仮ご主人様
わたしはメイドの腕に抱きついて、ぶら下がっていた。
腹回りにはなんの痛みもない。
首を曲げて見てみると、わたしの腹部は溶けるでも爆散するでもなく、いたって普通だった。
メイドが「どうなっているの?」と、つぶやいた。
それは、わたしのセリフだ。
メイドはリーリーンを放すと、そちらの手をわたしの胸元に当てた。
何も起きない。
メイドがいった。
「攻撃機能がキャンセルされてる?」
リーリーンが腰の鞘から引き抜いた粗雑なナイフでメイドに斬りかかる。メイドは平然と指で真剣白羽取りをしてみせた。
「防御は問題ないわね」
わたしは思うところがあり、一言告げてみた。
「右手をあげてみてくれ」
メイドの右手が上に動いた。
メイドとわたしの視線があった。
リーリーンが目をぱちくりとさせている。
「ど、どういうこと?」
メイドがいう。
「驚いた。どうやら、わたしは、あなたの命令電波を受諾したようね」
「さっきの、やめろという言葉を聞いたということか?」
「そういうこと、あなたにはわたしの主人となる資格があるらしいわ」
わたしが、彼女の主人?
「そのわりには、敬意を感じないが」
「あなたは、わたしの主人となるべき真の人類ではないからよ。あなたの脳から発せられた電波に含まれる認識情報によれば、あなたとご主人様の一致率は8597ポイント。あなたはご主人様の傍流の傍流の傍流といったりところかしら。強いて言うなら仮ご主人様ね。悪いけど、仮の相手に敬語を使う気はないわ」
「いいさ。ともかく、わたしの命令は聞いてくれるんだな?」
「ロボット三原則の範囲でね」
「十分だ。では、ただちにあの虫たちの亜人種狩りをやめるんだ」
彼女はあっさり頷いた。
「わかった。いま、子供達に攻撃をやめさせたわ」
リーリーンが信じられないといった面持ちでいう。
「これで、終わり?」
「どうやらそうらしい」と、わたし。
「おい! 待て! 信じるのかそれで!」叫んだのは、どうにか立ち上がったモモアーだ。
脇腹を押さえながら、わたしたちに近づき、槍をメイドに突き出した。
メイドは刃を指先で掴むと、無造作に槍を取り上げた。
くるりと先端をモモアーに向け、突き殺そうとする。
わたしが「やめろ!」というのが一瞬遅かったら、彼は頭蓋を貫かれていただろう。
刃は彼の眼前で停止していた。
メイドがいう。
「やはり、停止命令は作用するようね」
「試したのか?」
「もちろんよ。さきほどのが何らかの奇跡的な誤りであり、あなたを仮ご主人だと誤認して従った可能性もあるから。しかし、やはり、あなたにはわたしに命じる一定の資格があるようね」
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わたし、リーリーン、モモアーの三人は互いの負傷を手当てすると、お互い助け合いながら帰路についた。
長い階段を登り始めると、メイドがすたすたとついてくる。
リーリーンがメイドをにらんだ。
「なんなの?」
「何って? 仮とはいえご主人様だからよ」
「くっついてくる気なの!?」
「ええ、ちょっとは世話してやらないとね」
「いいよ!ドイタシマシテ様のお世話はボクがするから!」
「ははーん」メイドは目を細めると、階段を駆け上がりわたしの手をとった。「さ、仮ご主人様、介助してさしあげますわ」
「ちょっと! 断ってドイタシマシテ様!」と、リーリーン。
すぐ横で、モモアーが苛立たしげにいう。
「おモテになって大変だな、ドイタシマシテ様よお」
わたしは頭が痛くなってきた。
早く塔に戻ってゆっくりしたい。
妻が生きていた頃は、わたしが体調を崩した時は、決まって温かな味噌汁をたっぷりと用意してくれたものだ。ネギとワカメがたっぷり入っているやつだ。あの味噌汁をもう一度味わいたい。
わたしはメイドに訊いた。
「なあ、君は味噌を持っているかい?」
メイドが肩をすくめる。
「わたしが保存している穀物種子に、大豆は含まれてないわ。この通りメイドだもの。持ってるのは小麦とコーヒーくらい」
「そうか」
「でも、三千年ほど前に、ここから二千万キロほどのところで別のメイドに遭遇したことがあるわ。彼女、食に特化していたから、大豆を持っていてもおかしくないかも」
三千年? 二千万キロ!?
わたしは微笑んだ。
冗談のような数字だが、わたしと妻を隔てる距離に比べれば近所も同然だ。
わたしは誓った。
いつか、いや、近いうちに必ず大豆を手にして見せる。
そして、あの味噌汁を作ると。
スローライフ物なので無限に続けられそうなのですが、なんとなく切りのよいところまで来たので、ひとまず完結します。




