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第十五話 ただ自分の快不快に従っただけさ

 鳴は、できるだけ相手の顔を見ないようにして戦っていた。

 森の乾燥した気候では遺体は腐らない。その代わり水分が完全に抜けて、ミイラのようになる。

 かつては喜怒哀楽をはっきり示したであろう紅顔も今では皺としみの底へと沈み、感情の全く読み取れない異形の面。生前の記憶も、理性の一かけらも残ってはいないようだった。

 筋骨たくましいエルフでさえ、この長い時間打ち捨てられるとこのように醜悪な亡骸になってしまうことに鳴は驚いた。そしてそんな状態でこれほど荒々しい動きができること自体、魔法によって改造されてしまった末路なのだと、この手の知識に疎い鳴でもたやすく想像できた。

 死角から、槍を持った屍が突っ込んできた。一瞬鳴はその鏃に貫かれそうになった――が直後に、太い銛のような何かが敵の頭を打ち砕いた。

 鳴が反射的にその方向を見ると、坂の上に、背の高い人影があった。弓を構えながら、敵を狙っていた。

「高ぶるなよ。高咲鳴」

 さして表情も変えずに、フレデグンド。

 鳴を避けて、次々と鋭い矢が死霊たちの急所を狙い、足止めする。

 かつて読んだことのあるゲームではエルフは弓術に優れるとは描かれていたが、まさかここまで巧みだとは。だが全くの優勢とも言えなかった。すでに何人かが怪我をして仲間に運ばれるのを鳴は目にしていた。

「だんだん奴らの攻勢が弱まってきました」

 エルフの一人がブーケファルスに近づいて叫ぶ。

「じゃあ、お前たちは逃げろ。ここからは俺一人でやりとげる」

 鳴ははっきりした声で叫んだ。

 エルフの戦士たちが機会をうかがいながら、敵の斬撃を切り抜け、撤退していった。鳴は一人で死霊たちを相手にした。四方八方から死霊の剣なり槍が迫ってきた。

 だが煌めく雷の柄の前に、無残にもそれは叩き切られていった。そのまま光は武器をすり抜けて死霊の首筋を切り裂いた。まるで質の良くない、土器の壺でも割るような生気のなさだった。生きた人間を斬るのに比べれば不快感はないが、それでも鳴に生理的な嫌悪を抱かせるには十分すぎた。 

 もうこれ以上は誰も倒したくないと思い始めていた頃だろうか。山際に、高く砂塵が舞ったのは。

 堰が決壊した。汚い色の雲が炸裂し、白濁した空に漏れて満ちていくさまはさながら戦争の光景その物に見えた。

 ついで、水の濁流が押し寄せてきた。

 ブーケファルスに拍車をかけた。するとその腹から翼が生え、にわかに虚空へと駆け出した。

 まだ数百人の死霊がいた。だが、鳴は目を背けてひたすら空の方を向いていた――さすがにこれほどの水に飲込まれれば、身体を強化されたアンデッドでもたまらないだろう。

 そしてエルフの誰もが、鳴の飛び上がる姿を目撃した。

「おお……」

「かの天空のペガソスのようだ」

 誰もが、この村にかつて訪れた英雄のことを思い出していた。

 天をく馬に乗って、その男が戦った雄姿を。顔も服装も違うが、確かにその魂に宿る物は同じだった。


 だが鳴はエルフのたちの感動に心打たれる暇はなかった。

 エルフたちの損害が気になって仕方がなかった。

 鳴が戻ると、人々が総出で駆け寄ってくる。

「被害状況は?」 鳴は彼らの感情など構わず訊いた。

 すると、彼らは列を開けた。

 担架に載せられたエルフがいた。負傷したエルフの姿が見えた。

 やや肩幅の良い、エルフの中では若干恰幅のある男が進み出た。

「六十五人が重傷を負い……二十九人が死んだ」

 今にも泣きそうな顔だった。フレデグンドも、暗澹とした表情、

「すまないな……レカフレド」

 レカフレドは、ふたたび

「怪我人もそうだが、水門を壊した代償も高くつくぞ」

「たまったもんだ……一体どれくらいの修理費がかかることやら」

 レカフレドは、鳴に対して恍惚とした表情を浮かべた。

「鳴はもう少しここにいてくれてもいいんだ。君なら、この里の抱える問題を――」

 突然、時間が止まった。メルキオールは耳打ちした。

――残念だがここにいることは君にとっては不都合だ

――なぜだ?

