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他には何も望まない  作者: 風花てい(koharu)
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幸運な災難 10

「こんなところに落とし穴があるなんて、ありえないでしょ。非常識だと思わないんですか?! 怪我したら、どうしてくれるんですか!」

「いやいや、俺も君も非常識な不法侵入者だから。常識的なら、人の家の敷地に無断に入ろうとしないから。落ちて怪我したとしても、自分のせいだから」

「なんですってっ! ってか、あなた、誰よ?」

 

 別々の落とし穴に落ちた男女が、紅子をそっちのけにして始めた言い合いによると、ふたりはどちらも記者だった。他の記者たちを出し抜くために最初に雑木林に分け入ったのは、男性のほうで、様々なトラップを間一髪で避けながら命からがらここまで到達した(あげくに穴に落ちた)ようだ。女性の記者のほうは、男性の後を追い、彼の動きを参考にすることによって比較的安全にここまでやってきた(けれども、結局穴に落ちた)ということらしい。


 声の調子からでしか判断しようがないが、ひょうひょうとした感じの男性記者のほうが話しやすそうだ。紅子は、穴の縁に近づくと、「大丈夫ですか?」と男に声をかけてみた。広さが畳半畳ほど、深さが大人ひとりと半分の身長ほどの穴の中から紅子を見上げた男は、体格のわりには手足がひょろ長く、弘晃よりも、いくつか年上に見えた。

  

「平気です!」

 男が返事をした。元気があり余っているような声に、紅子はひとまず安心した。


「それより、この穴です!」

「はい! すみ……」

「掘られた場所といい深さといい、申し分ない。しかも、ふたつもあるんですか!」

 謝ろうとした紅子の言葉をぶった切って、男が興奮気味に叫んだ。


「なんて素晴らしい!」

「え? ええ?!」


 この人は、ひょっとしなくても、自分が落ちた落とし穴を絶賛しているのだろうか。自分は、話しかける相手を間違えたのだろうか。それより、彼は、穴に落ちた時の打ち所が悪くて、混乱しているのかもしれない。そうであるならば、救急車を呼んだほうがいいのだろうか。紅子がとまどっている間も、男は感動を言葉にし続ける。


「この穴もそうですが、そこかしこに仕掛けられた数々のトラップもいいです。侵入者を一人残さず仕留めようとする執念と殺気が感じられます。もっとも、六条家の秘密を考えれば、この程度の対策は当然でしょう。賊が入っでも警察が呼べるとは限らないですからね。ちなみに、この落とし穴には、これまで何人が落ちましたか。侵入者の素性はわかりましたか。軍の関係者であった可能性は?」

「ぐ……ん?」

「旧日本軍です。あ、それとも、かつてのGHQのほうからきた人だったりしましたか。まさか、そうだったんですかっ。あるいは、CIAとかMI6…… いや、桐生氏がメーソン員だった可能性を考えると、彼らが敵ということはないかな。ところで、あなたは、桐生氏について六条氏が何か言っていたのを聞いたことがありますか。そうだ! 鳴門丸という名を六条さんから聞いたことはありませんか。いや、それより、M資金だ! 侵入者たちは、ここにM資金が隠されていると睨んでいるのでしょうか。あるいは、予言の巫女姫の奪還を画策しているのかな。そうだ、巫女姫! 巫女姫さまは、今もご健在なのでしょうか?」 


 男は、ひとりではとうてい抜け出せそうにない深い穴の中から脱出しようと焦ることもなく、時々独白めいたことをつぶやきながら、紅子に質問してきた。怪我はしていないようだが、着ている服も顔も泥まみれだ。それなのに、なぜかとても嬉しそうでもある。胸や尻などをしきりに叩いているのは、自身の体の無事を確認するためではなく、どこかに入っているはずの筆記用具を探すためであると思われた。門のところで頑張っている記者たちとは、だいぶ毛色が違うようだ。


 それにしても、日本語を話しているというのに、この男の質問内容が理解できないのは、なぜなのだろう。兄の祖父や父が、いったい何と繋がっているというのか。巫女姫とは、誰のことだろう。



