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他には何も望まない  作者: 風花てい(koharu)
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嘘つき娘の憂鬱 7

 父親の会社でアルバイトしてみたいという紅子の希望を、源一郎は、まったく受け入れる気がないようだった。理由を訊いても、答えてくれない。とにかく「だめだ」の一点張り。それでも問い詰めると、彼は、たまりかねたように社長室から逃げだしてしまった。もちろん紅子も、ここで引き下がったりしない。早足で立ち去ろうとする父の後を追いかけた。


(葛笠さんの馬鹿。お父さまは、娘の望みを拒んだりしないなんて、嘘ばっかり!)


 心の中で葛笠をののしるものの、紅子は、彼の言葉の正しさを実感せずにはいられなかった。これまでの紅子は、源一郎からこれほどはっきりと「だめ」と言われたことがなかったようだ。だからこそ、父が彼女の望みを聞き入れてくれないことが、これほどショックなのだろう。


 社長室の外は秘書室だ。「秘書というより源一郎の舎弟」だとか、「六条本社に秘書以外の社員はいない」などと陰口を叩かれているこの部署は大所帯で、このビルのふたつのフロアを占拠している。

 「次の用事があるから」とか「会議があって……」などと言い訳めいたことをブツブツ言いながら部屋を出て行った源一郎だったが、忙しくしている秘書たちや彼らの机を盾にしながら、紅子を避けるようにしてフロアの中をクネクネとせわしなく歩き回るばかりで、いっこうに次の用事に取り掛かる様子をみせない。娘を溺愛する源一郎が娘から逃げ回る姿は相当珍しいようで、仕事の手を止めた秘書たちが目を丸くして成り行きを見守っている。


「どうして、ダメなの?」

「どうしてもダメだ!」

「だから、どうしてなの?!」

 紅子が叫ぶ。理由ぐらい話してくれてもいいではないか。それとも、話せない理由もあるのだろうか? 紅子には話せないこと……、紅子だから言いづらい理由があるのだとしたら……

 源一郎を追いかける紅子の足が止まった。


「お父さまもなのね。お父さまも、私のことなんか、いらないのね」


 どこの会社も、彼女のことを拒否する。無視しようとする。いらないという。ならば、この会社も、きっとそうなのだ。娘には甘い源一郎だが、彼もまた経営者なのだ。経営者としての源一郎は、紅子のことを使い物にならないとみなしているのだろう。


 もしかしたら、今までだって、本当にいらないのは紅子のほうだったのかもしれない。源一郎を怖がっているふりをすることで、みんなみんな、紅子を遠ざけたいだけだったのかもしれない。


「私、そんなに駄目なのかしら。そんなに役に立ちそうにないの」

「違う!!」

 今まで逃げ回っていた源一郎が、振りむきざまに叫んだ。後方から葛笠や他の秘書たちが彼女を慰めようとする声も聞こえた。大股で戻ってきた源一郎は、今にもベソをかきそうだった紅子を力強く抱きしめた。

「君をいらないなんて、そんなことがあるものか。君は、私の大事な大事な宝物だよ。何者にも代えがたい、唯一無二の至高の存在だ。君をいらない私など、ありえない。万が一にでも、そんな私がいたら、私のほうから私をゴミ箱に捨ててやる。この会社もだ!」

 紅子の涙も引っ込むような熱心さで源一郎が叫ぶ。彼の娘へのおおげさな物言いなど珍しくもなんともないのだろう。興味を失った秘書たちが、三々五々仕事に戻っていく。


「それにね。父親という立場を離れ客観的に見ても、人材として君は魅力的だよ。どこにいってもやっていける。どこに出しても恥ずかしくないだけのものを、君はもっているよ」