 メルキオールは本心から困った顔に見える。

「また奴らの間で抗争が勃発してしまう。その中に閉じ込められるのは君だって不都合だろう。それに、そのままでは君の中に宿る力を覚醒させられない」

 怪しげな単語が。

「力って何だ?」

「想像にお任せするよ」

 ヒルダに対して秘密を作っているにしても、メルキオールの秘密の方はよっぽど不気味で得体のしれないものだ。

 鳴にしても、エルフたちの好意にそこまで甘んじる気はなかった。少しでも居座れば、それが必ず厄介なことになる。

 だがそれより、さっさとこの賢者たちの助言を早く聞き終えたい気持ちの方が大きかった。

(俺はお前らの道具じゃないんだぞ!)

 鳴は実際、驕っていたのである。

 日本に帰ることが最上の目的であるにしても、鳴はせめて自分で行動したかった。この賢者たちに従うことがその目的にとって正しいとしても、鳴はこの見るだけで青筋が立ってくるような賢者たちとの会話を最小限にとどめたかった。

 この賢者たちがこの世界の存在であるなら、別の世界に行く方法だってあるはずなのだ。

「いや、だめだ。とどまれない理由がある」

 他人には、フレデグンドの話をさえぎって鳴が答えたようにしか見えなかった。


 それでも鳴は一応数日はこの里に滞在した。鳴はブーケファルスがこの大仕事で疲弊しきったのかほとんど動かなくなってしまったからである。太陽光にさらさないとエネルギーが切れてしまう、とカスパールが忠告していた。

 このままだとエルフの里の中に閉じ込められかねないので、

「俺はここでお暇したいと思います」

 だがエルフの中には心から鳴に心酔している人間もある様子で、

「よせよ。あなたなら私たちの問題を解決してくださるかもしれないんだ」

 昔読んだ童話の内容を思い返しつつ、

「そういう英雄が人間に裏切られ、地上を去った伝説もあまたとございます」

 ここで嫌でも美辞麗句を並び立てねば、エルフたちの慇懃無礼な様子に取れこまれてしまう。

「私が生まれた国には『狡兎死して走狗煮らる』という言葉があります。どれだけ優秀な人間であっても、結局、どれほど才能のある人間であっても脅威が取り除かれた時には必ず排除されるのが」

 礼儀の中にも若干の直情を交えて。エルフたちはそこにも深い意図を推し量った。

「やはり深い教養に裏打ちされたお方だ……」「どのような人生を送っておいでなのだろう……」

「分かった。そこまで言うならば私も君を無理に引留めはしないよ」

 アウグストは折れた。鳴は、悄然とも安心ともつかないエルフの表情に底知れなさを覚えた。

 きっとこのエルフの首長にしてみれば鳴を手先として色々と便宜をはかってほしかったのだろう。そして恐らく、かつての恩人を道具のように粗末にしていくのだ。

「フレデグンド、彼を送ってほしい」

「承知しました」

 

 狭い獣道をくぐるようにして二人は森の出口を歩いた。ほとんど道とも言えないような道を彼らは歩いた。フレデグンドには鳴の悶々とした心情など何も分からない。ただ、どこまでも底知れない雰囲気をまとう者として、鳴に畏敬の念を持っていた。

