真由子1
息抜きにくだらない話が書きたくなりました。
恋愛話だけど胸キュンしないです。ほんとすいません。
その日私はバイトが予定より早く終わって一人暮らしのボロアパートに帰るところだった。
大学の入学を機に実家を出てからまだ一年目。ようやく独りの生活になれてきたところだ。学費と家賃は全て父が出してくれているけれど、実家を出て一人暮らししたいというのは単に私のワガママなので、生活費に関しては自分でアルバイトでなんとか賄っている。
実家から大学まで電車で一時間半という微妙な距離なため、通えなくないだろうと言って父は当初独り暮らしに反対した。五つ上の兄貴も『女の子の独り暮らしなんて危ない』と止めるよう説得してきたが、ただ一人義理の母だけが賛成して父と兄を黙らせてくれた。
『真由子ちゃんも自由が欲しい年頃よ。自立するにはいい機会だと思うわ』と送り出してくれた。
義母が純粋に私のためを思って賛成してくれたのと言うと、違うのかもしれない。でも確かに離れるにはいい機会だったと思う。私の想いにケリをつけるためにも。
カチッ。
お茶のおまけのストラップがじゃらじゃらついた鍵を取り出し、ウチのドアを開ける。キャラものとか全く持たない私が唯一大事にしているこの冴えない顔の犬のキャラクター。兄が飲んでいたお茶にこれがおまけとしてついていた。それを私が欲しがったので、兄は私がこのキャラが好きだと勘違いし、それからことあるごとにお茶を買ってストラップを集めてくれた。もらうたび私はすごい宝物をもらったかのように大げさに喜んだ。ストラップをもらえたことではない、兄が私のためにしてくれた事実が嬉しかったのだ。
これもそろそろ捨てなきゃな…と見るたび思うものの、なかなか決心がつかない。大好きな兄がくれた宝物だが、こんなものを持っているからいつまでも引きずるんだとわかっている。告白もできないのにいつまでも未練がましいなと苦い気持ちが胸にひろがる。
ドアを閉め、申し訳程度にしかない狭い玄関で靴を脱ごうとすると、男物の靴があってビクッと飛び上がった。このナイキのスニーカーに見覚えがあった。これ…元彼がいつも履いてたヤツじゃん!!!と気づいた私は腹立たしさと気持ち悪さでぞわああっと鳥肌がたった。どうやって入ったんだろう?私が閉め忘れたか・・もしくはまだ合鍵を持っていたかということだ。留守の間に勝手に上り込まれて心底腹が立った。
1DKのこの部屋は玄関から続く狭い台所と、奥のベッドルームは引き戸で仕切られている。ゆえに部屋の様子は見えないが、おそらく部屋の奥にいるのだろう、あれだけの事をしておいてどの面さげてきやがったのかと、ぶん殴ってやろうと意気込んで、叩きつける勢いで引き戸を開ける。
「あんたなに勝手にあがりこんで…!えっ?!」
引き戸の向こうにはとんでもない光景が広がっていた。
頭から血を流しうつ伏せに倒れている元彼。
ピクリともせず、こちら側へ手を伸ばした形で倒れている。
「えっ…な、なに…どうしたの…」
思わず倒れてる男の手に触れるが、その手の冷たさに驚いて悲鳴を上げて飛び退ってしまう。えっどうしよう?!死んでるの?!まさか?!
私はパニックになって震えが止まらない。その時けたたましい電子音が部屋に鳴り響いた。
ピリリリリリッ。ピリリリリリッ。
私の携帯の呼び出し音だ。慌てて持っていた鞄を探りガラケーを取り出す。
とんでもないタイミングでかけてきたのは…。
私の…兄貴だ。
震える手で着信ボタンを押す。兄貴が何か言う前に私は思わずいってしまった。
「よし兄…どうしよう…助けて」
****
元彼とは、ちゃんと付き合っていたのかというと実際は違うのかもしれない。
元彼の名前は葛西公平という。学校では有名な名前だ。悪い方でだが。バイトが忙しく友達もあまりいない私ですら知っているくらいだから相当だと思う。あいつは女とヤることしか考えてない、チャラい、大学に何しに来てんだと散々な評判をいろんな人が話しているのをきいた。
同じ学部なのにもかかわらず、見かけたことはほとんどなかった。たまに講義にいるときは大体女の子ときゃっきゃしているのでうるさいことこの上ない。まあ大抵教授が『聞く気がない人は出ていくように』と退出させるのだけど。
そんなヤリチンクズ野郎とお近づきなってしまったのは、教授主催の懇親会だった。常に金欠な私はあまり飲み会とか参加したことがなかったのだが、教授が音頭をとった宴会とあらば出ないわけにいかない。
お酒が入るとやっぱりみんな打ち解けるようで、私も久しぶりに同世代とくだらない話をするのは楽しかった。学校でもよく話す友人の美加ちゃんが、お酒が入ると超振り切れたキャラになるのも面白かった。
「おい、聞きやがれ恋する乙女どもよ。
男の好きな料理で肉じゃがって嘘だからな?
