第八話 あまり偉ぶりたくないんだ
鳴は、首都と聞いてもっとにぎやかな場所だと想像していたのである。
しかし、サイネリアは思ったより綺麗な場所ではなかった。確かにディエラより道路は幅広く教会の尖塔も高くそびえていたが、そこに住まう人間の様子は以前訪れた場所にもましてせわしない感じがした。
「へえ、これが王都なんだ」
こともなげにエレクトラ。
「でもここに来て、何をするつもりなの?」
「ここにな、俺たちの旅を進めることのできる手がかりがあるって教えられたんだよ」
「誰に?」
妖精はどうしても、秘密について聞きたがる。
「言ったろ。鳥のささやきだ」
「妖精にも人間にも鳥の言葉なんて分からない。エルフになら分かるかもしれないけどね」
サイネリアにはディエラよりも多くの人間が集まっていた。
喧騒がある。馬車が通る。
軒先に人々が集まっている。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 公開処刑の始まりだよ!」
銅鑼を棒で叩き、音を鳴らしながら物見櫓の上で誰かが叫んでいる。
「公開処刑だって?」
ぎょっとして肩に載ったエレクトラに。
「私が以前いた南の国でも普通にあったよ。知らないの?」
「いや、何でもない」
とはいえ、人々が嬉々としてある場所に向けて走っていくのを見ると、どうしても
「……まさかあいつら、みんなそれを見に行ってるのか?」
「他に楽しみがないからね。誰かに苦しんでもらわないと安心できないんだよ」
再び鳴はこの世界の人間に対する不信を深めた。
だが、さらに奇異なものを二人は目にした。
「神よ! 神よ!」
我が身を鎖で繋ぎ、あるいは枝や鞭で打ち据えたりして、みずぼらしい布をまとった一団が行進している。
「あれは?」
「苦行団だ。自分たちにわざと神に罪の贖いを祈ってるわけだよ」
一瞬その残酷さに理解できなかったが、すぐに思い直した。
(彼らにとって神は空虚な存在なんかじゃない。人生で一番大きな問題なんだ)
苦行団は前に行進し続ける。迷惑そうに眼をそむける人もいれば、硬貨を投げつけて立ち去る人もいる。この世界に自然に存在する一面なのだ。
無視する人間もいれば、その信心深さに感極まって泣き出す人もいる。この世界の複雑さをもう一歩鳴は理解した。
この街は概して雑多な家屋が立ち並んでおり、中々全体像がつかめない。首都であるのに、いや首都であるからかえって整備されていないのか。
建物の壁を覆いかぶさるようにして、馬の垂幕が飾ってあった。黒い馬の絵だ。建物の左にぽっかりと前に続く道があいていた。
鳴はそれに思い当たることがあり、すぐそれを見物して立ち止まっていた男に話しかけた。どこかで見たような顔だ。
「この絵は?」
「一年に数回だけ公開される馬の鎧が公開されてるんだと」
「馬の鎧?」
「どういうわけか知らないが馬の鎧がこの先に埋まった状態で公開されているんだ。いつからあるのか、一体どういう理由で作られたのか誰も知らないが……」
これこそカスパールが言っていた物件に違いない。
「見ていくのか」
「もちろん見に行く。俺はあれを探していたんだ」
「物好きな奴だな。言っておくとあれに何人も乗ろうとしたが誰一人それに乗れた人間はいない。みんな振落とされた」
突然、男の顔がカスパールに切り替わった。
『お前にはまた使命を言い渡す。その馬を乗りこなして見せろ!』
『分かった。とりあえず手に入れればいいわけだ』
世界が再び元の景色を取り戻し、カスパールはまた赤の他人に身をやつす。
「分かった。じゃあ俺も乗れないかどうか試してみるよ。じゃ」
鳴は手を振って馬の絵が指示す道を通った。
「やけに自信があるね。何で自分が乗れるみたいな口ぶりになってんのさ」
エレクトラが横からささやく。
「村の方で聞いたんだよ。アルビンさんに」
でっち上げでごまかそうとするが、どうしてもしどろもどろになってしまう。
「アルビンはそんなこと言ってないよ。私が。また小鳥にささやかれたってわけね」
無論、その馬に乗れたからと言ってどうするのだ、という問題はある。
だがとにかく、カスパールの言葉に従うしか道がないのだ。自分の行動を自分で選択できないのは気に食わないが、彼からの援助がなければたちまち野垂れ死んでしまう。
その道中でも、しばしば不快な物を見た。鳴はカルミナ村の方がよほど環境としてはましかもしれないと思うようになっていた。
