非才の【シュレディンガル】(第二版)
今宵、最初の勝負相手は【臭議院議長】。
おれを見るなり、
「くひぃ! 来やがった! 美味そうなカモが、来やがったぜえ……!」
議会中継では、けっして見せへん素顔、さらしてくれてる。
テーブルに着いたおれを指さし、
「てめえ、デビュー以来、五十二連勝中らしいじゃねえか、ええ? 汁気たっぷり、たまんねえ……! 早く血だるまになって、泣き顔見せやがれってんでえ……!」
ええ感じ。
人間、そうやって『自然体』でおれるうちは、無敵や。
おれでも、勝てん。
「勝負はポーカー! ルールは、当然『テキサス・ホールデム』だぜえ! おいらに勝ったら『次』につないでやらあ!」
議事堂のピラミッド部分、【玄室Ⅲ】て呼ばれる秘密のカジノで、勝負は始まった。
ベット、レイズ。
レイズ、レイズ、コール……オープン。
おれの手は『J』のツーペア。
「くっひぃ! 『K』のスリーペアだぜえ……!」
各国大使からなる、わずかな数のギャラリーが、軽う、どよめいた。
チェック、ベット。
コール、レイズ、フォールド……。
勝負は、一進三退。
おれのチップが、どんどん減る。
その間【臭議院議長】は、しゃべり通しや。
「てめえ、ここぞってえ時に、欲しいカードを必ず引けるらしいが、本当えか? ついたあだ名が【確率の支配者】……! くひあ、おっかねえ!」
「確率て」
おれは、笑ろた。
「そんなオカルタンな能力、持ってるわけないがな。ただ……」
「ただ? なんでえ? 言ってみやがれってんでえ!」
「ただ、間違うてたら、ごめんやで? ……自分、イカサマしてへん?」
反応は、劇的やった。
顔色ひとつ変えんと、【臭議院議長】はこう言うた。
「おいらが、なンダって? はは、笑わせないでほしいンダ……! イカサマなんて……やっていないンダヨ!」
はい、嘘。
おれは、重ねて、
「もしかして、ディーラーとグルなん?」
「ふざけんねえ! そんなわけ、ないってんでえ!」
「ほな、カードのすり替えは、自分一人でやっとるんやな?」
「……! やってないって言ってるンダ!」
おれは【臭議院議長】の手首つかんだ。
つかまれたスーツの袖から、ばらばら、カードがこぼれ落ちた。
「くひ、なんでわかったんでえ……」
いや、わかるやろ。
驚愕してるんは、【臭議院議長】だけやない。
ディーラーも、口に手あてて目みはってる。
「ESP……? OH MY……!」
て、背後で、大使の一人が畏怖こめて、つぶやく声……。
おれの中で、『孤独を感じるとき』第二位が、こういう勝利の瞬間や。
逆に、なんでこれがわからんのか、不思議でたまらん。
「くひょ! 放しやがれえ!」
国連代表・極東問題監視団長が、趣味の柔術で【臭議院議長】の腕ひねり上げた。
「おいらのサマを見破るなんてえ、こいつこそ何かやってるに違げえねえってえのに……!」
医師でもあるエーゲネシア大使が、腰に提げたシリンジ抜いて、素早く裁きを下す。
首筋への【ゴクウナイザー注射】、ていう裁きを。
むき出しの叫びを上げる【臭議院議長】が、瞬時におとなしゅうなった。
アホなやっちゃ。
ただの負けやったら、議員バッヂ失うだけで済んだのに。
「あれほどの権勢を誇った人間が、いまや【御供】……」
ディーラーが、感慨深げにつぶやいて、おれを見た。
「この『生きゾンビ』の所有権を、主張しますか?」
「いや、こんなん、使い道ある……?」
「神経拘束により、発話は出来ませんが……たとえば筆談によって、彼の知識やコネクションを引き出せますが?」
元はナイトパレード向けの血管用夜光染色剤が、その副作用を発見されてからは、『精神の禁固刑執行薬』と化してる。
所有者を認識させる条件付けも、比較的簡単。
「いらんわ」
おれは、答えた。
「ユニセフにでも寄付しといて」
「ご芳志のとおりに。それでは、次の勝負の準備を……上階でお待ちしております……」
ディーラーが専用のエレベーターに乗って、天井の向こうに消える。
大使らも、VIP用エレベーターで、まとめて上へ。
おれだけ、前もって指示されたとおり、レトロな螺旋階段を昇る。
ピラミッド中層、【玄室Ⅱ】で待ってたんは【惨議院議長】。
「バカじゃね?」
て、開口一番、圧利かせてきた。
「ぼくが勝負を受けるのは、【ファミリーポーカー】だけっていうこと、知らないんじゃね?」
聞いたこともないわ、そんなポーカー。
ディーラーがカードを十五セット、テーブルに並べた。
どれも、年季が入った、開封済みの使用済み。
「みな、連邦最高裁各判事の私物じゃね。実際に、それぞれのご家庭で使用されてる。ぼくも、いま初めて見た」
ルールを【惨議院議長】が語り出す。
「君には、この中から一セットだけ、選んでもらいたい。……選んだら、あとは勝負が終わるまで、そのセットを使ってプレイする。何があろうと」
言うてから、【惨議院議長】は不気味に笑いよった。