「『丸耳』の中にも古の美徳を残した人間がいるとはな」

「俺はただ自分の快不快に従っただけさ」

 鳴は馬上から他人を見下ろすのが嫌で、わざわざブーケファルスの手綱を引いてエルフの横を歩いた。

 フレデグンドはそっけない様子をとりながらも、鳴に対してある種の憧憬を隠せない顔つきだった。

「そこまでしてこの森に降り立った英雄は、偉い奴なのか」

 何度もうなずくエルフ。

「あの男がいなければ、今頃我々は存続していなかったところだ。」

「どういう格好をしてたんだ? そいつは」

「男だ。緑色の衣装を着ていて、五芒星のついた帽子をかぶっていて……」

 だがそんな細々とした説明をいちいち聞く余裕は鳴にはなかった。もうすぐ賢者たちからの啓示が届く頃だと直感していたからだ。

 次第に、明るい、大きなうろが目の前に現れだした。

 向こう側から見れば、ここがわけの分からない、謎の空洞に見えるのだろう。徹底的に場所が分からないようにしてあるわけだ。

「私がいられるのはここまでだ。おりしも日差しが強い頃だからな」

「じゃあ、また会おう」

 二人は手を振り合った。

 鳴は孤独を感じた。フレデグンドは、帰る場所がある。この森で生まれ、埋もれる運命だから。けれども。

(俺には、居場所がないのか)

 日差しが強かった。いや、さほど強くなかった。もう日が暮れようとしていたから。夕暮れですら強く感じるほど、鳴の目はあの薄暗い色彩に適応してしまっていたのだ。

 しばらく道を歩いていた。振り返ると、確かに森は厳かな様子でたたずみ、鬱蒼と続いていた。

 あの獣道は迷い込む人間がいないように相当考えて作りこまれたものなのだろう。どうやったらあのような別世界に行くことができるのか想像できないほどだ。

「ホラズムに比べればと思ったけど、ここって意外とあったかいじゃない!」

 エレクトラは日差しを両手で受け止めながら、

「で、どうするの? これから」

 その瞬間を見計らっていたかのように、空間が闇に包まれ、カスパールが現れた。

「さすがだ。お前はよく私たちの期待に応えてくれた」

「一体、エルフの死霊を倒すことに何の意味があったんだ?」

「お前はとても強くなっている。お前が元の世界に戻るだけの力を引き出すのに充分なほどだ」

 心なしか、カスパールは早口な感じがした。だがもっと別な何かを言わずにはいられない表情でもあった。

「力を鍛えれば、元の世界に戻れるってのか」

「嘘じゃない。その力は――」


 突然、賢者の姿が見えなくなり、現実に引き戻された。

 謎の少年が立っていた。

「カスパール、メルキオール、そこにいるんだろう?」

 男は言った。

「……何?」 鳴は驚いた。なぜ彼がその名前を知っているのか?

「またお前たちはつまらん人間を選んで人形にする気か?」

 少年は虚空を見上げた。そして、指をあやしく左右に振った。

「虚無をつかさどる精霊の名のもとに……」

 すると、誰かのうめくような声がもれた。鳴は体が一気に重くなったのを覚えた。

「お前は、彼らに騙されている。彼らに従えば、待つのは破滅のみだ」

 鳴は、少年の姿に既視感を覚えた。既視感も何も、同じくらいの身長で、アジア系の顔立ちだったからだ。

「どこの誰かは知らないが、そこを通してもらう」

 妖精の強烈な思念。

(だめだよ鳴! こいつ、今まで相手にした奴らとは格段に違う!)