男には肉食わせとけ!私の豊富な経験と知識からはじき出された正解は、生姜焼きだね。生姜焼きにポテサラ添えときゃイチコロだよ」
「美加ちんにそんな豊富な経験と知識があったことにびっくり」
「まって、生姜焼きのとこ詳しく」
「激しく同意。イモで米は食えない」
周りに座っていた女子達が、男をオトすにはどうしたらいいかと言う話題でめちゃくちゃ盛り上がった。黒髪ストレート最強説やギャップ萌えこそ真理だなど言い合ってるうちに葛西が話題に参戦してきた。
「えーなに、そういう話題は俺得意よ?なんでもきいて?」
「葛西は来る者拒まずなんでも食う悪食じゃねーか。お前の意見は参考にならん」
女子一同から一刀両断されたが、チャラ男はこんなことぐらいでめげないらしい。みんな嫌いキモい妊娠するから近寄るなと言いつつも、話し上手な葛西にはやはり惹きつけられるようで、いつの間にか私たちの輪に入ってなじんでいた。女子だけでなく、近くにいる男子にもうまいこと話題を振るので、だんだんと全員が混じって話すようになり、彼のコミュニケーションスキルに私は内心舌を巻いた。
「飯がうまいとやっぱポイント高いのは否めねえな」
「メシメシ言うとマザコンだと思われるぜ。俺は甘え上手な子がツボだなー」
「パスタが夕飯て俺無理なんだけど。女子ってなんであんな小食なん?」
男子の意見が入るとリアリティあるなと思い熱心にきいていると、いつのまにか葛西が隣にきて私の顔を覗き込んでいた。
「ねえやっぱ真由子ちゃんも男をオトすテクとか興味あるんだ?全然恋愛とか興味ないでーすて雰囲気なのにー」
「どんな雰囲気よ私。興味あるよ。ていうか親しくないのに名前で呼ぶな」
「オトしたい男いたんだー意外。だれだれ?俺?」
「そんなわけあるか。学校とは全然関係ない人だよ。まあでもオトすテク学んでも使う機会はないんだけどね。一生片思いだし」
私がそういうと葛西は、へえ、と意外そうな顔をしてにやにやした。
「かわいー。真由子ちゃんてなんか斜に構えた感じなのに、中身は恋する乙女とか。あっこれぞギャップ萌えってやつ?そんな顔されたら男はイチコロだわー」
さすがチャラ男はいうことが違う。とりあえず女子は褒めとけっていう法則をしっかり守るあたり抜かりないなと感心した。
その後も、どこの誰?ヒントだけでも!などと情報を引き出そうとしつこいので、教授が先に帰ると言い出したあたりで私も席を立った。美加ちゃんも飲み過ぎたらしく、一緒に帰るというので、帰る組と二次会組に分かれて店の前で解散となった。
美加ちゃんともう一人理恵ちゃんという子と、理恵ちゃんの彼氏との四人で帰ろうとすると、そこへ葛西がついてきた。どうやら理恵ちゃんの彼氏と友人らしく、泊めてもらう予定らしい。彼女も泊まるんじゃない?そこは遠慮しないのか?と思ったが、余計なお世話なので黙っておいた。
理恵ちゃんの彼氏のアパートは私の住んでるところの一つ上の階だった。偶然だねーと言ったが、よく考えると大学激近の学生向け安アパートなんだから、かぶったっておかしくないなと思った。葛西とともに美加ちゃんも彼氏さん部屋で飲み直すことになったらしく、私は明日バイトがあるからとアパート入口のところで別れた。
明日は土曜だから朝からシフトが入っている。早く寝てしまおうとシャワーを浴びて寝る支度をしているとチャイムが鳴り、ドアがすごい勢いでノックされるので驚いて飛び上がった。
「えっもうこんな時間に誰?つうか近所迷惑!」
「いやいや葛西だよーごめんほんと申し訳ないけどトイレ貸して!」
ドアの外にいるのは、上の階へ行ったはずの葛西だった。ドンドンと扉をたたくので、隣から苦情が来る前に鍵を開けた。すると『助かったあ!』と言いながらあっという間に家に上がりこみトイレに駆け込んでいった。
「イヤー助かったよーなんかさ、美加ちゃん寝ちゃうし、俺も寝ちゃおうかなって思ったんだけど、あのカップルが怪しい雰囲気になっちゃっておっぱじめるからさあ…帰ろうと思ったんだけど、外でたらめっちゃおしっこしたくなって。まじ漏らすかと思った」
と、よく回る口でぺらぺら喋る男にうんざりしながら、早く帰ってくれないかなーとイライラした。
「ねえ、じゃあもういいよね?早く帰りなよ、私明日早いんだからもう寝たい」
「いやーよく考えたら電車終わってるわ…床でいいから寝かせてよ。ネカフェ行くのもめんどい」