近代的な文物がなくても、だからといって環境が良いわけではないことも分かった。
道の端で時たま黒や褐色に変色した何か散らばっており、蠅や烏が湧いている。
「うえっ……」
腐臭が漂ってくる。
よく見るとそれは死体だった。そのおどろおどろしい姿勢は、誰かに襲われて亡くなったものとしか思えなかった。
(これじゃあ疫病が蔓延してもおかしくない)
そんな屍さえも、無視するどころか好奇心で見る人間がいるということだ。鳴はもはや何も言わなかった。エレクトラを売っていた商人のように、自分の感覚しか思いやれることがないのだから。
人間が多く、その癖あまり治安が良いとは言えない。一刻も早くここを離れた方がいい。しかし例の何かを手に入れないことにはここから離れることもかなわない。
だがこの細道をしばらく進むと、次第にそんな喧騒も静かになっていった。汚臭の漂っていた風も次第に穏やかなにおいになっていった。
建物の立ち並ぶ区画から取り残されたかのように、ぽつんと空地が広がっていた。
街から少し離れた、荒れた野原にクレーターのような巨大なくぼみがうがたれていた。
そこだけがまるで異界だった。人が手を付けるのも禁忌とされたかのような重々しさがその領域にのしかかっていた。
鳴は、その光景の異様さに息を飲む。
「魔法だね。これだけのくぼみが作れる手段と言えば魔法による空間操作以外にない」
まず口を開いたのはエレクトラだった。
魔法の力を秘めているだけあり、エレクトラはさすがにこの分野については詳しい。
「南の国で聴かされたんだよ。アルカディアで数十年前に戦争があったんだって。何でも世界を滅ぼせるほどの力を持った二人が争ったそうな」
「それだけの力が……」
それがつい最近のことという事実に、改めて世界の奥深さを知る。
くぼみにつけられた階段をたどりながらその中心の小屋にたどり着くと初老の男が入り口で待ち構えていた。
「ここに何の要件ですかな?」
「この地下にブーケファルスという馬があると聞いた。見せてもらえないか?」
「ブーケファルスですか。あの馬に乗ろうとするのは並大抵のことではありませんぞ」
きっと、好奇心や虚栄心で乗ろうとした人間が何万人もいたのだろう。だが、その誰も成功しなかった。
「何千年もの間、アルカディアには異世界から何十人もの人間が現れました。私は彼らにこの馬を贈る仕事を何十年も仰せつかったのです」
それから少し眉を吊り上げ、
「見た所、あなたも異世界からの客人のように見えまするが」
「一応な」
この男がどれほどカスパールや異世界のことを知っているが気になって仕方なかったが、今は使命のことに注意をかたむける。
「気を悪くしないでいただきたい。アルカディアには常々異国からの客人が招かれますから、別にうたぐるべきことでもありません」
主人と共に階段を下る。
古代の神殿の地下に例の物はあった。
「様々な猛者が手懐けようとしましたが、数百年誰も乗りこなせまんでした。一体どこから来たのか皆目知る者がおりません……」
奥に見えるのは、鎧を着た馬。いや、馬というよりは自動車と言った方が良さそうな体格だ。様々な装甲が、黒光りする素体に張り付いている。
(……ロボット?)
鳴は牧場見学で一度だけ生きた馬を目にしたことがある。かつては砂漠を駆け巡っていたアラブ種の馬で非常に背が高く、その巨体に圧倒されてしまった。
だがこのブーケファルスはその比ではなかった。この金属のような体と、二メートルにはなんなんとする身長。まさに力強さが馬の形をしているかのようだ。高さを調節できる鐙や太い手綱がなければ到底乗れそうにないほどの大きさ。
鳴は恐る恐る、ブーケファルスの背中に乗った。思わず下を見るのが怖くなる高さ。
鞍を通じて、鎧のような皮膚の冷たさが伝わる。何も起きない。
「乗れた――」 しかし鳴が疑うまでもなく、突然周りの世界が振動をはじめ、ブーケファルスは激しく暴れ始めた。
「おい、やめろっ……!」 手綱を離さない鳴。
無理にでも力を強めて、しがみついた。ほんの少しでも油断すると、振り落とされてしまう。
鳴は怒ってその背中を叩いた。しかし暴れ馬の皮膚にそれは何の衝撃も与えない。
ブーケファルスは嫌がっている様子にさえ見えなかった。鳴をごまの一粒とも認識しているようだ。鳴はがむしゃらに叫び、心に言い聞かせる。
(思い出せ。これは誰かに殴られるよりはましな痛みなんだ)
