第十三話 元からどこにも居場所のない人間だったんだから
鳴は冷たい空気が上から押し寄せるのを感じて、目が覚めた。
そこは見覚えのある場所だった。四方を岩石で囲まれ、まるで神殿のように天井が高く続く謎の空間。鳴が肉体を得て蘇った時と同じ場所。
誰かが見下ろしている。
「やあ、お目覚めのようだね」
緑色の髪の毛を持つ、美しい少年の顔だ。だが、声はさほど若くない。無理して若い感じを気取っているような顔だ。
「君の体を復元するのには実に時間がかかったよ。何しろ腰をまるごと失っていたからね」
(俺は確か……追手にやられて――)
以前ゴブリンから購入した鏡もきちんと首にかかっている。
「申し遅れたよ。僕の名はメルキオール。この世界に生き続ける偉大な賢者の一人さ」
鳴は直感で彼がカスパールの仲間だと知った。問いただしたいことは山程あったが、
「俺はまた殺されたのか。そしてお前らに蘇らされたのか」
その一つを険しい顔つきで。
「大丈夫。僕たちは海千山千だ。それ相応のことが起きない限り困ることはない」
鳴は上半身を起こした。前と違って、さすがに服を着た姿だ。そして、ティランで死ぬ直前の形そのままに、復元されている。
「カスパール、彼はこれまで自分の旅に疑念を持ったことはないか」
「……ああ」
カスパールは、今まで幻覚を通して見た姿よりもだいぶ疲れているように見えた。
「彼の旅は順調だ。少なくともあの砦の一戦まではそのような事態が起きることはなかった」
メルキオールは同じ賢者の言葉をつまらなさそうに聞いていた。どうやら二人の仲が良い感じとは言えなさそうだ。
まだ状況を把握し終えたわけではないが、鳴はたったこれだけの情報から分かることを絞りこもうとした。
(こいつらは本当に俺の味方なのか?)
カスパールの仲間がいる。一人仲間がいるのなら、もう一人いてもおかしくない。
(こいつら、一体がしたいんだ!)
「何なんだ、お前らは? 一体俺をどうするつもりなんだ」
「大丈夫。心配しないで。君は自分の旅を続ければいい。それを進んで邪魔するようなことはしないさ」
メルキオールは終始優しい声で鳴をさとす。
「それより君には大切な仲間がいたね。ティランで別れたようだけど」
「エレクトラ?」
思わず掌の紋章に目をやった。しかしその中にもう妖精は宿っていない。薄く、影のような色の模様だけが皮膚に刻まれている。
「心配する必要はないよ。私たちにはそれくらい造作もない……」
メルキオールは指を鳴らした。
「わっ!?」
「え……何、ここ、どこ?」
妖精はおびえた声を出して鳴の方を向いた。しかし、メルキオールはここに部外者がいることを望まなかった。
「おっと、これは君には聞かれたくないことなんだ」
少年の姿をした賢者は指先を光らせながら虚空で何らかの模様を描いた。するとその光がエレクトラの方に飛び散り、それを受けるとエレクトラは突然眠りこけて鳴の手のひらに入り込んでいった。
「エレクトラに何をした!?」
「このことは君と僕たちだけの秘密だよ、高咲鳴。僕たちはあまり世界に知って欲しくはないんだ」
二人の腹のうちを全く読めないことにいらだちつつ、
「これから俺にどうしろっていうんだ」 なかばやけになりながら。
「ではカスパールではなく僕が命じるとしよう。アルカディア北方にエルフの里がある。そこに訪れようとしている危機を救ってほしいんだ」
猫なで声にも似た口調に、カスパールとはまた別の意味でいけすかなさがある。
「俺は好きでお前たちの意のままに動いているんじゃない。元の世界に帰らせてくれるんだろうな?」
「もちろんお望みのままに。私たちの目的が達せられた時には、君はそんなことに悩む必要もなくなるんだ」
(こいつら、何を企んでいるのかさっぱり分からない)
鳴には、二人の意図が全くつかめなかった。何より、カスパールが不満げな表情であるということが、事態をより複雑に見せた。
「今からそのエルフの里に君を転送するよ。安心したまえ、物語を悪い方向に導きなんかしない」
「おい、待て――」
メルキオールの指が光り輝き、鳴の姿がきらえく靄に包まれて消滅していった。
静寂の中に再び二人だけが取り残される。
メルキオールは、鳴をさしてつまらない人間だと感じていた。素直で、分別のいい人間。そういう輩ほど、どうしようもない形で身をいたずらにしていった。
「僕たちがこの計画を続けて早くも一万年がたとうとしている。にも拘わらず僕たちの意向に沿う人間は一向に現れない」
「バルタザールが聞いたらどうするだろうね。あいつはいつもこの計画が正しいものだと信じて疑わない。僕はもういい加減この計画には飽き飽きしてるんだ。まさかここまで我らの徒労が続くとはな」
カスパールは、メルキオールの言葉が理解できないでもない。いつも、あの目的を遂行する人間が現れるはずだと信じて向こう側の人間を勧誘してきた。だがそのどれも、結局目的を果たすことができないままいたずらに果てたのだ。
しかし、今更それを悔いるわけにもいかない。途方も長い間続けてきた慣習を捨てるわけにもいかない。自分たち以外の誰かから指図されて動いているわけでもないのだから。
仮に高咲鳴が失敗しても、また別の人間を探せばいい。カスパールは、状況を俯瞰しながら、今後を見守っていくことにした。
「さむっ……!」(あのメルキ何とかの野郎、変な場所に転送しやがったな!)
