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第五話 こいつ、食えるのか?

 大きな岩の上で目覚めると、太陽がすでに地平線をわずかに照らしている頃だった。

 最近はすっかり日の出に応じて目が覚めるようになった。かつては自分が起きる時間すら自分で決められなかった鳴だが、今では自然の順序と起臥おきふしを共にするようになって久しい。

 エレクトラが逆にあお向けになって眠っている。

「おい起きろ、妖精」

 低い声で、ぶっきらぼうに。

「あたしは人間の指図なんて受けない。自分の意思でしか起きないから」

「頑固な奴だな。またどっかの商人に捕まったらどうすんだ」

「逃げるよ。いつか人間が住めない場所を見つけてそこに住み着いてやるよ」

 鳴は持ち物の整理を始めた。

 カルミナ村から持っていけたものはごく少ない。

 革袋の中には護身用のナイフが一本と革袋。歩いていた途中で約二立つかと拾った石や草。それから数枚の銀貨。わずかにかき集めた薬草の類。

(大して役に立たない代物だ……本当に生きていくうえで必要な物はそんなにないとはいえ、これではさすがに厳しいかもな……)

 妖精に悩みを悟られないように、

「十分寝たのか」

「妖精だって寝る時は寝る。自分が好きな時はさ」

(もう少しひどい扱いしてくるかと思ったら随分理性的ね)

 エレクトラは南のホラズム王国で商品のように扱われていた。自然と離れた場所ではか弱い存在に過ぎない妖精は、かつての尊厳を失いすっかり人間の愛贋物に甘んじるようになってしまった。

 あの市場ではエレクトラの仲間たちが取引されていた。人間たちの、あの好奇心や嫌悪感の入り組んだ複雑な表情は今でも忘れられない。エレクトラはその日々のことを思い出さないように、常に今ここにいることを意識していた。その時のことは人間に話す気はない。

 ただ不思議なのは、この高咲鳴という人間だけは全く妖精なる異種族に対する偏見がない。彼はエレクトラを、妖精ではなく限りなく人間に近いものとして見ている。エレクトラにはそれが不可解だった。

(人間は妖精を畏れているんじゃなかったの?)

 

 ムスペルヘイム平原の太陽の下で二人はあてもなくさまよっていた。この平原を越えた先に王都への道が広がっているそうだが、地図もなく土地勘もない状況ではこの旅路は永遠に続いているように見えた。

 彼らはハイランドから出ることに必死だった。もう彼らはここにとどまっていると追手がやってくるかもしれない。

「妖精はね、元々人間と対立するような存在じゃないの」

 エレクトラは時折、この世界の歴史を語った。

「妖精と人間が仲良くしていた時代が確かにあった。でも人間が魔法を発展させて次第に他種族の力を必要をしなくなった時、私たち妖精は迫害の対象になったの」

「それでこのハイランドも人間の土地に?」

「そう。あの村の人間も百二十年ほど前に住み着いた奴らの子孫でしかない」

 鳴はうと歴史に関してあれこれ考えた。

 百二十年なら、自分たちがこの地の先住者になってしまうのは分かる。だがそれが長い時間のことだとエレクトラは感じていない様子だった。

「妖精は魔法の力では人間を上回る。だから互いに争い合う必要なんてない。でも人間は弱いから力の加減を知らない。人間はね、臆病なの」

 それにしても、ほとんど人がいない。人間の手の込んでいる物を見つける方が困難だった。辺境とはいえ、これほど過疎な場所だとは知らなかった。

 野生の獣も見つけられないので、バッタや毛虫を食べたりして何とか生き永らえていた。まだカルミナ村の方がましなものを食べていた気がする。

 急速に生活水準が落ちたことに関しては実に痛いと思った。だがそれも、結局は人間のある時代の生き方でしかない。

(いっそ文明の生活なんて忘れた方がいいかもしれない)

 人影が全くないので、エレクトラと話すしかなかった。エレクトラがこの世界のことをよく知っているとは思っていなかったし、むしろ妖精だからこそ話せることだってあった。

 ある時、エレクトラが不意にこう尋ねた。

「魔法ってどう使うか知ってる?」

「いや、全然。そういや村の水車が魔法で回っているというのは聞いたけど」

(限定的なのか。そこまで社会全体に普及してるわけじゃないんだな)