 少年は剣を握りしめていた。剣とも言えないような、黒い塊だ。なぜその細い片手で持ち上げられていられるか、分からないほどの。

「どうやら何も知らないようだな、君は」

 鳴は、相手に激しい悪意を見てとった。そして手慣れた動きで、雷の棍棒を両手にきらめかせていた。

 鳴と少年は激しく打ち合った。だが、ほんの数合ですでに鳴は激しい苦痛に見舞われていた。

「今すぐ武器を捨てろ。このままでは俺が倒してきた奴らと同じ目に遭うぞ」

 鳴には少年の言葉が全く理解できなかった。

「だからどうしろって!?」

 少年は力強い瞳をしていながら、そこから少しも感情を読み取ることはできなかった。不可視の壁が顔と空気の間を遮るように。

「どうすることもできん。お前が真実を知るまでに、楽にしてやる」

 少年の剣は金属でできていながら、その表面は魔力で強化されているかのように光り輝いている。それを見るだけでも戦意がそがれてくる。

 鳴はその間ずっと呼吸が苦しかった。敵は呪文を詠唱しているわけでも、指を激しく舞わせているわけでもないのに、このあたりに相当な魔力が発生しているかのようだ。

(こいつ、まさか指も魔法を発動してるのか)

 しかし、命を取られるわけにもいかず、無理やり忍耐しながら敵の攻撃を防いでいたのだ。

 そして、敵の顔が怪しく笑う。

「ブーケファルス」 呼ぶ少年。

 背後の馬が突然駆けた。

 鳴は驚いた。(こいつ、何で馬の名前を憶えてやがる!)

 少年は高く跳ね上がり、勢いよくブーケファルスの上に飛び乗った。そして剛剣を思い切り振り上げて鳴を二の舞にしようと。

 すんでの所で、避ける鳴。ブーケファルスは踵を返して容赦なく鳴を轢殺する勢。

 ほんの数秒でもう目の前に。是も非もなく、鳴は棍棒を少年の胸めがけて投擲していた。

 突然の反撃に、少年は体をひねった。しかしそれだけでは躱し切れず、馬の背中から外れて地面に落ちた。

 本来なら、二度と立ち上がれないほどの大けがだ。しかし少年は何事もなかったかのように立ち上がり、再び鳴に立ち向かうべく剣を構えた。

 鳴にはそれが、何メートルもある巨人の体に見えた。

(一体どれくらい強いんだ、こいつ!?)

(鳴、圧倒されてはだめ!)

 しかし少年が実際に戦うよりも前に、急にびくっとしたように頭を挙げ、横に震え出した。

「うっ……あッ……!」

 剣を右手に握りしめたまま、左手で額を抑える。いかにも苦しそうな顔で吐き捨てる。

「くそっ……あいつらはあと何体、作り続けるつもりなんだ……!」

 黒い霧が石と草から湧き、少年の体を包み込んでどこかへと連れ去っていった。

 ほんの短い間だった。だが鳴にはこれまでの旅よりも長い間に思えた。

「何だったんだ……あいつは」

「分からない。でもあんな大きな剣を持つ力、どう考えても常人じゃない……」

 だが、もっと恐れるべきことがある。もう彼らが何かを伝える予兆がしない。

 二賢者がいる気配が消え失せていたことだ。こういう時には必ず何かの啓示が来るものなのに、あの謎の少年が魔法を唱えた時から、もう何も聞こえない。

(おい、カスパール! メルキオール! いるか?)

 さすがにエレクトラの隣でそのようなことを叫ぶわけにもいかず、唇をわずかに動かしただけだったが、何分待とうが賢者たちの姿が現れることも、会話を耳にすることもできなかった。

 決して親愛の情を感じたことはない連中ではあるが、この時ばかりは鳴は憔悴を感じた。

 そしてエレクトラは、ただごとではないものを感じ取った。

「ねえ、鳴、こういう時に限ってあんたは誰かの指示を待ってるんじゃないの」

「待ってなんかないよ」

 しかし、疑いはある。

 あの少年は一体何なのか。そして賢者たちは何を考えているのか。ますます鳴は、自分の旅に疑問を抱かざるを得なくなる。


 なかなか打ち解けた感じで話さない人間に、妖精は不信を抱かないでもなかった。

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