「質問のご主旨は、よくわかりませんけれども、とりあえず、この落とし穴は、あなたが想像していらっしゃるようなものではないですよ」

 この穴は、主に竹里冬樹を警戒して作られたものであった。


「そうよ。妄想も、たいがいにしなさいよ」

 紅子の返答に勢いづいたように、もう一つの穴に落ちている女性記者が声を張り上げた。


「っていうか、あなた、あれでしょ? 毎号毎号懲りることなくトンでも陰謀論的な記事をでっち上げている『月刊レムリア』とかいう雑誌の記者でしょ? 桐生喬久といえば、あんたの雑誌の準レギュラーみたいに、何度も記事に登場しているわよね。彼が欧米の秘密結社の手先となって戦争を終わらせたとか、戦後日本における彼らの世界支配計画の一翼を担っていたとか、M資金の金庫番だったとかなんとかとも。よく恥ずかしげもなく、あんな与太話を書けたものね」

 こき下ろしているわりには、女性記者は彼の雑誌を読んでいるようだ。隠れファンなのかもしれない。


「そういうあんたは、『週間ティアラ』にポエムもどきの記事を乗っけてたアホライターだろ。『六条源一郎は戦後の闇に巣くう化け物だ』だったっけ。ああ、そうか。ライターじゃなくて、詩人か? ポエマーか?」 

「なにが、ポエムよ!  そもそも、桐生は、日本を戦争という狂気に向かわせた張本人じゃないの。いわば戦犯よ。六条源一郎だってそう! 戦争を利用して、中村という大財閥と組んでさんざん私服を肥やした恥知らずの極悪人よ!」

「はあ? 中村家の御曹司と六条氏の長女の婚姻も両家の繋がりも、ごくごく最近の話だろ! 時系列無視して、適当なこと言ってんじゃねえぞ。バーカ!」

「馬鹿とはなによ! この妄想炸裂ヤロウ!」


 ふたりの言い争いは激しくなる一方だ。

 どちらも自分が正しいと主張しているようだが、紅子には、どちらも奇天烈なことを言っているとしか思えない。少なくとも、どちらかが間違っていることは確実だ。ふたりの言い分を両立させたら、矛盾だらけになってしまう。



「とにかく、六条源一郎が私たちの敵であることは間違いないわ! 毎朝新報を潰したのはあの人だっていうじゃない! それも、気に入らない記事を書かれたって理由だけで! 問答無用で!」

「だから、なんで時系列を無視するかなあ。それから、いけすかない金持ちだろうとなんだろうと、安易に敵認定するのはやめろ。あんたみたいなのがいるから、まともな記者が迷惑するんだ!」

「あんたのどこがまともなのよ!」


「埋めましょう」


 やまない口げんかに呆然としている紅子に、スエが提案する。


「開いてても閉じてても見えんことに変わらん目しかついておらんようじゃからな。このまま埋めてしもうたところで、真っ暗な土の中に閉じ込められていることにも気づきますまいて。本人たちにせよ、特に出たがっておらんようじゃしな」

 そんなことを言いながら、スエが、落とし穴に向かって、枯れ草混じりの湿った土をせっせと蹴り入れ始めた。慌てたのは、ふたりの記者だ。「やめてくれ」「やめなさい」と、揃って声を上げた。


「スエさん。さすがに、それはダメよ」

「ですが、紅子嬢ちゃま。助けたところで、ロクなことにはなりませぬぞ。見えておっても見ておらぬ。聞こえておっても聞いておらぬ」

 このふたりは、朱音と出会う前の自分に似ていると、スエが言う。

「朱音さまを知る前のわしは、神なるものを見誤っておった。己のみが神に愛され、己のみが御言葉を伝える使命があると信じ切っておった。なにひとつ疑えぬまま、人を惑わす邪鬼となりはてておった。こやつらは、あの頃のわしと同じ。救いようがない邪鬼ですじゃ。埋めてやるのが、せめてもの慈悲というもの」

 スエが、穴の中に向けて哀れむような視線を投げる。いったい、朱音に出会う前のスエになにがあったのか。詳しい話を聞かせてもらいたいところだが、今は、それどころではないだろう。「とにかく、埋めるのはやめてね」と紅子がスエを諫めていると、月刊レムリアの男性記者が興奮気味に叫びだした。


「今、『紅子嬢ちゃま』と言いましたか? それに『朱音さま』とも! ということは、あなたさまは、六条氏の4女さま! そして、朱音さまとは、あなた様のお母上さまであり、予言の巫女姫さまのことですよね。ほんのちょっとでいいんです。お母さまからお話を聞かせていただくことはできませんか?」

「え? み?」

 男性記者が言っていることは、またしても、紅子には意味不明だった。


(お母さまが、巫女姫ですって。この人、大丈夫なの?)

