猫女子の萌え理論
わたしは頭を下げた。
「お気持ちはたいへんありがたいのですが、やはりわたしはリーリーンさんを連れ合いとすることはできません」
リーリーンが、少し哀しげな顔になる。
「いや、君とだから嫌だというわけではない。誰でとでも無理なんだ。わたしのなかには、まだ妻がいる。わたしが彼女を愛している以上、誰かほかの人間と関係を持つなど、妻に対しても、その相手に対しても失礼なことだ」
長老が首を傾げた。
「心の中にいる、とは? もうお亡くなりになったということですか? なら、新しい連合いを持つのが自然なことなのでは?」
「わたしは古い人間だからね。そうかんたんには割り切れないよ」
「そうですか。なら、このお話はここまでといたしましょう。また別の方法で報いるということで」
「本当に気にしなくてよいですから」
わたしは休息できる場を求め、リーリーンの案内で、彼女の〝家〟に通された。
家といっても、床の模様で区切られた十メートル四方ほどの領域に過ぎない。模様は、植物の汁で描かれているのか、ところどころかすれており、何度も塗り直したあとがあった。
〝室内〟には、家具といえるものはない。わたしから見ればボロ切れとしか思えない布地が二枚ほど。それに、手すりの槍が二本と石のナイフが二本。どの〝家〟を見ても、住民たちの持ち物は似たり寄ったりだ。どうやら、個人所有の概念が薄いらしい。
わたしとリーリーンは布の上に腰を下ろした。
彼女がいう。
「じいちゃんがしつこくて本当にごめんね」
「いいさ、親切心から出たことだ」
「ううん。きっとそれだけじゃないよ。じいちゃんは、ドイタシマシテ様とのつながりが欲しいんだ」
「それはそうだろう。わたしが彼でも同じことをするさ。集団の仲間を守るために必要なことをするのが、本当のリーダーというものだからね」
「ドイタシマシテが、過去の世界でやったように?」
「そうだな。だが、わたしのはそんなにカッコいいものじゃないさ。わたしの心の隅には、万一のことがあっても〝妻のところにいけるだけのこと〟という思いがあったからね」
リーリーンが「いいなー」と、つぶやいた。
「なにがだい?」
「ドイタシマシテの連れ合いさん。亡くなってからも、そんなに大切にしてもらえるなんて。ボクたちのところじゃ、亡くなった人のことなんて誰も覚えてないんだ」
「それは、君たちの生活があまりに厳しいからだろう。その日生きるのに精一杯なのだから、過去を振り返る余裕がないのは仕方がないさ」
「それでも、やっぱり羨ましいな」
セバスチャンが、頭上の梁に掴まりながら手足をカチャカチャ鳴らした。小さな声でいう。
「リーリーンさん、もし旦那様を気に入られたのでしたら、ワタクシ、応援します!」
「おいおい、亜人種だのどうだのいっていたのは誰だい」
「それは、〝塔〟に引き篭もっている〝ワタクシ〟だったときの話です。いまのワタクシはあなたと共に旅をし、リーリーンさんを詳しく知り、彼女に親しみを感じています。正しい遺伝子を持つ〝人類〟を復興させるというワタクシの使命を考えれば、リーリーンさんとの仲を応援するのは論理的ではないのですが、それでも、応援したいと思うのです」
「前にいっていた、人間の非論理性を身につけたということかい?」
「もしそうなら嬉しいですね。ワタクシの理想は『ターミネーター2』のT800のように、人の心を理解することですから』
しかし、この成果はセバスチャンが塔に戻ればどうなるのだろう。塔に残っているセバスチャンも〝人情〟を正確に理解するようになるのか。それとも、蜘蛛のセバスチャンから〝人情〟が失われてしまうのか。
セバスチャンはふわっと宙に浮かぶと、リーリーンの足元に収まった。
わたしには聞こえないほどのささやき声で、リーリーンに何か話す。
「おいおい、余計なことをいわないでくれよ」
わたしがいうと、セバスチャンは「旦那様、恋愛トークを盗み聞きしようとするのは、趣味が良くありませんよ」といって、脚を振り上げた。
「おいおい、人の心を解したと思ったら、即、恋愛話とは。学習が早すぎないか?」わたしは笑いながら、布の上に寝転がった。目を閉じるとあっという間に睡魔が襲ってきた。
その後、六時間ほど寝たろうか。
わたしはリーリーンの声で起こされた。
「ドイタシマシテ様、起きてくださいニャ」
「どうした?」
「何かが起きてるようなんですニャ」
「そのようだね。その語尾はどうしたんだい?」
「えっと、これは」リーリーンが顔を赤くして頭をかいた。「ドイタシマシテ様に気に入られたければ、こういう話し方がいいとセバスチャン様が」
セバスチャンがわたしの足下でドローンの胸をそらした。
「いかがです?旦那様の年代の日本人男性は、こういうのがたいへんお好きでしょう? ワタクシ、映画だけでなくアニメも嗜みますので。さて、悠長な話はここまでです。外がまずいことになっているようです。至急、対応された方がよろしいかと」




