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この恋は上書き保存できない  作者: 永井一花
第三章 この恋を忘れても
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第十話

 一体私、どうしちゃったんだろう。

 自室の机の引き出しを開ける。そこには、一冊のノートがあった。

 ノートの適当なページを開くと、私の字で思いがつづられていた。


 ――今日の凪くんもとってもかっこよかった!

 私は後ろの席だから、真ん中のあたりに座ってる凪くんの様子がよく見える。

 隣の席の長野さんが教科書を忘れたらしく、ほほえみながら机をくっつけていた。

 ……長野さん、いいな。

 私ももし凪くんと隣になったら、凪くんと一緒に教科書を見たりできるのかな。


 ――凪くん、サッカーの授業で間違って敵チームにパスわたしてた笑

「何してんだよ」って怒られて、気まずそうにしてたの可愛かった。

 凪くんでもあんなミスするんだ。

 完璧だと思ってたから、なんか親近感。


 凪くんを好きになったのは中学三年の夏。

 塾をサボって公園で泣いていた時、凪くんが話しかけてくれた。それから、凪くんを好きになった。

 凪くんを好きなことを美宙に話したら、彼女は「その気持ち、日記に書いてみたら?」と提案してきたのだ。

 スマホの日記アプリをインストールしようとした私を美宙はとめた。

「電子なんて味気ないよ。逆に紙の方が今っぽいから!」と、謎の熱量で力説した。

 美宙の熱意におされてなんとなく初めてみたが、意外と楽しくつづいていてノートの残りはあと二割くらいだ。

 凪くんと何かあったときは(なくても)日記を書くのが習慣になっていたが、最近はさぼっていた。

 そう、確か始業式の日――大智くんと出会ってから。

「大智くん、か……」

 彼と出会ってから、なんだか私はおかしい。

 前より凪くんのことを考えなくなった。日記も書かなくなってしまった。それどころか――彼ことを、一瞬とはいえ完全に忘れてしまった。

 思い出すだけで心臓が暴れ回って息苦しくなる。

 大丈夫、きっと気のせい。疲れてただけだ。日記を書けば大丈夫。また元通りになれる。

 そう言い聞かせ、私は日記を書こうとする。

 けれど、その日は日記を一文字も書くことはできなかった。


 週明けの月曜日。

(うん、大丈夫。あれはきっと気のせいだ)

 駅への道を歩きながら、私は自分に言い聞かせた。

 土日はあのノートを何度も読み返した。気のせいだと思おうとしても、やっぱり怖かった。もし次凪くんのことを忘れてしまったら、私は――。

「光莉、おはよう」

「あ、み、美宙!?」

 後ろからあいさつされ、私の声はひっくり返った。

「光莉、もう体調は大丈夫?」

「うん、ごめんね、心配かけて」

 美宙と話すのはあの遠足の日以来だった。

 美宙は私がバスに乗ったあと、ラインを送ってくれていた。

 話がしたいという内容だったが、私は気づかないふりをしてしまい、返事をしたのは翌日だった。

 休みでもいいから話がしたい、光莉の家に行くから。

 美宙はそう言ってくれたけど、私は美宙と話したくなくて体調が悪いと嘘をついてしまった。

 美宙には申し訳ないことをしている。でも、私は彼女の話を聞くのが怖かった。

 なんで美宙が私の記憶について何かを知っているのか。そういえば、遠足の時も様子が変だった。

 そもそも私が大智くんを忘れていることを彼女は前から知っているようだった。それなのに、ずっと隠していたのはどうしてだろう。

 もしかして、そこまで美宙が言いにくいことだったんだろうか。それに、もし凪くんの記憶を失ったことも関係しているとしたら……。

 だから、たまたまだって。大丈夫だから。必死に自分に言い聞かせる。何度も何度も。

「それで……あの、光莉」

「あ! 遠足の時はありがとう。無事に大智くんにキーホルダー渡せたよ! それで写真もとったんだけど、私すっごい変な顔になっちゃって――」

「光莉」

 美宙の真剣な声に、息が詰まりそうになる。

「私、光莉が渡会くんの記憶ないって知ってたのに、知らないふりしてたの。それにはわけがあって――」

「ご、ごめんっ! 私、英語の課題やってなかった! 急いでやらないといけないから、ごめんね!」

「え? 光莉!?」

 私は美宙の反応を待たずにかけだした。

 美宙は金曜からずっと私を気にかけてくれている。それなのに逃げ出すのなんて最低だ。

 でも、美宙が怖かった。

 せめて、何日か経って、やっぱり凪くんのことをちゃんと覚えていた。あれは何かの間違いだったと確信できたら……。

 心臓が痛い。私は制服の上からおさえる。

 走ったせいもあるけど、それはしばらく経ってもおさまらなかった。


 美宙にああ言った手前、何もしないわけにはいかない。

 走ったおかげで一本早い電車に乗れた私は、まだ人の少ない教室でようやく息をついた。

 私はぼんやりと英語のノートと教科書を机に広げていると、

「目黒さん、英語の予習?」

 顔を上げる。今登校してきたのだろう。鞄を持った凪くんが私の席で足をとめていた。

「あ……うん、ちょっと」

「たしか今日指されるよね? 目黒さん」

「え……え!?」

 凪くんの言葉で気がついた。そういえば、前回指されたのが私の少し前の席だから、今日は確実に私も指されるだろう。色々ありすぎて忘れてしまっていた。

「え? その予習してたんじゃないの?」

「あ……えーっと……」

「忘れてた?」

「はい……忘れてました……」

 凪くんはほほえんだ。私に呆れているんだろうか?

