ダイソン球
無機質な光が灯った。
部屋の全容が露わになる。
何もかもが黄ばんだ白色だった。ぼんやり光っている天井も、壁も、床も、わたしが浸かっている直方体の浴槽も、そこから伸びる幾多のケーブルも。
浴槽のふちをなでた。奇妙な素材で出来ている。金属ではない。石材とセラミックの中間といったところか。
素材に触れている手は、声のいうように以前のわたしのものではなかった。色白で、折れそうなほど細い。
胸元を見下ろすと微かに膨らんでいた。
湯の中の股間には、長年付き合ってきた友の姿はない。金色の体毛が申し訳程度に固まっているだけだ。
金色?
わたしは頭を振った。
肩まである髪が左右に水滴を飛ばす。
白銀色に近い金色だ。
〝人種も変更したのか?〟
問いかけに声が答える。
〝その肉体は、ワタクシが復元できた唯一の古代人類のデータに基づいています。ご理解ください〟
わたしはため息をつきながら湯船からあがった。
よろめきながら、浴槽の隣にある洗面台と鏡らしきものを目指す。
鏡は表面に張られたガラスが変性しており、反射率が悪かった。
ガラスは固体ではなく、粘度の高い流体であり、気の遠くなるほど長い時間が経つと、重力に引かれて下の方に中身が〝寄る〟。そのせいで、鏡の下半分は薄暗く、上の方は曇っていた。鏡として用を成しているのは真ん中のわずかな領域だけだ。
それでも、自分の容姿を見てとるには十分だった。
コーカソイド系の女性だ。金髪碧眼、歳は十二歳か十三歳ほど、肌は白く、色素というものを感じさせないほど透明感がある。
口元を動かすと、鏡の中の少女が微笑んだ。
ふいに、尿意を感じた。
わたしは少し逡巡した後、隣にあった便座に腰を下ろした。
まったくもって世も末な体験をする。
幸い、便座は21世紀のそれとほぼ同じ構造だった。水を貯めるタンクに、開放レバー。ご丁寧にトイレットペーパーホルダーまでついている。しかしーー。
〝紙がない〟
声が答える。
〝ワタクシの創造主は、あなたのために、あなたが生きた時代の様式の家具を、できるかぎり用意しました。ただ、物資は限られています。紙は水で代用できますので、その分は食糧製造に回しました〟
〝なるほど〟
いまが何年先の未来なのかは分からないが、意外と困窮していたりするのか?
わたしは一度水を流し、洗面台の蛇口をひねって出した水で股間を洗った。この洗い方でいいのだろうか。女性の肉体のメンテナンスがよく分からない。
すっきりしたところで、取手と思しき壁の凹みに手を当てて力を入れた。
ドアが開いた。
また白い部屋だ。
こちらは寝室兼居室らしい。
パイプベッドに、テーブル、椅子。あとは小さな冷蔵庫らしきもの。冷蔵庫を開くと、中には白い棒のようなものが何本か詰まっていた。
取り出して匂いを嗅ぐ。
無臭だ。
声がいう。
〝あなたの時代でいうエネルギーバーです。それ一本で一食分のカロリー及び必要栄養素を賄えます〟
〝へえ〟
齧ってみると、薄味の煎餅のような食感だった。
不味くはないが、美味くもない。
〝ところで、さっき、ワタクシの創造主、といったな。君は人間ではないのかい?〟
〝はい。ワタクシは統合型AI、管理ナンバー08752146です〟
〝いわれなければ人間が話しているとしか思えないな〟
〝古代の映画やドラマのデータを復元し、学習した成果です〟
〝それで、わたしが眠ってから何年くらい経ったんだい? 大丈夫。覚悟はしているよ。二百年? それとも三百年かな?〟
〝わかりません〟
〝わからない?〟
声は少し黙ってからいった。
〝カーテンを開けてください〟
部屋の壁の一面には驚くほど滑らかなカーテンがかかっていた。シワひとつないので壁と見誤っていた。
わたしは絹のような布地のそれを掴むと、左右に開き、動きを止めた。
声がいう。
〝「大断絶」と呼ばれる厄災が人類を襲ったのです。ほぼ全ての電子データが消失し、いまが西暦何年なのかを知る術はありません〟
わたしの目の前には、果てしなく続く超巨大建造物が広がっていた。わたしがいるのは、どこかの高層ビルのてっぺんらしい。たいへん見晴らしがいい。
周囲のビルはわたしのビルよりは低く、すべて綺麗な直方体で、整然と並んでいる。まるで団地だ。ただし、サイズは常軌を逸している。一棟ごとの高さは千メートル? 二千メートル? 建物同士は空中回廊で複雑に連結されている。回廊の下にあるであろう大地は、あまりに下方にあるせいか目視できない。
鳥の群れのようなものが、回廊の隙間を飛び交っている。
なんという都市だ。百億、千億、一兆? どれほどの人間が居住していたのだろうか。ただ、いま現在は人の気配というものが感じられない。団地の一つの屋上で黒いものが動いているが、生物的な動作ではない。なんらかのメンテナンスロボットのようだ。
人はどこにいった?
宇宙にでも進出したのか?
わたしは目線を上にあげた。
視線はまず地平を捉えるはずだった。
だが、地平はなかった。
大地は彼方で上方にせりあがり、天頂に向かっていたのだ。
太陽に隠れて見えないが、おそらくは大地は天球の反対側まで続いている。
わたしは震えた。
これは〝ダイソン球〟だ。