第四章 其の三
過去の回想に浸りながらも、俺はガードを固めながら距離を取る。
この決勝戦の試合時間は三十分。 プロボクシングで言えば十ラウンド相当。
ネトゲーをやっていれば三十分なんてあっという間だが、ボクシングだと
三十分という時間は異様に長く感じるから不思議だ。
だから俺はこの試合においても、霧島を焦らす作戦に出た。
霧島はトントンと両足で地を踏みながら、リズムを取っている。
だが俺はガードを固めながら、摺り足で円を描くように間合いを取る。
先程から似たような展開が続き、なかなか打ち合いが始まらない。
当然痺れを切らした観客が俺達に罵声を浴びせ始める。
「なんだい? 雪村君、あの時のように焦らし作戦かい?」
「さあ? どうだろうね?」
「ふん、同じ手を使うとは君も芸がないな。 ――良かろう!」
霧島はそう吐き捨てると、ステップインして左ジャブを連打。
だがここは異世界。 当然霧島も闘気を纏っている。
当然その威力は通常の左ジャブとは違う。 故に防御は危険だ。
俺はヘッドスリップやスウェイバックを駆使して、霧島の左ジャブを避ける。
この一ヶ月余り職業ギルドでクラリス達と特訓や模擬戦を行ったおかげか、
霧島の左ジャブの軌道がハッキリと見える。
確かにかなり速いが避けられないレベルではない。
恐らく霧島の懐に飛び込めば、伝家の宝刀のカウンターが来るだろう。
だが霧島はこの世界でもボクシングの型に嵌り過ぎている。
ならばこちらとしては馬鹿正直に奴に付き合う理由はない。
俺は身を低くして、ダッキングして霧島の左ジャブを避け、懐に飛び込んだ。
そして狙い済ましたように放たれる霧島の右ストレート。
俺はそこで両腕を十字に交差させて、闘気を纏い、霧島の右を防御する。
鈍い感触が両腕に伝わり、痺れるが、骨には異常はない。
そこで俺はおもむろにその場でしゃがんだ。
「喰らえ、必殺・カエル飛び――」
「甘いね! 君がそう来るのは想定済みだ!」
「――ヘッドバッドッ!!」
バックステップする霧島目掛けて、俺は両足に風の闘気を纏い、
全力で地を蹴り、頭から飛び込んで霧島の顎の先端を強打。
強烈な頭突きが炸裂して、霧島は思わず右膝を地につけた。
ボクシングのルールでは頭突きは当然反則行為だ。
だがこの試合はボクシングの試合ではない。 故に反則ではない。
「ぐ、ぐっ……卑劣なっ!? バッティングするなんて……」
「ダウンッ! 開始線まで戻って! ワン、ツー、スリー……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 効いてないぜっ!!」
「フォー、ファイブッ……」
レフリーは無表情でカウントを続ける。
「チッ……立てばいいんだろっ!? 立てばっ!!」
ややムキになりながら立ち上がる霧島。
その眼は怒りに満ちている。 だが俺は後ろめたさの欠片もない。
ボクシングの試合においても、
バッティングは喰らう方が悪いという風潮は存在する。
ましてやこの戦いは無差別級格闘戦。
ありとあらゆる攻撃に対処する必要がある。
霧島がボクシングの型に嵌るのは自由だ。
だが俺がそれに付き合う理由はない。
「……ぺっ、なる程、勝つ為には手段を選ばないつもりか。 そっちがその気ならば!」
霧島は血の混じった唾を吐いてから、双眸を吊り上げながら突貫してきた。
神速の速さで放たれる左右のワンツーパンチ。
俺はそれをスウェイバックで避ける。 だが霧島も更に踏み込む。
次の瞬間、下から突き上げるような右アッパーが放たれる。
だが俺も負けずにサイドステップして、霧島の右拳を躱す。
流石は霧島。 見事な速攻だ。 だが当たらなければ意味がない。
今度は俺の番だ。 俺は身を屈めて、地面を滑空する。
「……ガゼルパンチかっ!? だが僕には通じないぜ!!」
「――必殺・ガゼルキックッ!!」
俺はたっぷりと体重を乗せた状態で、