突然やってきた冷気に、思わず身震いする鳴。
「ねえ、鳴ここどこ!? さっきまで私、鳴を探してたんだよ!?」
「いや、良かった!」
エレクトラがここにいることが何よりもうれしかった。
「俺もずっと気を失って川を流れてたんだ。そこからようやく出て、ここまで歩いてきたってわけなんだ」
「そっか……じゃあ、私も長く――」
頭のすぐすれすれを、鋭い鏃がかすめた。
「止まれ! 人間!」
森の遥か空、樹木の間、険しい声がこだまする。
「ここはお前たちの来る場所ではない! 去れ!!」
鳴はそこに立ち尽くした。
分かってはいたが、ここまで突然敵意を向けられるとどうすればよいか分からなくなる。
(どうすればいい?)
(今ここで、言葉で説得するのは無駄だ)
無論、そんなことしたくない。
たとえどれだけ不都合でも、力に訴える他はない。
「雷の精霊に誓って――」
鳴は、いまだにこの時の思い切りの良さを捨ててはいないことを自覚していた。
射手の少し下の枝に向けて電流を放った。亜人はそれに対応するまでもなく、姿勢を崩して、絵だから墜落した。
木の葉の間に転がり、亜人は落下していった。鳴はほとんどその間を置かずして、亜人の体をひっつかみ、胸に抱えた。きゃしゃな体で、驚くほど胴体が細い。
白い肌で、金髪だ。日光をさして浴びてなさそうな体。
よく見ると、確かにそれは人間ではなかった。耳がとがっている。
「フレデグンド!」
同じ身体的特徴を持った亜人がこちらに敵愾心を燃やしてくる。
「フレデグンドを返せ。そいつは偉大な戦士なんだ」
鳴も反論。
「こいつは俺に危害を加えようとした。正当防衛だ」
フレデグンドは呼吸を粗くしながら何か言い始めた。
「『丸耳』はどれも獰猛だな。そして狡猾だ。おおよそ人の持つべきものの礼節を何ら備えていない」
鳴るはそこで、抱えているのが雌のエルフであることに気づいた。
「俺だって好きでこんなことをしていたいんじゃない。元からどこにも居場所のない人間だったんだから」
「笑止だな……ならばなぜその蛮行をよさない?」
フレデグンドが余裕を見せ始めた。鳴にさほどの敵意がないことを
「貴様がなぜこのような場所にいる? 我らが里に入れる丸耳はごく限られているというのに」
「……俺の命令だ」
「彼女を放せ」
「ディエゴ、こいつの言葉を聞いたか?」
鳴はもろに掌底を喰らい、のけぞった。一瞬で体勢は逆転。
「『俺の命令』だと!?」
足蹴にしながら、男とも女ともつかない声で罵り倒す。
「貴様は面白い! どれほど残忍に殺せるか確かめてやろう」
フレデグンドは縛り上げ、ディエゴはその前を歩いた。
「名を名乗れ」
「高咲鳴」
「どこで生まれた」
「ハイランド、カルミナ村」
二人の目つきが一気に険しくなった。
「ハイランドと言えば忌まわしき殺戮者の土地だ」
その敵意が自身に向けられそうになったことを気づきつつも、鳴は最初から飄々としていた。この国の雰囲気が基本的に粗野であり、人間も人間以外もみな常に闘争に身を置いている。
「その殺戮者はもはや死んだ。いるのは権力欲にまみれた公爵だ」
メルキオールが静かにささやいた。
――いいね、君は僕が言うことをそのまま繰り返せばいいんだ。
「その通りだ。私たちはハイランドが征服された折にこの地に逃げ込んだ。そしてお前たちはついにこの森にまで魔の手を広げたわけだ。そんな侵入者を許すわけにはいかん」
「俺を連れて行って、どうするつもりだ」
「血祭りにあげてやる」
ディエゴが口を挟む。顔の幼さの割には話し方は大人びている。
「それは制そう、フレデグンド。仮にも我々は国王から代々この森を安堵されているんだ。そこで丸耳に危害を加えれば」
「冗談さ。腕と脚をもぎ取るだけで済ませてやろう」 大したことでないかのように笑うフレデグンド。
鳴は、エルフたちの憎悪が本物であることを悟った。そして、カスパールたちに最低限今後を保証されていることを心底幸いだと思った。
(これじゃ無論戦いになるわけだ。エレクトラが仲間になってるのが不思議なくらいだ)
――要請にとってもエルフはかけ離れた存在だよ。彼らは基本的に他の種族を見下しているから
頭の中で音楽や言葉を反芻するように、エレクトラが心の声を送ってくる。
――だがなぜだ? お前の先祖はこいつらにも魔法を与えなかったのか?