いや知らないし。あー面倒なことになったなーと思ったが、葛西はもう勝手にベッドの下のラグの上で横になってる。もういいや朝になったら叩き出そう、と私も寝ることにした。
電気を消してあっという間に寝てしまった私だったが、完全に熟睡してるところを妙な違和感でたたき起こされた。重い瞼を無理やりあけると目の前に葛西の顔があってものすごくイラッとした。違和感の正体は葛西が私のスウェットをたくし上げ胸をもんでいたからだ。
「…なにやってんの?」
「んー?俺たちもおっぱじめようかなって♪」
眠気も相まってイライラが最高潮に達した私は葛西をベッドからけりおとした。
「無理。むりむりむりむり。アンタみたいなヤリチン、衛生的に無理」
「えいせいてきにむり?!すごいね斬新な断り方!好きでもないのにとかそういうんじゃなくて?衛生的に無理なら風呂貸してよ。今局部的に洗ってくるから!」
もう一度ケリをいれながら私は葛西に向かっていう。
「そーゆうんじゃないでしょ。不特定多数とヤってるアンタがどんな性病持ってるかわかんないし、そんなやつと体液の交換なんてキモいし怖いし無理だって言ってるの」
「体液の交換て。生々しいなー真由子ちゃん。えーたぶんビョーキはないよーつうか俺エッチめっちゃうまいよ?ちょっとだけためしてみない?絶対すげえハマるから」
「だからさあ…そういうんじゃないって言ってるじゃん。私は、信頼関係が築けない相手とそういう事するのはいやなんだって。そういうのは好きな人と、好きって気持ちの延長でしたいの」
「んーでも相手が童貞とかで超下手だとヤじゃない?全然気持ちくないじゃん」
「だからさあ、私の優先順位は快感が一位じゃないんだって。お互い好きなら、気持ちくなれるように二人で努力すればいいじゃん。情報化社会なんだしさあユーチューブとかで学べるでしょ?」
「んんーユーチューブにそんなピンクなハウツー動画あるかなあ?まあネットで調べりゃなんかはあるだろうけど」
「ならいいじゃん。だから相手に最初から技術は求めないの私」
「えーじゃあさじゃあさ…」
なぜかここから、理想のシュチュエーションやら萌える男の仕草やらの話題で盛り上がってしまい、無駄に徹夜してしまった私は眠い目をこすりながらバイトに行く羽目になった。
これをきっかけに、葛西に妙になつかれてしまった私は、いつのまにか葛西と付き合ってることにされていた。何もなかったとはいえ、家に泊めたこともまずかったらしい。別に何もないと言っても、あのヤリチンと一緒に一晩すごして何もないとかありえないと皆に一蹴されてしまった。挙句、特定の相手を作らなかった葛西が、真面目地味系女子の私にべったりとあって、マジで本命の彼女なのだろうということで話が落ち着いてしまった。
なんだか変なことになったなあと思いつつも、子供のころからの不毛な片思いしかしてこなかった私は、これがいい機会なのかなとも思った。どうせどこかで思い切らなければいけない恋だった。ずっと一人だけを見てきたから、他の男の子と深く接する機会もなかった。他に目をむけて、あの人を忘れることが出来るといいなと他力本願な考えもあり、もう誤解されたままでもいいかと流されることにした。
葛西も何を考えているのかわからないが、学校内でも恋人のようにふるまうようになり、家にもちょくちょく遊びに来るようになってしまった。意外なことに、時々泊まっていくのにアイツは無理に手を出してこようとはしなかった。軽くキスされることはあるが、それとなく拒むとそれ以上はしてこなかった。思いがけず大切にされているような気がして、好きとは言えないまでも、嫌いになれないなと思うようになってしまった。
ある時、私が台所で料理をしているとき、後ろから葛西が抱き着いてきて甘えてきた。
「ちょっと料理中は危ないって」
「んー?だってずっと後ろ向いてるからさみしいじゃん?」
葛西はそういいながら耳にちゅっちゅとキスをしてきた。さみしいとかかまってほしいとか、そういう感情をストレートに伝えてくる葛西が可愛く思えて、もしかしたら彼をいつか好きになれる時がくるんじゃないかなと思っていた。
まあ、そんなの結局全てが嘘だったんだけど。
ヤリチンクソ野郎は猫をかぶっていただけなのだ。
そんなのが見抜けないなんて、本当に自分が情けない。