「もちろん、勝負中、カードに傷やマークをつけるのは禁止、見つかれば即【ゴクウ】行きじゃね。ぼくは、このルールで、今まで負けたことがない。……この意味、さすがにわかるんじゃね?」
嘘はついてへん以上、こう結論するしかない。
この相手、ただの『化けもん』や。
それも、『視覚』と『記憶』の。
カードの微細な汚れや曲がり、それに傷を、プレイ通して完璧に記憶、どんどん強うなる……。
「勝負が始まったら、ぼくはもう、必要最低限の言葉しか口にしない。何をやってるのかはわからないが……君の『確率操作』は、相手との会話によって、なされるらしいからね。……弱ったんじゃね? 困ったんじゃね、君?」
ゲームが始まる。
序盤過ぎれば、もうお話にならんかった。
向こうは、こちらの手札五枚が透けて見える。
こちらは、揺さぶりのかけようがあらへん。
……負ける。
ほやから、おれは、
「しゃあない……」
不本意ながら、『支配』した。
こいつだけやなく、この場全員の『確信』を。
レイズを重ね、吊り上げるだけ、吊り上げて……。
残りのチップ全部、前に押し出して、おれは告げた。
「勝負や。……おれは、オールイン、するンダ!」
さざ波の波紋が、この身を中心に瞬時に広がり……【惨議院議長】、ディーラー、大使らの心を通り抜けたんを、感じた。
「どうや?」
おれは、続ける。
「どうせ、わかってるンダロウ? おれの手が『クラブ』のフラッシュなンダ、っていうことは!」
愕然として、【惨議院議長】は、重ねて伏せたおれの手札を凝視した。
無理もない。
「どうなンダ……?」
この口調で言うたび、おれの横隔膜が、ちぎれるように激しく痙攣する。
腹が、痛い。
「そちらの手は、おれのフラッシュに勝てるのか勝てないのか……? どうなンダ、って、聞いてるンダ!」
相手は、あっけに取られとったが。
やがて、笑い出した。
勝利を『確信』した、笑い。
「……いい気になりすぎじゃね? でも、いんじゃね? 受けよう! さようならじゃね、【シュレディンガル】! こっちは、『ダイヤ』のフラッシュじゃね!」
おれは、手札をオープンした。
……鎌の刃みたいに輝く月の夜にふさわし、『スペード』のフラッシュ。
「じゃねっ?」
茫然と、おれを見る【惨議院議長】。
仰天する、ディーラーや大使ら。
うなずく、おれ。
切れ者だけに、もう流れは変えられんと、わかったらしい。
プライドか、『上層』への忠誠心か、単なる錯乱か、【惨議院議長】はふるえ声で、
「やりますデスネ……! 名手なンデスネエ……! こんなの……こんなの……イカサマに決まってるデショウガ!」
懐に、手入れた。
まさか、スペツナズ・ナイフ呑んどったとは。
至近距離、柄から射出された刀身が、おれの肩を削り抜く。
喉元を貫かれんかったんは、ひとえに、おれの肘つかんで引っ張ってくれた、南極大使のおかげやった。
国連代表とエーゲネシア大使が、首を振り振り、【惨議院議長】を拘束、【ゴクウナイズ】する。
ディーラーが、おれを応急処置してくれたが……痛み止めは断った。
「寄付しといて」
元【惨議院議長】の処分を頼んで、おれは、ディーラーらが上に行くんを見送ってから。
観戦者用のソファにもたれ、自分自身に、ささやいた。
「痛がらないンダ、勝つまでは……」
実際、わずかにでも痛みが引いていく気がするんが、たまらなく、きっしょい。
おれは、壁に血のあと残しながら、螺旋階段、昇っていく。
議事堂、ピラミッド部・上層、【玄室Ⅰ】。
上がってきたおれを、眺めて。
最後の勝負相手、【DIE統領】は楽しげやった。
「こらまた、痛そやなあ! もう、手ぇ引いたらどうや? ここまで来れたんは、ほめたるが……『奇跡』て、そうそう続くもんやないぞ?」
「ええから、早よ、始め」
おれは答えて席に着き、頬をゆがめて、
「見てわかるやろ? こっちは、集中力が飛びそうなんや」
手ぇ打って【DIE統領】は喜び、勝負は始まった。
コール、レイズ……、
「おれが勝ったら、約束は守ってもらう」
「わしを誰やと思とるんや? ……ちゃんと、上に待たせたある」
コール、コール……。
ディーラーが、場に五枚めの札、公開して。
ショーダウン。
おれは、『8』のツーペア。
「すまんな」
て、笑いながら、【DIE統領】は、
「『6』のフルハウスや」
すぐ判明したんは、目の前の相手が、『最高レベルの勝負師』や、いうこと。
どこまでもフェアで、陽気で、抑制が利き、こちらに妙な探りも入れず、それゆえに、こちらから仕掛けることもできん。
ほんまもんや。
プレイヤーとして、ただ、普通に、過不足なく、ひたすら、強い。
「大体、賭博なんぞ、不道徳やろが? やったらあかんねんぞ?」
軽口叩きながら、おもろそうに、おれのブラフを見破っていく。
信じられん……。
おれは、忌まわしさこらえて、『……ダヨ!』、『……ンダヨ!』と、会話に混ぜてみたが、引っかからん。
かすかな反応の兆候すら、見せん。
おれと『同類』、ていうわけでもない……?
