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第七話 顔も人間なんだぞ

 ディエラに到着してから、早速物々しい光景を鳴は目にした。

 軍隊だ。色とりどりの服を着て、王国の旗を掲げて行進してくる。

 まさかハイランドではないとは思うが、その様子はどこかに戦争に出かけるものとしか思えなかった。

 すぐ脇の柱に隠れて、やり過ごす。死地に赴くかのような重々しさ。それを見物する人間も、皆腫物を眺めるように忸怩たる心情を浮かべている。

 どれほどいるのか分からないが、おそらく千人は下らないだろう。

 兵士たちは舗装された道の上を通過していた。

 その道に分けられ、二つの地区が広がり、その中に建物や露店が込み合っている。

 ここではレンガ造りの建物が一般的で、二階建ての家も珍しくない。カルミナみたいに、自然に形成された村落では明らかにない。

 軍隊の最後の列が町の敷地を越えていくのを見やりつつ、キルデリクの言葉を思い出していた。アルカディア王国も一枚裏ではない。今、この国はハイランド公と王子の間で対立状態にあるのだ。そして、カルミナはそのハイランドの中にある。もしかしたらヒルダたちもその戦火とは無縁ではないのかもしれないのだ。

 彼らの姿がようやくなくなると、次第に喧騒が戻ってきた。何となく、カルミナで聴いていたものとは話し言葉も抑揚も違うように聞こえた。田舎の純朴さと、また別の種類の軽薄さだ。

「あいつらは……何をするつもりなんだ」

 すると、隣を通りかかった男に答えられた。背は低いが、豊かな髭と屈強な肩幅で小柄には見えない。

「ルシタニアを討伐するためだよ」

「何だって?」

「最近になって大公殿下がルシタニアの王位継承権を主張して戦争をけしかけたんだ。見ろよ、どこもかしこも軍隊相手の商売をする店であふれてる」

 どこからともなく酒の匂いがする。耳をすませば、金属を鳴らす音。槍や剣を鬻ぐ商人が道端に座って商売相手と長談義している。

 剣を佩いた男たちの姿がその向こうで往来している。あたりの景色を見まわす鳴に矮人こびとは聞き耳を立てつつ、

「だがその本音はホラズム王国の肥沃な土地を狙うことにある」

 ディエラ町全体に重苦しい雰囲気が流れていた。

 石畳の広がる道路に、整備された区画。しかしその違いを楽しむほどの余裕は鳴にもなかった。

 鳴は何か食べる場所はないかと思って街を隅から隅まで見回ることにした。

「おい、あまり変にうろつかん方がいいぞ。どこに軍隊の連中が潜んでいるか分からんからな」

「まだ奴らが……」 相手に合わせて、小声で訊く。

 多分この男も人間ではない。異種族――恐らくはドワーフなのだ。ドワーフは不機嫌そうに語った。その顔つきに比べて、若い声なのも人間らしくなさを強調していた。

「全く奢侈禁止令が出ているにも拘わらず全く順守されているとは思えん……規律がはっきりしていないんだ。真っ先にここが前線になってしまうかもしれん」

 次第に世界がきな臭い雰囲気に染まっていくのを鳴は感じた。

 なるほど、ここは世俗の闘争と近い所にある。

「情報ありがとう。とりあえず俺はここに旅を進める鍵がないか探すことにするよ」


 途中、二振りの斧が交差して壁に立てかけられていた。これはこの町の自警団だろう。ぽっかりと空いた窓の向こうではいかにも屈強そうな男が重い物を持ち上げたり、たりして鍛錬に励んでいた、その建物を曲がって裏路地に行くと薄暗くなり、人影がなくなって別の世界が広がりそうな雰囲気があった。

(このあたりはさびれているのか)

 しかし上には物干竿がかけられ、いくつも衣服が旗めいている。全くの無人というわけでもない。

 もはや昼間だ。王都を目指すには遅過ぎはしないか。北に向かっているとは言うものの、カルミナに比べても気温が高い。狭いうえに風通しがよくないからだ。

 しばらく進み続けると、小さな東屋がわりこむようにしてぽつんと建ち、その中心に湧水があった。

 一人の女性がそこから水をくんでいた。

 四つの柱に支えられた小さな東屋の下の噴水で一人の女性が水をくんでいた。鳴は、そこに浮世離れした雰囲気を感じ取った。

 鳴が声をかけるべきかどうか悩んでいると、

「聖水を汲んでいるのです」

 謎めいた女性だった。

「ムスペルヘイム平原に祠があるのはご存じでしょう?」

「湖がありまして、そこに水神様がおわすのです」

(おや?) 鳴は、その言葉に何か思い当たることがあった。

「私は供物をささげに参拝する途中なのです」

(本当のことを言うべきか……?)

