第41話 戦うイエス
「え? イエス様って大工さんだったんですか?」
まずはざっとイエス様の一生を榊原牧師に説明してもらって、私は驚きの声をあげた。
教会に通い始めてある程度の知識は得たとはいえ、イエス様がどんな一生を送ったのかふんわりしか分かっていなかったことを実感する。
イエス様はクリスマスの夜、ベツレヘムの馬小屋で生まれた。
何で馬小屋かと言うと、当時国から国民は出身地に戻って住民登録をしろと言う命令があり、臨月のマリアと婚約者のヨセフはベツレヘムへ戻った。
でもその当時は国民総出で動いてたためどこも宿は満室、唯一空いていた馬小屋でマリアは出産した。
ちなみにマリアはイエス様を身ごもったときはヨセフと婚約状態だったけど処女だった。
そんなマリアのもとに天使ガブリエルが現れて「あなたは神の子を宿した」と告げた。
これがいわゆる受胎告知だ。
マリアはもちろん戸惑ったけど、最終的には「神さまのみ心のままに」と受け入れた。
ただ心穏やかじゃないのがヨセフ。
自分の婚約者が誰の子かも分からない子を身ごもったので、婚約破棄を考えたと言う。
するとガブリエルはヨセフのもとにも現れて「マリアが身ごもったのは神の子だから安心しなさい」と告げ、ヨセフも納得した。
この辺の動揺が人間らしいなと思う。
そしてマリアはイエス様を出産、ヨセフと共にイエス様を育てた。
当時は父の仕事を子が手伝うのが普通だったらしく、大工の仕事をしていたヨセフと共にイエス様は30歳まで大工をしていたらしい。
てっきり若い頃からバリバリ宣教活動をしていたと思っていたから意外だった。
そして33歳の時に十字架にかけられ、亡くなった。
その後復活はしたけど、イエス様は天へ帰っていくことになった。
33歳と言うことは、あの江間さんと同い年か……。
思ったより若くして亡くなったこと、そして宣教活動がわずか3年しかなかったことにも驚く。
「30歳まで普通に働いてたってことに驚きます」
「恐らく一般労働者として働いた経験が、その後のイエス様の言葉にも生かされているんだと思います。労働者目線から当時のユダヤ教の律法学者たちの差別や傲慢な振る舞いを目の当たりにして、腹に据えかねていたんじゃないかと僕は思ってますよ」
「ユダヤ教? 律法学者ってなんですか?」
「イエス様がお生まれになった当時は、主流の宗教はユダヤ教でした。実はイエス様もユダヤ教徒なんですよ」
「え? キリスト教徒じゃなく?」
牧師はうなずく。
「はい。キリスト教という宗教が確立されたのは、イエス様が亡くなってからかなりあとなんです」
「へー……」
「ただ誤解してほしくないのは、ユダヤ教も律法も決して間違ってないということです。イエス様が怒りを感じていたのは、その律法を自己解釈で都合よく言い換え、選民思想と保身に走っていた一部の律法学者、いわゆるパリサイ人と言う人たちです」
「イエス様ってそんなに怒ってたんですか? いつも愛を優しく説いていたイメージなんですが」
すると牧師は軽く笑った。
「面白いデータがあるんですけどね」
言いながら手書きのノートを見せてくる。
「これはある方の個人的なデータなので公式ではないんです。聖書でイエス様が何について何回語ったかとランキングで出してたんですけど、聖書でイエス様が愛について語った回数の順位は12位だったそうです」
「そんなに少ないんですか?」
「意外ですよね。イエス様と言うと『隣人を愛しなさい』みたいに常に人を愛することを説いてるイメージですが。このランキングで1位だったのはなんだと思います?」
思わず首を捻る。
「分かりません」
「一番多いのは、議論、批判、そして論破です。イエス様はしょっちゅうその律法学者、そしてパリサイ人に喧嘩を売ってたんですよ」
「え……?」
「それもめちゃくちゃ辛辣です。弟子や観衆がいる前でパリサイ人を『不幸な偽善者め』と何度も罵ったり、パリサイ人が『働いてはいけない安息日に人を癒すのは律法違反だ!』」と言えば『あなたたち、自分の羊が安息日に穴に落ちたら、引き上げないんですか?』と返したり」
「それは羊は助けるのに人は助けないのか?ってことですね」
「そうです。あとは面と向かって『お前らは毒蛇か』と言ったりしてますね」
「……イエス様って口が悪いんですね……」
牧師は少し苦笑した。
「そうですね。でもその根底にあるのは、神の愛を律法解釈と言う個人の都合でねじ曲げて、当時の弱者と言われている人たちを虐げていたことへの怒り。弱い人たちを守るために、イエス様は戦っておられたんです。人って『愛しなさい』って言われても、すぐに心は動かないじゃないですか。でも当時の人々は、弱者のために当時の権力者である律法学者に凸るイエス様の姿を見て『この人は信じられる』って思ったと思うんです」
「なるほど、イエス様は筋が通らないことに怒っておられたんですね……」
「そうです。今の日本では怒ったり論破するのは敬遠されますが、イエス様は大切なものを守るために戦いを辞さない、そう言う強さをお持ちだったんです」
その時ふと、この間榊原牧師がカルトについて厳しく批判していたことを思い出した。
その姿がイエス様の考えと被る気がする。
そう伝えると牧師は
「イエス様には到底及ばないですけどね。でも、そう言うイエス様のお考えが僕の人生観を変えたのも事実です」
とはっきりと語った。
そして付け加える。
「高辻さん、ここまで話してお分かりだとは思いますが、イエス様は穏やかに愛だけ語っていた聖人と言うわけではないんです。神さまのお考えをねじ曲げて利用する敵には容赦なく攻撃する方です。このようなイエス様を、神の子であり救い主であると言うことを信じられるか? それが僕が最終的に確認したかったことです」
少し間を空けて牧師は改めて私を見た。
「高辻さんは今、洗礼を受けたいと思われますか?」