「妖精は人間と契約して魔法を使えるようにするの。私の先祖はそういう風にして戦うように品種改良された種族。でももう、そんな妖精を飼う人間もいないんだけど」

「俺も契約できるのか?」

「妖精と人間はね、強く思い合うことでしか契約できないの。強い絆で結ばれることでしか、一心同体になれないの」

 妖精は、鳴を下から見上げつつ眉をひそめる

「あたしにはまだ、人間への恨みがある」

「分かるよ。俺もこの世界の人間の残酷さには嫌気がさしている」

 エレクトラにはこの世界の人類以外の知識がないから、仕方のないことだが。

 ひたすら、山が細く広がっている方向に向かって二人は進んでいた。それしか、北を示す標識がなかったからだ。そしてその間、太陽にさらされながら歩き続けた。

 そしてようやく、ほとんど変わらなかった光景に変化が見え始めた。

 正午を過ぎ、太陽が沈むきざしを見せ始めた。

「あそこで少し休んでいくか」

 野原の片隅に小さな森が広がっていた。とても涼しげな雰囲気だった。

 少なくとも、その中に入り込んで迷うということはないだろう。村にいた時は森にどんな怖ろしい獣がおり、どんな残酷な魔族がいるかとさんざん聞かされたものだ。

 その恐怖がハイランドの森を平野に変えていったのだ。エレクトラの言うことが正しいなら、この雄大な光景も人間の邪悪なエゴによる環境破壊の産物と言うことになるだろう。

 無論、そちらの方が人間にとって都合がいいにしても、コンクリートに覆われた道路や高層ビルの立ち並ぶ大都会と、その損害は決して変わらないことになるだろう。鳴は自然その物に見える光景がどれだけ人間によって改変されたか考え込み、ふとぞっとした。


 一歩一歩進んで行くと広い空き地に至り、真ん中に何やら小さな池が広がっていた。透き通った水面をたたえ、日の光を反射していた。

 鳴は喉が渇いていた。遠足で何キロメートルもある山道を歩いた時以来の渇きだった。生死を左右する。最初は美しいとばかり思っていた自然が、残酷なものに思えてきた。

「ここなら顔を洗えそうだな」

 だがエレクトラは不審な表情だった。

「駄目だよ。こういう場所は魔物の縄張。私たちなんかがかなう相手じゃない」

「仕方ないだろ。今俺は喉がからからなんだ!」

 鳴は疲労に耐えきれなかった。ほとんど棒になりかかっている脚をどんどん池に向かって突いていき、水を飲もうとした。

 その時、池がぶくぶくと泡立ち、あたりの木々が威嚇するように振動した。

「やっぱり……この森の主に警戒されているのよ」

「森の主だって?」

「この池の底にいる。私たちのことを勘づいてる」

「そんなの関係ねえだろ。俺は水が飲みたいんだ!」

 だが、ついに水のうねりが宙を舞い、そこから飛び出すのは翼を生やした巨大な蛇。

 二本の腕、二本の角。鱗は鋭くとがり、金属のようにきらめく。

「ワイバーン!」

 エレクトラは怪物の名前を知っていた。

「ワイ……え?」

「とぼけてる場合じゃないっ!」

 蛇は口を大きく開いて中から燃え盛る石を撃ちだした。

 鳴は渇きも忘れて飛びのいた。地面が次々と火球をはめこみ、火柱を生やす。

「ど、どうすればいいんだ!!」

 鳴は走ることもままならず、這うか転がることしかできない。

 エレクトラはこの時、ある判断にたどり着いていた。

 自分は未だにやったことがないが、先祖にとっては逃れられない宿命だったことだ。

「私と契約するの!」

「分かった……」

 エレクトラの体が黄色い光に覆われ、眉のような形になった。そのまま虚空を滑り出して鳴の右手に流れ込んでいった。

 鳴の手のひらが突然うずきだし、雷のような紋章が描かれ出した。

「これは……!?」

「契約の印。説明してる暇なんてない」

 エレクトラも鳴も、状況を具体的に把握する余裕などなかった。

 ワイバーンはすぐそこまで迫っていた。食い殺す勢だ。

 混乱したが、鳴に戦うことへの迷いはなかった。この力を生かすための知識が脳内に流れ込んできたからだ。一度理解し終えると、それはまるで何年も前に知っていたことのような気がした。