 彼は私の隣――大智くんの席に腰かける。

「凪くん?」

「よかったら教えようか? 今からやっても間に合わなそうだから」

「え、でも、凪くんは……」

「僕は予習してきたから大丈夫だよ」

 鞄から自分の教科書とノートを取り出している凪くんの指は、とても白くて綺麗だ。それなのに、ちょっと骨張っていてどきっとしてしまう。

「ごめんね。私のために」

「いいよ。一緒に遠足に行った仲だからね」

 やさしくほほえまれ、私の胸はじくじく痛んだ。

 私なんて、凪くんを忘れてしまったというのに……そんな私に凪くんは優しくしてくれている。

「それより、時間もないしはじめようか」

「う、うん、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭をさげる。すると凪くんまで私の真似をして頭をさげた。

 凪くんはいつも学年で十番以内に入っている。でも、驕ることもなく謙虚で、私は彼のそういうところがとても好きなんだ。

 今だって、答えを写させてくれるんじゃなくて、教えようとしてくれている。写させるだけの方が凪くんだって楽なのに、それじゃ私のためにならないと考えてくれているんだろう。凪くんは本当に優しい人で――それなのに、どうして忘れてしまったんだろう。

「えっと、ここの問題なんだけど……目黒さん、どこまでできた?」

 教科書に目を落とす、凪くんの目を縁取る長い睫毛。ちゃんとどきどきしている。だから私は大丈夫で――。

「おい倉田。何してんだよ俺の席で」

「あ、渡会。ごめん、借りてるよ。目黒さんが予習してないって言うから教えてたんだ」

「はー? おまえガチ? 今日指されるのに? あの先生厳しいのにのんきだなー。単位捨てたの?」

 げらげら笑ってる渡会くん。相変わらず子どもだ。

「な、俺のこと『先輩』って呼んでみ。予行練習!」

「うるさいから無視しようか」

 凪くんの言葉に私もうなずく。

「ほら、呼んでみろって。大智せんぱ――」

「渡会おはよー。あ、これ買ったんだ」

 視界の隅に短いスカートが現れる。桧山望花さんは同級生とは想えないくらい綺麗な子で、今日もプロのように上手いメイクをしていた。

 彼女は指を大智くんの鞄にのばした。

「えー、かわいー。渡会に似合わないね」

「いいだろ。光莉とおそろいなんだぜ」

 桧山さんのマスカラで縁取られた長い睫毛がこちらを向く。

「やっぱ二人付き合ってんの!? ……って、目黒さんつけてないじゃん」

「光莉は照れ屋だから鞄につけてくれないんだよ」

「ほんとに? ってかなんで自分で二つつけてるの? そっか。目黒さんに断られちゃったんだ……」

「ちげーって! なんでそんな可哀想な目で見るんだよ」

「あー。それならさ、あたしとペアにしない? あたしがピンクー」

「ちょ、さわんな! それ大切なやつだから!」

 大智くんは鞄を抱きしめるようにガードしている。

「だっておかしいよ。ペアのやつ一人で持ってるなんて」

「いいだろ別に。俺はどうせおかしいよ」

 たまたまこちらを見た大智くんと目が合って、すぐにそらされた。

 やっぱり鞄につけないの可哀想だったかな。でも、それじゃ本当に付き合っているみたいだ。って、あげたの私だけど……。

 なんで私、仲直りするにしてもあのキーホルダーをあげたのかな。本当は大智くんとおそろい、持ちたかったとか? ううん、たまたま前の記憶があっただけだよね?

「それよりなんでライン返してくれないの?」

「用があるなら学校でいいだろ」

「えー! さみしいじゃん! それならライン返さなくていいから土日遊びに行こ?」

 桧山さんはかなり可愛い上に明るくて一年生の時から有名だった。そんな人に大智くんがデートに誘われている。大智くん、断るのかな? って、なんでこんなに気にしてるんだろう。

「目黒さん。気になるのはわかるけど勉強――」

 ぽん、と誰かが私の肩に手をふれた。とても軽い力だった。だけど。

「……え?」

 私は反射的に立ち上がっていた。椅子がひっくり返る派手な音がする。でも、それどころじゃない。

 ……この人、誰?