渾身の左ローキックを霧島の右大腿部に喰らわせた。
ボクシングのルールでは腹部より下の攻撃は禁じられている。
故に自然と下半身への攻撃に対する防御意識は低くなる。
かつてK1で元ボクサーがK1選手にローキックで倒されまくったが、
基本的にボクサーはローキックに弱い。 なにせそれらの攻撃に対する
練習をしていないのだ。 当然K1選手はその弱点を見逃さなかった。
俺はそのK1選手の例に習うように、ローキックを連打する。
一発、二発、三発と命中。 霧島は思わず苦痛で表情を歪める。
「き、汚い真似ばかりしやがって! 君にはボクサーとしての誇りはないのか!?」
「ハア? これはボクシングの試合じゃねえぜ?」
「……そうか、なりふり構わないつもりかい? 上等だよ……」
そう言うなり霧島は双眸を細めて、俺を睨みつけた。
切れてる、切れてる。 だが奴が冷静さを失えばこちらのものだ。
怒り狂った霧島は全速力で地を蹴り、一気に間合いを詰めた。
そして繰り出される左右のワンツーパンチ。
だが俺はそれをヘッドスリップで躱すが――
ごきん。
という鈍い感触と共に俺の右顎の側面に激痛が走った。
この痛みはパンチによるものではない。 や、野郎、肘打ちを喰らわせたな。
俺は若干身体をふらつかせながらも両足で地面を支える。
「あまり僕を舐めるなよ? こういう戦い方も出来るんだぜ?」
「ぐっ……やるじゃねえか、今のは効いたぜ……」
「随分とコケにしてくれたな? その礼を今させてもらうよっ!!」
再びファイテングポーズを取る霧島。
そして放たれる神速のワンツー、それを俺は両腕で防御する。
すると霧島は再度肘打ちを放ってきた。 だが二度同じ手は通用しないぜ!
ごきっ!!
再度鈍い音が周囲に鳴り響く。
だが今度は俺も自分の右肘で霧島の左の肘打ちをブロック。
「なっ!?」と大きく目を見開く霧島。
そして俺は左手に水の闘気を纏い、掌から水を直線状に放った。
放たれた水飛沫が霧島の顔面に命中。 反射的に顔を抑える霧島。
両手で顔を押さえているから、腹部ががら空きだ。
そこで俺は即座に左拳に光の闘気を纏い、がら空きの腹部を殴打。
僅かに身体を九の字にする霧島。 だがまだだ、これで終わりじゃない!
そして今度は右拳に炎の闘気を纏い、
腕を捻りながらコークスクリューブロウをもう一度霧島の腹部に叩き込んだ。
右拳が命中すると奴の黒い胴着の腹部が焼け焦げて、その白い肌が露わになる。
そして会心の一撃に決まり、光と炎の連撃により、
魔術反応の核熱が生じて、霧島は物凄い勢いで後方に吹っ飛んだ。
「ハヤト・キリシマ選手、ダウンッ!! ワン、ツー、スリー……」
実戦で初めて単独連携が成功した。
それに加えてコークスクリューブロウ。 並の相手ならこれで終わりだ。
だが霧島は生まれたての子馬のように、身体を震わせながらも、
右手で腹部を押さえながら、懸命に立ち上がろうとする。
「ファイブ、シックス、セブン、エイトッ!」
「だ、大丈夫だ。 ま、まだやれるぜ……」
「目が虚ろですね。 この立てた指が見えますか? 何本に見えます?」
と、指を四本立てるレフリー。
「……よ、四本だ!」
「了解。 試合を再開します!」
だが見るからに霧島のダメージは大きい。
それに後一回倒せば、自動的に俺のKO勝ちだ。 この好機は逃さない!!
俺は全速力で霧島に接近して、パンチとキックの連打を浴びせた。
乱打、乱打、乱打、ひたすら乱打。
多少ガードされても、お構いなしという具合に乱打を浴びせる。
だが霧島もパーリングやブロッキング、スウェイバックなどの
防御テクニックを駆使して、致命傷は避けるように防御する。
流石は天才ボクサー。
この危機的状況でも冷静な判断で動けている。 大した男だ。
だが俺も冷静に左のローキックを霧島の右大腿部に喰らわせて動きを封じる。
ぐらりと身体を泳がす霧島。 ――チャンスだ!
