第一部 ~インスタント勇者②~
目が覚めると、視線の先にあるのはどこかで見たことがあるような天井だった。
いや、岩肌だった。
……デジャヴだ。
気を失う前の出来事を思い出した香澄が跳び起きると、少し離れた位置で何かを話している金髪蒼眼巫女ことルシーナと、銀髪大声大男ことガルフェインが視界に入った。
二人の向こう側には、銀色の甲冑を着た中世の騎士のような人達が5,6人ほど集まり話し合っている。
さっきはトカゲ人間のインパクトが大きすぎて気付かなかったが、他にも人(?)がいたようだ。
(どうやらこのよくわからない空間にいることは夢ではなかったみたい…。)
「ルシーナ様!!気が付いたようです!!」
先ほども注意されたにも関わらず、洞窟内に響き渡る大声で話すガルフェイン。
ルシーナに視線で注意を促され、バツが悪そうに頭をかいた。
「気が付いたみたいですね。大丈夫ですか…?」
ルシーナが心配そうに話しかけてきた。
「すみません…、ちょっとショッキングな映像を見た気がして…。」
ルシーナはクスクス笑いながら後ろを振り返り、騎士の集団に声をかける。
「ふふふ…、ショッキングだったそうですよ、ラムド公。」
「ほっほっほ!召喚された今代の勇者が、女性だとは予想だにしていなかったからの!わかっておったなら自前でもっと良いものを用意するか、魔術で変装したんだがのぅ…。」
ルシーナが振り返った先にいる騎士達の中に一人だけ兜を外している騎士がいた。
そしてその後ろからひょっこり顔を出して喋る、体は魔法使い、頭は騎士の兜という奇妙な生き物。
声からしてさっきの二足歩行のトカゲ人間のようであった。
自分の姿を見てぶっ倒れた香澄に配慮して変装してくれているらしい。
(漫画やアニメで、獣人や亜人、天使や悪魔がでてくるけど、あれはあくまでデフォルメされた姿なんだね…。)
現実だと、鱗の光沢は爬虫類であることを生々しく表していて、歯がない口内はやけに鮮やかなピンク色に見える。
そして目は爬虫類独特の深く暗い無機質さを感じさせる。
(これはあかんやつや!特殊メイクだと言ってください!)
ラムド公と呼ばれた老人、いや老トカゲ人は、思い出して震えている香澄をチラリと見てから視線を落とし地面を観察し始めた。
(…ん?ちょっと待った。さっきラムド公が言っていた『召喚された今代の勇者』ってなんだ?誰のこと?女性って言ってたけど、この空間にはおそらくわたしとルシーナさんしか女性はいないはず。…騎士達のなかに女騎士がいないのであればの話だけど。くっころ。)
困惑していて、聞きたいことがあるが言葉が出てこない香澄を気にも留めず地面を観察しているラムド公。
よく見ると、地面ではなく金網フェンスを観察しているようだ。
「ふむ…、これは地面に敷くものにしてはいささか座り心地が悪いのではないか…?わざわざ金属を細い糸のように加工し、それを編み込んで作る必要性があるということなのか…?」
ぶつぶつ独り言をつぶやき、金網フェンスについて考察しているが、そもそも香澄がこの上から動けずにいるだけで本来の使い方はもちろん違う。
「これは、金網フェンスと言って…。正式名称はネットフェンスだったかな?敷物じゃなくて壁みたいなものなんですけど…。って、そうじゃなくてっ!」
思わずラムド公の独り言に律儀に返してしまう。
「ほう!鉄製の壁とな!確かに鉄で壁一面を作ると、かなりの量の鉄資材が必要になるが、これならば少ない鉄で作ることができ、視界も確保できる。網目を細かくすれば矢も防げるのう!魔術は防げないが、歩兵なら充分な足止めになる。惜しむらくは、これほどに細く弾力性がある強靭な鉄糸を作ることができる鍛治師がとても少ないということじゃな…。あるいは鍛冶ギルドであれば……」
なにやら興奮している様子のラムド公は、香澄の訴えには気づいておらず、また自分の世界に入り金網フェンスの有用性と活用法、生産方法について考察を重ねていた。
「すいません、ラムド公は異世界から勇者と共に召喚された品々について研究しており、見ての通りいつも集中しすぎて周りが見えなくなるんです。」
ルシーナが、暴走する孫のために張り切っているお祖父ちゃんを見るような眼でラムド公を見つめ、微笑みながらフォローする。
「そ、それなんですけどっ!『異世界』とか『勇者』とか『召喚』ってなんなんですか?!ちょっと状況が掴めなくて…。」
「もちろん説明しますし、私達にはその責任があり、あなたにはそれを聞く権利があります。しかし先ほども言いましたが落ち着ける場所に移動してからお話をさせてください。ここはもう少しで危険な空間になってしまうので。さあ皆さんも上へ戻りましょう!」
焦る香澄に対してもルシーナの穏やかな態度は崩れず、ガルフェインと騎士達に声をかけこの部屋から出るよう指示を出していた。
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ガルフェインを先頭にして一列に隊列を組み、木製のドアからルシーナの言う『上』へと戻る。
木製のドアをくぐり部屋を出る前に香澄が振り返ると、先ほどまで自分がいた場所を中心にうっすらと円形の模様のようなものが描かれていることに気が付いた。
(えっ…これって魔法陣?ということは、召喚されたのはわたしで『今代の勇者』っていうのも…)
香澄が足を止めて考えを巡らせていると
「これこれ、後ろがつっかえておるのじゃから止まらずに進みなさい。」
