究極の肉体
三番融合炉の実験中の事故だった。
功名心に囚われた若い副所長がマニュアルを無視しして自身のプランを強行した結果、炉が暴走・爆発したのだ。
衝撃で各炉に減速剤を送るパイプが破損し、残る一番、二番、四番も暴走状態に入った。これらが爆発すれば日本は向こう千年誰も住めない死の土地になる。
止めるには、数十分以内に決死隊が突入し、減速剤注入バルブを手動で開放するしかない。
わたしが立候補した。
施設内にいた十八人のなかで、最高齢の六十七歳だったし、何より施設の所長だったからだ。
わたしがコントロールセンターから離席したさいに、副所長がやらかしたこととはいえ、やはり責任者はわたしなのだ。
それにわたしには妻も子もない。
四十年連れそった妻との間には子供ができなかったし、その妻も二年前に亡くなっていた。
家で待つのは柴犬のモンタだけだ。
わたしはコントロールセンターの片隅で震えている副所長の頬を叩いた。
「万一のことがあったら、わたしが飼っているモンタの面倒は君がみるんだ」
副所長は震えながら頷いた。
こうして、わたしは手をあげてくれた二人の仲間と共に、地獄の窯に入った。
防護服越しに熱波のようなものが身体を通り過ぎていったのを覚えている。
どうにかバルブを開放して致命的爆発は防いだものの、わたしの染色体は完膚なきまでに破壊され、余命は三日と診断された。
そのあとのことはあまり覚えていない。
炉から出て一時間としないうちに熱が出始めた。それから人生で最大レベルの筋肉痛に襲われ、二時間後には皮膚が〝溶け始めた〟。
わたしを救う術はなかった。
皮膚を張り替え、臓器を移植したとしても、脳が溶け始めればどうにもできない。
そこで医師団は、肉体の冷凍保存を提案した。
はるか未来の医療技術に賭けようというわけだ。
ただ、人体の冷凍保存技術は未確立だ。細胞を破壊せずに凍らせることはできても、解凍はできない。
わたしが懸念を伝えると、医療チームのリーダーは「大丈夫。あなたの体を修復できるほどの文明になっていれば、解凍の問題も解決してますよ」と笑った。
なるほど。一理ある。
というわけで、わたしはマグロさながら冷凍庫に入ることになった。
このときは、まさか自分が最後の人類になるとは思いもしなかった。
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夢の中、懐かしい匂いがした。
ずっと昔、妻と船橋三番瀬にいったときに嗅いだ匂いに似ている。
あのころは奨学金の返済で家計が苦しく、デートといえば、いつもこの干潟だった。
東京湾を交易船が汽笛をあげて進んでいる。眩しい日差しの下、妻が額に汗しながら、一生懸命に熊手で泥を掘る。
アサリがザクザクと出てくる。妻が「きゃあ」と叫んでこちらを見る。だが、その顔はどこかぼやけている。
妻の顔が思い出せないーー!?
愕然として手を前に伸ばしたときだ。
ぴしゃり。
水滴が現実の肉体の頬を叩き、わたしはゆっくり目を覚ました。
わたしの身体は生ぬるい水に満たされた湯船に浸かっていた。真上に掲げた手から、ぽたぽたと雫が垂れてくる。
かすかな潮の匂い。
どうやらこの水は生理食塩水の類らしい。
室内は薄暗く、まわりはよく見えない。
どっと記憶が蘇ってきた。
放射能事故のこと。
国家的英雄に祭り上げられたこと。
冷凍睡眠のこと。
こうして目覚めたということは、治療は完了したのか。
しかし、なぜこうも暗い。
上半身を起こしてみる。
室内に人の気配はない。空気の感じからして、空間は十畳間ほどのサイズらしい。どこかで、かすかな唸りのようなものが聞こえる。空調だろうか。
誰か、と声を出そうとして言葉がうまく出せず、咳き込んだ。
なにがどうなっているのか。
困惑していると、ふいに〝声〟が聞こえた。
〝おはようございます。所長〟
なんだ?
わたしは混乱した。声は、耳からではなく、頭のなかに直接響いたように感じられたのだ。
幻聴か?
声が続けた。
〝落ち着いてください。ワタクシはあなたの脳に直接コンタクトしています。強く言葉を思い浮かべてくだされば、会話が可能です。あなたの声帯は未使用のため、慣れるまでは思念通話を推奨します〟
わたしは念じた。
〝こ、こうか?〟
〝お上手です〟
これはものすごい技術だ。わたしはかなりの未来で目覚めたらしい。
〝それで、声帯が未使用というのは?〟
〝ご存じのようにあなたの肉体は致命的な損傷を負っていました。そこで、新しい肉体をご用意したのです〟
〝新しい肉体? まさか脳を移植したのか!?〟
〝いいえ、脳も再生不能な状態でした。ですので、あなたのニューロン配列をスキャンし、完全な形でこの新しい身体の脳に再現したのです〟
その言葉の意味に、わたしは思わず身震いした。
〝つまり、今のわたしはクローンであり、かつてのわたし本人ではない?〟
〝いいえ、あなたは所長ご本人です。ワタクシたちの基準では、同一のニューロン配列を持つ存在は、オリジナルとまったく同一な存在です。あなたの時代の技術で例えるなら、ある音楽データをコピーし、それを再生するようなものです。当然、まったく同じ音楽が奏でられるでしょう?〟
たしかに理屈としてはそうなのだが。容易には受け入れ難いものがある。
わたしは頭を横に振った。
〝とりあえず光を灯してくれ。この目で身体を見てみたい〟
〝もう少し、その体に慣れてからがよろしいかと。その身体はあなたにとって視覚的なショックをもたらすかもしれませんので〟
〝視覚的ショック? 鱗がある? それとも角でも生やしたのか?〟
〝いえ、あなたの外見は完全に〝正しい人間〟そのものです。ただ、技術的要因から、複製体の染色体はすべてX Xとなっているのです〟
わたしは息を止めた。
いま、なんといった?
X X?
声がいった。
〝つまり、あなたの肉体は女性なのです〟