だ。


 慌てて拝殿に駆け寄る。人の気配はどこにもなかった。


「……黒鋼(くろがね)、さん?」


 まさか、消えてしまったのだろうか。

 今までのことはすべて、都合のよい夢だったのだろうか。


 まなじりに涙がにじむ。手が小さく震えだす。

 そのときだった。


「月、我が花嫁よ。どうした」


 黒い煙がぼわりと立ち、人気(ひとけ)のなかった拝殿の(えん)に、黒鋼が姿を現わした。


「――黒鋼さん、よかった」


 ほっとした瞬間、熱いものが頬を伝う。

 黒鋼は月に歩み寄り、濡れた頬をそっと袖で拭いた。


「なぜ泣くのだ? 求めることを忘れたお前には、まずは質素な場所の方がよかろうと、元の建物に戻したのだが。気に入らなかったか?」

「違います……黒鋼さんがいなくなったのかと思って」

「おかしなことを言う。俺が花嫁を置いて去るなどありえぬぞ」


 言って黒鋼は月の背に腕を回す。

 そっと抱き寄せられ、月は静かに目を閉じた。


 ――そのときだった。


「お姉ちゃん、それ、誰?」


 突然の声に月は跳び上がる。振り返り、そこにある姿をみとめた瞬間、血の気が引いた。

 優莉だ。優莉がいる。

 制服姿で、腰に手を当て、華やかな顔に冷たい笑みを浮かべている。


「――なんで、ここに」

「あとをつけてみたの。最近のお姉ちゃん、どうもおかしいから」


 優莉は軽やかな足取りで距離を詰める。

 月の顔を、次いで黒鋼を、舐めるように見回した。


「ふうん、やっぱり彼氏ができたんだ。その耳としっぽ、何? 仮面までして、何かのコスプレ? お姉ちゃん、面白い人つかまえたじゃん」


 そこまで言って、優莉は目を細めた。


「でも、何気にイケメンっぽい」


 ああ――来る。

 月には次の言葉が分かる。


「ね、お姉ちゃん。その人、私にちょうだい」


 ちょうだい。その言葉を何度――何度言われてきたことだろう。

 その対象が何であろうとも――すでに持っているモノであろうとも、本当は欲しくもないものであろうとも、関係ないのだ。

 彼女は月から奪うことそのものに快感を見出している。月の持ちものを手にすることにこそ意味があるのだ。


 手にできなければ、優莉は騒ぐ。怒る。泣く。

 周囲の人々を味方につけて、月ひとりを悪者にする。


 だから、月はいつだって折れてきた。優莉の言い分に従い、頭を垂れて生きてきた。

 ――だけど。


「……イヤ」

「は?」


 蚊の鳴くような声に、優莉が片眉を上げる。月は震える声を張り上げた。


「イヤだって、言ったの」


 まったくの偶然によって出会った、人間ですらない妖狐(ひと)

 何も持ち得なかった自分を認め、愛してくれた存在。

 そんな彼の想いに応えるためには――今ここで、強くならなければいけない。


「優莉がいくら欲しがっても、黒鋼さんだけは絶対に――絶対に、渡さないから! 私の、大事なひとだもの!」


 ぱりん、――と、何かの割れる音がした。

 月は驚いて黒鋼を振り仰ぐ。彼の顔からはらはらと黒い欠片が落ちていく。

 澄んだ銀色の瞳がこちらを見返す。白いおもて。美しい顔。


 黒鋼のつけていた狐面が、砕けて割れたのだ。


「――感謝するぞ、俺の花嫁。お前の心からの愛を()けたおかげで、俺にかけられた封印が完全に解けた」

「黒鋼さん……」


 妖狐の長い指が月の頬を撫でる。その優しい感触に、また涙がこぼれた。

 優莉がうわずった声を上げた。

 

「お姉ちゃん、自分の立場分かってる? パパとママに言ってやるから。勉強さぼって、変なのと付き合ってるって。」


 月が言い返そうとした、そのときだった。

 黒鋼が優雅に首を傾け、言い放った。


「悪いが、俺はこいつを花嫁にすると決めたのでな。お前のような意地汚い女はお呼びではないのだ」

「な、何ですってぇ!?」


 優莉の金切り声が境内に響き渡った。


「どうして? どうしてよ!? お姉ちゃんなんかより、私の方が絶対にかわいいし!」

「――ほう? 我が花嫁を侮辱するか」


 黒鋼が月を抱き寄せる。ざわ、と風が吹いた。

 月は驚いて目をしばたたく。イヤなものは何も感じない。ずっと温かな感触に包まれている。

 だが優莉は急に立ち尽くし、その場で震えだした。


()()ね、小娘。それ以上、愚かな口をきくようであれば、容赦はせぬぞ」


 風が止む。そのとたん、優莉がきびすを返して走り出した。

 もつれた足音が長い階段を去っていく。


 月はほっと息をついた。もう一度顔を上げ、黒鋼と見つめ合う。

 やがて二人の唇がそっと重なった。



  ***



 一カ月後。

 月は白い鳥居を抜け、長い階段を駆け上がった。階段の先には小さな和風の家。その扉が開き、愛おしいひとが顔を出した。


「無事に戻ったか。俺の花嫁」

「ただいま、黒鋼さん」


 晴れて恋仲となった妖狐の腕に月は飛び込む。優しく抱き寄せられ、口元がほころんだ。


 あれから月は家族の元に帰っていない。息苦しくてたまらなかった家を離れ、黒鋼と共に生活して、学校へ通っている。

 黒鋼は相変わらず、月に何くれとなく与えようとしてくる。まだ慣れない感覚だし、何でも与えられて当然と考えるようになってはいけないと思っている。

 それでも彼の気持ちに応えることは幸せで、どうしても贈りたいと言われたアクセサリーだけは受け取った。

 小さな石のついた指輪は、月の薬指できらきらと輝いている。


 そういえば継妹の優莉は、原因不明の発熱にうなされていて、しばらく登校できていないらしい。おかげで身の回りは至極平和だ。

 ――だが、引っかかることがないではない。


「あの、黒鋼さん」


 月が問うと、黒鋼は首を傾げた。長い黒髪がさらりと揺れる。


「どうした? 月」

「もしかして……優莉に何かしました?」


 すれば妖狐はにやりと笑んだ。


「さて、な」



〈黒き妖狐はすべてを奪われた花嫁を選ぶ 終〉

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