人間を相手にするよりは、苦しみじゃない。
この受難が何分かかっただろうか。
次第に、馬の動きが穏やかになり、ついに静まった。鳴が鐙に足を載せ、手綱を引いても、もうブーケファルスは暴れなかった。
「お?」
鳴の意思に従うかのようにあたりを周回し始める馬。
「すごい! 鳴!!」 エレクトラが目を輝かせる。
「まさか……再びこの馬を飼いならすものが現れるとは……!」
主人ですら、この光景を信じかねている様子だった。
鳴は自分はどうやら物すごい存在になったことだけは自覚していた。しかし、そのことを誇るほどの喜びは生じなかった。
(で、この馬はもらっていいのか)
鳴はブーケファルスから降りると、主人にこの馬の処遇をどうするか尋ねた。
「昔からこの馬を所有する者はこの馬を操れる者という風に決まっております」
鳴はまごついた。これがカスパールの定めとはいえ、自分がこれほど荘重な物を易々と手に入れていいのか、その資格がある人間と思えるほど奢れなかったから。
鳴はブーケファルスに乗ってサイネリアの道を通った。
誰もがその様子に目を見張った。
しかし鳴は嫌気がさして降りてしまった。そのまま手綱でブーケファルスを前に引っ張っていく。
「あれ、何で降りちゃうの?」
「俺はあまり偉ぶりたくないんだ。そんな仰々しさが似合う人間でもないからな」
視線が急に怪訝な物になった。なぜこれほどの名馬を持っていながら、わざわざ持ち腐れてしまうのか。
それでもブーケファルスは何ら声を上げることなく、従順だった。まるで鳴のことにしか興味がないようだった。
(そもそもこいつ、生き物なのか?)『鎧』と言ったように、間違いなくこれ自体が何かの機械なのだろう。数十年もの間、ずっとそういう風にして動いていたわけだ。もっとも鳴は技術的な分野にかけては疎かったから、この馬が不思議な力で動いているということしか分からなかった。
(カスパールにどうやってこいつを操るか聞きたいところだ)
だが今後を考える間もなく、ゴブリンの小男が近づいてきて急にことほいだ。
「実に素晴らしい! あなたは神に祝福されたものだ」
身体的特徴はまさにオベリスクに緑色の肌で、牙も生えているが、表情は非常に人間的だった。
その恐ろしげな顔とは裏腹に、話し方は実に巧みで音色もたくましい。
「まさか、俺はそこまで偉い人間なんかじゃ――」
「いいや、私は常に人間の真価を知るものでしてな。昔からこの世の誉ある方々にその手助けとなる品を分け与えずにはおけなくなるのです」
ゴブリンは屈強な顔に反してバリトンの美声。流暢な売り文句。
「どうです! これこそは実に古代から受け継がれた貴重な遺産。あなたに素晴らしい導きを与えてくれることでしょう」
ゴブリンは懐からさびついた鏡を示した。とても値打ちがある品には見えなかった。
きっとそういう風にして何人もの人間に売りつけてきたのだろう。
もしカルミナ村に帰ることでもあったら土産物として見せておくのもいいかもしれない。
「分かった。どれくらいなんだ」
「ふーむ、本来なら300マナリオと言いたい所ですが、今回は特別に100マナリオでお売りいたしましょう!」
(こいつ、なかなか人の好意につけこんできやがる……)
鳴は舌を巻いた。明確にこの矮人族の男は相手の名声や罪悪感につけこむのが非常にうまい。
ましてやぼったくりというほどの金額でもないのが厄介だ。ただブーケファルスを手に入れた後となって、そこまで嫌な気分にもならない。鳴はむしろここで気前の良さを発揮しようとした。
「分かった。その鏡、買うよ」
商人は鳴の両肩に手を載せて感激。
「それでこそこの鏡の持ち主にふさわしい! やはり私の目に狂いはありませんでしたな!」
この世界では首や耳に何かしらの飾りをつけるのは普通のことだ。むしろその類の飾りを一切していない鳴の方が変に見える。
紐を首にかけると、鏡は大体みぞおちの部分に垂れ下がった。そこまで目立つ装飾品でもない。エレクトラは紐を片手でつかみ、重さを計りながら訪ねる。
「さっきの噂、信じるの?」
「まさか。本当に貴重なものだったらあんな安値で手に入るかよ」
と言いつつ、鏡の表面をのぞく。それは何か幾何学的な模様に見えて、何かの情景を描いているようにも見えた。その情景が何なのか目を凝らすと、それはさらに別の世界の入り口のように見えた。
その時、目の前をローブに身を包んだ人が通りかかった。鳴の顔面を掠めた。