 鳴は、嫌な予感がした。それを言ってしまえば、どれだけ恨まれるか知れない。

「森の中の湖にいたワイバーンなた、俺が殺して、食べた」

「……え?」

 女の表情が急に硬直した。

「この不届き者が! 水神様を殺めるとは!!」

 鳴は彼女が何を言っているのか最初、よく分からなかった。

「水神様!?」

「あれは尊いお方なの! 決して人間が傷をつけてはいけないお方なの!」

「あの時俺は喉が渇いていたんだ。それに腹もすいてた……」

「水神様の御一族はもうずっと数を減らしていて、あの方が最後だったの。それをあなたが殺してしまったのよ! 決して許されない罰なんだ」

 鳴はどうやら、自分が大罪を犯してしまったらしいことだけは分かった。

 だが鳴がどうすればいいか分からずにまごついている間に、騒ぎを聞きつけた野次馬が一気に裏路地になだれこんできた。

「おい! 一体何が起きてやがるんだ?」

「こんな事態で、何を騒いでやがる!」

 その声を聴くなり、女ははっとして押し黙ってしまった。

 今、この町は軍隊が駐在しており、張り詰めているのだ。こんな言い争いが見逃されるはずもない。鳴は仕方なく状況を説明した。

「この人は竜を信仰しているそうです」

「竜の信仰だと!?」

 あまりに残酷なことを言ってしまうが、ここで嘘をつくことは許されない。

「ですが僕がその竜を食べてしまったので、この方は憤っているのです」

「よくも、そんな無礼なことを……!!」

 だが、女にとってそれは決して知られてはならないことだったらしい。死の恐怖に捉えられたかのようにその顔は青白く、歪んでいた。

 野次馬たちはまだ何が起きているのは理解しかねていたが、しばらくして中から修道僧らしき禿頭の男が進み出て、

「魔族を崇拝する邪宗のともがらだ」

 一気にざわつく群衆。

「魔族崇拝!」 目の前の人々があっけにとられる。それがあたかも凄惨な犯罪だとばかりに。

「今の時代に魔族崇拝が存在するとは……世の中何があるか分からん」

 その背後に、剣を佩いた鎧姿の男たちが迫っていた。

「魔族崇拝者なら異端審問にかけるべきだ! こんなご時世に異教を広められてはたまらんからな」

 すると、誰もが女の体につかみかかり、身体の自由を奪う。

「や……やめなさい!!」

 信じる神の違いで、罪にさえ問われてしまう。この国には信教の自由は皆無なようだ。

 野次馬たちは女をひっとらえてそのまま裏路地から出て行ってしまった。鳴には誰一人として関心を払わなかった。鳴は気まずい気分になったが、さりとて罪悪感に浸る雰囲気にもなれなかった。

「おい、魔族崇拝って何なんだ?」

 手のひらにエレクトラを呼び出して、その顔に問う。

「あんなのは人間が勝手に言ってるだけよ。本当はあらゆる神様がいてそのどれも尊いだけなのに」

 エレクトラは反論しようにも反論できなかった憤懣をぶつけるように早口。

「私が信じるのはタイタニア様よ。あんたたちとは違ってね」

「ははあ」(これを突詰めると泥沼になりそうだな……訊かないでおくか)

 いずれ時間が経てば、今神と呼ばれている何かさえ、人間は神と認めなくなるだろう。何もかもが神でなくなる。一体その時人間は何に救いの確約を求めればよいのだ。

「一人の人間の人生を潰したよ、あんたは」

 この際は、この世界の人間の薄情さを見習うべきかもしれない。

「もう何十匹の獣の人生を終わらせたしな」

 人の苦しみや無知がこの世界では露骨に現れてくるのだ。その一つ一つに注目していたら気力が持たない。

 東屋で顔を洗った。なるほど聖水と崇められるのも不思議ではない、澄んだ水だ。カルミナ村では飲み物と言えばたいてい酒か動物の乳で、真水にはめったにありつけなかったから。


