超肉体
セバスチャンの指示通りに、左腰のホルスターから銃を抜き、ロック機構を解除する。
かつてのハリウッド映画で見た自動拳銃に似ているが、銃身がえらく短い。弾倉の位置からはケーブルが伸び出しホルスターに連結している。ただの落下防止用の紐ではなさそうだ。
彼がいう。
〝構えてください〟
「どこに向けて?」
〝旦那様のお好きなところに〟
わたしは10メートルほど先の、回廊の手すりに狙いを定めた。
〝引き金を引いて。軽く絞るようにです。旦那様は『ダイハード3』をご覧になられましたか?ジョン・マクレーン刑事は追っ手のヘリを撃墜するために、電線を銃で撃ち抜きました。あのときのブルース・ウィリスをイメージしてください〟
ダイハード3は今ひとつ覚えていないが、とりあえず引き金を引いた。
が、何も起こらない。
〝お見事です〟
「え?」
〝旦那様、手すりに近づいてください〟
間近まで寄って、ようやく見えた。
狙いをつけていた場所に、五ミリほどのごく小さな穴が空いている。
〝じっさいのレーザーは古代映画のように光跡が走ることはありません。光なのですから、旦那様が認識する間もなく対象物は破壊されます〟
「しかし、威力は案外低いんだね」
〝エネルギーは貴重なものなのです。今回は小動物を狩る程度ですから、これで十分でしょう〟
「レールガンの方は試し打ちしなくていいのかい?」
〝実弾製造にかかるコストを考えると、その余裕はありません。それに、レールガンはあくまでも万一の備えですので、今日の狩りで使う可能性は低いかと〟
万一、ね。
わたしはレーザー銃をホルスターに収めると、ヒビだらけの空中回廊を進んだ。
振りかえると、塔の全体が見てとれた。
巨大な直方体が規則正しく積み上げられ、錆だらけの非常階段が四隅を固めている。窓はほとんどない。あちらこちらで壁が崩れているが、その壁の厚みは驚くほどだ。印象としては無骨で堅牢な要塞というところか。
直方体の一ブロックごとに、空中回廊が周囲に伸び出しているが、団地群に接続しているものは一つもない。
かつては塔と同じような建設様式の建物が、団地群の代わりに立ち並び、回廊もきちんとつながっていたに違いない。
取り残された塔の姿は、どことなく、東京都北区で見た第一陸軍造兵廠を思い起こさせた。平和な世界に紛れ込んだ戦時の遺物だ。
わたしは空中回廊の先端で立ち止まった。
向かい合った団地のベランダまでは十メートル近く離れている。足を踏み外せば、何百メートル、いや、何千メートルか下まで真っ逆さまだ。
「ここからは、どうすればいいんだ?」
〝跳んでください〟
「オリンピック選手でも無理だろう?」
〝オリンピック選手? ああ、古代における運動神経に優れた個体の呼び名ですね。大丈夫、あなたの肉体は完全なる遺伝子で構成されています。まだ成長しきっていないとはいえ、この程度なら楽勝です〟
本当か?
わたしは助走を取るべく後ろに下がり、一呼吸置いた。
あらためてセバスチャンにいう。
「とても無理だ。なあ、鳥なら、向こうに行かずとも、ここで狩れるんじゃないのか?」
〝いえ、生物も機械同様にワタクシの結界を嫌いますので、ここには入ってこないのです〟
「そうか」
わたしは少し考えてから、その場で真上に跳んでみた。
私の体は直上に五メートル近く跳ね上がり、猫科動物のように音もなく着地した。
嘘だろう。どんな筋力だ。
セバスチャンがいう。
〝信じていただけたようで何よりです。さあ、じっとしていても肉体はエネルギーを消耗します。もったいないですから、早く狩場に入ってください〟
わたしは頷くと、軽く助走を付けて、断崖を飛び越えた。