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他には何も望まない  作者: 風花てい(koharu)
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きれいは汚い、汚いは…… 1

 娘の紅子は葛笠と結婚させるつもりでいると、源一郎が記者たちを相手に発表した。

 

 今のところ、この婚約発表は、世間の関心を逸らすためのフェイクであるということになっている。当事者である紅子と葛笠も、期間限定の偽の婚約だと信じている。マスコミにせよ、源一郎の発表を額面どおりには受け取っていないだろう。


 しかしながら、このニュースを今から数時間前に知らされた綾女は、翌月のカレンダーをめくったら、年の始めに書き込んだことすら忘れ果てていた大事な予定を見つけた時のような気分になった。

 朱音と一緒に暮らしていると、時々こういった不思議を体験することになる。今日もそうだった。朱音は、源一郎が記者たちに囲まれる1時間ほど前には、婚約のことを綾女に知らせにきていた。それも、「ずいぶん前から私がこうなるって言っていたことは、絶対に内緒ね」と、綾女に口止めするためにだ。ちなみに、朱音の言ういうところの『ずいぶん前』の一番最初は、紅子が産まれる前だった。初対面だというのに生まれてもいない娘について怒濤のように語り出した朱音の勢いに押されて、ついつい彼女と深い仲になってしまったのだと、源一郎が言い訳にもならない浮気の言い訳をしながら、妊娠中の朱音の力になってやってほしいと綾女に土下座で頼み込んできたのだ。愛人に別の愛人を見守るように頼むなど、許しがたいことではある。だが、朱音と初めて引き合わされて彼女の理解しがたい言動を目の当たりにした綾女は、生まれてくる赤子のために自分がひと肌脱ぐしかないようだと、悟りにも似た諦めの境地に至ったものである。


 朱音の次には執事が、その後は、葛笠を送り出してから綾女の仕事の手伝いに戻ってきた紅子が、(偽?)婚約の報告にやってきた。そして、今。その場の勢いで愛娘の未来の夫を自ら指名してしまった源一郎が、面白くないことがあるとたびたびそうしてきたように、綾女の居間で、ふてくされながら手酌で酒を飲んでいる。


「ふん。結局、朱音の言うとおりになったってことなんだろうけどよぉ」

 だけどよおぉ……けどよおおぉぉぉ……と、くどくどくどくどと源一郎がうっとうしい。

「葛笠さんならば、申し分ないでしょう」

 娘の夫になってしまっても問題ないようにと、問答無用で葛笠を厳しく仕込んだのは、源一郎本人だ。

「葛笠には、見込みがあった。だから、厳しくしただけだ。朱音の言うことを真に受けいてたわけじゃない」

 悔しそうに源一郎が、拳骨を叩きつけるようにして空になった杯を置いた。


「別に葛笠に不満があるわけじゃない。そう、あいつに不満なんてあるわけがないんだ。ただ、紅子が奴を好いているってのがムカつく」

「では、紅子ちゃんが大嫌いな方に嫁がせますか」

「それは、もっと嫌だ。それより、紅子が大嫌いな奴は、俺の敵だ。殺す」

 酔いが回ってきているのか、源一郎の言動が物騒だ。それでも、ぶつくさ言っているわりには、後悔するような言葉だけは口にしていない。要するに、気持ちの整理がつかないだけなのだろう。やれやれ困った人だと思いつつ、綾女は、あと少しで完成しそうな刺繍を諦めると、源一郎の隣に座を移した。


「紅子ちゃんと葛笠さんがこの先どうなるかは、本人たちに任せましょう。ともあれ、この婚約発表を機に、うちのことを嗅ぎ回っている人たちが減ってくれればいいのですけど」

「……そうだな」

 コリをほぐすように源一郎が首を回す。「さすがに、今回はきつい」と呟く彼の横顔は、思っていた以上にくたびれて見えた。無理もない。悪者と決めつけられて、あることよりもないことばかりを書き立てられて、ついには桐生喬久の不遇な死や彼の《遺産》にまつわる噂のことまで蒸し返されようとしている。桐生の死は、源一郎にとってのアキレス腱だ。本人も自覚しているからこそ、いつものように後先考えずに暴れることもせずに、いつも以上に慎重に平静に振る舞おうとしている。些細なことでも足下をすくわれかねないと、身に染みているからだ。だけども、彼の忍耐も、そろそろ限界だろう。


(大丈夫かしら)

 綾女は、彼の背中をさすろうとなんとなく伸ばした手で彼の頭を撫でてしまった。

「あらあら、ごめんなさい。つい……」

「いや。いい」

 くつくつと笑いながら、源一郎が甘えるように綾女にすり寄ってくる。

「私の《氷の薔薇姫》がこういうことをしてくれるのは、滅多にないことだからな」

「氷の何ですって?」

 なんなのだ。その背中がゾワゾワするような美々しくも恥ずかしい呼称は?

「《氷の薔薇姫》だよ。昔、君が、君の求婚者たちに、そう呼ばれていた。知らなかったか?」

「知りません!」

「そうだろうな。君のお父君ときたら、それこそ薔薇についた油虫を駆除するような必死さで、彼らを君に近づけまいとしていたから」

 それにもかかわらず、お父君は一番でっかくてタチの悪い虫である自分を退治しそびれた。さぞかしあの世で悔しがっておられるだろうと、源一郎がニヤリと笑う。


「そんなことありませんよ」

 綾女は、ゆるゆると首を振った。そんなことはない。

 

「あなたは、私たちの恩人ですから」

 

 

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