わからん……!
絶望に、首まで浸かりかけた、その時やった。
おれの脳裏に、稲光じみてよぎった、【DIE統領】のあの言葉。
「……『奇跡』て、そうそう続くもんやないぞ?」……
おれは、一縷の可能性に賭けた。
ギャラリーのさらに向こうにいる、バーテンへ振り返り、
「おれも飲むわ。『キール・ロワイヤル』こしらえて」
運ばれてきたカクテル、掲げて、
「途方もない賭博師と当たったもんや。……この『邂逅』に、乾杯」
「……乾杯やで」
タンブラー掲げる【DIE統領】の眉が、ぴくっ、って上がったんを、おれは見逃さんかった。
レイズ、レイズ……。
「こういう『刹那』は、出来るだけ引き延ばしたいもんやが、『終焉』は近いな」
「そうは言うが、おまはん、ここまでようやったやんけ。『希代』の『反逆』やで、ほんま」
掛かりよった。
レイズ、レイズ、レイズ、レイズ……。
相手の口のはじが、上がっていく。
おれは、【DIE統領】から、引きずり出せるだけ、引きずり出す……。
危険な言葉、『奇跡』、『キール・ロワイヤル』、『邂逅』、『刹那』、『終焉』、『希代』、『反逆』、『久遠』、『覚悟』、『流転』、『咎人』……。
これらの語は、日々の生活のスパイスにはええが、使いすぎると。
アホになる。
満足顔で、【DIE統領】はそれと知らず、見事に崩れた。
口に出して交わされる、『戦慄』、『白銀』、『一族』、『秘匿』、『血族』、『血脈』、『飛翔』、『刻限』、『ザラスーシュトラ』、『【シュレディンガル】』……。
流れは、完全に変わった。
これは、勝負終盤に発された、【DIE統領】の言葉。
「取引しようや? ここでやめて帰る、言うんやったら……【是国民勲章】くれたる。ついてくる年金だけで、毎年、【軍用ゴクウ】の一個中隊が買えるで?」
おれは、嘆息して、
「……なんで、こんな、いかれた国になった……?」
「なんでやと? ここは日本やぞ? 【黒日本万聖国】やぞ? 洒落がきつのうて、どないするんじゃ」
そう言うて、【DIE統領】は笑う。
空洞みたいな、くり抜いたみたいな、満面の笑み。
ディーラーが一礼して。
勝負は、ついた。
静まり返ったままの、ギャラリー。
約束どおり、【DIE統領】は、おれの先に立って、上へと唯一続く螺旋階段を昇っていく……。
議事堂、ピラミッド部最上層、【宝缶】。
黒漆と金箔とルビーと大理石に飾られた、無国籍な小部屋に軟禁されてるんは、おれの婚約者。
おれの婚約者にして、【DIE統領】の娘。
彼女はおれを見て一瞬、喜びの表情を浮かべ、けど、すぐ、
「あなたなんて、大嫌いなンダカラっ!」
そう叫んだ。
涙を流しながら、眉間けわしく、
「これ、ほんとダヨ? ……ほんとなンダカラっ!」
「ほれ見い! やっぱり嫌ろとるやないか!」
「やかましわえ!」
おれは【DIE統領】を黙らせ、胸引き裂かれる想いで、彼女を見つめる。
「早く、私から離れて! でないと、あなたのこと……本当に嫌いになってしまう……!」
「心配せんでええ、おれと一緒に来?」
勝ち取るために、おれは彼女に手、差し伸べて。
自分自身を、裏切った。
「おれは知ってるンダヨ……! この病気は、治るンダッテ……!」
奇病【ンダヨ・ンデス】。
それは、『無自覚で』・『反射的な』・『特徴的虚言による』・『自己暗示』症候群。
発見・命名、おれ。
非日常が常態と化した、この国で、おれ自身が発症してまう前に、彼女の末期症状治してやることなんか、ほんまに可能なんか……?
おれは、彼女と二人、手つないで、議事堂の門の外、あふれかえる仮装の巷へ踏み出した。(『非才の【シュレディンガル】(第二版)』完)