 鳴は、急に時間の流れが止まったように感じた。ワイバーンがこぼれそうでこぼれない水滴のようにうごめいていた。

 鳴はほとんど無意識に口を開いていた。その言葉の意味を理解するでもなく、自動的に舌と唇がさざなみのごとく揺れ動いた。

「『いかづちの印よ、我が望みに応じて顕現せよ!』」

 口を開けて牙を見せた時、その喉仏に向かって手を突き出した。

 直後に、稲妻が鳴の手の甲から走り出し、ワイバーンの体内に突き刺さっていった。


「こいつ、食えるのか?」

 喉を十分うるおしてから、ぐったりしたワイバーンの虚ろな瞳を見つつ。

「まじで。こいつ食うの?」

 獣を食うなどありえないと驚く漢字で、エレクトラが脳裏にささやく。イヤホンで音楽を聴いているのと同じ響きだ。

「当たり前だろ。この一か月ろくなものにありつけてねえんだから」

 命を奪うことに対する抵抗はなかった。

 ワイバーンの喉を切裂くのにさほど苦労はしなかった。この部分だけ、鱗や腕に比べても柔らかい部分だったから。

 鳴は村で見た色々な動物の裁き方を思い出しながら、ワイバーンの腕や腹を筋に沿って切り落としていった。

 火球を作るらしい器官が沸騰しているのを見た時は失神しそうになったが、なんとか肉の部分を切り出すことに成功した。

 しばらくして、紋章から光が飛び出してエレクトラの姿を取った。

「んっ!?」

「妖精はこうやって人間の身体を往来するのよ」

 エレクトラには、鳴の作業が異様なものに見えた。妖精の食べ物は基本的に木の実か虫であって、肉など食べないからだ。

(こんな面倒な手間をかけないと食べられないんだ? 意外と不便なんだね)

 だがそれ以上に、血と脂の匂いの方がより妖精の感覚には異常だった。

 石を叩いて火を起こし、数時間かけて肉を焼く。

 それは非常に労力のかかる作業ではあったが苦痛はそれほど感じなかった。むしろ獲物をしとめたことの奢りと食欲で一刻も早く飢えを満たしたかったのだ。

 臓器からあふれる体液が土を濡らす。鳴は余分な骨は池に捨てたが、何かに使えそうな角と指だけは革袋に入れた。

 以前は鶏一匹をしめるだけで吐きそうになっていたが、鳴はほとんど血や内臓を見ることに抵抗を感じなくなっていた。

 強い生き物だから返って憐れみなどもよおさなかったのかもしれない。

 鳴はワイバーンの肉を火にくべているのをじっと眺め続け、気づけばもう日が暮れていた。

 日本で食べていた動物の肉に比べればさほど見栄えは良くなかったが、鳴にはそれが人生でもまれにみる程度の料理に思えた。

 そして、噛んでみると案外硬くなく、むしろどんどん舌の方に味がしみこんでいくのである。

「うまい!」

 あきれるエレクトラ。

(何言ってるの。鳴が殺して鳴が食べたんでしょ……)

 人間も他の動物と同じで、何かを食わなければ生存できない。だが違うのは、他者を効率よく吸収すべき手段を発明していったという点だ。自然を利用する生き方だ。

(人間は自然を征服して発展していった。でも私たちは自然と共に生きる。そこに発展がない……だから敗北した)

 エレクトラが沈思黙考しているにも関わらず、

「食えよ!」

 肉の塊を差し出した。

「いやよ、死体の肉なんて受け付けない」

「何言ってるんだ。俺は見逃さなかったぞ?」

 鳴はエレクトラに微笑を浮かべた。

「分かったよ。今回だけはご厚意に甘えてあげる」

 エレクトラはまたもや空腹の音が鳴るのを避けるために、肉の表面をしゃぶりだした。その肉からあふれる液体はさながら果汁のようだった。ぎとぎとしてはいるが、ほどよい辛みが利いているこの辛みを味わうために、ますますそのまま飲み込んではおけなくなるのだ。

 エレクトラはこれほど珍しい味を味わったことがなかった。商人に飼われていた時はいつだって食べ残しの切れ端しか与えられてこなかったから。

 距離が縮まった気がして、鳴は思わず笑みをこぼした。だが、幾分のさびしさもあった。カルミナ村からはどんどん離れていく。

 一体何があったのか。あの日の記憶はなおおぼろげなまま。だが、そのことで本格的に憂える前に、

(やはり考えなくてもいいか)

 そう思ってしまう。今生き永らえることが最も大事なのだ。しかしこの過酷な状況は、すっかり本当になすべきこと、考えるべきことを忘れさせてしまう。鳴はそれに微妙な恐怖を覚えた。

 ワイバーンの遺骸は半分ほど生前の姿を保っていた。肉の部分だけでも、二人の胃には負いかねる量だ。

「しかしこれくらいの量、食べきれないな。保存食にでもするか」

「保存食?」

 未知の動物をどう利用する考えることが、この際の鳴にとって一番の楽しみだった。

「乾燥させて残しておくんだよ。もしかしたら誰かにあげることだってできる」

 エレクトラは、人間の叡智に関心しそうになったが、それを鳴に著すことは許さなかった。だが鳴の方は妖精の生態に興味津々で、

「なあ、妖精って結構大食いなんじゃないか?」

 腰に手を当てて、

「私たち妖精は体が小さいから、あなたたちみたいに沢山食べなくても生きられる」

「そうか? 今日だけでくるみの実を六個も食ってしまったじゃないか」

「腹が減ってたのよ!」

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