3話「天沼矛」
時刻は7時30分。
いつもより一時間近くも早く学校に着いてしまった。
高校は兎に角近いところをといった理由で選んだこともあり、家から学校まではあまり時間が掛からなかった。
門をくぐると、グラウンドや校舎から、運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏が耳に入る。
部活の朝練だろうか。
7月も中旬になるこの暑さの中、どの部活動も頑張っているようだ。
『この暑い中よくやるなぁ』と横目でグラウンドを眺めた後、急いで日の当たらない校舎へと避難する。
下駄箱で靴を履き替え、教室へと向かうと、意外なことに誰もまだ来てはいないようだった。
誰か一人くらい早く来ている人がいるかとも思ったが、そんなことはなかった。
自分の席である窓際の後ろの席に座り、一息つく。
すると、途端に何故か疲れがドッと押し寄せてきた。
いや、理由は分かっている。
朝から見た夢のせいと、母さんのめんどくささとが合わさったせいだ。
あー、だるい。
これなら一日くらい学校休んでおくべきだったな……
でも、あのまま家にいても母さんがいるしなぁ……はぁ。
陰鬱な気持ちを吹き飛ばすために窓を開け、教室の空気を入れ替える。
窓から心地のいい風が流れてきた。
肌を焼くような日差しに反して、少し冷たい風が頬を撫でる。
梅雨の時期じゃあこうはいかない。
ジメジメとした風は生温く気持ち悪いが、梅雨が過ぎた今の時期のカラッとした風は優しく包み込んでくれるような安心感がある。
更に誰もいない閑散とした教室はとても居心地がいいもので、瞼が重くなってきた。
腕を枕代わりにしてから机に突っ伏し、目を瞑る。
少しだけ、少しだけ……誰か人が来るまで……
そして、また夢を見た。
名前も知らない、少女の夢を。
■■■
目を開けたらそこは、真っ暗な空間だった。
身体はふわふわし、意識は明瞭としない。
魂だけの存在になったと言われても疑わないだろう。
それもいいかもしれない。
今はもう、何も考えたくない。
光一つ通さない闇の中、川を流れる葉のように意識はたゆたう。
この微睡に身を任せて、融けてしまいたかった。
しかし、時折浅瀬に乗り上げたかのように意識が浮上する。
その度に、見たくもない思い出が目の前に流れた。
その映像には、私の大好きな人が笑顔で私に振り向いてくれた。
手を握ってくれた。
困った風に笑いながら頭を撫でてくれた。
でも、そんな楽しかった頃の時間はもう手にはいらない。
わかってる。
それでも、私はその映像に手を伸ばさずにはいられなかった。
美夜! 美夜っ! 助けて!! 私はここに――!
そこで私は、全てを思い出した。
ここに閉じ込められた原因も。
失ってしまったものも。
そうだ、美夜はもういないんだった――
うぅ、うあっ、うあぁあぁぁ……
美夜、何で…………
嘘つき……嘘つき! 嘘つきっ!
全部嘘だったの!?
私に向けてくれた笑顔も!
優しく抱きしめてくれたことも!
私の傍に……
ずっと、ずっとずっと傍にいてくれるって言ったのに……!
■■■
「――っ!」
突然の胸の痛みで目が覚める。
胸の内を占める恐怖と不安。
助けを求める少女の声が、頭の中で木霊した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ただの傷の痛みじゃない心の痛み。
人の心に土足で上がり込んでくる、この誰かの感情が煩わしい。
目は開けることが出来ず、そのまま自分のものではない何かを追い出す。
息をすることに集中しいつも通り落ち着いた脈拍になる頃、やっと目を開けることができた。
「ここは……」
そこは、見たこともない海岸だった。
目の前に広がる砂浜と海。
打ち寄せる波の音が、潮風の匂いが、なによりもその場所が海岸だと物語っていた。
証明していた。
だからこそ、何が起きているのかが理解できなかった。
なぜ自分がこんな所にいるのかを――
「俺は、何でこんな所にいるんだ……?」
記憶を掘り返す。
今日は6月10日で、朝から悪夢を見た。
それで朝飯を食べて、母さんから逃げるためというか、学校があったからそのまま登校した。
いつもより早く登校して、教室で暇してたら急に睡魔が襲ってきて――
そこから先の記憶がなかった。
つまり
「夢の中……?」
信じられないようなことだが、直感が、体感がそう判断していた。
あまりに綺麗すぎる、きっちりし過ぎているこの場所。
空気から感じる匂いも、味も、現実とは全く違う澄んだ空気。
まるで、この世界が出来てから間もないような錯覚を感じた。
辺りを見回していると、突然、上空からデパートの呼び出し音のような音が鳴り響く。
――ピンポンパンポ~ン
「えーマイクテスマイクテス」
空から若い女性の声。
「ん、ちゃんと聞こえてるみたいね。では、自己紹介を」
姿の見えない彼女は言う。
「私は三貴子の一人、そして高天原、最高神の天照大御神である」
神だと、日本神話に出てくる、太陽神アマテラス本人だと彼女は言った。
「それじゃあ! あなた達にはこれから、ゲームをしてもらうわ」
続く突拍子もない言葉と同時に、急に景色が変わった。
「――っ! な、何が……起こってるんだ?」
信じられなかった。
何かの間違いだと思った。
なんせ目の前には先程の海岸はなくなって、青々と生い茂る草原が広がっていたからだ。
更には人っ子一人いなかったはずが、周りには100人近くの人が集まっていた。
