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他には何も望まない  作者: 風花てい(koharu)
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嘘つき娘の憂鬱 6


「どうするって?」

「だから、就職だよ」

「え?」

「『え?』って、なんだよ? おいおい。まさかとは思うが、就職そのものを諦めるつもりだったのか?」

 戸惑う紅子を見て、葛笠までもが戸惑った顔になった。


「でもな。今のところ、君が諦めなくてはいけないのは、娘が心配でしょうがない社長の目をかいくぐったり、君から逃げ回ってばかりいる就職係をどうにかして捕まえようとすることだけだと思うぞ。第一、社長は、君が外に働きに出ることに反対していないじゃないか」

「それは、そうなんだけど……」

 紅子も、それはわかっている。父源一郎は、むしろ、彼女を応援している。ただ、娘の意思を積極的にくみ取ろうとする気持ちが裏目に出て、周囲を混乱させているだけだ。


「社長は、娘のことになると、実に傍迷惑な人だからな。でも、そんなことは、今に始まったことじゃない」

「お父さまが無茶苦茶なのは、昔から知っているわよ。でも、就職なら、姉さまたちが結婚した時ほど大変なことにはならないと思っていたのだもの」

 イライラしながら紅子が反論する。当初は、もっと普通に就職できると思っていたのだ。だが、実際に彼女が就職活動を始めてみれば、姉たちの結婚の時以上に、周囲は六条源一郎という存在に怯え、振り回されている。


「私を雇うことになった会社は、きっと、とんでもないリスクを抱え込むことになる。私のせいで、なにかにつけてお父さまが会社に乗り込んでくるのでは、気の毒よ」

 しかも、自力での就職活動を断念すれば、紅子は父の伝手を頼るしかなくなる。入れたくもない小娘を雇い入れた挙句に、彼女の父親によって会社を潰されるかもしれない。そんな理不尽なことが、あっていいわけがない。


「だから、君のほうから諦めるのか? 親の力を借りないと就職できないなら、家にいると?」

「そうよ。いっそのこと、なにもしないで、六条家の優雅な有閑オールドミスになってやるんだから!」

「『優雅な有閑オールドマダム』になれるかどうかは、かなり疑わしいと思うが」

 すっかり開き直り、タルトの最後の大きめのひとかけらを憤然と口に押し込む紅子に、葛笠が笑いを含んだ眼差しを向けた。


「君が決めたことならば、俺は反対しない。就職はさておき、十年後二十年後のことを考えると、六条家の娘の誰かが家に残ると、なにかと都合がいいような気もする。だが、君がそう決める至った過程が、俺は気に入らない。なぜなら、君が決めたのは、何かをすることじゃなくて、何もしないことでしかないからだ」

 葛笠は、口をつけないままでいたラムボールの皿を脇にずらすと、こころもち身を乗り出し、見える方の目で彼女を見据えた。


「それじゃあ、君から逃げ回っていた人たちと、同じじゃないか?」

「え? 同じって?」

「噂話程度しか知りもしないのに『恐ろしい六条源一郎』像を勝手に作り上げて、未来永劫彼とは関わりたくないばかりに入社を希望する六条紅子を門前払いにする人たちとだよ」

 『誰と?』と問いたげな顔をした紅子に、葛笠がわずかだが苛立たしそうな表情をみせた。


「でも、私は……」

「『彼らとは違う』と言いたいのか? しかし、君だって、自分が就職したら社長が君の会社に暴力的に介入してくると頭から決めてかかってる点では、彼らと同じだよ。だが、社長が力づくで潰した会社なんぞ、俺が知る限り、ひとつだけだ。それも、俺が入社するはるか昔のことでしかない。それ以外は、―――」

 葛笠は、苦笑いをしながら『その過程において、いささか問題があるものも少なくないとはいえ』と前置きをしてたうえで、『すべて救ってきた』と断言する。


「お姉さんたちが嫁いだ家々にせよ、同じだ。たとえば、中村財閥だが、あれは弘晃さんと同じで、一見弱々しそうに見えても、六条ごときでは絶対に食えない。うっかり手を出そうものなら逆に飲み込まれかねないほど巨大で強かだ。紫乃さまとの縁談が破局しかけて頭に血が上っていたとはいえ、六条がどれだけ嫌がらせしたところで中村を潰せやしないことなら、社長は始めから知っていた。喜多嶋グループ紡績については、こちらが彼らに『何かした』のではなくて、何もしてやらなかったというのが本当のところだ。そして、ここ。茅蜩館ホテルだが、社長はこのホテルを潰そうとしたことがあったのか?」

「……。ありません」

 すっかり分が悪くなっていることを実感しつつ、紅子はしぶしぶと答えた。


「そう。茅蜩館を潰そうと画策していたのは、六条ではなくて武里リゾートだった。というよりも、もっぱら竹里冬樹の独りよがりな暴走でしかなかった。社長は昔から茅蜩館びいきで、公私共々親しくしてきた。茅蜩館のピンチともなれば、それこそ手段を選ばすに助力することもできた。けれども、社長は何もしなかった。いや、させてもらえなかった。なぜだと思う?」

