プロローグ
好きなもの……甘いもの、平和、ヒーロー。
嫌いなもの……辛いもの、暴力、風紀を乱す馬鹿。
そして……。
◇◆◇◆◇◆◇
どうしてこうなった。というより何が起こった。僕は自分の置かれている状況がわからない。だれか説明してくれ。
そう懇願しても誰も教えてくれない、というか誰も話せるような人はいなかった。とりあえず、現状を確認しよう。
えぇと……。ここは僕の通う高校の裏庭で、目の前にはクラスの男子数人。しかし誰一人まともに立っている人はいない。全員地面に倒れている。たぶん皆気を失っているだけだろう。ピクリとも動かないから不安になるけど大丈夫だろう、うん。
半ば現実逃避のように呆けていると、ドン!と大きな音がした。僕はビクリと体を震わせる。ゆっくりとそちらを見れば、この現状をつくった張本人が仁王立ちしていた。そうだ。彼女だ。彼女がやったのだ。先ほどの音は彼女の手に持っている異常なものを振り下ろした音だろう。その彼女が、ゆっくりとこちらを見た。
切れ長の肉食獣のような目。猛る獣の尾のように一つに結わえられた黒髪に、耳のように見えるリボンをつけている。少しも着崩さず、きっちり着込んだ制服。まるで完璧な模範生のような姿なのに、違和感がある。
「お前が、伊藤茂か?」
目の前までやってきた彼女はそう言って、ほんのわずかに微笑んで手を伸ばしてきた。
そんな彼女の右手にはメリケンサック。左手には金属バット。
◇◆◇◆◇◆◇
シャー、シャー。
一人の少女が駆けてゆく。その足にはローラーブレード。足を滑らせるたびに一つに結わえた髪が尻尾のように揺れる。久しぶりな感覚に少女は薄く微笑んだ。そのとき、近くにいた短髪の少女がこちらに気づき、話しかけてきた。
「あ、もう来れたんだ。大丈夫?雪姫ちゃん」
かわいらしく首をかしげながら聞いてくる。
雪姫と呼ばれた少女は足を止め、振り返りニヤリと男前に笑った。
「おう。復活だ」
それを聞いて満足したのか、短髪の少女は二、三言かわすと笑顔で去って行った。
雪姫は少女が立ち去るのを確認した後、またローラーブレードを走らせる。そして人通りの多いところに出ると、次々に人が話しかけてきた。
「あ、いつのまに!」
「とうとう復活かー。がんばれよー」
「おう」
「あ、これプリント」
「さんきゅ」
走りながら渡されたプリントを受け取る。その反動でクルリと半回転。
「さっきみっちゃんが呼んでたよー」
「わかった。後で行く」
「うわぁ、また独裁政権が始まる」
「勝手に言ってろ」
「いつになったら我らと共に……!!」
「うるせぇ」
通り過ぎるたびに声をかけられているところを見ると、それなりに人望があるのだろう。適当にあしらいながら(最後に至っては一発殴っていたが)器用に後ろ向きでプリントに目を通しながら進んでいく。
しかし、普通この光景はありえない。何も知らない人がこれを見れば異常に思うだろう。
雪姫が走っている場所。そこが問題なのだ。これが外ならば誰も何も言わないだろう。
雪姫だからこそ許される。他の者がやれば容赦なく潰されるであろう。他の誰でもない、彼女に。
プリントに目を通し終わり、小脇に抱え直すと、なにやら脇でヒソヒソと話してる集団に目がいった。急ブレーキをかけ、こっそりと近づく。
「……なぁ、また連れてかれたらしいぜ?」
「ボスもきっついよなー」
「でも、俺らじゃなくてよかったよなぁ……」
「なんの話だ?」
「「「うわぁ!!!!」」」
三人綺麗にはもりつつ、飛びのいた。
「ゆ、雪姫さん!?」
「今の……聞いて……!?」
視線を泳がせ、一巻の終わりとでもいうかのように顔を青ざめながら背後の壁にすがりつく。
だが雪姫は別に興味ないといった表情で一番近くにいた一人に顔を近づけた。
「なんの、話だ?」
尋問するように、ゆっくりと。さながら死刑宣告のように問うた。
追い詰められた少年は魚のように口をパクパクさせながら、周りに助けを求めるように、右へ左へと顔を動かすが、誰も見ぬふり聞かぬふり。その行為が無駄だと理解し、さらに目の前にいる雪姫が早くしろと言わんばかりに顔をしかめつつあるのを見て、深く深呼吸した。
「……俺のクラスの転校生が、不良に目をつけられてんだよ」
「なんだと?」
これでもかと眉をひそめ問い返すが「嘘なんかつかないよ!」と必死になっているところを見ると本当らしい。気まずそうに見ていた他の少年もおずおずと話し始めた。
「えと……それで、今日も転校生がどっか連れてかれたって……」
「この時間だと多分、コンビニまで走らされてんじゃ……」
その発言に、雪姫はゆっくりと口角を上げた。いい度胸だ。そいつも、転校生も。
そんな雪姫の雰囲気に三人の少年は「ひぃっ!」と短く悲鳴を上げた。
「すごいことになってるよ、顔」
「!!?」
急に耳元で囁かれ、雪姫は勢いよく振り返ると、そこには長身の少年が立っていた。
「……はんぞー」
「ほら、怖がってるよ。そこの三人」
はんぞーと呼ばれた少年は目の前で震えている三人に目を向ける。雪姫も同じようにみると、また小さく悲鳴を上げて身を寄せ合っていた。
「……すまない」
三人に向かって小さく頭を下げると、身を翻してまた歩き始めた。横には長身の少年も。雪姫はローラーブレードを使っているのに、彼は何事もないように普通に歩いてついていく。それでもちゃんと横に並んでいる時点で彼は雪姫とそれなりの付き合いがあるのは確かだろう。
「それで?行くのは勝手だけど場所はわかるの?」
「知らん」
「……相変わらずだなぁ」
ずんずん進んでいく雪姫に対し小さくため息を吐くと、早歩きで雪姫の前に立ちふさがった。
「邪魔だボケ」
「ちょっと落ち着こうか。復活して早々こんなこと起こって気分悪いのはわかるけど。あと口悪いよ」
「黙れおかん」
「窓の外見て。それなりにいい眺めだよ」
明らかに今の会話の流れにはそぐわないが、彼はゆっくりと歩きながら楽しそうに廊下の突き当たりにある窓へと顔を向けた。
雪姫は顔をしかめながらも同じように窓へ近づき外を眺める。彼との会話でかみ合わないときは何かしらあるのだということを知っているからだ。窓を開けると風が髪を揺らした。
……窓の外。特になにもない。
そう思ったのも束の間、ふと下を見て、目を見開いた。はんぞーへと顔を向ければ相変わらずニコニコとして読めない。だが、彼の表情もすぐに一変することとなる。
雪姫は数歩後ろに下がるとローラーブレードを脱ぎ捨てた。
「え、あれ?」
何をしているのか理解できないというように彼は顔を引きつらせるが、雪姫はまるで気にせずに走り出した。そして彼は雪姫が何をしようとしているのか理解すると、叫んだ。
「せめて階段つかえ!委員長!!」
「やってられっか!副委員長!!」
躊躇いなく飛び降りたのは、三階廊下突き当たり。
ここは学び舎、桐鐘学園高等学校。
そして彼女は、風紀委員長岩白雪姫。