とラムド公に注意されてしまったので、もやもやしながらも前に向き直り進まざるをえなくなったのだった。
因みに、円形の模様の中心に一緒に召喚された金網フェンス、もといネットフェンスがいつのまにかなくなっていたことには、香澄は気付いていなかった。
ラムド公が玩具を買ってもらった子どもの様に、ほくほく顔で歩いていることにも全く気付いていなかったのである。
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ルシーナは説明を落ち着いた場所ですると言っていたが、香澄があまりにも混乱している様子であったので、歩きながら現在の状況を説明することにした。
この世界は香澄がいた世界とは全く違う世界であること。
この世界には魔術というものがあり、香澄をこの世界に召喚した方法も魔術の一種であること。
ルシーナはその召喚の魔術を使うことができる唯一の存在である『召喚の巫女』だということ。
いま歩いている場所は、フォルガンド王国の王城の地下であり、召喚の間と王城をつなぐ通路であること。
これから王城に向かい国王と謁見し、詳しい話を聞いてほしいとのことであった。
ルシーナは当初から全く変わらない落ち着いた態度でこれらの情報を話してくれていたが、ガルフェインと騎士たちは隊列を決して乱さず周辺を警戒していて、ピリピリとした雰囲気を醸し出していたため、聞きたいことが山ほどあっても口に出すことができなかった。
歩き始めて十数分後。
舗装されていない道を歩くのには慣れていない香澄は、さすがに少し疲れを感じ始めていた。
ゴールまでの距離や時間がわからない状態で、高校一年生女子の平均に毛が生えた程度の体力しかないことを考えると仕方ないことではある。
(ん?あの黒いのはなんだろう?)
ふと右の壁を見たときに何か黒い光沢のあるものが壁にあるのを発見した。
先ほどまではなかったのに、急に突き出てきて現れたように感じたので誰かしらに声をかけようかと思ったそのとき、
「防衛陣形!!キラーアントだっ!!」
ガルフェインの大声が響き渡り、反響した音が聞こえるよりも速く騎士たちが動き、ルシーナや香澄、ラムド公を取り囲む陣形を取る。
目を見張る速度で陣形が整い、誰かの息を飲む音が聞こえてきた瞬間、壁から突きだしている黒い物体がもぞもぞと蠢き、壁を崩しながらその全貌を現した。
『キラーアント』と聞いてとりあえず小さな蟻を思い浮かべた香澄であったが、壁から這い出てきた『それ』は大型犬ほどの大きさがあり、蟻なんて生易しい生き物ではなかった。
香澄がいた世界では虫眼鏡を使わないと見えなかった頭部が、体長の3割ほどを占めるほどに巨大化していた。特に大あごと呼ばれる部分が大きく発達していることから生身の人間程度なら容易に噛み千切ることができるであろうと想像できる。
複眼は香澄たち全員を油断なく観察しており、頭部の二本の触角もぴくぴくと小刻みに動いていた。
「見える範囲にはこいつだけだが…、ラムド公!!索敵魔術をお願いします!!」
ガルフェインが大声を上げるが、ラムド公は特に気負うことなく答える。
「言われなくても発動しておるよ。半径100m以内に魔物の反応はないわい。大方はぐれキラーアントじゃろう。仲間を呼ばれる前に始末すれば問題ないの。」
防御陣形を取る騎士達の間に一瞬ほっとした空気が走るも、ガルフェインの視線に咎められ再度油断の無いように気を引き締めていた。
「キラーアントは単体こそD級モンスターですが、群れだとB級にまで討伐難易度が上がるモンスターですよ。ほっとするのも仕方ないです。」
ルシーナが、油断を咎められた騎士達にフォローを入れると、ガルフェインは苦笑しつつ
「新米とはいえ、王宮騎士がB級程度で緊張や油断をしていたら、この国やルシーナ様は守れません!!」
と叫び、ロングソードを抜剣しつつキラーアントまでの距離を一足飛びで詰め、頭部と胸部の間の体節の脆い部分を振り下ろしの一撃で両断した。
両断されたキラーアントは断末魔の声も上げられず眼の光を失い、事切れた。
それを見届けた後、騎士達は納剣して防御陣形を解き、ガルフェインのもとへ集合していた。
その数秒後、キラーアントの死骸は光の粒になり床や壁に染み込むように消えていった。
(死骸が消えていくなんてゲームじゃあるまいし…、ん?)
キラーアントが消えた跡の床に小石ほどの大きさの結晶のようなものが落ちていた。
「それは魔石じゃの。ダンジョンで生まれた魔物は体内に魔石を持っておるんじゃ。拾って触っても害はないぞ。」
香澄が魔石を拾おうかどうか迷っていたところ、ラムド公が教えてくれた。
実は興味があったので、害がないのであれば拾ってみたいと思っていた香澄は魔石を拾い上げ、壁に埋め込まれている謎の照明器具の光に翳して透かして見た。
(綺麗かと思ったけど、くすんでる感じだしあんまりだなー。そういえば蟻の触角って空気中の匂いとかを感知してるんだったはず。そんな感知器みたいなのがあれば便利だよねー。)
早々に魔石鑑賞に飽きて別のことを考えていた香澄には、手に持っていた魔石が溶けるように消えてなくなっていることには気付かなかった。
「ル、ルシーナ様ぁ!!」
「っ!!」
ガルフェインの叫び声とルシーナの短い悲鳴が聞こえたかと思った瞬間、
香澄はロングソードの腹の部分で叩き伏せられ、ガルフェインに取り押さえられていた。