そう思って踏み込んだ瞬間――
俺の視界がぐらりと揺れる。 や、ヤバい! カウンターを貰った!?
それと同時に霧島が両ガードを固めて、接近して来る。
左ボディフックが俺の腹部に命中。 俺の肺から空気が漏れる。
そして突き上げるように放たれる霧島の右アッパーカット。
だが何とかスウェイバックして、直撃を避ける。
「――甘いぜっ!!」
そう言いながら、霧島は頭から俺の顔面に突っ込んで来る。
バッティング狙いか!? 駄目だ、避ける余裕はない。 ――ならば!?
がきん。
次の瞬間、俺の頭蓋骨が割れるのような衝撃が走った。
霧島の頭突きに対して、俺も頭突きで応戦。
あまりの激痛に思わず身体を揺らしたが、それは霧島も同じだった。
痛い、痛い、痛い、痛い、マジで痛てえっ!!
だがここで引くわけにはいかない。 霧島だって辛い筈だ。
俺は気力を振り絞り、意識を保ちながら、右足で霧島の両足に足払いを放つ。
だが霧島もバックステップ、サイドステップと距離を取り避ける。
俺はすかさず前へステップインする。
そして待ちかねていたように放たれる霧島の右カウンター。
そこで俺は軸足を左足から右足に切り替えた。
つまり右構えから左構えにスイッチしたのだ。
そして左肩で霧島のライトクロスをショルダーブロック。
鈍い痛みが左肩に走るが、耐えられないレベルではない。
「――この状況下でスイッチだとっ!?」
「――遅いぜ!!」
目を見開いて驚く霧島。
そして俺は左構えから光の闘気を纏った左ストレートを放った。
俺の左ストレートが霧島の顎の先端に命中。 腰を落としかける霧島。
そこから俺はまた左構えから右構えにスイッチ。
そして地を滑空しながら、左拳に炎の闘気を宿らせる。
「――これで終わりだあああぁっ!!」
「――や、ヤバいっ!?」
炎の闘気が宿ったガゼルパンチが霧島の右肝臓に命中。
「ごほっ!?」と口から唾液を飛ばす霧島。
しかし超人的な精神力でダウンする事を拒む霧島。
霧島は逆に踏み込んで来て、大きく弧を描いた左フックを放ってきた。
だがダメージの蓄積が大きい為か、そのスピードに切れがない。
――天才も人の子か。 だが俺は手加減しないぜ。
アンタに勝って俺はようやく新しい一歩を踏み出せるんだ!
俺は霧島の左フックに被せるように右ストレートを放つ。
そこからコルクを抜くような仕草で、右腕を内側にきりもみするように捻る。
俺の右ストレートはコークスクリューブロウの回転を描いて、霧島の顔面を捉えた。
ライトクロスに加えて、コークスクリューブロウの破壊力。
霧島の顔面は大きく歪み、その身体が後方に大きくぶっ飛び、背中から地面に倒れた。
それでも衝撃は収まらずに、更に十メートル程、後ろに転がる霧島。
その眼は虚ろに白目を向いて、口から泡を吹いていた。
あまりにも壮絶な幕切れに場内の時間がしばらく止まる。
そして我に返ったレフリーが両腕を交差させた。
「勝者、ヒョウガ・ユキムラ!!」
勝利者コールが告げられて、俺は片膝を地につけた。
そして沸き立つ観客席。 霧島はまだ地面に横たわったままだ。
その光景を見て俺は初めて勝利の実感を得た。
ようやく、ようやく勝つ事が出来た。
だが勝利の喜びより、何かから解放された気分の方が強かった。
もう俺は奴の噛ませ犬じゃない。
これで俺はようやく新しいスタートを切れるのだ。
そう思うと自然と表情と心が和らいだ。
そして周囲から拍手喝采を浴びながら、俺は勝利の余韻に酔いしれた。
次回の更新は2018年10月25日(木)の予定です。




