毎日きつつき
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
298、299、300っと! よ〜し、今日のノルマ終わりっと。
こーちゃんはどう? もう終わった?
――え? 言われた通りの数をこなしても成長はない? それよりちょっとだけ自主的に訓練するのが、相手の鼻を明かすことにつながる?
はあ、なんだか納得するような、しないような……指示待ち人間からの脱却でも目指しているの?
こうやって、日々重ねていることって、本当に報われるのかな? 僕たちは結果を知らず、愚直なまでに鍛錬を繰り返し、内心では最後の勝利を信じている。それが叶った時は言葉では言い表せないほどの快感だけど、それがもし、死ぬまで報われなかったらどうだろう?
拭い去れない負け犬として、誰かのサンドバッグになり続け、相手に栄光と心地よさを提供し続ける……そんな役回り、僕だったら御免こうむるね。
でも、積み重ねるのは何も、人間の世界に限った話じゃないみたいなんだよ。
最近、仕入れた動物に関する話があってさあ。余裕が出来たのなら、聞いておかないかい?
むかしむかしのとある村で。昨晩、遅くまで内職し、ぐっすりと寝入っていた男が明け方にたたき起こされた。
直接、声を掛けられたとか、肩を叩かれたものじゃない。家の外から突然、執拗に「コツコツ……」と大きな音を立てて、断続的に何かをつつく音が聞こえてきたんだ。
家の外に出てみて、音源を探ってみる。どうやら家の柵のすぐ近くに生えている、一本の木の上からだった。
木の根元に立っても、音はまだ続いている。下からなめるようにじっくりと見上げていった男は、いくつもの枝葉に紛れる一羽の鳥の姿を確認する。
一瞬、葉に同化しているかと思ってしまうほど、緑色に全身を染めたその鳥は、きつつきによく似た体つきをしていた。その長いくちばしで、木の幹をつっついていたんだ。
だが、その勢いがあまりにも強い。家の中で眠っている自分を起こすほどの、音の大きさから薄々察していたが、こうして木の下で立っているだけでも、無数の木くずが舞い落ちてくる。
のこぎりを使った時に出る「おがくず」に比べたら、ずっと大きくて、分厚い樹皮の数々。これだけ見たら、「つつく」より、「えぐり取っている」という表現の方がしっくりきそうだ。
――こいつ、本当にきつつきの類いなのか?
男はその正体を見定めようと、落ちてくるくずを手で払いつつ、鳥の動きを観察する。
猛烈な速さで木をつついているが、その頭の動きは一定ではない。同じところを連続でつつくのではなく、上下動させながらまんべんなくといった様子。確かにこれなら、はがれる樹皮は大きくなりそうだ。
更によく聞いてみると、ただ連続で突いているのではなく、ほんのわずかだけ、拍子をずらしてつついているようだったという。
およそ半刻(約一時間)後。さんざんに木を殴打した緑色の鳥は、不意に頭の動きを止めると、ぐいっと身体を反転。空に向かって飛び立っていってしまったんだ。
最初は「たまたま、変な鳥に目をつけられたな」程度にしか思わなかった彼。しかし、その日から彼の家の木は、何度も何度もあの鳥につつかれることになる。
鳥が木をつつく理由。それは幹の一方からくちばしでコツコツとつっついて音を出し、中の虫を驚かせて、反対側から頭を出させる。そこへ回り込んで捕らえる狩りの仕方の一種と聞く。
だが、これは明らかに違う。何日か観察を続けてみたところ、鳥は一度も、幹を回り込む様子を見せなかった。いずれの日も半刻ほど、幹をくちばしで叩き続けたかと思うと、ぴたりと動きを止めて撤収していくんだ。
それほどまでする何が、この木にはあるのか。彼は家から梯子を持ってきて、木によじ登ってみることにしたそうなんだ。
鳥はかなり高い位置の枝に、足をかけていた。彼の家にあった梯子では、幹の途中までしか届かず、そこから先は自力で上ることになる。
幹がどうにか、抱えられる太さであったことが幸いだ。木登りにさほど慣れていない彼でも、手足でしっかり抱き込むようにして、ゆっくり上がっていくことができた。
予め、下から目星をつけていた付近にくる。この辺りの枝は鳥たちこそとまることができるが、人間が足をかけるには頼りない細さ。下手に体重をかけたら、真っ逆さまに落下してしまうだろう。