次々と起こる超常的現象に、周囲の人達も戸惑っている様子だった。
「んだよここ! どうなってんだぁ?」
「さっきまで俺は森にいたのに……何で、草原に……?」
「すみません、ここはどこなんですか? 私は死ねたんですか?」
聞こえてくるのは三者三様の困惑の声。
すると、
「姉様、そのような説明では誰一人理解できません。説明は一から順にです。まずはなぜ彼ら、彼女らがここに呼ばれたのかを説明しなくては」
先ほどの女性の声とは打って変わって、落ち着いた物腰の男性の声が空から聞こえてきた。
女性を諫める男性だが、注意された女性は不満げだ。
「えー、別にいいじゃないそれぐらい」
「面倒くさがってはなりません。これからこの方達には重要な役目を担ってもらうのですから」
「わかったわよぉ……では改めまして、あなたたちがここにいる理由は――」
「――ふざけるなっ!!」
後方から男性の怒りの声があがった。
それもそのはずだ。
急に訳も分からないところに連れて来られて、急に自分は神だと言い張るんだ。
怪しいことこの上ない。
文句の一つや二つ出てもおかしくないだろう。
「神だなんて適当なこと抜かしやがって。ふざけるのもいい加減にしろ!!」
「ふざけてないわよ。聞こえてなかった? 私こそあなた達が崇拝する――」
「まだ言うか!! どうせどこかに隠れてこの様子を面白おかしく撮影しているんだろうがっ!」
「だから私はアマテ――」
「俺達をこんな、わけのわからん場所へ連れてきやがって、こんなことが許されると思ってんのか! どこのテレビ局だ! 訴えてやる!!」
「…………うぅ、ツクヨミィ~~」
「姉様、実際に私達の力を見せなくては納得してくださいませんよ」
「ぐすっ、うん、わかったわ……疲れるからこれ、あまりしたくはないのだけど……仕方ないわね……ツクヨミ、天沼矛をちょうだい」
「はい、ここに」
「何を言ってる! さっさと姿を現せ!!」
「もー、うるさいわね! じゃあいくわよ! よく見てなさい!」
アマテラスがそう言ってから数秒。
どこからか、コォーンと甲高い音が鳴り響いた。
鳥肌が立つ。
なぜか、今にもここから逃げ出したくなった。
しっかりあるはずの地面が急に何か、不確かなものに替えられたかのような……
何か嫌な予感がする。
足を前に出し、その場から離れようとした瞬間。
「――天沼矛よ、吾の言葉を聞き入れ、大地を変動させよ……呻れ! 大地!」
そう、彼女が言った瞬間だった。
地面からは突き上げるように重く、低い地鳴りが起きる。
「あ、うああああっあぁあ!」
「何? 何なのよこれ!?」
身体の底から貫く様な音は、恐怖を感じさせ、周りの人を地面にしゃがみ込ませ、悲鳴をあげさせた。
「きゃあああああぁぁぁ!!!」
「うわあああああぁぁぁ!!!」
数秒後、突然起きた揺れは、地鳴りが遠くなっていくにつれ、徐々に収まっていった
揺れが完全になくなった頃、周囲の人達は口々に疑問を挙げていく。
「や、やべぇ、地震が起きた……」
「ほ、本当に神様なの?」
先程の男は、信じられないといった表情で、腰を抜かしていた。
「ぐ、偶然だ……偶然、地震が起きただけだ! こんなこと……ありえるはずがない……」
男は、口では認めないが、アマテラスの力は、神という存在を信じさせるには十分だった。
十分知らしめたのだから、これ以上何も起こるはずがない。
安心していい。
そう、自分の中で何度言い聞かせても、地面への違和感が消えなかった。
増していった。
その直感は間違っていなかった様で、次の瞬間再び、いや、それ以上の、今までに味わったことのない大きさで大地が蠢動した。
「大地をかき分け、牟礼を築け!!」
「――っ!」
この世の終わりかと思うほどの地響きと揺れに見舞われ、立っていられなくなる。
地面から落ちそうになる感覚に襲われ、地面にしがみつくしかなかった。
その時俺は、何か異様なものを目にした。
本当に実在しているのか、極限状態にいるせいか分からなかったが、地面を這い回る竜を見た気がした。
「キャアアアアアァァァっ!!!」
「うわあああああぁぁぁっ!!!」
耳をつんざく悲鳴。
そしてそれをもかき消す地鳴りがありとあらゆる穴から入り、身体中が音で埋まる。
数十秒後、永遠に続くかと思った揺れは、竜が遠くなっていくにつれ、徐々に収まっていった。
「え……」
声が漏れる。
驚きから開いた口が塞がらない。
ほんの数秒で、途方もない量の土が積み重なり弧を描いていた。
空から大地を覆い隠すように木が屹立し、その全容はこの場所からでは把握しきることができないほど大きい。
そう――山が一瞬にして出来上がったのだ。
神の力だと、誰もが思い、実感したことだろう。
目の前の現実が受け入れ難く、放心状態でいると、事の原因であるアマテラスが口を開いた。
「ふぅ、これでわかってくれたかしら? 私が神だってこと」
「…………」
先ほどまで文句を言っていた男性からの返答はない。
当たり前だ、こんな突拍子もない、そして非現実な出来事を見せられては何も言えない。
何か文句を言うにしても先ほどまでとは勝手が違う。
何しろアマテラスは、実際に俺たちの目の前に山を作って見せたのだ。
格の違いを見せつけたのだ。
逆らったりすることなどできるはずもなかった。
「返事はないけどわかってくれたみたいならいいわ。じゃあ、続きを説明していくわね」
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