第42話 受け入れるということ
「イエス様はただ優しく愛を説いていただけではない。それでもイエス様を神の子、救い主だと信じることを誓い、洗礼を受けたいと思われますか?」
榊原牧師にまっすぐ見つめられる。
私は一瞬の間を置いて、ゆっくりと答えた。
「はい、受けたいです」
そう言うと、張り詰めていた牧師の表情が少し緩んだ気がした。
牧師にとってもここが山場だったのかもしれない。
「正直、私もイエス様は人を癒し愛について語ってるイメージだったので、そんなに戦闘モードだったことに驚きましたけど、……でも私は、守るために戦える方って尊敬します」
ちょっと考えてから付け加える。
「私も例の友達に怒りましたけど……、それでよかったんだって先生の話を聞いて救われた気がします。私はイエス様についてもっと学びたいし、神さまのお言葉も聞きたいです」
そして牧師の目を見てはっきり言った。
「なので、これからもよろしくお願いいたします」
頭を下げる。
すると牧師は慌てて恐縮したように言った。
「いえ、頭は上げてください。……でも、ほっとしました。イエス様を受け入れてくださってありがとうございます」
牧師は微笑んだ。
そこでふと私はあることを思い出した。
「私が初めて礼拝に出席したときの聖書の箇所が、迷い羊の話だったんです。あのときはその例え話に意識が向きましたけど、そう言えばあれは罪人と一緒に食事をしていたイエス様を咎めた人に対して反論した例え話でしたね。ルカによる福音書10章だったかな……」
すると牧師は目を丸くした。
「よく覚えてらっしゃいますね」
「初めて聖書に触れたときだったので、記憶に残ってます。そうか、あれも律法学者に喧嘩売ってたんですね。あのときから始まってたわけか……」
私がぶつぶつ納得していると、牧師は少し苦笑した。
「高辻さんが納得されてよかったです。イエス様って結構人間臭い面をたくさんお持ちなんですよ」
「え、知りたいです」
「さっきも言った通り、怖いもの知らずで権力者に喧嘩を吹っ掛けていきますが、言うだけ言ったら後の事は放置でさっさと立ち去るんです。残されたのは罵倒された律法学者とそれを見てた民衆。特にパリサイ人はエリートなので、かなり怒り心頭だったと思いますよ。その後始末に弟子たちが追われるんです」
「弟子たちがですか?」
牧師は横の書棚から、何かの資料を引っ張り出しながら話す。
「弟子たちも個性豊かなんですよ。イエス様が批判を始めるとヨハネはちょっと呆れて『この人またやってるよ』って見てるし、ペテロは慌てて止めようとするけどイエス様にガン無視されるし、マタイとアンデレはイエス様が立ち去ったあとの対応を黙々とやってて、フィリポとトマスはその日の夜に『……大丈夫かな?』って言ってるタイプなんです」
「へー……」
弟子たちって今までなんとなく、カリスマ性を持ったイエス様に粛々とついていってるだけのイメージだったけど、こう聞いていくと面白い。
でも……。
「イエス様がいつ凸るか分からないわけだし、弟子たちもヒヤヒヤしてそうですね。もし私の上司だったら、胃に穴が空きそうです」
すると牧師は笑い出した。
「それ、ものすごく的を得ています。でもイエス様は罪や間違いを犯しても絶対に見捨てないし肝心なときは守ってくださる、だから弟子たちはイエス様と共にいたんです。いざというときは頼れる、愛されポンコツ上司ってところでしょうか」
「ポンコツ……」
「聖書ではイエス様が食事を取るシーンが多いんですが、迷い羊の時もそうですけどイエス様は人を区別せず共に食卓につかれました。そうやって神さまの前では皆平等であると伝えたかったのです。ただパリサイ人から『大食漢の大酒飲み』って批判されたこともあるので、実は宴会もお酒もお好きだったのではと思います」
「……」
「あとイエス様は一度寝たらなかなか起きないらしく、乗った船が嵐で沈みそうなのに熟睡していて、慌てた弟子たちに叩き起こされたそうなんです。でもイエス様は『わたしと一緒にいるのに恐れるのは信仰足りてないんじゃないの?』って怒ったそうです。見方を変えれば逆ギレですよね」
思わず吹き出す。
「確かに」
「弟子たちも皆優秀と言うわけではなく、キレやすかったり天然発言したりおっちょこちょいだったりみんな個性的でいわゆる普通の人です。聖書読んでみると面白いですよ」
「はい、分かりました。読んでみます。実は私はまだ自分の聖書を持っていないので、洗礼を機に買おうと思ってます」
すると牧師の目が一瞬泳いだ。
なんだろうと思ってると、牧師は机の中から包み紙に包まれた何かを取り出した。
「実は、洗礼当日にお渡ししようと思ってたんですけど、夕香から高辻さんはまだご自分の聖書をお持ちでないと聞いていたので、気が早いのですが」
そう言って手渡してくる。
「開けていいですか?」
うなずく牧師を確認して、そっと包み紙を開く。
重さと大きさから想像はしていたけど、中から現れたのは聖書だった。
思わず目を見開く。
「ちょっとフライング気味ですけど、洗礼を受けられる高辻さんに僕から贈らせてください」
表紙をそっとめくる。
そこには
祝 洗礼
神が私たちの味方であるならば、
誰が私たちに敵対できますか(ローマ8.31)
202○年12年25日 クリスマス
日本基督教団 行友教会
牧師 榊原智也
と牧師の直筆で書かれていた。
「いいんですか? いただいて」
牧師はうなずく。
「今日、洗礼を受けるか最終確認をするって言いましたけど、高辻さんはイエス様を受け入れてくださるだろうと思ってました。今日お贈りすることができて僕も嬉しいです」
感情が込み上げてきて、涙腺が緩む。
「ありがとうございます。大切にします」
すると牧師は表情を緩めて言った。
「本日の勉強会は以上です。さっきインターホンが鳴ってたのでピザが来てると思うんですよ。一緒に食べていってください。それと今日は僕の推し馬が走るんで、それも見させてもらいますね」
言って腰を上げ、書斎のドアを開ける牧師は完全に仕事終わりのサラリーマンみたいな顔をしていた。
「先生、本当に好きなんですね……」
私は思わず呟いていた。