彼は問題の部分へ顔を近づけてみる。降ってきた木片から想像した通り、かなりの範囲の幹が削り取られている。樹皮がすっかりはがされた幹の内部は、紙のように真っ白で、筋のひとつも入っておらず、彼は不審さを感じたという。
指先でえぐられたところを触れてみる。すると、想像以上に頼りなく、向こう側へぼこりとへこんでしまう感触。慌てて手を離すと、弾力を帯びた軟体のごとく元の状態へと戻ってしまう幹の内部。
指先には爪の垢のような、独特の臭みがこびりつく。気味が悪くなった彼は、そそくさと木を降りて、手を洗ったのだそうだ。
彼が他の村人に話をしてみてものの、同じような被害に遭っている者はいなかったという。
「うっとうしく思うのなら、樹を切り倒してしまえばいいのではないか?」
そのような意見も出てきた。
あの樹、確かに何か食べ物のなる樹というわけでもなく、なんとなく敷地の中へたたずんでいてそのまま、という代物だ。先祖代々の縁があるわけでもなかった。
けれども、あの妙な弾力と臭いを持つ、幹の中身。
――下手に伐り出すような真似をすると、あの臭いをまき散らされる羽目になるのでは……。
そう考えると踏ん切りがつかず、彼はあのきつつきの音を、ひたすら耐えることを選んだんだ。
それから、一年ほどが経っても、相変わらずあの鳥はやってきて、木をつつき続けていた。
以前に確認した速さだったなら、彼が直接手を下さずとも、あの部分から幹がぽっきりと折れてしまうのも、時間の問題だと思っていた。
それがこのところは、例の木をつつく拍子もだいぶゆったりとしたものになり、かつてのような眠りを妨げるけたたましさとは、ほど遠いものへ変わりつつある。
――このままの状態が続くようだったら、引き続き、放っておいてもいいか。
彼がそう考えた矢先でのこと。
いつもの音とは違う、「どん」という震動が床を伝って、眠っている彼の身体を揺すった。「もしや」と思って、家の外へ出た彼が見たのは、なんとも異様な光景。
例の木が、風もないのに、その幹をうねうねと左右へ揺らしていたんだ。振れ幅はどんどん大きくなり、左右共に地面と平行線になってしまうのではないかと思ってしまうほど、幹の半ばから、ぐでんぐでんに折れ曲がっていく。
当然、頭に生やした葉っぱが乱れ舞い、吹雪のような落葉を、立ち尽くしている彼へと浴びせていく。そして、いずれの枝もほとんどはげ散らかってしまった後、当初のように背筋を伸ばした木。あの時、彼が見た異様なへこみの部分から、姿を見せるものがあったんだ。
うわばみ。この木の幹とほぼ同じくらいの大きさの、赤い肌を持った大蛇の頭が、あそこから「にゅっと」外へ飛び出したんだ。
開いた口からは、湾曲する二本の牙が、上顎から伸びているのが分かる。口の大きさも相当なもので、もしも地上へ降り立ったのなら、彼の胴体をペロリと飲み込んでしまいそうだったという。
思わず、後ずさりを始める彼の目の前で、更に上空から口を開いた蛇へ突っ込んでいった影があった。それはいつも木をつついていた、あの緑色の鳥だったんだ。
図体の大きさは、うわばみと比べるべくもない。しかし鳥はうわばみの鼻先スレスレを滑空したかと思うと、開いた蛇の目をかすめるように飛んだんだ。
目を潰したんだ、と思った時には、蛇から「があっ!」と咆哮があがる。身をよじる蛇に対し、鳥は何度も身体の周りを飛び回り、身体をすれ違いざまに何度もぶつけていく。大きい図体の蛇が、小鳥に一方的に痛めつけられていた。
近隣の家からも、鍵が開いて外へ出てこようとする気配がする。蛇が先ほどから大きな悲鳴をあげ続けているんだ。無理もない。
彼らが顔をのぞかせる直前。鳥はすでにぐったりした蛇の胴体へ猛然と突っ込み、それっきり見えなくなってしまう。だが、ほどなく、蛇の身体が浮き上がり始めて、幹からも長い胴体がずるりと出てくる。
その尾っぽまでを含めると、うわばみの身体は、この木の幹と同じくらいの長さがあった。その長大な身体が、悠然と空を横切って遠ざかっていく。きっとあのきつつきが、めりこんだまま浮き上がり、蛇を運んでいるんだ。
「あれだけ大きい獲物を捕まえたんだ。もうしばらくは、あの鳥も姿を見せないだろうな」
彼の推測通り、あの鳥を再び見かけることはなかったみたい。
けれど、彼の死後、数百年が経って言い伝えが残るだけとなった時。例の木は伐り倒されてしまったのだけど、話に聞くうわばみが出てこられそうな空洞は、幹の中には存在しなかったんだってさ。