 一部でツチノコ扱いされている紫乃の夫よりも、朱音が胡散臭いもの認定されているように感じるのは、紅子の気のせいだろうか。


 困ったことに、『月刊レムリア』が元気になった途端に、『週刊ティアラ』も勢いを取り戻してしまった。ここにいる記者たちに限ったことではないだろうが、《ティアラ》は《レムリア》に比べると、より世俗的な話題に興味の対象があるようだ。

  

「まあ。あなたが噂の六条紅子さんなのね?!」

 《ティアラ》は、紅子との単独インタビューを申し込んできた。是非とも、紅子の本心を聞きたいのだという。


「本心?」

「ええ、本心よ。笹倉徹さんのこと。あなた自身はどう思っているのかしら?」


 婚約の話は、本当に政略結婚的なものなのかどうかを《ティアラ》は疑っていた。

 徹は、紅子の兄の親友だ。紅子が以前から好意をもっていたとしても、不思議ではない。それどころか、とっくの昔に互いの好意を確認し合っているのではないか。ぶっちゃけ、恋人どうしなのではないのか。本当は、政略結婚ではなく、徹と恋愛していたから婚約に至ったのではないか?

 

 ふたりがもともと交際中もしくは恋人同士に近い関係であったのならば、紅子は、今回の騒ぎをどう思っているのか。


「だって、こんな騒ぎになってしまったら、笹倉徹さんとの縁談がなかったことになってしまうかもしれないでしょう。となれば、あなたにとって、私たち記者は、2人の仲を壊しかねない、恨んでも恨みきれない存在ということになるわよね?」

 『ティアラ』の記者が紅子の反応を探るように、言葉を切った。


 紅子は返事ができなかった。女性記者の話は、突拍子もない男性記者の話以上にわからなかった。言葉の意味はわかるのだ。でも、こんなことを今さら自分に訊いてくる彼女の神経がわからない。とにかく不愉快だ。この記者は考えようによっては紅子の気持ちに寄り添おうとしてくれているようにも思える。もしかしたら、今の紅子の立場に本当に同情してくれているのかもしれない。それでも、不愉快だ。ぎりぎりこらえているが、紅子の頭の中は、この記者に言い返してやりたい皮肉でいっぱいである。


(『政略結婚と思いきや、私と徹さんは深く愛し合っていたのでした』なんて話になったら、恋愛小説みたいで、『週刊ティアラ』の読者さんが喜んでくれるかもしれないものね) 


 スエではないが、紅子も、このまま彼らを埋めてしまいたくなってきた。機嫌の悪さが顔に出ないように堪えている紅子と穴の中の女性記者の間を、スエの視線が行ったり来たりしている。


「ふーむ。どうやら、こやつは、嬢ちゃまと徹どのが大恋愛をしていると思うておるのだな。ほんに思い込みの激しいおなごじゃな」

 スエはどうしようもないヤツだなぁいうように首を振ると、女性記者が落ちた穴の縁に仁王立ちになった。


「だが、残念じゃったな。それは、そなたの思い違いじゃ!」

 スエが高らかに宣言する。


「嬢ちゃまの想い人は、ずっとずっと葛笠どのじゃ。かの者こそが、出会うべくして出会った嬢ちゃまの伴侶となる者であると、朱音さまも申しておった!」




 

 同じ頃。


「君たちは、徹と紅子……いや、紅子さんと笹倉の息子をくっつけようと盛り上がっているみたいだけどさあ。あの子は葛笠さんとの結婚が決まっているはずだよ」


 六条屋敷の門前でも、記者たちに取り囲まれた竹里冬樹が、テレビカメラも六条源一郎も葛笠もいる前で、スエと同様の発言をしていた。


 

 

    

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