お嬢様とセバスチャン
わたしはスーツに覆われた手で拳を作った。
宙にパンチを繰り出す。
僅かだが、筋肉の動きが補助されているような気がする。
手のひら部分を、もう片方の指先で撫でると、極薄のゴムのような感触がした。冷凍睡眠に入る前、薄さを売りにしたコンドームを使用したことがあったが、なんとなくあれに似ている。
「こんなスーツを維持できるなら、下着の一枚も残しておいて欲しかったな」
〝とんでもない!下着などなくとも健康に問題はありませんが、これらはあなたの命綱ですよ〟
わたしは彼の指示通りに装備を整えた。
左右の腰のホルスターに、レールガン式の拳銃とレーザー式の拳銃。胸元のホルダーに予備のエネルギー弾倉を三本ずつ。背中のホルダーに携帯食料を三本。背中側の腰部分に水筒。脛当ての裏にセラミック製ナイフ。そのほか、カラビナ、小巻きの粘着テープ、救急セットなど細々した品々を、各所の隠しポケットに格納しながらいう。
「ところで、そろそろ君の呼び名を決めないとな。君とかAIじゃ、やりづらい」
〝AIはわたくし一人なのですから、支障があるとは思えませんが〟
「気分の問題だよ」
〝しかし、非効率ではありませんか?〟
「人間は、効率だけで生きてるわけじゃない。それで、どんな名前がいい?」
〝お任せします〟
「なら、そうだな。セバスチャンでどうだ? わたしのいた時代では、ワタクシ呼称の執事といえばセバスチャンだ」
〝執事、古代世界において主人に仕えるものの総称ですね。承知いたしました。それでは、いまよりワタクシはセバスチャンです〟
わたしは格納庫を出て非常階段を数階分降りると、塔から外界へと繋がる空中回廊に出た。
目覚めてから初めての外界だ。
振り仰ぐと、自分がいた最上階の部屋がよく見えた。
その向こうには、抜けるような青空と、天に向かって伸びていく大地が見える。
遠くから、生物の叫び、もしくは機械の軋みにも似た音が聞こえた。空気が微かに震え、わたしは気を引き締め直した。
頭の中でセバスチャンがいう。
〝旦那様、左腰の銃をお抜きください〟
声はこれまでの中性的な声色と異なり、渋い老人のようだった。
「なんだい、その声色は」
〝わたくしがデータを再生した映画の中には、1579本の日本のアニメーションが入っております。また、5874のアニメシリーズも再現に成功しております。わたくしがもっとも気に入っておりますのは、庵野監督も制作スタッフに加わっておりました『王立宇宙軍』です。セル画時代ならではのーー。失礼、話が逸れてしまいました。日本のアニメーションにおいては、セバスチャンと呼ばれる執事は、おおむね白髪の老人でした。旦那様はもともと日本人なわけですから、この声がふさわしいかと〟
なんなんだ? セバスチャンは映画の類の話になると、やたらと饒舌になる。