 まだ新しいクラスになったばかりだけど、一応クラスメイトの顔くらいは全員覚えている。誰かが髪型を変えたとか? でも、わからない。それにこの人はすごく親しげで――。

「――っ!」

 思い出した。この人は凪くんだ。

「……どうしたの? 目黒さん」

「ううん、大丈夫。ちょっと虫がいて」

 椅子を元に戻し、私は腰をおろす。座っても心臓は激しく鳴っていて、なんだか泣きそうになってきた。

「え、虫? やだ、どこどこ!?」

「ちょ、くっつくなって!」

 桧山さんが大智くんの腕に身を寄せる。

「もうどこか行ったから大丈夫だよ」

「光莉、ビビりすぎだろ~」

「うん……」

 大智くんがげらげら笑いながら、私の肩を叩く。

 ……怖かった。私、本当におかしくなったんだろうか。

「やっぱり勉強一人でやるからいいや。ごめんね、倉田くん」

 どうせもう、凪くんに教えてもらったところで勉強なんて身に入らない。それで点数が悪かったりしたら、凪くんにも申し訳がない。

「そう? 僕はいいけど……もしかしてどこか刺されたとか?」

「ううん、なんでもない」

「なんでもないって顔じゃなくね? 光莉、顔色悪いぞ」

「そんなにキモい虫いたの? あたしも虫嫌いだからわかる~」

 みんなが心配そうに私を見ていた。私は逃げるように教室を出ると、ちょうど入ろうとした人とぶつかりそうになった。

「あ、ごめ……美宙?」

「そんなにあわててどうしたの?」

 美宙にまっすぐに見つめられ、私は何も言えなかった。

「え? ちょっと、光莉?」

 そのままトイレに駆けこんだ私は、鏡に映った自分を見て余計に気持ちが重くなる。

 なんてひどい顔をしているんだろう……。

 あんなに日記を読んだのに、また凪くんを忘れてしまった。これはもう、勘違いなんかじゃない。私の身に何かが起こっているんだ……。

(とにかく、これからはずっと凪くんだけを考えなきゃ)

 そうだ。そうしたらきっと、彼を忘れずにいられる。

 ひどい自分の顔から目をそらし、私はそう決意した。


 結局、英語の授業は散々だった。

 ずっと凪くんのことを考えていたら先生に指されても気づかなくて、わからないと答えたら怒られるどころか心配されてしまった。

 その後の授業もずっと頭に入らなくて、昼休みもぼんやりしていると、

「光莉ー。一緒にご飯食べよ」

 と、美宙がこちらへやってくる。

 さすがに美宙もここでなら話をしてこないだろう。そう思っていたら、

「じゃ、ちょっと移動しようか。ここだと話もできないし」

「あ、私、学級委員の仕事があって」

 適当に断ろうとすると、隣にいた大智くんが不思議そうに私を見た。

「学級委員の仕事? なんかあったか?」

「えっと、なかったっけ? あれ、おかしいなー」

 あははは、と笑ってみる。でも、彼の顔は険しくなった。

「やっぱり具合悪いのか? おまえもう帰った方がいいんじゃね?」

「いい、大丈夫だから」

「せめて休めば? 昼休みだけでも」

「いいって、ほんとに」

 もしうっかり眠ってしまったらと考えると、怖くて保健室になんて行けなかった。

 次に目が覚めたら、本当に凪くんを忘れていそうで――。

「あのなぁ、いい加減にしろよ。何を意地になってるのかしらねーけど、これ以上心配かけんな……って、なんか言えよ。光莉、おい……」

 こちらをのぞきこんでいる大智くんを無視していると、突然手が強くひかれた。

「光莉。渡会くんも心配してるし、休んだ方がいいよ。私がついていくから。ね?」

「……うん」

 渋々うなずく。さすがにこれ以上断るのは無理だろう。それに実際、少し気分も悪かった。

 美宙に手をひかれ保健室まで歩く。手なんて繋がなくていいのに、美宙は私をどうしても逃がさないというように強く力をこめていた。

「ねぇ光莉、大丈夫?」

「え、うん、ちょっと寝不足だっただけだから、休めば全然――」

 彼女はこちらに顔をよせる。まるで内緒話をするように、小さな声でささやいた。

「もしかして、光莉、倉田くんを忘れてたりしない?」

「――っ!」

 衝撃が体を駈けぬける。

(どうして、美宙が知ってるの!?)

「そっか。怖かったよね。ごめんね、ずっと言えなくて」

 繋いだ手から伝わる美宙の手は震えていた。

「……どういうこと?」

「光莉がそうなったの、全部……私のせいなんだ」

 罪を告白する罪人のように、美宙は思いつめた顔をしていた。

「それって、どういう……」

 話をしていると、保健室の前に到着していた。

「また放課後に話すよ。光莉、今は休んで……渡会くんも心配してたから」

 美宙は不安げに私を見ると、小さく手をふって去っていった。

 美宙のせいって、どういうことなんだろう。

 保健室のベッドに横になっても、私は一睡もできなかった。

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