1話「夢の中の少女」
それはいつも唐突に始まる。
沈んだ水の中から浮上するような、内側から外へ這い出るような感覚は未だに慣れない。
かすれた視界の中から見えるその光景はいつも碌でもないものだ。
「いやっ! ――! ――離しなさいよ! ――兄様! どうして――っ!」
女の子の泣き叫ぶ声が聞こえる。
途切れ途切れの音声が耳を叩くと同時に
悲しみが
怒りが
焦燥が
疑心が
胸を掻き回る。
「――美夜! ――助け――!」
頭の中は内側から殴りつけられたかのようにガンガン響き、胸は心臓でも鷲掴みにされたように痛む。
その痛みはじわじわ広がっていき、今も尚増すばかりだ。
「――、お前が――――」
目の前の男が少女に向かって何か言い放つ。
すると、何かに貫かれたかのような痛みと同時に突然プツンと視界が途切れた。
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目を覚まし、最初に視界に入ったのは、いつもの見慣れた部屋の天井だ。
身体を起こし、ここが夢の中ではないかを確認する。
しかし、身体は息をするだけの機械と化し、頭が全く回らない。
いつの間にか今見た夢を思い返していた。
どんな状況なのか要領を得ない夢だったが、頭の中に残る映像が、胸の中の感情の残留が、胸を絞め付けた。
いつから流れていたのか、頬には生暖かい水のようなものが伝っていた。
「――っ!?」
咄嗟に手の甲で水を拭うが、溢れ出てくる水を止めることができず、布団に一つ二つと染みを作っていく。
訳が分からないまま次々にできていく染みを眺めていると、突然頭痛が襲ってきた。
あまりの痛みに頭を抱え、目を瞑ると、先ほどの夢がフラッシュバックする。
そこでようやく溢れ出る水が、自分が流している涙だということに気づいた。
「あっああ――! 何で……! くそっ!」
自分の意志に反して流れる涙に悪態をつきながら、袖に顔を埋める。
「何でこんな……最近は、全く見なかったのに……」
この病気は、不定期的に発症する。
初めてこの病気が発症した時は小学生の頃だ。
この時はまだこの夢を病気だと思わなかった。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と全ての五感がある状態の夢を見るようになった。
夢の内容自体は誰かと話したり遊んだりと特別おかしいものでもなかったから。
たまに怖い夢を見たりもしたが、これも普通にあることだろう。
しかし中学の2年の夏くらいだろうか。
その時を境におかしくなった。
夢の内容や、夢の形態が変わったのだ。
まるで誰かの夢を盗み見ているようなものや、人生を追体験するようなものに変わった。
その人の中から覗くような一人称視点や、幽霊のようにその人の側を浮遊し続ける三人称視点の時もあった。
「今回は一人称、か……この胸の痛み……何かで刺されたのか……?」
過去の夢の内容といえば、飢えで苦しみ死んでいく者、誰かに救いを求めるが救われない者、人や化け物を殺し続ける者、殺される者と、悲惨で苦しくて痛くて酷いものだった。
それらの夢に共通点はなく、時代や場所は様々で一度も見たこともない人、人じゃない何かを対象とした夢もあった。
悪夢の塊を体験させられた俺は、日に日に精神がすり削られ、おかしくなってしまいそうだった。
やつれ、荒れる俺を心配した母さんは、睡眠外来や心療内科、精神科等に連れて行ってくれた。
医師の診察によれば、非日常に憧れる年頃だからだとか。
ただのストレスや不安から来るものだとか、下らない診察結果ばかりで解決策は見つからず、意味を成さなかった。
しかし、ほぼ毎日体験させられていた悪夢は中学2年の冬を境に息を潜めた。
完璧になくなったわけじゃないが、それからは一週間に一回、二週間に一回、と頻度が少なくなったのだ。
「本当、朝からやめてほし――うっ、だめだこれ。駄目なやつだ……」
ベッドから降り、机の引き出しから精神安定剤と頭痛薬を取り出し、飲み下す。
息を大きく吸い、ぐちゃぐちゃになっている心を落ち着けるため深呼吸をする。
念押しだとばかりに先ほどの夢を思い出そうとする頭を一度殴り、頭を空っぽにしようと努める。
数十分ほど目を瞑り、呼吸することだけに意識を向けていると、だんだんと胸と頭の痛みがおさまってきた。