序 ~星がまぶしい夜に~
『月のない夜に気をつけろ』とは、よくいったものだ。
今宵は新月。
肌を刺すような冷えた冬の澄んだ空気に誘われて星を眺めながら家路に向かえば、このざまだ。
「また、叱られてしまうなあ」
あの子のことだ。青筋立てて殴りかからんばかりの勢いで「ぼけっと空なんか眺めているからだ。この馬鹿!」と。自分を怒鳴りつけるに違いない。いいや。喧嘩っ早い子だから、殴りかからんばかりではなくて、殴りかかってくるだろう。
それでも、昔に比べれば、あの子も、かなり穏健になったか。
「もう『あの子』と呼ぶような歳でもないしな」
『いつまでもガキ扱いしてんじゃねえぞ、おっさん』と憎まれ口を叩く彼を頭に浮かべつつ、笑う。
あの子を拾ってから、10年、いや15年ぐらい経っただろうか。
家に来たばかりの頃のあの子は、そりゃあ、ひどいものだった。
野良猫のほうがまだ行儀がいいし、まだ人間の言葉を解するだろうにと、呆れたものだ。
呆れてばかりだったけれども、うんざりしたことはなかった。
人間らしい生活の仕方から善悪の判断から、ひとつひとつ叩きこんで、
いろいな話をして、少ない語彙を増やした。狭い視野をこじ開けるようにして、いろいろなものを見せた。あちこち……文字通りに世界中を連れ回した。
頭もよければ勘も働き、飲み込みもよい子だった。だから、こちらが用意するものを面白いように吸収していった。今となっては、自分ほうが彼に世話を焼かれるばかりだ。口の悪い知人などは、『おまえの無謀につきあえる酔狂など、あの子の他に誰がいるのだ』と嗤う。
「どこかに出かけるなら必ず言え。ついていくから」と、あの子は言っていたのに。嫌な予感がするとも言っていたのに。どれだけ用心しろと言われても杞憂だと笑い飛ばす自分に腹を立て、「てめえなんか、さっさと殺されちまえ!」と、実に情のこもった罵倒でもって送り出されたというのに。
あとからあとから、あの子との思い出が溢れてくる。
走馬燈のように?
ああ、こういうのはまずい。
とりあえず、帰らないと。
でないと、あの子が、また独りになってしまう。
そう思っているのに動く気になれない。
冷え切った地面の上に仰向けになれば、満天の星。
「ああ、流れ星だ……」
刹那の光が消えてしまわないうちに、願い事を言わないと……