「今のオーナーの八重さんも梅宮さんも、お父さまが介入することを望んでいないから……だと思います。お父さまが暴れると、ここのお客様の迷惑にもなるし……」

「そうだな。なにより、このホテルには、社長の力など借りなくても困難を切り抜けるだけの力が充分にある」

 だんだんと声が小さくなる紅子を楽しげに見守りつつ、葛笠がうなずく。


「それでも、君は、社長がするかもしれないことを勝手に推量して、すべて諦めるのか?」

 『自分から身を引くのか?』『何もしないと決めるのか?』と葛笠が畳み掛ける。

「でも、それは……」

「そうだな。君にも言い分があるだろう。それに、うちの会社の人事だって、俺が君のピン留めをつけて就職面接の場に現れただけでパニックになったぐらいだ。だから、しがないサラリーマンに過ぎない他社の人事関係者が無難に君を避けようとするのも仕方のないことなんだろうよ。だがな、六条源一郎の娘である君までもが、彼から逃げ回って、どうする? 話をしようと思えば、いつだってできるのに」

「に、逃げまわ……」

「一度、お父さんと、ちゃんと話し合いなさい」

 『逃げ回ってなんかいない』と言う間もなく、葛笠が、彼が紅子に対するにしては厳しい口調で命じた。


「君も自分で言っていたとおり、六条源一郎の娘であることは、いまさらどうしようもない。この先に君が父親の手を借りずに就職できたとしても、あるいはそうでなくても、君が六条源一郎の娘であるという事実は変わらないし、君を雇うことになる会社に対して社長が理不尽な報復をする可能性も、絶対にゼロにはならない」

 だからこそ、今のうちに源一郎と話し合っておくべきだと、葛笠が勧める。


「君の希望を話すことで誰か迷惑がかかることを心配しているのならば、どこの会社で働きたいかなんてことまで、いちいち社長に言う必要はないよ。むしろ、君が、どういう働き方をしたいか、どんなふうに仕事と付き合っていきたいか……というようなことをあらかじめ社長に伝えておくことだ。たとえば、どんな理由であれ、叱られながら仕事をするのは嫌なのか。それとも、厳しされてもいいから難易度の高い仕事ができるようになりたいのか。同僚に理不尽な上司やお局さまがいたら、どこまで我慢するつもりがあるか。そういうことだな。いや、そこまで言っておく必要もないかな。『我慢できなくなったら、その時は言うから、それまで静かに見守ってくれ』と、社長に約束させておくだけでも違うと思うぞ。まあ、伝えたからといって、社長が暴走しないとは言い切れないがな。でも、娘のお願いなら、社長はたいていきいてくれるじゃないか」

 源一郎は問題の多い人物だ。だが、最近の彼の暴走の原因は、何も言わなかった紅子にもあると、葛笠がほのめかす。

「でも、そんなこと、わざわざ言わなくても、普通は――」

「そうだな。普通なら言わなくても常識的にわかることだな。だが、社長が今まで常識的であったことがあったか?」

 『いや、ない』と、紅子は頭の中で、彼からの問いかけに即答した。


「それでも、君が『やめて』と言ってくれたから、社長は、今のところ、君から逃げ回っている会社を潰すことを思い止まってくれているだろう?」

「あれは――」

 父だって本気で言っていたわけではあるまい。そう言いかけたものの、紅子は口を閉じた。あの父のことだ。誰も止める者がいなければ、本気でやっていたかもしれない。

「そうね。お父さまだから、仕方ないか……」

 ため息まじりに、紅子は葛笠の言い分が正しいことを認めた。


「でも、私、そこまで、お父さまから逃げまわっていたかしら?」

「自覚がないのか?『最近は、朝の挨拶さえ、まともにしてくれない』って、嘆いているぞ」

 おかげで、秘書室の面々は彼に八つ当たりされて散々だと、葛笠がおどける。


「社長も不安なんだと思うぞ。なにせ、今まで、どこかに嫁いだ娘はいても、どこかに就職しようとした娘は、いなかったからな」

「そういえば、そうね」

 6人もいるというのに、就職どころか、アルバイトをしたことがある娘すらいなかった。


「そうか。だったら、アルバイトからしてみようかな」

 紅子はつぶやいた。どのみち一般的な日程と手順で就職することは諦めるしかないのだし、紅子の場合は、和臣や紫乃の時ほど卒論に時間を割く必要もなさそうでもある。アルバイトであれ少しでも働いた実績があれば、心配性で過保護な父も、安心するかもしれない。


「でも、アルバイトでも雇ってくれるところがなかったら、どうしよう?」

「そこは、社長やお姉さんたちの伝手を頼ってもいいんじゃないか」

 葛笠が提案する。源一郎に安心してもらうのが第一目標ならば、彼の世話にはならぬと頑なになるよりも、彼が信頼している人物がいる職場に、あえて飛び込んだほうがいいだろう。

「そうすれば、社長は、その人から君の働きぶりを聞かせてもらえるからな。無駄な被害も減るというものだ」

「葛笠さんが、お父さまの命令で、私のバイト先まで探りを入れいく手間も省けるしね。そういうことなら、いっそ、六条コーポレーションでバイトさせてもらおうかしら」

「え、うち?」

 どうしたことだろう。紅子が、そんな軽口を言ったとたんに、葛笠の顔色が変わった。


「う、うちの会社に?」

「うん。お父さまかお兄さまにお願いしてみようかな」

「いや、そ、それは……」




「うちは、絶対にダメだ。紅子をここで働かせるわけにはいかない」


 それから数時間後。


 他社から断られ続けている紅子をこれ以上傷つけたら可哀そうだ。そんな気持ちからやんわりとした言葉で彼女を説得しようとしていた葛笠よりもきっぱりと、六条源一郎が娘を自分の会社に受け入れることを、拒否した。

 

 





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