 「なあ?」と源一郎が同意を求めれば、彼らを取り巻く秘書たちが社長への追従だけとは思えないほど大真面にうなずいてくれた。


「じゃあ、なんで、ここでアルバイトもさせてくれないの?」

「だから、それには、ちょっとした理由があってだな……」

 とたんに源一郎の口が重くなった。痛いほど紅子を抱きしめていた源一郎の腕が緩み、目が泳いだ。

「私は、そのちょっとした理由が知りたいの」

「理由は……」

「うん。『理由』は、なに?」

「理由は……。おい。そいつをどこかにやっておけといっただろう!」

 理由を探すように視線をさまよわせていた源一郎が、彼女の後方に向かって威嚇するような大声をあげた。振り向くと、エレベーターホールに続く出入り口から父とよく似た面差しの美青年が入ってきたところだった。兄の和臣だ。彼は、自分と歳が近そうな若い男を従えていた。スポーツでもやっていたのか、短髪で体格が良く背が高い。新入社員だろうか。 


「お父さん。いくら娘たちが可愛いとはいえ、これ以上秘密にすれば、紅子が傷つくばかりです」

 『近づけるな』という父の命令に従っているのか、青年と共に入り口から数歩進んだところで立ち止まると、和臣が言った。


「私たちのための秘密?」

「そうだよ。お父さんも僕も葛笠も、君が可愛いからこそ、君をここで働かせまいとしているんだ。それもこれも、これのせいだ」

 妹でも見ほれずにはいられないような微笑みを浮かべながら、和臣が、自分の背後にいる男を紅子に紹介するために体をずらした。


「これが、君をこの会社に受け入れられない理由だよ」

「『これ』ってなんだよ!」

 『これ』呼ばわりされた男が声にも表情にも不快感を露わにして和臣にくってかかる。思わず手も出そうになったようだが、盾のように和臣との間に入ってきた葛笠によって祖止された。葛笠からの咎めるよう眼差しを避けるように、男は顔を逸らした。そして、ものすごく不満そうではあるものの謝罪めいたことをつぶやいた。葛笠は青年に小さくうなずくと、振り返って和臣もたしなめた。

 

「和臣さまも、『これ』呼ばわりは控えてくださいとお願いしましたよね」

「ふん。これほど使えない無能に、人称代名詞など使用できるものか」

「使えないモノを使えるようにするのが、新人の面倒をみることになった和臣さまの役目です。できないなら、和臣さまも無能ということで、よろしいですか」

「おまえも、さりげなく俺をモノ呼ばわりするのはやめろよ!」

「職場で『おまえ』は使わないようにと言わなかったか?」

「人に向かって指をつきつけるのをやめるようにとも注意したはずだが?」

 和臣と葛笠が、人扱いされていない青年の抗議を聞き流して、口々に注意する。本人たちは大真面目なのかもしれないが、いい年をした大人たちの会話にしては、内容が子供じみている。


 それにしても、見れば見るほど、どこかで見た気がしてならない男である。   

「あのう。どこかで、お会いしたことがありましたか?」

 紅子の問いかけに、秘書室にいるほぼ全員が爆笑した。


「直接話されるようなことはなかったかもしれませんが、何度かごらんになっていますよ。もっとも、こんな地味な色の背広姿では、わからないかもしれませんね。ああ、危ないですから、あまり近づかないほうがいいですよ」

 仕事用の口調に戻った葛笠が、紅子の肩に手を添えて、できるだけ男から遠ざけようとする。

「なんだよ。人を危険人物みたいに」

「誘拐犯で放火魔ならば、間違いなく危険人物だよ。ああ、人じゃないから危険人物じゃなくて、危険物か?」

 葛笠に文句を言う男を、和臣があざけるような口調で挑発した。


「誘拐に放火ですって?」

 怪訝に思いながら、紅子は兄は発した言葉を反芻した。そんな恐ろしい犯罪者と知り合いだった覚えはない。いや。そういえば、半年ほど前に、紅子の家も放火されかけたことがあった。同じ頃に橘乃が誘拐されかけもした。誘拐したのは、姉の拒絶をことごとく勘違いした挙句、ふられたことに腹を立てた武里グループの御曹司の……


「え、まさか冬樹さん?!」

 驚いた紅子は大声を上げた。


「人を指でさしたらダメですよ。紅子さま」

「普通はダメだけれども、これは人でなしだからかまわないんじゃないか?」

 葛笠からの小言を和臣が笑いながら混ぜっ返した。





 

 



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