――人間以外でも争うからね
「小僧、答えろ。なぜ我々の森を犯そうとした」
無論、ここで騒ぎを広げるほど鳴もがさつな人間ではない。相手の敵意をとにかく抑えなければならない。
「もうすぐこのあたりで悪霊たちが呼び起され、人々に乗り移ろうとしていると聞いたからだ。お前たちはそれに苦しんでいるんだろう」
フレデグンドは鳴がさして恐怖を感じていないことに不気味さを覚えた。まるで何かの守護をあてにしているかのようだ。
(こいつ、賢者かそれとも狂人か)「その通りだ。この里の底には先祖の怨霊たちが封印されている。その呪いから逃れるためには――」
「悪霊を軒並み倒して、影も形もなくしてしまう他ない。そうだろう?」
舌打ちするディエゴ。
「貴様ごときに我らが里をどうこうできると思うな、小僧!」
二人とも端正な顔つきを崩して、険しい形相。
「ああ、できるなんて思ってないよ。俺は流れるようにしか生きられないんだから」
鳴は落ち着き払った様子でしゃべり続ける。
「俺が死んでも、外の人間にお前らの切実な思いは届かないからな」
(所詮我らは、滅びゆく種族なのだ)
とうとうフレデグンドは嘆いた。
いっそこうなったらこの丸耳の少年がどこまで本気か試すのも面白いかもしれない。
「その意気や良し。だが、お前がただの『丸耳』でないことを証明する何かがあるのか?」
この時、鳴にはどうすればいいか分かっていた。
「ブーケ!」
立ち並ぶ木をなぎ倒す勢いで、突然ばさばさとはためく音がした。この静寂その物の空間を乱す存在に、エルフ二人は腰をぬかした。
大質量を持つ銀色の馬が鼻息を荒くしながらエルフたちに歩き出していく。
「ひっ……!」 尻餅をつくディエゴ。
「やめろブーケファルス。彼らは敵じゃない」
フレデグンドは馬が鳴のもとに向かって頭を下げる光景がひたすら信じられなかった。
いや、彼はそもそもその馬のことを噂で知っていたのだ。
「それは王者にふさわしい人間だけに与えられる神馬だ。なぜお前ごときがそれを……?」
「さあ、俺にも分からない。でも虫の知らせがこの馬の資格を俺に与えてくれた」(一体こんな風に偉ぶらせて、俺をどこに導こうとするのか……)
鳴はそのままブーケファルスの腰の上にまたがって見せた。馬は、みじろぎ一つしなかった。
「伝説で訊いたことある。この世界で数十年に一人現れる選ばれた者。その証拠となるものがその神馬だ。貴様もその一人なのか?」
「だめだ、フレデグンド! こいつにはかなわない!」
どよめくディエゴ。
「ひ、非礼をお詫びいたします! 私たちが悪うございました……!」
「いや、こっちこそ無礼をかけてすまない。俺も無理やり押し通ろうとしたからな」
それから馬からすぐに降りて、戦士の真正面に立つ。
もはやフレデグンドは先ほどの敵意は見せていなかった。むしろ慇懃すぎるくらいの態度で無礼を謝罪した。それから、
「あなたが志の深い人間であることは分かった。客人として迎え入れる準備をしよう」
鳴はさして二人に怒る気にはならなかった。先に領域を犯したのはこちらの方なのだから。
鳴がどれだけ自分の過ちを悔いても、フレデグンドは聞き入れなかった。融通が利かないのだ。
エルフの里の住居はとても質素だった。アルカディア全体の雰囲気から浮いていて、カルミナ村と比べても数百年遡ったくらいの古臭さと不便さを感じさせた。
遠くにでこぼこした肌の、巨大な樹木が見えた。ディエゴの説明によると、住民はその木を神のように崇めているのだ。
かつては南にも多くの御神木が存在したのだが、人間が力を弱めるためにその全てを伐採したのである。人間の業の深さを改めて鳴は思い知った。
「さっきの選ばれた人間って、何のことだ?」
「あの馬は、選ばれた人間にしか扱えないものだ。お前は、聞かされなかったのか?」 フレデグンドがうろたえた様子で聞く。
「俺を導いた人間もそういうことを言ってたけど、あまり詳しく知らないな」
どこまで言っていいか分からないが、鳴は差し障りのない範囲で答えた。
「以前もそれに乗ってここにやって来た人間がいるんだ。どうやって、それを手に入れたんだ?」
「王都の地下に放置されていたそうだ。言えることはそれだけだよ」
「そうか……」
フレデグンドは不自然に言葉を切った。だが、鳴にとっては十分衝撃だった。
(まさか俺以外にもこの世界に――)
ぶつりと思考が途切れた。