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他には何も望まない  作者: 風花てい(koharu)
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嘘つき娘の憂鬱 2

 六条紅子の就職活動は、とてつもなく難航していた。

 

 6月だというのに、一次面接どころか、会社説明会にさえ、こぎ着けない。資料請求のはがきを送っても、なしのつぶて。電話で直接問い合わせれば、ひたすらたらい回しにされる始末である。


 大学の就職係は就職係で、なんのかんのと理由をつけては、彼女に求人情報を与えたがらない。それどころか、彼女の姿を遠目にするやいなや、回れ右をして全力疾走で遠ざかっていく。逃げるのは大学の就職係だけではない。優秀な人材を求めて大学を訪れる企業の人事担当者やOBまでもが、紅子から逃げ回っているらしい。紅子を直接知らない彼らは髪型や背格好で彼女を見分けているようで、先日など、見ず知らずの女子大学生から「あなたに間違われて迷惑している」との苦情を受けた。

 

 とにかく、紅子は避けられている。そして、逃げ回る誰かをようやく捕まえて、理由を訊ねれば、彼らはやんわりとした笑顔で、こう言うのだ。


「裕福な六条家のお嬢さまが、お勤めになど出ることなどないでしょう?」

「どうしても働きたいのでしたら、お父さまやお姉さま方が嫁がれたお家が経営なさっている会社にお世話になったら、よろしいのでは?」


 紅子の希望も能力も無視して生まれや性別を理由に門前払い以前の対応をする彼らは、あまりにも失礼だ。彼女が社会の不条理と戦う活動家であったなら、差別を理由に立て看板を作成し、メガホン片手に抗議したことだろう。だが、それほど気が強くもなく、ぼんやりしているようでも案外周りが見えている紅子は、彼女を避ける誰もが、女性であることや実家が金持ちであることを表向きの理由にして、彼女を職につけさせまいとしていることに気がついてしまっていた。


 そう。本当の理由は別にある。

 彼女の就職活動が難航している真の原因は、彼女の父親だ。

 皆が彼女の父親である六条源一郎を恐れているのだ。


 源一郎と彼が経営する多くの会社は、莫大な資金力と影響力を有している。彼のおかげで経営難を救われた会社は数知れないそうだが、救われる過程で不要と判断されて放り出された経営陣も数知れない。なにかの拍子に源一郎の機嫌を損ねれば自分たちの身が危ういと警戒している経営者は多いし、彼の娘たちを警戒している人も多いだろう。なにしろ、源一郎は無類の親ばかである。娘を傷つける者を彼は容赦しない。


 娘のこととなると、六条源一郎に道理は通じない。本当に無茶苦茶なのだ。


 たとえば、かつての大財閥であり六条家の長女紫乃を嫁に迎えた中村本家が経営する中村物産は、婚約間際の行き違いで潰されかけた。次女明子を迎えた喜多島紡績は、彼女の最初の夫の浮気が原因でグループの次期総帥を変更ことになった。三女の嫁ぎ先の茅蜩館ホテルは、長年にわたって多くの難しい客を相手にしてきただけあって父の機嫌を損ねるようなヘマはしなかった。だが、この縁談に横やりを入れた武里リゾートの若き経営者は、社会的に抹殺された。


 今は幸せな姉たちの結婚の時でさえ、あれほどの騒ぎになった。一方、独身主義者を標榜する紅子が望んでいるのは、結婚ではなく就職である。婚姻ならば嫁ぎ先にメリットもあるだろう。だが、社員として六条家の娘を迎え入れるとなると話は別だ。紅子であろうと誰であろうと、大学を出たばかりの新卒社員など、世間知らずの半人前以下でしかない。それなりに仕事ができるようになるまでには何度もミスをするだろうし、そのために上司や先輩から叱られることもあるだろう。自分のふがいなさに落ち込んで泣くことだってあるかもしれない。そのたびに六条源一郎が怒り狂って攻撃してきたら、会社としては、いったいどうすればいいのだ? 


 だから、どの会社も、紅子を入社させたがらない。しかしながら、就職試験や面接にやってきた紅子の採用を断れば、やはり源一郎は怒り狂うことだろう。となれば、さわらぬ神に祟りなし。六条源一郎とうっかり接点など持ってしまいたくない会社や人事担当者としては、就職したがっている紅子からも逃げ回るしかないのである。




****




「でも、だからって、あんまりよ!」

 

 連敗……それも不戦敗続きのストレスから、紅子の愚痴は日に日に増えていった。

 際限のない彼女の愚痴は、やがて、届くべくして、同じ家に暮らしている父親の耳にも届いた。


 紅子を入社させても選考の過程で断っても怒るだろうと恐れられていた父は、紅子が避けられていると知っても、やはり怒った。激怒した。


「紅子をほしがる会社がひとつもないだと?! それどころか、人事担当者が避けまくっているだなんて、ありえないだろう!」

 早朝の食堂に、父の怒号が反響する。

「いったいどこの会社だ? 人を見る目のない者しかいない企業など、どうせ潰れるに違いない。いっそ、私が彼らに引導を渡してくれる!」

「やめて、お父さま!」

 紅子は必死で懇願し、具体的な企業名や担当者の名前を聞きたがる父に対して頑なに口を閉ざした。これまでさんざん愚痴を聞かせてきた母たちや妹たちや、兄や兄の片腕である葛笠にも口止めした。


 だが、沈黙することで守ることができるのは、過去のことだけだ。


 娘思いの父は、どうにかして紅子の力になろうと一生懸命になってしまった。彼は、これまで以上に紅子の様子を気にかけるようになった。紅子がどのような職に就くことを望んでいるのか、どういう仕事がしたいのか、とことん話し合ってもくれようともした。親ばかで知られているとはいえ、六条源一郎は多忙を極めているうえに7人の子供の父親である。彼が紅子ひとりにそこまでの時間を割いてくれたことは、正直嬉しかったし、ありがたかった。


 だが、紅子が父に問われるままに無邪気に入りたい会社やしたい仕事を明かせば、どうなる? 間違いなく彼は自ら口をきいてくれようとするだろう。父からの申し入れを受けた会社は、たとえ迷惑していても、紅子の入社を断れない。それどころか、たとえ彼女がその会社に入れるだけの能力や資質がなかったとしても、六条源一郎が怖いばかりに紅子を受け入れるしかなくなってしまう。

 父の意向でいやいや働かせてもらえても、紅子としては嬉しくない。というより、申し訳なくて、居た堪れなくなるだろう。だが、辛くなって紅子が会社を辞めてしまったら、父が、その会社を潰してしまわないとも限らない。 


 紅子の考えすぎかもしれない。

 だが、杞憂だと笑い飛ばすには無理があるほどの実績が、源一郎にはあった。


「どうしよう」


 生涯独身を貫くために、まずは就職して自立する。

 紅子のごくごくありきたりでささやかな人生計画は、夏休みを前に頓挫しようとしていた。 





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