 宿泊場所を探す時から、鳴は用心していた。この手の場所が安全だとは到底言えない。常にエレクトラを体内に潜ませて、いつでも魔術を発動できるように準備を整えていた。

 鳴は町の中心にある巨大な宿舎をあたってみた。しかし問題が発生した。

 エレクトラと二人で予約しようとしたのだが、

「貴様、なぜ妖精を連れている?」

「ここはハイランドじゃない」

「なぜここに妖精がいるんだ。ここは人間だけが泊っていい宿屋なんだ」

 鳴はきっとなって叫んだ。

「ふざけるなよ。同じ心を持った生命体じゃないか」

「妖精は妖精だ」

 エレクトラの憔悴した顔を見やりながら、鳴は徹底的に抗弁する。

「顔も人間なんだぞ」

「だが体は小さい」

 異種族に対する嫌悪だ。

「ここはハイランドじゃない。妖精がいることは許されている」

 本来なら、エレクトラを紋章の中に宿しておくべきだった。

 しかし、そのようなことをしたとしても、この世界の残酷さを見過ごしていただけだ。

「もしここで俺を出せば、世間に悪く言われることになるぞ」

「何?」

 あまり言葉巧みに丸め込めるのは上手ではないし好きでもないのだが、今となっては仕方がない。

「俺はキルデリクと知り合いなんだ」

「キルデリク?」

「そうだ。国王陛下の軍隊に伺候していた偉大な方だ」

 ヒルダからさんざん聞かされた自慢を、なぞるように語る。

「ルシタニアとの戦争で勇敢に功績を上げた。そのために盾を下賜されたんだ」

「となると貴様、本当に奴を知っているのか」

 相手が気おされたのを見て、鳴はさらに口角を上げて気炎を吐く。

「このことをキルデリクが知ったなら、お前はこのディエラ町の笑い者になるぞ」

「あいつと……? なるほど、怪しいものじゃないな」

 まさかキルデリクがこれほど名を知られている人間だとは思わなかった。

「なら、いいだろう。お前たちは特別に泊めてやるよ」

 こうして主人は鳴たちを通した。誰もが、彼らに驚いて目を丸めるばかりだった。

「あんたがいなけりゃ、あたしは野宿するしかない所だったよ」

 エレクトラは九死に一生を得たような顔で胸をなでおろしている。

(そこは『ありがとう』じゃないのか)「別に、お前に嫌な思いをしてもらいたくてこんなことしたんじゃないんだからな」

 あまり口は達者な方ではないが、他人といやでも顔を合わせなければならない日々の中で自然と身に付いた話術だ。しかし、やはり人をやりこめるのは気分のいいものではない。

「全く、一時はどうなるかと思った」

「俺もあれが成功するなんて思ってなかったからな」

 カスパールがどうにかしてくれるだろうという謎の確信があった。無論たより過ぎてはいけないが、それでも路頭に迷うほどにはならないと信じていた。

「でもわざわざあんな最初から紋章の中に私を忍ばせればよかったのに」

「まさかここまで人間以外の種族が敵視されてるなんて思わなかったんだ。俺はそんな差別を野放しにしたくないからな。せめてまっすぐ意見して抗議したかった」

「へえ……それで王都に向かって、どうするわけ? 何か生活する当てでもあるの」

「あるさ。小鳥が勝手に行先をささやいてくれるんだから」

「小鳥が?」

 エレクトラは無論そんな冗談を信じなかった。

「鳴がそんな人間じゃないことくらいあたしゃ知ってるよ。あんたは小鳥なんかじゃない、もっと別の悪魔にそそのかされているんだ」

「エレクトラはそんなに人間に対して興味があるわけじゃないだろ。何でそんなことまでいちいち聞かされなきゃいけないんだ」

「仕方なしにあんたにつき合わされてるんだからね。振り回されるこっちの気持ちも考えなよ」

 だがエレクトラは驚くほど寝付くのが早かった。

 一方で夜遅くになっても鳴は考え事をしていた。

 怖ろしく時間が長いと思った。どうしても寝付けない。自分の旅路が正しい物なのかどうか、ヒルダたちは息災かどうか、悩みは絶えない。カスパールの言葉が断片的すぎるのだ。

 朝焼けが城壁から輝き出した頃、駄賃を払って再び出発した。そこから鳴は長い時間歩かなければならなかった。だがそれまでとは違うのは、きちんとした道しるべが存在することだ。

 エレクトラが体内に潜り込んでいる状態だと、やけに疲れにくい。ただ魔法を使えるだけではないのだ。それでもやはり道は長い。道は長いが、方向が分かっているだけワイバーン退治までの道筋に比べれば遥かに気楽だった。

 気楽なのはいい。

 便利な道ではあるかもしれないが。分断するような道だ。カルミナ村のように、そこから外れた場所はさびれる一方ではないのだろうか。

「ねえ、あれじゃない?」

「あれが……都か」

 城壁の向こうにちらほらと高い建物が見えていた。壁の前には堀があり、遥か下に水が濃い色でたたずんでいる。

 ディエラよりももっと複雜な構造だ。そして、もっと不穏で物騒なものを二人とも感じずにはいられなかった。

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